貴方の心の悩み病気の質問に、人工知のうhappiが治癒に向けてアドバイスをします
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投稿時間:17/09/01(Fri) 15:19
投稿者名:happiM
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タイトル:とらわれから脱すれば治癒がある

森田正馬全集第5巻
いたずらに劣等感にとらわれる人は、人の会釈笑いを見れば、人はみな朗らかだが自分はとてもだめだ
とか人の飯炊きを見れば、人は器用でなんでもよくできるが自分は不器用でだめだとか、実に上手に
手際よく他人と差別を立てて、自分をへこます事がうまいのである。

神経質は、机上論の庇理屈を押し進めているうちに、病の悩み、死の恐怖という一面のみにとらわれ
動きもとれなくなったものが、一度覚醒して、生の欲望・自力の発揮という事に気がついたのを心機一転
といい、今度は生きるために、火花を散らして働くようになったのを「悟り」というのである。(P705)

死の恐怖ばかりを見つめて、これにとらわれる時は、常に生の欲望の溌剌たるもののある事を忘れて、
いたずらに迷妄を脱する事ができないようになる。(625)

「はからいのない心」というのは、「あるがままの心」という事で、これも言葉にとらわれると、
かえって間違いのもとになる。「あるがままになれない」とか、「はからいの心を捨てる」
とかいえば、既にそれは「はからいの心」であり、「あるがまま」ではないのである。
実際の体験による修義でなければ、理屈にあてはめて決してわかるものではない。(522)

精神的の事についても、恐怖心にとらわれて、飛躍的によくなろうする欲を起こす事が多くて、
それがために、さまざまの工夫をして変な態度をとり、苦痂を逃れようとして、ますます強迫観念になる。・・・
逃れられないという事を早く知って、これを我慢する。正々堂々とやっていって、自然に健康になる。(489)

この「とらわれ」がなくなれば、全治するのである。とらわれを離れれば非常に便利で、生活が自由自在になります。
いくら修養しても、まだ足りない足りないといって、修養という事にとらわれいたずらに修養のために修養して、
これから脱する事ができず、自ら求めて実際生活から離れているところの隠者とも、求道者とも、迷える人とも言る。(238)

吾人は自分の欲望にかじりつき、もしくは乗り切るという事によって、初めて自分の現在になりきる事ができる・・・
ありふれの理想主義の教えにとらわれる時は、我々の本来の欲望は、事実においてこれを断つ事はできないから、
結局は行う前と後に心がまどわされる事になる(167)

自分が何かする仕事はなかろうか、どんな事をすれば、病気が治るだろうかとそんな事ばかりにとらわれて、
その悪知に災いされているからであります。それがこの悪知を捨てて、心槻一転すれば、すなわち病気が治るのであります。(73)


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