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新着記事(10件)

新着記事10件を表示しました

投稿時間:17/12/31(Sun) 09:45
投稿者名:直人
Eメール:あるがままの そのH
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タイトル:40日の入院療法と同じことをネットでやればいい
「あるがまま」とは森田博士の代表的言葉だが、森田博士はそれを伝える為に40日間の作業が必要としており、それを通じてその「あるがまま」の心を伝える事を行ってきた。
論理的思考等で伝わるなら、勉学、説教でいいだろう。
「あるがまま」に生きる事を実践した人に起こる心の変化は、理論では無くて体験として表れて、心の病気、神経症の治癒として表れる。
だからこれを他人に伝え残すのは難しいことだ、しかし普通の勉学では無くて、治癒したいとの願望があり、その結果を得たい人には、求める意欲が強いので、仕事などの社会生活の努力を作業と見立てれば、その日々の心の在り方を指導する事で「あるがまま」は伝わるだろう。
座禅や入院作業などしなくとも、仕事など社会生活へ取組む心の在り方を補助する事により、本人の体験自覚を通じて「あるがまま」は継承される。これを実践する。

投稿時間:17/12/31(Sun) 09:43
投稿者名:囚われからの解脱 P29
Eメール:あるがままの そのH
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タイトル:『あるがまま』は言語と論理によって伝達されえない
(中略)『あるがまま』は言葉と論理のない状況であるために、本来伝わらない性質のものである。(中略)『あるがまま』をどう継承するかが問われる前に、この非伝達性が明確にされていなけれ ばならないであろう。
十四世紀の京都で禅風を高からしめた大燈国師(大徳寺開山)は、その遺戒のなかで『不伝の妙道』(言葉で伝えることの出来ない真実)を体得していなければだめだ、と言 い放っている。
(中略)これは抽象的、論理的思考によらない真実(あるがまま)の授受を述べて いる。つまり『あるがまま』が言語と論理によって伝達されえないことを示唆している。

投稿時間:17/12/28(Thu) 06:53
投稿者名:直人
Eメール:Re:あるがまま そのG
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タイトル:人心の不思議か、悟りでもあり、森田博士の発見だ
上記3っつとも同じ様な心を言われていると思うが、自分の心を相手にして時間を取らないと言うか、心には人為的加工はせず、無対策でそのまま前進だろう
森田博士の言う背水の陣であり、不安、未知、生贄の前進である、そこに見事な対策が発生するので両者の意見は合致する。
人為的加工や対策する、治療の勉学から神経症の病気の治癒はありません、無治療、即ち治すを否定したあるがままに前進するところに、自然に治癒は発生する。
これは人心の不思議と言おうか、悟りでもあり、森田博士の発見でもある。その不思議の会得が病気の治癒となるが。治すの成功では無く治さないの成功で治癒する。
再発しても治さないで放置すれば、簡単に治ってしまう。

投稿時間:17/12/28(Thu) 06:24
投稿者名:囚われからの解脱
Eメール:あるがまま そのG
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タイトル:無治療の治療、無対策の対策
著書=囚われからの解脱 P2
「そのこころもとなさになんら人為的加工を加えることなく、そのこころもとなさを味わっているのが
真実(あるがまま)」なのであるからそれに徹していくことにする」

著書=囚われからの解脱 P22
ところで「露堂々」という禅語について説明しておこう。
これは「如々真」と同じ意味で、森田療法の世界で言えば「あるがまま」「そのまま」と同じ意味である。
晋一はある日の講話のなか「露堂々」についてこう語っている。
「いまお持ちのこころをそのまま持っていることです」と
これは自分のこころに何らの人為的加工(不安を安心に変えようなどとの計らい)をしない ことを指す。

著書=囚われからの解脱 P26.27
「あるがまま」は森田療法の神髄
また「無分別の分別」という表現も、こころに刻みこんだ大拙の言い回しである。
つまり、こころに分別を働かさないことが、真の分別になっているということだ。これは大拙のいう即非の論理と言っても良い。
晋一はすかさずこれを自分の療法に採り入れた。「無対策の対策」、「無治療の治療」などがそれだ。
前者を例に とれば、自分のこころを不安なものから安心に変えようなどという計らいを、一切しないことを言う。
後者も同じことである。

投稿時間:17/12/26(Tue) 05:53
投稿者名:直人
Eメール:Re: あるがままE
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タイトル:インターネットを通じて多くの人を治癒に導いた
現在ではこういった入院森田療法を行う所は希少にであり、又こういった指導においては
その指導者の能力が重要であり全てであると言える、のの能力は勉強や訓練で得れるものでは無く
自分が神経症になり、それを乗り越えた経験と、その後の人生でこれを深く検証出来た人になる
これが医師免許と結びついているので人は皆無に近い。

しかし現代のインターネットは即個人との会話が自由であり、本人の毎日の仕事を入院中の
作業と見立てて、毎日書き込みをさせて、それに対して指導する体制を取ればいい
この場合、医師免許は必要なく治癒経験と人生経験の多い指導できる人は多いと思う。
森田博士は神経症が治った人は他人を治癒させることができると言われているが、真実だと思う
私もインターネットを通じて多くの人を治癒に導いたと自負している。


投稿時間:17/12/26(Tue) 05:52
投稿者名:森田正馬(高良武久)
Eメール:あるがままE
URL :
タイトル:煩悶はそのまま、抵抗的を心理を去って、事実服従の体験をえる
入院森田療法について(著書=対人恐怖の治し方P264)
治療の根本原理は、苦痛煩悶はその「あるがまま」に、これに直面没入させ、これを逃れようとか、
克服しようとか、紛らわせようとかの一切の抵抗的心理を去って、事実服従の体験によって気分
本位を脱却させ、同時に精神交互作用を遮断し、一方作業によって注意の外向化をはかり、即物
的態度を馴致させるとともに禎極的活動の自信を知らず知らずのうちに体得させるのである。

そしてかかる過程はたんなる説得によって実現されるものではなく、患者を一定の環境におい
て、適当な条件を与えることによって、患者の心境がこの条件に応じて自ら変化するような組織
の下に行われるのである。その間患者に日記を記載させ、その精神的変化に応じて言語的にも指
導するのであるが、積極的になれとか気を大きく持てとか、外向的になれとかの抽象的指導では
なく、できるだけ具体的に、実際に適する生活指導を行うのである。

投稿時間:17/12/23(Sat) 08:34
投稿者名:直人
Eメール:Re: あるがままD
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タイトル:自分にとって宝物であり、安楽な道を知り、自信に満ちて生きれる
まさに「言い得て妙」であり、「言葉で言い表せない」素晴らしいことを言われている、現代にこんな事を知り教える人は皆無だろう、精神科医にいるとは思えない。
当然に白刃の下に修養された人はいないだろうが、社会人事でこれの修養は経験する人は多いだろう。
神経質症の病気でない、普通の人は理屈なしに自然に、これが実行され修養されて成長して行く、まさに「当たって砕けるという態度で事件のをまっただ中に突入すれば、そこにおのずから臨機応変の処置がとれる」との人間の本能を生きているに過ぎない。
神経質症の人はこれが判らず「理論的な工夫によって得られるものでもなければ、外からくっつけられるものでもない」はずの事を真剣に行って失敗を繰り返している。

そこを突破するには「自分の心のあるがままの事実に服従する、ということを心がけるようになった。そうなってはじめて、つくりものでないほんとうの勇気と自信が生れるものである、ということを知った。」これが必要だろう。
これを自分で気づくのは難しい、本当に難しいが森田博士の様な人がいて指導いただくなら理解できる、本当に素晴らしい事だ。
これが人生を貫いた生き方になるのは「ほんとうの勇気と自信が生れる」からです、これは自分にとって宝物であり、安楽な道を知り、自信に満ちて生きれる様になる
普通の人は本能として実行しているが、心の病気を乗り越えた人は、原因と結果を知り、より迷いの無い人生となる。素晴らしい言葉だ。

投稿時間:17/12/23(Sat) 08:29
投稿者名:森田博士
Eメール:あるがままD
URL :
タイトル:事件のをまっただ中に突入・・臨機応変の処置がとれる
生の欲望 P235
私の人生にたいする態度は、自分のほんとうの心を欺かず、生活においても、また生死の間に立つ場合においても、自分の心の「あるがまま」の事実に服従する、ということを心がけるようになった。そうなってはじめて、つくりものでないほんとうの勇気と自信が生れるものである、ということを知った。
たとえば、交渉ごととか談判とかをする場合にも、前もって自分が言おうとすることを考え、順序立てておいても、実際にそのことに当たって見ると、先方の出方によってこちらの予定はすっかり崩れてしまうことが多い。
このような場合、ただ当たって砕けるという態度で事件のをまっただ中に突入すれば、そこにおのずから臨機応変の処置がとれるものである。それは武道でいえば捨て身の態度であり、背水の陣である。
ことさらに自分で勇気をつけたり、自信をもとうとあ せったりする必要はない。そのときに臨んで、はじめて勇気と自信が湧いて出るのである。
ほんとうの勇気というものは、理論的な工夫によって得られるものでもなければ、外からくっつけられる ものでなければならない。それは、山に海に、社会人事に、あるいは白刃の下に、事実に当たって修養されたものでなければならない。

投稿時間:17/12/21(Thu) 05:11
投稿者名:直人
Eメール:Re: あるがままC
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タイトル:自己への思考を粉砕する時に治癒が訪れる
要は人間も動物の一種に過ぎなかったが、生存の競争の中で知能を持ち発展させて、動物の中では一番強い存在になり、長寿をまっとう出来る様になった。
この知能を外面に働かして(自身の体も含め)いれば、強い存在になり安楽な長寿を得るが、この知能を自分の心に向けて、思考、訓練、利益を追求しだした時に人は心の病気になる、他の動物はこれはしない出来ない、だが人間にはできるので行うが悪い結果しか生まれない、これを完全に粉砕するのが森田療法だと思う。
各種の症状には関係なく、自己への思考を粉砕する時に治癒が訪れる、普通人の人生には自己を問題にした改善や訓練の思考は無い、本能的にこれはしない、だから心の病気では無い、神経症の病気の人もそうなるだけであり、普通の人になって治癒する。

投稿時間:17/12/21(Thu) 05:10
投稿者名:高良武久
Eメール:あるがままC
URL :
タイトル:一切の抵抗的心理を去って、事実服従の体験
対人恐怖の直し方 P264
森田療法の・・治療の根本原理は、苦痛煩悶はそのあるがままに、これに直面没入させ、これを逃れようとか、克服しようとか、紛らわせようとかの一切の抵抗的心理を去って、事実服従の体験によって気分本位を脱却させ、同時に精神交互作用を遮断し、一方作業によって注意の外向化をはかり、即物的態度を馴致させるとともに積極的活動の自信を知らず知らずのうちに体得させるのである。

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