434号
2012年9月25日

主な記事のインデックス

 東京都の雇用責任の追及に全力を!

 東京都労働委員会 江戸川自然動物園事件調査開始
 文京支部 保育園分会
 オスプレイ阻止沖縄県民集会 
 連載  わいるどふらわー 40


 
東京都の雇用責任の追及に全力を!
 
専務的非常勤の首切りは一人たりとも許さない


 東京都の専務的非常勤職員五年有期雇用の一方的制度改悪導入から四年半。 都生活文化局は、総務局の指示の下、今年度末に有期雇用満了を迎える消費生活相談員に対して、公募による選考を行うことを決定しました。制度導入後初の大量雇止めとなる、最も怖れていた事態が起ころうとしています。

管理職の発言は動かしがたい事実

 これまで当該の消費生活相談員ユニオンを中心に、制度撤廃の要求と相談員らの雇用不安を解消せよと、関係管理者へ求めてきました。これに対し、生文局幹部及び東京都消費生活総合センター長はじめ管理職は、一貫して相談員に対して「雇止めは考えていない」「相談員の雇用継続はセンター運営に欠かせない」との趣旨を公式・非公式を含めて再三明言してきました。これは事実上の公約的かつ既成方針で、職場でもそのように受け止められてきたことは動かし難い事実経過です。

生文局は公式見解に責任を持て!

 七月末、総務局が各局に対し、更新回数上限に達した専務的非常勤職員の取り扱いについて「都知事が認めた場合・・・」という特例で公募によらない再度の任用を行う必要のある職については事前協議を申し入れるよう通知をしました。
 生文局はこの通知を受け、九月に入り組合に対し、「消費生活相談は今までの研修の蓄積や経験のノウハウを生かす必要があり、大量退職があったら、相談業務に支障が生じる」という根拠を述べた上で、生文局として相談員の来年度雇用についての考え方を、「公募によらない再度の任用を考える職」として位置づけたいと、公式の労使協議の場において明らかにし、「事前協議」を総務局に提出したと回答しました。
 しかし、その後、生文局はセンター長宛に総務局の決定ということで、「職務の性質上特別の理由があると知事が認めた場合に該当する専務的非常勤職員の職はない」との通知をしました。

徹底した責任追及で雇用継続を勝ち取ろう

 結果、最大の不利益変更である雇止め問題については総務局が最終決定権限を持ち、その責任を追うべきことが改めて明らかとなりました。今後、総務局への徹底した追及が必要です。
 また、生文局とセンターに対しては、今になって、総務局との判断が異なったことを理由に、これまでの公約を覆すことは許さず、どんなことがあっても相談員たちの雇用保障をさせましょう。そのために戦術を強化し、組織の全力を集中して闘いましょう。


 
東京都労働委員会 江戸川自然動物園事件調査開始
  一日も早く動物園に戻りたい!

  九月二十四日、江戸川動物園分会組合員へのパワハラ、セクハラ、不当配転をされたことに関わって、東京都労働委員会調査が始まりました。
 組合は、直接の使用者であるえどがわ環境財団はもとより、財団に職員を派遣している、江戸川区、双方に申し立てを行いました。
 第一回目であるこの日は、分会長が動物飼育への熱意を持って入職した当時の思いや、パワハラの蔓延する酷い職場の実態、組合へ加入してからの財団による不当配転の不当性を話し、最後に「一日も早くもとの職場に戻してください」と三者委員へ訴えました。
 調査のスピードは早く、次回には和解への模索が始まろうとしています。
 組合は、不当配転の不合理性、不誠実団交の事実を追及していきます。
 併せて、江戸川区については、区職員である財団事務局長のセクハラ、パワハラに関わって、区の使用者性について立証していきます。

パワハラ、セクハラの事実を前に、シラを切り続ける財団

 組合による団交での厳しい追及により、N職員、事務局長による、パワハラ・セクハラについて、財団は、一部発言の事実を認めています。それにも関わらず、組織として調査を行わず、事務局長へは処分も行わないという、異常な隠蔽体質を改めず、自浄能力の無さをさらけ出しました。
 財団は「(パワハラ発言は)行き過ぎた発言だったが、N氏本人にも訳がある」「事務局長への調査は、本人も記憶が無いだろうから行わない」など、職場改善に背を向け続けています。

全く正当性の無い不当な異動

 財団側は、都労委で分会長を含む組合員三名への異動の必要性について問われ、事務局長は「長くいると水が淀む」と発言し、「一、組織の活性化」「二、人材の活用」「三、少数職場のため、異動が必要」などの必要性を示しました。しかし、どれも抽象的な理由で到底納得できるものではありません。そもそも、水を淀ませているのは、これまでパワハラを黙認し加害者を擁護し、自らもパワハラ・セクハラの当事者である事務局長自身ではないでしょうか。

組合員を動物園に戻すことこそが組織の活性化につながる

 組合員は動物飼育に関する学校を卒業し、高い倍率を潜り抜け財団に雇われた、専門性を有する労働者です。そのような組合員を公園管理業務や馬のみを扱う施設に異動させることは、不合理であり、サービスの維持向上の低下しか招きません。一日も早く三人を動物園に戻せるよう、各支部からも応援をお願いします。  【松園】

 次回、都労委第二回調査期日:十一月七日(水)十時から東京都労働委員会で行われます。
是非応援傍聴にご参加を!



 
文京支部 保育園分会

 学ぶことはたのしい!

 文京保育園分会は、三十数名の組合員がいますが、会議は二重加盟の人も含め三名で細々とやっている状況です。
 何とか活動に参加してもらいたいと会議についてのアンケートや作業のお願いをしても梨の礫。でも分会が元気になるには組織化が鍵。学習を通し、他園の人と交流し、仲間を増やそうと六月から連続講座のようにして、月一回学習懇談会を開催することにしました。第一回はわらべうた、手あそび。紙芝居の読み方、第二回は「保育で大切にすること」と題し、文京区の園長先生の講演です。
 回ごとに十五名、十九名の参加があり、楽しく学び素直に活かす場になりました。五名の新しい仲間を迎えることが出来、本当にうれしいです。
 また、園長先生からは「非常勤の人も学習したいということが分かってよかった」と感想があり、今後もあきらめず研修要求を出す後押しをして頂いたように思います。
 九月から十一月までの計画は区職労保育園分会の協力を得て、全非常勤に配布、第三回目は「幼児期の育ちと関わり」と題し、実践女子大の柿田先生の講演。十七名の参加で、今まで未参加の園の人も参加し、発達について学びあいました。
 毎回、日々関る子どもたちを思い浮かべて、参加するみんなは生き生きとしています。
 これから回を重ね、元気に活動できるようにしていきたいと思います。 
        

 
 
オスプレイ阻止沖縄県民集会
 本土も黙っていられない

 当日は、沖縄らしい青々とした空、目を開けているのがつらいくらいのまぶしい太陽。
 あまりの暑さに木陰に座わると、「首都圏青年ユニオン」の旗をみた、隣の六十代くらいのお父さんが「東京からきたの?」と話しかけてきました。
 私が沖縄の名護市出身だと答えると、話がはずみ「沖縄の県民ならね。こういう集会はなるべくこなきゃダメ。東京に帰っても、沖縄のことわすれないでねぇ」独特のなまりは優しい口調に聞こえますが、確実に怒りをもっていました。
 沖縄にいる私のおばぁは、今年、九十歳。「あと十年は長生きするよ」と、とても元気です。でも、「いくさのことはつらくて話せないよ、思い出したくない」と話題を避けます。
 それは私にとって、多くの戦争体験を聞くより強烈なことです。多くの沖縄の人たちは今でも傷つけられ、こうした思いを集会にぶつけていると感じました。
 オスプレイは、配備、運用されれば、全国どこの上空も飛び回ります。もっと多くの人にこの事実について知らせていくことが急がれていると感じました。
飛行ルートで発表されている多くの自治体の長から「反対」の声があがっていることも、とても重要で、これから全国各地に、オスプレイ「反対」の声が広がって欲しいと思いました。
 沖縄返還四十年というこの年に、一つの戦闘機に対して、これだけイデオロギーの違いを越えて、十万一千人もの人が集まった。そのことにとても感動を覚えました。 【のんたん】

 



連載 わいるどふらわー40 〜花よ咲け 貧困と誇りの谷間に〜
作 小林 雅之 挿絵 中嶋 祥子 題字 岩下 和江

私のオルグノートから(その5)

完全なる争議」 




 日本の労働運動には、組合結成からそのまま争議を余儀なくされてしまう事件が多くある。戦前の非合法下では、争議を起こすため組合を旗揚げするような事情におかれていた▼野田醤油争議は一九二二年から二八年にかけての長期戦だった。たこ部屋に押し込められた樽工の蜂起から一四〇〇人の全体ストライキに発展した。最期のストライキは二一六日間も耐えたが官憲と暴力団の暴圧により敗北を喫する。共産党創立の年に始まり、党が大弾圧された三・一五事件の一月後に壊滅したのは偶然ではない。争議参加者の七割が解雇される悲惨な結末であった。「タンポポの綿毛となって、新天地で生き抜きましょう」と誓い合いながら、大八車に家財一切を載せて逃れるように各地へと散った。多くは二〜三〇代の青年男女であった▼終戦を待ち構えていたように組合は結成ラッシュを迎える。敗戦の混乱期、東宝映画の大争議が起きる。天皇制警察の圧殺支配と入れ替わりに、アメリカ占領軍の超法規的弾圧が争議に重くのしかかった。経営の民主化をめぐり、当時最強の組合といわれた日本映画演劇労組東宝分会は一九五日間に亘る占拠を続けながら闘った。空や地上に米軍機と戦車が行き交う中で、世田谷砧撮影場の明け渡しを迫る機動隊と一緒に裁判所の執行吏が占領軍のジープで乗り込んできた。「軍艦以外全てやって来た」と言われた東宝争議は一九四六年三月から四八年一〇月にかけて三次決行された。占拠が解かれた後に、GHQは著名な監督や俳優たちも含むレッドパージ二〇〇名の蛮行に及んだ▼現在享受できている労働者の権利の源泉は、こうした先達の尊い犠牲から流れ出ていることを私たちは忘れてはならない。争議とは、奪い取られたものを取り返す事から始まるが、やがては人間の尊厳を取り戻す根本へ向かうことを歴史は教えてきた▼野田争議の弾圧は子どもにも及んだ。学校へ行けなくなった六百人の子どもに全国から教師たちが駆けつけて労働学校を作り、争議は家族や地域ぐるみで闘われた▼『餅も無く 子に晴れ着なき正月を 母は涙をのみて迎えぬ 子はせめて同志と共に団結の 文字をえがける凧をあげけり』 こう当時の女性部は詩った▼日鉱室蘭争議から流れてきた労働者が野田醤油にやってきた。組織がされて野田争議になった。野田の労働者たちは次の闘いに散っていった▼東宝争議は「民主的映画の創造」という画期的な労働協約を遺産に残し、今も最高傑作といわれる数多くの名画群を生み出した黄金期の礎を作った▼六〇年代、日本ロール争議は二度も全員解雇を撤回させた闘いで、名画「ドレイ工場」が支援で作られ、子どもの「どぶ川学級」も生まれた。日本ロールはいまも争議が続く▼化学一般同盟エスエス分会も三度の全員解雇全員復帰を果たした。勝利の要因は全員がオルグとなって数十の組合を産業や地域に作った戦略にあった。経営者団体は恐怖し、分会の恐るべき階級闘争の展開を中止させよとエスエス資本に終結を迫ったのだと言われた。争議は斯くありたいと思うし、先輩の闘いに今でも私の胸はときめく。分会は既に消滅したが多くの組合が灯を継いだ。私もその灯の一つと思っている▼完全なる争議の勝利など、労働者に最終的勝利がもたらされるまでは無いのかも知れない。だからこそ闘いは如何に引き継がれるか、そこに争議の真価が込められていくのだと思う。