464号
2014年1月14日

主な記事のインデックス

 「組合の合意無くできない」と連動賃下げ撤回!

 新年のあいさつ 中央執行委員長
 新春座談会 希望はユニオン若者はなぜ立ち上がったのか
 連載 「カナリアは歌い続ける 3」
[HPトップに戻る]


中央支部
「組合の合意無くできない」と連動賃下げ撤回!


 5年雇止めの撤廃、マイナス「人勧」による連動賃下げ阻止、休暇制度の拡充を求めて、12月25日に団交。
 当局は当初連動賃下げについて、「正規職員が引き下げられている中、非常勤にも情勢適用、均等の原則がある」といっていましたが「近隣区で引き下げはなく、労使合意も無く進めることはできない」として賃下げを断念しました。
中央区の引き下げ阻止は2年連続です。

闘いの積み上げで賃下げ阻止

今回の成果は、@粘り強い交渉が実を結んだAすべての支部で賃下げ阻止を統一して闘っている効果のあらわれ。
 このように、各支部での闘争成果が、全都全国の非正規の処遇改善に結びつくことが改めてしめされたものです。
年度末真っ只中、共に奮闘していきましょう。  【松崎】


[このページのトップに戻る]
「驕れるもの久しからず」2014年を切り開こう
  中央執行委員長


 新年明けましておめでとうございます。
 昨年暮れ、怒り燃え上がる抗議の中、安倍政権は「秘密保護法」を強行可決しました。民意に背く暴挙です。
また、沖縄の米軍普天間基地の名護市への新基地建設等、安倍政権の暴走は何としても食い止めなくてはなりません。
 猪瀬都知事は「裏金」汚職で辞職しました。私たちの願いを託せる東京をめざして、みんなで都知事選を頑張りましょう。
 民意を解さない安倍政権も、急激な支持率の低下を招き、「政権の終わりの始まり」と言えます。
「驕れるもの久しからず」の実感を覚えます。
 公共一般は昨年「学生ユニオン」「早稲田大学非常勤講師ユニオン」等、新たな支部・分会が誕生しました。
ピジョンハーツ保育争議は「勝利和解」を勝ち取り、青年ユニオンのSHOP99の原告は職場復帰しました。秋田書店やカフェ・ベローチェの争議も、粘り強く闘われています。
新国立劇場争議も最終段階を迎えています。東京都5年有期問題は、最高裁で闘っています。
都の反動的労務政策は歴史の審判に立たされています。
各支部では「一時金・退職金実現」に取り組んでいます。
保育や介護、図書館、学童の職種・職域ユニオンの運動が着実に切り開かれています。
組合員の皆さんの、闘いに向き合う勇気とたゆまぬ努力を誇りに思います。
 2014年、更に大きく運動を繰り広げ、切り開いてゆきましょう。

[このページのトップに戻る]
 
新春座談会

「希望はユニオン」
   若者はなぜ立ち上がったのか


 若者はなぜ組合に入り、立ち上がったのか―。
青年ユニオンの組合員に集まっていただき、働くことから若者が組合に加わる意味について、首都圏青年ユニオン書記次長の神部紅さんを司会に、語ってもらいました。



 
 神部:  あけましておめでとうございます。
今日は皆さんが、なぜ組合に入り、声を上げようと思ったのか、お聞きしたいと思います。
 A:  昨年7月に入社、ITコンサル会社で4カ月働いてきました。実態は経営者と私の2人で、自宅待機が続き、突然解雇されました。現在、団交中です。
 労契法改正…雇止めに
 神部:  Aさんは以前、図書館司書をしていたそうですね。
A  大学で司書の勉強をし、卒業後、大学図書館の契約職員として5年間勤めました。しかし、図書館司書の仕事は派遣がほとんどです。安定して働けないことが一番の不安でした。司書は蓄積が大事な仕事なのに、がんばっても続けられない。
 5年目以降、再延長の面接を受けましたが落とされました。前年度の採用数よりも大きく減らされたのですが…
 神部:  明らかに、改正労契法の影響ですね。ユニオンは、この改正は雇用の安定化につながらないと指摘してきました。有期雇用で5年働くと、使用者は正社員になりませんかと労働者に申し入れる義務が発生するため、その前に雇止めにする企業が増えています。
 A  雇止めされた人は、全員司書で働くことをあきらめ、それ以外の仕事に就きました。いまでは契約上限が5年から3年になり、継続させないシステムにしています。他の大学図書館も似たような状況だと思います。
 「夢」奪われて
 B:  4年半パティシエ(菓子職人)として働いてきました。
 パティシエになるために入った専門学校の学費の130万円を、親が一括で払ってくれました。ウチは自営業だし、辛くてもがんばろうと思い、なんとか4年間働き続けました。5年目から正社員になれるのですが、ボーナスもなく、有休が2日出るくらいで契約社員と何も変わりません。
 もっと技術をあげようと、昨年3月に上京し、都内の店で働きました。試用期間は3カ月でしたが、半年に伸ばされ、契約書もありませんでした。朝六時から、毎日最低 時間労働。ひどい時は朝6時から夜 時まで働きました。半年を過ぎても、契約社員にしてもらえず、雇用保険と社会保険にも入れてもらえませんでした。体調が悪くなっても働き続けていたら、父が組合を調べてくれ、青年ユニオンに入りました。
 団交でもひどい対応で、怒りで泣きそうでした。和解の返事を待っている状態です。早く解決したいです。
 C:  26歳の時にSHOP99(現・ローソンストア100)に入社しました。入社式では「コンビニ業界はこれから伸びます。皆さんは伸ばすためのメンバーです」と言われ、モチベーションが上がりましたが、半年でそれは落ちこんでしまいました。
入社して4カ月で店舗を任され、9カ月目から店長になりました。半年目頃から食事ができなくなり、健康診断で、うつ病かもしれない、と専門医にかかるように言われました。しかし、仕事が忙しく、病院にたどり着いたのは2カ月後でした。
 働きすぎでうつ病になり、自分ではどうしようもない時に、父が青年ユニオンを教えてくれました。すぐに対応してくれて救われました。
 これまでは社会人経験が少ない自分に責任があると思っていました。
 ユニオンで法律を知り、ルール違反をする会社が悪いことを知りました。自分に責任があると、悩んでいる必要はなかったと思いました。働くには、会社の違法行為を見抜く力が必要だと思います。
 神部:  3人の共通は過密労働なのに、まともな賃金も賞与も出ないような働き方。こういう働き方は若者のなかで広がってきています。
 そういう中で組合に出会い、団体交渉に参加することで、どんな変化がありましたか。
 「おかしい」と気づけた
 B 働くことに精一杯で、冷静に考えられず、職場がおかしいとは思っていませんでした。
団体交渉をしましたが、会社は「分かりません」としか言いません。これほどまでに怒りを覚えたのは初めてで、馬鹿にしていると感じました。
 A  自分が非正規で働くことになったのも、ちゃんと就活をしなかったからで、仕事は自分の努力次第でどうにかなると思っていました。でも、果たしてそうなのかなと思うようになりました。
 当事者になると、自分の状態が分からなくなり深みにはまってしまいます。ユニオンが冷静にしてくれました。結婚をしても、働かなければ、生活はできません。組合とつながっていくことは大切です。
 C  会社に不満があったら、我慢しながら働くか、辞めるくらいしか思いつきませんでした。組合に入ってから、何かあれば会社と交渉する、交渉して会社と向き合うことで、仕事にも向き合っていけるようになりました。
 どんな職場でも労働者は法律で守られています。組合に入ることで行き詰まらずに済むと思います。
 「一人ではない」仲間が励みに
 A  団交には5人の組合員が来てくれました。一緒になって怒り、共感してくれたのが一番嬉しかった。労働法とか大事な知識なのに、知る機会もありません。高校生、学生くらいから、組合に入るのも大切だと思います。
 B  私も団交に組合員が応援に来てくれたことにびっくりしました。親身になってくれる人がこの組合にはいっぱいいる。
 体調を崩しても、立てなくなるまで我慢して働いていました。組合に入ってから、そこまで我慢する必要はない、思ったことは言ったほうがいいんだと、考えが変わりました。これからも働き続けるので、職場で変だなと思うことがあれば、声を上げていきたいです。
 この組合に入っていれば色々な知識も得られるので、お先は真っ暗ではない安心感があります。組合を調べてくれた父と、組合の人に感謝です。
 C  僕も最初の団交では、戸惑いました。組合員は他人でもないし、友達でもないし、不思議な関係(笑)。
 仕事でうまくいっていることは誰でも言えたりしますが、悩んでいること話せずに、自分で消化しようとします。組合は仕事の悩みが普通に話せる。組合がなければ孤立してしまうと思います。今度は僕も職場のスタッフの話を聞いてあげられるようにしたいです。
パティシエユニオンつくりたい
  B  今度は、自分からどんどん広げていきたい。パティシエユニオンをつくりたい。悩んでいる人はいっぱいいるはず。パティシエをやめることがないように、その人たちのために。
 神部:  若者の二人に一人は不安定な働き方を選ばざる得ない状態です。業務と責任だけは膨張していますが、賃金は上がらず、待遇は悪化する一方。過密労働は正規労働だけではなく、非正規にも広がっています。
 ユニオンにできることは、職場で一人ぼっちにされている労働者をつないでいくことです。夢ややりがいを奪っていく企業のやり方を労働運動で変えていくこともできます。青年ユニオンをもっと大きくしていきましょう。今日はありがとうございました。
 

[このページのトップに戻る]  



 カナリアは歌い続ける 3

作 八重樫 節子
挿絵 小林 武雄


「冬のセーヌ」


 私のオペラ初舞台は、J・シュトラウス作曲のオペレッタ「こうもり」である。
オペレッタと言うのは直訳すると“小さなオペラ”ということなるが、一般的にはセリフを交えた楽しい音楽劇で、かつては喜歌劇と呼ばれていた。
 オペラの練習には、まず音楽だけを指揮者とピアニストとともに練習する「音楽稽古」があり、ここでしっかり暗譜までしてから、演技を伴う「立稽古」に入る。
音楽稽古は何の問題もなくできたが、立稽古で面食らうことが続出した。
「こうもり」は第2幕で、ウィーンの大金持ちのオルロフスキー公爵邸で大仮装舞踏会が開かれるため、出演者すべてが舞台上でワルツを踊るのがこのオペレッタの一つの見せ場となっている。
 音楽大学声楽科では、今でも発声とオペラを歌うための歌唱法は教えるが、演技、まして踊りなどは教えない。
それに加えて教員養成大学出身の私は、なおさらそういったものに疎かった。
この時の「こうもり」はまだフォークダンスに毛の生えた程度の踊りであったが、中高生などの踊りではなく、貴族の雰囲気を醸し出すなどというのは新人にできるはずはなかった。
音楽は夢のように美しいのに、そこに立つ私は…
 四苦八苦して入団1ヶ月(約12回の稽古後)ちょうどで本番を迎えた。
場所は横浜の神奈川県民ホールである。オペラに出るにはまずメーキャップをする。
「つけまつ毛を用意して!あとのメイク用品はあるから!」と言われた。
最近は、若い女性が町なかでもまつ毛をつけるのがはやり、百円ショップでも気軽に買えるが、当時は限られた舞台メイク専門店にしかなく、用意も結構大変だった。
恐る恐る顔にドーランを塗り、本来の目よりずっと大きく見せるように太くアイラインを描き、最後に震える手でやっとまつ毛を装着した。
頭はターバンのような帽子を被るだけだったので簡単だった。衣装・手袋をつけ扇子を持ち、いざ舞台へ!
 まずGP(ゲネプロ)(ゲネラル・プローベ、総稽古と訳され本番同様の最後の稽古となる)。
舞台を客席から見て、右側を上手(かみて)、左側を下手(しもて)と言うが、上手から下手、あるいは下手から上手に移動するには、舞台の一番奥の照明の当たらない通路を通らねばならない。
それを知らず、場面転換の際、真っ暗闇の舞台を横切って誰かとドスン!あとで大目玉!なんとかそれでも本番を終えて楽屋に戻った。
 まず自分のメイクを落とす前に、楽屋着と呼ばれる前あきの浴衣のようなものに着替えてから、衣装を返却するのがルールだ。しかしそれを知らず、楽屋着を持たずに私は白いタートルネックで来ていた。
衣装を着たままメイク落としをするのは衣装を汚すことになるので厳禁なのだが、そうするしかすべはなかった。先輩が私に用意する物をきちんと指示するべきだったと思うが、当時のソプラノはパートリーダーを除くと皆入団一年未満の者ばかりで(それくらい入れ替わりが激しかった)、そんな余裕がなかったのであろう。
 二期会合唱団にいた20年の間で、私以外も勤続年数が長い人が多くなるにつれ、フォークダンス程度だった踊りも、ワルツを踊る華やぎに満ちた舞台になっていった。とは言え、たいてい一人か二人は新人がいて、私が作ったような大穴を舞台にあけていたのである。
民間の二期会はそれで精一杯であっても、国立の劇場になれば、合唱団をきちんと養成トレーニングし、隙のない完成された舞台になるであろうと新国立劇場移行に際しては大いに期待したのだった。

[このページのトップに戻る]