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2014年8月19日

主な記事のインデックス

 文化・レクで連帯のきづな

 第3次最賃デー「誰でも時給1000円以上に!」―日比谷野外音楽堂―
 ◇シリーズ 〜私と戦争〜@
 連載 「カナリアは歌い続ける 16」
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文化・レクで連帯のきづな◇

バーベキューで青年組合員和気あいあい


 首都圏青年ユニオンと東京介護福祉ユニオンとの合同企画で、バーベーキューを7月20日、都立小金井公園で開きました。
青年ユニオンとしては、実に5年ぶりの企画でした。
心配された悪天候も、バーベーキュー開催中は雨が降ることもなく、子連れ参加やご家族で参加された組合員さんもいて、老若男女30人近くで大盛況となりました。
「おいしい」、「暑いね〜」と声かけて作業する組合員から、「安倍内閣の問題は〜」とお酒が入っての政治談議を始める組合員まで、みな企画を満喫しました。
 日頃、職場で1人きりの組合員にとっては、気軽に職場の不満や組合活動について話せる機会がありません。夜遅くまで仕事をしていて、昼休みなどに抜け出して、事務所へ電話で相談することが精一杯。
会議や学習会、作業だと参加するには気が重い。
せっかく組合の仲間になったのであれば、楽しい思いを共有していきたい。
 広い公園に吹く爽快な風とともに、気力も充実します。
組合員のそういった思いに応えていく重要性を改めて確認できた1日でした。

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天体観測
星空に想いを馳せて

 文京区の小林豆腐店で7月19日19時から、文レク企画「天体観測」を開催、14人が参加しました。
当日はあいにくの雨天で、星は見られませんでしたが、講師の小林秀一さんから、映像を見ながら、星の話をたっぷり聞けました。
天の川、すなわち銀河を、東京天文台のソフトを使って、仮想的に遠ざかるとどう見えるかの映像が圧巻でした。
天の川の姿から、だんだんと太陽系の全貌も見え出し、やがてアンドロメダ星雲のような銀河の姿になり、一同感激。夏の星座の見どころや、さそり座と土星が接近する再現映像を見たり、地球外生命の観測計画と文明の寿命について奥深い話も聞きました。
交流会では、季節の野菜や豆腐をおいしく頂き、元ボクシング日本チャンピオンの小林講師にボクシングや豆腐店の話(豆腐づくりは朝2時起き!)も聞きました。
参加者からは「次は星を見たい」と、天気の良い秋にでも第2回企画を要望する声も多く出され、本部で検討中です。

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第3次最賃デー  日比谷野外音楽堂
「誰でも時給1000円以上に!」



第3次最賃デー中央集会が7月25日、日比谷野外音楽堂で開かれ、全国の労組から集まった参加者が、切実に賃上げを訴えました。
長引く不況と消費税増税の二重苦で、庶民のふところは「キビシい!」賃上げこそ景気を良くする決め手です。大黒作治全労連議長は「まともに暮らせる賃金を、安倍政権の暴走阻止を」と訴え。
 また、連帯あいさつでは、アメリカのファストフード労働者の賃上げを求める運動(前号ニュース参照)のニコラス・ルディコフ氏が、世界の賃上げへの流れも紹介しつつ「ガンバロウ」と励ましました。

最賃目安 東京は888円
 厚労省の審議会は7月29日、最低賃金の「目安」の答申を発表。
今後は地方の審議会で都道府県ごとに額が決まります。
東京は現行の時給869円に対し、19円アップの答申がだされました。
アップ率は約2・2%で、消費税の引き上げにも及ばないことは問題です。
10月1日改定予定なので、区市町ごとに自治体の時給などを引き上げるように秋の要求提出の準備などをすすめましょう。
 

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◇シリーズ 〜私と戦争〜@

 来年は終戦から70年。戦争の記憶を風化させずに、継承しようと、戦争の苦難を生き抜いた組合員から、体験談を語ってもらいました。


原爆のキノコ雲が学校の窓から見えた
新宿区路上喫煙 禁止パトロール分会 組合員(82) 福岡県生まれ


爆風で窓が震える
 長崎に原爆が落ちた8月9日、私は福岡県の旧制中学1年生で、学校にいました。
爆心地から学校の距離は、有明海をまたいで60`でした。当時は落下傘爆弾と呼んでいました。
原爆が落ちた瞬間に窓ガラスが爆風でガタガタして。
それから10分ほどすると、ピンク色をした雲が上がり、1時間くらい消えませんでした。
今も忘れられない光景です。
 
戦車に飛び込め
 当時の学校には配属将校と呼ばれる陸軍の軍人が1人づついました。
将校は内地戦に備えて、「我々が前線に立たなければいけない」と、戦車が来たら爆弾を背負って飛び込めと教えられました。
戦争の時代は、死ぬのは当たり前と思っていました。
戦争があと1年続いたらそこまでいっていたかもしれません。
 
戦闘機が毎日飛ぶ
 空襲はほぼ毎日でした。
終戦近くになると、アメリカの飛行機ばかりが飛び、日本に制空権はありませんでした。
 みんな恐れていたと思います。それでも怖いとは言えませんでした。
そんな事を言えば、警察につかまってしまう。「日本は勝つ」と教育されていましたから。

20歳で死んだ先輩たち
 4級くらい上の先輩たちは特攻隊に行きました。
駅へ見送りにいくと、飛行帽には女の子からもらったマスコットがついていました。
 先輩は窓から「行ってきます」と言い、誰も帰ってこなかった。かわいそうだった。
20歳前後で死んでいます。
しかし、悲しいとは言えなかった。
隣組というものがあり、そんなことを言えば、つかまってしまう時代でした。

戦争がない、天国のよう
 玉音放送の後は、毎日のように飛んでいた米軍機は全く来なくなりました。
ほっとしました。
今までの緊張がばっと消えて、天国にいったというか、これで幸せがくるのかと思いました。

もう戦争は嫌だ
 九州は沖縄に近かったから、内地戦になるのではないかと、戦争を痛切に感じていました。
爆弾の破裂する音や燃焼する臭い。生きるか死ぬかの状態でした。現実はゲームと違う。
 私たちの世代は苦しい時代に生まれ、戦争を体験している最後の世代です。
今は、戦争を知らない人たちばかり。 
 集団的自衛権行使は、アメリカのために我々が使われるようなものです。
もう戦争は嫌です。


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 カナリアは歌い続ける 16

作 八重樫 節子
挿絵 小林 武雄


「春の遺跡(シチリア)」


 7月10日前後の台風8号は、首都圏では心配されたほどの被害はもたらさなかったが、南木曽町を襲った土石流は、4人を飲み込み中学生1人が亡くなるという痛ましい結果となった。
  木曽は、二期会合唱団時代に何度かスクール・コンサート(以下スクール)で訪れただけでなく、辻井喬作詩、團伊玖磨作曲の組曲「木曽路」を演奏したこともあって、いろいろな思い出がある。
新潟、長野両県は最も頻繁にスクール公演をした所であるが、中でも長野県の山間部は冬休みが長い分夏休みが早く終わり、8月下旬から授業が始まる関係で、その時期の公演が多かった。
  初めて木曽の小中学校を訪れたのは79年だったと思う。
数年前に始まった木曽音楽祭の影響で、小学校にもスタインウェイの大きなグランドピアノがあって驚かされたものだ。各学校に足を踏み入れるたびに、校舎にふんだんに木曽ヒノキが使われ、実に暖かい雰囲気を醸し出しているのに感動した。
この頃、他の学校はコンクリートで固められているのが当たり前の姿だったので、とても羨ましかった。
朝晩はさすがに都内に比べるとはるかにしのぎやすいこの土地も、昼間の体育館での1日3回公演はハードであり、会場もかなりの暑さになったが、木の感触がそれを沈めてくれる気がした。
3人でローテーションを組んで公演の司会をしたが、私の番の時は「(あんまり素敵なので)とびら1枚いただいて帰りたい!」と言ってしまったほどだ。
給食は見ていないが、やはりヒノキの食器が使われていると言っていた。アルミの器に先割れスプーンと比べたら、なんと教育的であろう!
  宿泊は当時、まだビジネスホテルの利用などできず、希望したところでそういう施設がないところである。
平家の落人部落にあった古い木造家屋が民宿になった家に泊まった。
公演を終えて、マイクロバスで宿へ戻ると、冷えた西瓜や茹でたトウモロコシが待っていて、囲炉裏のまわりでそれらにかぶりついた。
夕食には、おかみさんが「私らもめったに食べられないんよ!」と言いながら、岩魚の生き作りも出してくれた。
  スクールでは前半は白いドレス、後半は水色のドレス(男性はずっと白いタキシード)を着るのだが、この時たまたま一人が水色のドレスを忘れてきて、白い人と水色の人を混ぜてしのいだことがあったが、この頃から始まったクロネコヤマトの宅急便のおかげで、それも1日だけですみ、2日目にはきちんと通常の衣装体制に戻った。今は全国津々浦々、翌日には送った荷物が届くが、当時の郵便局の配達や鉄道のチッキ(※)を思うと、夢のようなシステムに思われた。
  数年後に2度目にこの民宿に行った時のこと。
ここのご主人は大工をしながら、民宿を営でんいるのだが、「おふくろに建ててやっている家(うち)をみてくれない?」と言われ、山道を少し歩いた。
中も見せてもらったが、私たちからすればごく普通の2DK住宅だ。
「一度小さい家に住みたかったって言われてねえ!」とご主人ははにかんだ。
「小さい家」という言葉に思わず絶句してしまったが、確かにあの梁の高い大きい木造家屋は、夏はしのぎやすくとも、冬はいくら暖めても寒いのだろう!忘れられない言葉だ。
  この民宿の暖かい雰囲気に対し、「寝覚めの床」近くにある国民宿舎のひどかったこと!入浴時間も規制だらけだし、夕食はコロッケ1個とほんの付け合わせの野菜だけ!私も空腹だったが、男性陣はカンカンで「写真に撮って東京に持ち帰る!」と息巻いていた。
今なら簡単に写メールで抗議ができるのだが…組合があったおかげで、こういうことも徐々に改善されていった。

※チッキ=手荷物輸送

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