473号
2014年6月17日

主な記事のインデックス

 青年職員立ち上がる

 1万1800円の賃上げ
江東支部・介護認定調査員
 東京都団交拒否事件
〜オーストラリア労組に学ぶ〜下
満場の聴衆が八重樫さんの熱唱に酔いしれた
東京労働学校に通って 
民間労組の戦術も取り入れた組織化を
 連載 「カナリアは歌い続ける 12」
[HPトップに戻る]


「利用者のために」分会つくり、団交
青年職員立ち上がる
―NPO法人町田リス園(知的障がい者就労支援施設)―

 知的障がい者就労支援施設「町田リス園」(リス園)で働く、支援員やリスの飼育員が、園長のパワハラや横暴に我慢できないと「公共一般町田リス園分会」を結成。5月29日の団体交渉で理事長に、職場環境の改善を約束させました。

 リス園では、園長のパワハラで退職する職員が多発していました。
また、施設運営に職員の意見が反映されず、園長の横暴が目に余ると、20・30代の青年職員らと公共一般本部は数回に渡る打ち合わせで「町田リス園分会」を4月30日に結成。
5月8日には「組合結成通告・団体交渉開催の申し入れ」をおこないました。

組合結成 改善に園動かす

 法人は結成通告から団体交渉開催までの間に動きはじめました。
交渉事項にしていた、正規職員で採用決定した職員を、園長が一方的に「アルバイトにする」と通告していた件については、正規職員として対応することが決まり、さらに問題の園長は5月末で退職することになりました。
 こうした動きのなかで団体交渉が5月29日に開かれ、法人側から理事長と副理事長、園長、副園長が出席。
団交の初めに出席した組合員一人ひとりが、なぜ組合に加入し分会を結成することになったのかの思いを話しました。
 「園長からのパワハラで職員が辞めていくのをみて、これではリス園がダメになると思った」、「私たちは賃金よりも、利用者のためにちゃんと私たちの意見を聞いてもらいたくて組合を作ったのです」など、切々と思いを話しました。

理事長「反省する」

 組合員の訴えに、園長はいろいろと言い訳をして謝罪はしませんでしたが、理事長・副理事長から「皆さんの率直な思いを聞かせていただいてありがたかった。
職員間のコミュニケーションが不足していたことを率直に反省します。新しい園長の下で改善していきたい」との発言がありました。
 交渉では、就業規則と実態にかい離があること、職員の賃金を決めるのは園長の一方的な査定であることなどがあきらかになり、法人側は今後組合と協議しながら改善していくことを約束しました。
 組合員は、団体交渉で理事長らに思いをぶつけられたことを労働組合の力と喜び、新しい園長になるが、気を緩めず利用者の保護者にも働きかけて、より良い施設にするために運動していく決意を固めています。【白神】


[このページのトップに戻る]
1万1800円の賃上げ 
江東支部・介護認定調査員



 江東支部介護認定調査係分会は3月、区との団体交渉で月額1万1800円の賃上げを勝ち取りました。
 江東支部は、介護認定調査係の非常勤職員の交流会を昨年4月に開き、6人を組合に迎えて分会を結成。
分会会議を開いて、要求書にまとめ、区に賃上げを求めて団体交渉をするなかで、賃上げの回答を引き出しました。加えて、夏季有給化も1日増で妥結しました。
 江東支部全体では、非常勤・臨時職員の賃上げを実現できませんでしたが、一部の分会の引き上げをさせたことは、組合員の喜びと、組合活動への確信を広げています。
 また江東区は、非常勤職員の慶弔休暇を3親等までが有給休暇ですが、交渉の結果、4親等まで有給化を実現し、今年度から取得できるようになりました。

「委託替え」でも雇用守る

 区役所受付の総合案内の受託業者が替わり、そこで働く組合員の職員の雇止めが心配されていましたが、雇用を守ることができました。職員は「組合があったからだよ」と喜んでいます。 


[このページのトップに戻る]
速報
東京都団交拒否事件
組合側の申し立てを棄却、都労委が不当命令


 公共一般は、東京都総務局に労働条件等を議題とする団体交渉への出席を求めてきました。
しかし総務局はこれを拒否。公共一般は不当労働行為として、総務局に出席を求めて2011年から東京都労働委員会で争ってきました。
 東京都労働委員会は6月2日、組合側の申し立てを棄却する不当命令を交付しました。
 命令は、非常勤職員の一時金制度や退職金制度の創設など、各部局では到底判断できないテーマや、総務局長が決定する「正規との連動賃下げ」問題など「総務局自身が関与する全庁的なシステム」が含まれていることを無視しています。
 雇用や賃金等労働条件の問題で団交に応じるよう求めていた裁判では、最高裁判所から2月7日、組合勝利の決定通知を勝ち取り団交権が認められました。
しかし、依然として総務局欠席の偽装団交が続いていました。
 今回の命令は、組合の主張を正しく把握していない、誤った認定をしています。
公共一般は、直ちに中央労働委員会への再審査申立てを行い、総務局出席の誠実交渉が実現するまで闘う決意です。


[このページのトップに戻る]
       〜オーストラリア労組に学ぶ〜
「組合員の減少を立て直す」
        キャンペーン型運動 下
 



職場に寄り添う工夫

 キャンペーン成功の土台は、多くの人が立ち上がれる「組合員が主人公」の組合です。
カギは労働者約 人に一人の職場委員です。労働者には職場の仲間の声かけがひびきます。
声かけのノウハウを職場委員に教えるプログラムが工夫されています。

聞くことが組合活動

労働者が何を求め、何に怒っているのかを深く理解するため、職場委員が仲間に「質問」します。
組合が言いたいことは「質問する」ことで話題にします。
この会話のツールが整備され、ロールプレイで身につけます。

職場マップで視覚化

 職場の人間関係やフロアの席をマップにし、組合員になりそうな人や声かけする人が誰でどこにいるかを可視化して職場で共有します。
生きた情報を知り、職場の運動の担い手の候補もつかみ、広げて行けるのです。 【中野】


[このページのトップに戻る]
   〜カナリアは歌い続けて〜
満場の聴衆が八重樫さんの熱唱に酔いしれた



 久々に八重樫節子さんが独唱だけによるコンサートを開いた。
5月28日、平日の昼間にもかかわらず王子『北とぴあ』の300人のホールは満員。林光など日本の歌曲を中心に、2時間ほどを熱唱しきった。
しかも最終盤にリヒャルトシュトラウスの難曲にもあがる「最後の4つ歌」をもってきた。いまだ衰えを見せない流麗な響きは、近代ドイツ歌曲の華燭の輝きが満場のホールをいっぱいに照らし出していくようであった。
 新国立劇場を相手に苦節 年、いまも彼女は「音楽家だって労働者」を旗印に堂々と闘いを続けている。
 音楽家の働く権利を、と言葉や紙面に唱えることはできても、現実の音楽家社会に身分を置いたままに果たして立ち向かえるだろうか。
それでも彼女は、いつかこのことが受容される社会が来るためにと、訴え続けてやまない。
演奏家のままに、心と行いと文字通り身を以て闘ってきた彼女の生き方は、およそ私たちの想像を超えた艱難辛苦の歌手人生を余儀なくされたにちがいない。
 けれどもこの日、喜びの表情に溢れながらも凛として歌いつづける姿を見ているうちに、いつしか私も八重樫節子さんの本当の幸福の世界へと、誘われていくのであった。 【小林】


[このページのトップに戻る]


東京労働学校に通って

民間労組の戦術も取り入れた組織化を



 「今、公務労組に求められるもの」というテーマの学習会が5月10日に開かれ参加しました。
講師は元全国税委員長の岡田俊明さんでした。
 岡田さんは、拡大する非正規労働者の組織化について、ナショナルセンターに結集している、公務系労組の産別が大規模な資金を投下して一般労組を作り、民間労組の戦術も取り入れて組織化を図るべきだと語っていました。
 公務公共関係の産別で、岡田さんが話した通りの組織戦略を公共一般がすでに1990年から実践していることに、当時結成に関わった方々の先見性を改めて実感しました。
 話は労働組合の次世代育成の話にも及び、アメリカの大学では、組合活動家を養成する「ユニオンスクール」があり、労働組合が積極的に学生を将来の活動家として養成する仕組みを作っていることを知りました。
 産別ごと、単組ごとの活動家養成から、ナショナルセンターレベルや労働運動全体で育成していく仕組みの必要性を感じました。 【松崎】


[このページのトップに戻る]




 カナリアは歌い続ける 12

作 八重樫 節子
挿絵 小林 武雄


「教会の見える橋(プラハ)」


 今でこそ海外留学は珍しくなくなったが、1ドル360円の時代に学生だった私にとって、留学は夢のまた夢であった。しかも、芸大のように日本のトップレベルの大学であれば留学情報なども入ってきたのであろうが、教員養成大学にはそういう話も全くなかった。
 ひょんなことから26歳で二期会合唱団員になったが、当時の同僚はほとんどが無名の大学出身者であった。二流の音大か地方の大学の中では優等生という人たちの集まりだったが、ほとんどの人が生活に汲々としていたので、留学の話は団員同士でした記憶はない。
今でも、生活のためにソリストではなく合唱団で働く人は外国でも結構いるが、芸大を出るような人は、そもそも入るまでにかなりのお金を要するので、合唱団のような貧乏ったらしい所ではなく、二期会の中ではソリストを目指す研究生になっていた(それが、国立と名がつくと一変し、新国立劇場合唱団には芸大卒も沢山押し寄せたが…)。
 まして私は11ヶ月の赤ん坊を抱えて入団した身であれば、はるかに困難をかかえていた。しかし、一度は留学してみたいという気持は持ち続けてきた。技術だけなら、90年代半ば頃から日本でも充分学べるようにはなったが、やはり西洋の文化を感じてこそ意味がある。
是非ライフワークにしてきたドイツ・リート(歌曲)を本場で勉強したかった。
行くならやはり公費しかないと思っているうちに、文化庁在外派遣研修員の年齢制限45歳を過ぎてしまった。
しかし、ただ一つ年齢制限のない80日間の特別派遣というものがあった。しかし声楽分野から行けるのは、年に数人である。
 そんな時に、私より10歳若いアルトのFさんが文化庁の国内研修員になったという話を聞いた。
これは、自分の専門分野に10ヶ月間、月額約15万円が支給される制度である。
彼女は二期会では合唱団のエキストラ(演目ごとの契約で、映画のような通行人的なものとは異なる)で仕事をし、新国合唱団では同僚であった人である。オペラの合唱団としてきちんと仕事をするためには、声楽だけでなく、演技、ダンス、語学とさまざまな勉強をしなくてはならないからお金が必要だと、「あなただけ目立ちたいのか?」と問うた面接官に対し啖呵を切ったと言っていた。
それまではソリストとしての応募しか頭になかったが、彼女が門を開いたことにより、私もその方式にしようと心を決めた。
 文化庁の研修は、いきなり個人では申し込めず、「芸術家在外派遣研修員推薦団体」を通さなくてはならない。
私の場合は、二期会会員の立場で二期会を通して推薦してもらうことになる。
提出書類はかなりの量になるが、大まかに分けると@本人の演奏歴や研修テーマについてA師の推薦書B所属長の推薦書C受入れ先の承諾書となる。@については、合唱団員としての立場で書くので、演奏歴は膨大になった。ソリストならおのずからメインの仕事を書くことになるのだが、合唱団員にとってメインはない。
2000年度の応募だったので99年夏に提出したが、その時点でオペラだけでも既に60種類に出ていたし、オーケストラと共演した合唱付作品も30近くあった。あらためて多彩な仕事をしてきたなと感慨深かった。
Aはすぐに先生が書いてくれたが、Bが大変だった。当時のオペラ・チーフプロデューサー小林常吉氏に何度も催促の電話をしても、「まだ!」の繰り返し。
やっとできあがったものを受け取りに行くと「何もしてないように思うかもしれないけど、大変だったんだよ!」決済印の並んだ紙を見せた。理事長の故樋口廣太郎氏(元アサヒビール会長)他、6〜7個のハンコが並んでいた。新国合唱団員は1年契約だったので、翌年の研修に難色を示したのかもしれない。
そして後年争議になって、この推薦書は「頼まれたから仕方なく書いてやったものである」とさんざん裁判で財団側の準備書面で悪く書かれることになった。
 Cは新国と協力関係にあるウィーン国立歌劇場合唱団を希望したので、更に前述の小林氏に骨を折ってもらうことになる。

[このページのトップに戻る]