449号
2013年5月14日

主な記事のインデックス

 東京都が敗訴!労働委員会・裁判で四度断罪

 春の組織拡大ばく進中 ウェルカムパーティー
 勝利は、地元のつながりがあってこそ。
 連載 わいるどふらわー 45


東京都団交拒否事件

東京都が敗訴! 労働委員会・裁判で四度断罪

 四月二十四日、都が、中労委命令を不服とし国を相手に申し立てた行政訴訟(東京高裁)の判決が言い渡されました。この判決で都側は敗訴。組合が全面勝利しました。
 東京都が、専務的非常勤職員の五年雇止め問題や賃金労働条件で団交に一切応じない不法行為は、労働委員会と裁判所で、四度断罪されたことになります。

都の主張はいずれも退けられた

 高裁判決は東京都の主張をいずれも退けました。@「非常勤は労働者ではない。」A「次年度の賃金改善や諸要求をするのは、交渉事項にならない」B「(五年雇止めの)要綱変更を求めるのは管理運営事項への介入であり義務的団交事項ではない」など、あきれた主張を都側は繰り返してきました。しかし、今回の判決でも、高裁は非常勤職員の労働者性を認めました。併せて「賃金改善や諸要求をすること」「要綱改善を求める事」いずれも「団体交渉事項に該当する」として、都が団交に応じる義務があることを改めて認定しました。

「憲法の趣旨を損なう」とまで判示

 更に判決は一歩踏み込んで「雇用実態にふさわしい処遇を求めて労働組合が団体交渉を行う余地がなくなり、憲法二八条が労働者に団体交渉その他の団体行動をする権利を保障した趣旨が損なわれる」と、都の労働組合への異常なまでの姿勢は、憲法に抵触する事態にまであることを、裁判所は警告的に判示しました。
 このように、公共一般の存在を二十三年間も否認し続けてきた都の異常な不法行為は、条理も道理もないことを、東京高裁は断定しました。都がこれ以上不法行為を重ねる行為は、ブラック企業ならぬ「ブラック自治体」そのものです。最高裁への上告は、税金の無駄使いでしかありません。
 組合は、都に対し最高裁上告を止めて、早急に団体交渉開催を行うよう求めています。

判決を無視し、最高裁へ上告 

 抗議申し入れから一週間が経過した、五月八日、東京都は最高裁へ上告をしました。非正規労働者の処遇改善について無視を続ける暴挙としか言えません。今後、署名、宣伝活動、メディアへの周知を展開し、この争議の完全勝利に向けて奮闘していきます。


 豊島支部


 春の組織拡大ばく進中 ウェルカムパーティー

 公共一般豊島支部の新人歓迎会「ウェルカムパーティー」が四月二十六日に区内の中華料理店で開かれ、新人八人を含む二十六人が参加しました。
 歓迎会では、全員が自己紹介と一言あいさつ。新人職員が「右も左もわかりませんが、がんばります」とういういしくあいさつすれば、組合員からは「組合に入るといいことあるのよ」と、五年雇い止めを突破し雇用をつなげた経験や共済で銀婚式祝いをもらったことなどが語られました。お楽しみタイムではビンゴゲーム。参加者全に景品が当たりました。
 最後は、豊島支部の山中支部長(二重加盟)から、「一人ひとりは弱いけど、組合で助け合って楽しい職場をつくりましょう」と組合入会のすすめ。その場で、「入ります」と約束してくれる新入職員もいました。
豊島支部では、この春十五人の組織化を目標に奮闘中で、すでに七人の仲間を迎えています。
    


 
青年ユニオン


勝利は、地元のつながりがあってこそ。
すき家裁判勝利報告集会in仙台


 遠く離れた地にいる組合員が、挫けずに最後まで闘い続けることの困難は、想像を絶する。昨年一二月に勝利和解を勝ち取った、すき家ゼンショーとの闘いは第三ラウンドに突入した。第一ラウンドは労働基準法を高らかに掲げ、渋谷店舗の解雇争議で解雇撤回させて、全国的に時間外手当の未払い問題を一掃した。第二ラウンドは、仙台の店舗で働く組合員 福岡 淳子さんを始めとした従業員の過去の未払い残業代などの諸問題は、会社が団体交渉を拒否し、六年以上闘いつづけ勝利した。
そして、今年三月より再開された会社との団体交渉から、組合員の組織拡大と共に、ひとつずつ要求実現をしていく。この第三ラウンドを闘い抜く上でも、青年ユニオンは仙台でも、裁判の勝利報告集会をおこなった。東京からは合計十名がレンタカーや夜行バスで参加した。地元からは宮城県労連だけでなく、宮城青年ユニオンやソニー労組仙台支部なども参加し、当事者への労いと祝福をいただいた。とくに「自宅の近くで、日本で有名な争議をやっている」と地元のご夫婦が長年応援していただけたことは、本当にありがたいことでした。ご夫婦から花束が贈呈され、福岡さんは本当にうれしそうでした。
 東京での報告集会と、三月に行われた団体交渉も映像で流し、楽しさと闘いのはげしさに闘志を燃やしながら、集会が成功したことは、大変な喜びです。今後とも仙台と東京を軸に運動をさらに広めることを確認して、集会は終了しました。 
 

 

 連載 わいるどふらわー44
 〜花よ咲け 貧困と誇りの谷間に〜
        作 小林 雅之 挿絵 中嶋 祥子 題字 岩下 和江
      私のオルグノートから(その10)
             カンパニア闘争



一九一七年のロシア革命、二二年日本共産党創立など歴史の大きな転換期にあった二〇年代は、日本労働運動の最初の高揚期にあたる。時同じくしてあの残忍性を極めた治安維持法も制定された。戦前の三大争議といわれた共同印刷、野田醤油、日本楽器の長期壮大な労働争議がたて続けに発生したのもこの時期、大正末期から昭和初期のことである。まさに労働運動が音を立てて隆起していったのである▼数十日から二百日という長期間のストライキ闘争を支えたのは大衆的な支援とカンパであった。一日の賃金が一円少々の時代に、何百円何千円とストライキ資金が瞬く間に全国から寄せられたという記録がどの争議にも残されている。当時の労働者階級がいかに連帯意識を持ち、解放のロマンを夢見ていたことか、一つ一つの史実からひしひしと今に伝わってくる▼いま闘われている日航争議を支える運動にもカンパ活動が不離一体にある。これは戦前の争議運動が切り開いてきた叡智の伝承であって、争議突入と同時にカンパ闘争が当然の様に取り組めたわけであろう。わがピジョン保育争議もカンパの規模はそれほど大きくはないが、義援金に込められた連帯の重みから、きっと勝利は叶うという確信を抱く事ができる▼カンパの語源はロシア語の「カンパニア」からだと言われるが、これもロシア革命と深い関わりがあるのかもしれない。カンパは、その運動がどれだけの有意性と社会的認証としての理解が獲得できているかの、シビアなバロメーターにもなってくる▼そうした視点で公共一般や青年ユニオンを考えてみるとき、この組合はまさしくカンパ闘争を抜きに語ることができない。全財政の半分がバックアップ資金に依っているのだから、ほとんどカンパ漬けの組合である。平時からカンパに不断に取り組む組合などめったに無い。争議でもないのにカンパを年中「せがまれる」と普通は敬遠されてしまうものだ。それが幸せなことに、この組織が生まれて以来ずっと持続的に金銭的支援に恵まれてきた。その訳は不安定雇用労働者や貧困にあえぐ青年労働者の闘える組合がいまほど求められている時代はなく、頑張れと心寄せてくれる人々が広がっているからである。カンパがないと財政自立できないことを組合員たちは恥とはせず誇りとするのも、労働組合の社会的存在価値を高めてきた確信から出ているものと思う▼大衆の寄付金は昔からも当然あった。その典型が「勧進」という民衆の信仰に深く関わった寄付行為だ。有名な奈良の大仏は幾度も戦火にあい、そのたびに形を変えていった。元禄時代には大仏殿は焼失したまま、大仏は野ざらしに露座されていた。これを嘆いた公慶上人は、幕府に援助を願い出るも、「勝手にやったら」と冷たく扱われた。将軍綱吉は最初から援助したという話は虚構の様である。このとき上人がとった作戦が「出開帳」であった。滅多に観られない秘仏を展示する事だが、彼はこれを巡回の展覧会にした。つまり直接民衆へ出前サービスしたのだ。一人一文から一紙半銭の寄付を集めるので、これが受けた。七年かけて諸国を巡り、なんと一万一千両も集めた。今の一〇億円に相当するそうだ。さあこうなると綱吉とて知らんぷりもできない。結局八年目に大仏は修復されたが、上人は大仏殿の再建までは見届けることができずに亡くなっている▼封建時代にあって民衆のカンパが幕府を動かした訳である。現代も大衆カンパに広く支えられた運動は社会に根ざしていることの証明である。