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2014年8月5日

主な記事のインデックス

 -中野支部-区、パワハラ謝罪 任短職場復帰へ

 自治労連 おきプロNEXT2014
 中労委に申し立て 都総務局の団交出席求める
 『ファストフード世界同時アクション』(下)
 連載 「カナリアは歌い続ける 15」
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中野支部

区、パワハラ謝罪任短職場復帰へ



 中野区立保育園で起きた園長による任期付短時間職員(任短)へのパワーハラスメントについて、
公共一般は区と交渉し、園長の謝罪と任短の職場復帰を勝ち取りました。


怒鳴られ、うつに
 任短の橘奈津子さん(仮名)は4月、職場で児童を転ばせてしまうミスをしてしまい、保護者から苦情をうけました。
園長は橘さんを園長室に呼び出し、大声で注意しました。
園長の注意は、何が問題でどう改善するかなどの指導がなく、今回のミスとは関係のないことまで持ち出してきました。
 橘さんはその日から怒鳴られたことが何度も頭に浮かんで、眠れなくなり、血圧が高い状態が続くようになりました。精神科でうつ病と診断され、病休をとることに。

ビラみて電話
 橘さんは病休中に納得できない思いが巡る中で、任短の説明会で公共一般中野支部が配布した組合ビラを思い出し、公共一般本部に電話しました。

苦情窓口に要求
 支部と本部は、橘さんの相談を受けて、区への要求書を作成し、区のパワハラ相談窓口である「苦情処理委員会」に要求書を送付。
苦情処理委員会に訪問の約束をして、橘さんとともに中野支部の福家支部長と本部の稲葉書記次長で訪れました。パワハラの事実経過を説明し、園長の謝罪と安心して職場復帰できるよう要求しました。
区は申請を受理し、事実調査を約束しました。

「園長」対応丁寧に
 一方、橘さんは眠れない状態が続く中、5月に再度の病休を申請。園長に病休を申請したところ、園長は橘さんに対してこれまでにはないような丁寧な対応に。
橘さんは、組合で要求したことでパワハラは改善できると実感しました。

組合入ってよかった
 橘さんは、体調も改善し始め、医師からも職場復帰許可が。
本部は苦情処理委員会にパワハラを改善し、橘さんが職場復帰できるよう電話でくり返し要求しました。
区は7月25日、パワハラの調査結果と対応について組合に回答。
「パワハラの事実は認められない」、としつつも「園長は威圧的に受け止められてしまったことは謝罪する」と回答。
また、職場復帰できるよう約束しました。
 橘さんが職場復帰すると、園長と副園長、区の保育分野が丁寧に対応し、無事に保育業務へ復帰できました。

 橘さんは「1人ではとてもできませんでした。組合に入ってよかったです。
ありがとうございます」と喜びを語っています。



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自治労連
おきプロNEXT2014



 自治労連主催のおきプロNEXTが6月13〜15日に沖縄で開かれました。
公共一般から参加した3人の感想(要約)を紹介します



話合いを続ける努力を
江東支部 組合員

 平和ガイドの方の話で、沖縄戦で米軍に追われガマ(自然洞窟)に避難したとき、赤ん坊が泣くと敵に見つかるからと、母親が日本兵に強要され自分の子を殺したが、その話を母親から聞いたことはない、他の人の証言からだ、という話を聞いた。
自分の子を殺したことは親にとって耐えがたい。
自ら口に出せないつらさを抱えた。
みんなの命を守るためだとか、どんなにいい事を並べても悔やみ続ける。戦争とは苦しみを負う人を必ず生んでしまう。
だからこそ何としてでも避けなければならない。
そのために、何度も話し合い、分かりあえなくても話し続ける努力こそが必要なのだと感じた。
 今の青年は、大勢で一緒の体験をしたり力を合わせたりする機会は少ない。
一緒に基地を見たり、東京の出し物で150人で踊ったりしたことは、たがいに分かり合うためにも貴重な体験で、今後の財産になるだろう。


自分の成長へつながる学習
江東支部 組合員

  おきプロは今回で2回目の参加です。初日はアンティラガマの見学で、中での生活の様子や焼け焦げた岩を見聞きして胸が苦しくなりました。平和がいかに大事かと実感し、平和学習の大切さを感じました。
 2日目は、かでな展望台で嘉手納基地の話を聞き、午後から元宜野湾市長の伊波洋一さんの話を聞きました。基地の問題は環境の問題でもあります。基地ができることでジュゴンなど野生動物の住む環境がなくなると日本の宝物が消えてしまいます。そうならないように沖縄へのアンテナを張っていこうと思いました。
 また、この3日間で全国の青年1500人が集まり自治体で働くことのあり方を聞き、私たちの役割を考えるとても良い機会になりました。
 おきプロを通して労働組合がとても大事だと思いました。職場での変化を自分の成長へつなげたいと思います。まだまだ働き方に課題が残りますが、正規と非正規が同じ企画に参加できてよかったです。
 

沖縄に集中する米軍基地
江東支部 組合員

 今年は、日本がもっとも悲惨な歴史的経過を辿った沖縄戦から69年目を迎えることになる。その20万人を超える犠牲者は県民の4人に1人が尊い命を落としたことになる。筆舌に尽くしがたい犠牲を強いられた結果として「得られたものは何か?」。日本の国土面積の0・4%の沖縄に米軍基地の75%が集中することになった訳である。
 戦後も日本の沖縄に対する対応は変わらずであるが、底に流れる一貫した考え方は「日本が発展するための捨石」とでも言える状況なのである。
 太平洋戦争中に米軍により占領された沖縄は、サンフランシスコ平和条約(1952年4月)の発行後も米国の統治下におかれた。その基本的内容は、日本が独立するために沖縄を米国の支配にゆだねるもので、沖縄住民にすると、王国を失い、帰属した日本ではなくなり、また、米国民でもないという歴史の中で翻弄されるのである。



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 中労委に申し立て
都総務局の団交出席求める




 都労委は6月2日、都の非常勤職員の団交に賃金など労働条件に権限を持つ総務局が出席しないのは不当労働行為とする公共一般の申し立てを、棄却する不当命令を出しました。
 この命令は組合側の主張を正しく把握しない、誤った認定です。
公共一般は6月16日、中央労働委員会へ再審査申し立てを行ないました。
 中労委の第1回調査は10月1日午前10時から。
組合は都労委命令の不当性を主張します。


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時給1500円に!
「ファストフード世界同時アクション」(下)



 日本では「ブラックバイト」と揶揄される働き方が広がり、非正規労働者の給料からの“持ち出し”は、かつてない勢いで増加しています。

賃金の持ち出しを強要
 これまで正社員が担っていた基幹的な業務は非正規労働者に雪崩落ちるように移行し、最賃張り付きどころか、10〜30分単位での賃金計算、シフトを人質にした過剰なノルマ、売れ残りの買い取り強要、不条理な罰金、退職を申し出たら、損害賠償請求を受けるなど、アルバイト・パート労働者からの相談が増えています。

 飲食・外食、コンビニ・スーパーなどの小売業界や大型チェーン店(グローバル企業)でアルバイトから提供される労働力や、商品の価格は同一であるにも関わらず、都道府県ごとに賃金のバラつきがありながら、それぞれで提供される労働力や、商品の価格は同一であることは不当だとは思いませんか。
世界を見ればファストフード企業であっても、最低時給20ドル〜の賃金が保障されている国もあります。こうした国で働く10代の若者は米国や日本で働くファストフード従業員の2倍以上の賃金を受けているのです。

最賃1500円を
 前号で紹介したニューヨークでの行動を踏まえて、5月15日に都内で「ファストフード世界同時アクション」が行われました。
「Fair Pay.Respect For All Fast Food Workers 」(ファストフード労働者の権利を尊重し公正な賃金を!)のスローガンが世界36カ国93都市で掲げられ、日本では首都圏青年ユニオンなどが中心となった「ファストフード世界同時アクション」東京実行委員会の呼びかけにより、24県・29カ所で一斉に「最低時給1500円」を求める声をあげました。
 米の分析スタッフによればこのアクションは、ソーシャルメディア上では4億5000万人、通常メディアでは1億6000万人と、あわせて世界6億1000万人に拡散され、グローバル企業を揺さぶる社会的インパクトがある取組みとなりました。

米、最賃大幅引き上げ
 行動を受けて、アメリカ・シアトル市議会では最低賃金を15ドルに引き上げる議案を可決(連邦最賃が7・25ドルなので2倍の水準)。マクドナルドの最高責任者は、オバマ大統領が提案した最低賃金引き上げ(7・25ドル→10・10ドル)に賛同するなど全米各地で最賃引き上げの動きが生まれています。
 今回のアクションに賛同したどの国のスローガンにも「正義・真実・公正・平等」の文字が踊っていました。
このように行動することは人間として当然のことで、これはイデオロギーや政治的な問題というより、モラルの問題なのです。
首都圏青年ユニオンは、秋にも次なるアクションを打とうと準備をしています。国際連帯を広げ、社会の琴線に触れるような取り組みをひきつづき強めていきます。


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 カナリアは歌い続ける 15

作 八重樫 節子
挿絵 小林 武雄


「プラハ2月」


 電話をかけるのが苦手だ。自分にかかってきた電話を拒否する気持はそんなに強くはないが、かけないですむならできるだけ電話に触れないでいたい。
そんな私なので、携帯電話を持ったのも驚くほど遅い。
日本で最後の1人になるまで決して持つものか!と一時は本気で思っていたほどだ。
しかし、争議が始まってからもこの状態を続けた結果、音楽ユニオンから「プリペイドでいいから持って!」と拝み倒され、渋々重い腰をあげた。07年2月のことである。
この日付を聞いて更に驚かれる方も多いことだろう。
その当時も、プリペイドカードは犯罪等に悪用されるからと売られなくなりつつあった。
世の中のほとんどの人が持っている携帯を今更買うことはなぜか足がすくみ、1人で行けず娘同伴で家電店に行った。
購入後「今までどれだけ人に迷惑をかけていたかわかる?」と娘に言われた。
そうだろうと思うし、持てば持ったで確かに便利である。
だからと言って、どうしてそんなにすぐに繋がらなければいけないのかという気持も少なからずある。
 昔から、電話連絡をしなくてはならない時、「今かけてもいないだろう!」「今かけたら迷惑だろうな!」などと思って、かけるのを先延ばしにしてしまう。
相手を思いやっているように見えるが、実際はかけたくないので自分に小理屈をつけているのである。
電話をかけるとなぜか咳き込むことが多いのも、電話嫌いに輪をかけた(受けた電話で咳き込むことはあまりないのだが)。
 比較的筆まめで、手紙や葉書を書くことは全く対抗がない。だから同じ感覚で、メールのやり取りはすぐできる。
パソコンでメールをし、1日1回は必ずパソコンを開いているのだから、これ以上文句ないだろう!とも思っていた。
 最近は電車内で着信音に悩まされることは少なくなったが、あちこちで無神経にあの音が鳴り響くのも嫌だった。
演奏会でも同様。記録に残しておきたい大事な演奏に侵入した着信音は許せない。
そして自分はそんなにこまめにスイッチをON/OFFできないだろうから持たないというのも理由であった(これは思いのほかきちんとやっているが)。
 ただ、子育て中に携帯電話が普及していたら、いの一番に使っていたかもしれない。
娘が小学5年生直前までは、私の実家で三世代同居だったが、その後実家から2`bほど離れたところに暮らすようになった。
オペラ合唱団の仕事は夜遅いので、娘は実家に泊まることも多かったが、6年生になった時、「もう、あっち行ったりこっち行ったりの生活は面倒でイヤ!一人で頑張る!」と宣言されてしまった。
そうなると、夜1人で娘を置いていることが気にかかり、定期的に電話をするようになった。
 音楽業界では、1時間のリハーサルで10分程度休憩をとることが、結構厳格に守られる職場である。
夜6時からの稽古で、7時過ぎには必ず二期会の公衆電話の前にいた。
旅公演も然り!オペラで確実に席を離れられる時間は電話に一目散だった。
つい数年前に、「毎晩電話をかけていらっしゃいましたね!」とそんなに親しくもない人に言われたくらいだから、相当目立っていたのだろう。
長電話したつもりはないが、いつも休憩時間の初めは私が公衆電話を占領していたことになる。今は留守宅の様子をチェックすることもできるようだから、80年代が今のような普及率なら、迷わなかっただろうとも思っている。

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