479号
2014年9月23日

主な記事のインデックス

 都労委 組合に勝利命令 -江戸川動物園分会-

 −第6回反貧困集会
   なくそう官製ワーキングプア
 ◇シリーズ 〜私と戦争〜B
 連載 「カナリアは歌い続ける 18」
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都労委 組合に勝利命令
「組合員を自然動物園に
     復帰させなければならない」



 東京都労働委員会は9月4日、公益財団法人えどがわ環境財団が江戸川動物園分会の組合員2人に行った不当配転を不当労働行為として認定しました。
組合側の主張をほぼ認める勝利命令です。




財団は直ちに命令を履行せよ
 江戸川動物園分会は、財団が2012年4月に分会三役を全く専門外の部署へ不当配転させたことに対し、救済を求めて2年間にわたり東京都労働委員会で争ってきました。
9月4日の命令は、組合側の主張をほぼ認めた勝利命令です。
主な内容は、@「えどがわ環境財団は、分会長、副分会長に対する、平成24年4月1日付配置転換命令をなかったものとして取扱い、自然動物園に復帰させなければならない」A「今後、同様の行為を繰り返さない旨を紙に書き、財団内の従業員の見やすい場所に10日間掲示すること」と、キッパリと今回の配転が不当労働行為であると認定しました。
 労働委員会は、財団が証拠に提出した「組合結成前に作成したとされる異動案」について「重要案件としてシュレッダーにかけていたと説明していた異動案が『偶然、職員が持っていた』として提出してきたこと」また「異動の話は、『係長会では出していない』とする事務局長の話と、『出していた』と証言した副園長と食い違いがある」などと、強い疑念を抱かせると指摘。
併せて、組合結成直後に管理職が組合の異動撤回署名の取り組みを止めさせるなど、財団に組合敵視、拡大阻止、排除の意思があったと認定しました。


 組合は命令を受けて早速 12日に団交を開催し、財団へ上告するなと追及しました。しかし、財団は中労委へ再審査申し立てを行う権利があると回答しました。
組合は復転命令を履行してから中労委で争うというのが公益法人の責任であり、筋であると追及。
 分会は、結成直後の不安な中で、雇い止めリーフの作成、都労委の文書作成、宣伝行動を行ってきました。
その中で勝ち取った命令だけに、原告2人をはじめ分会の喜びもひとしおです。
2015年度末には非正規職員の5年雇い止めが控えており、この勝利を確信にして雇用継続に向けて奮闘していきます。

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原告の声

勝利命令は大きな支え 全員勝利へ
分会長

 9月4日に、パワハラ・不当配転で争ってきた都労委で勝利命令が出ました。異動させられた2人を、動物園の職務に復帰させよというものです。
 この間、調査資料を作ったり、証人審問の練習を重ねたり区役所前でビラを配ったりと、たった5人の組合ではありますが公共一般の本部の皆さんや、弁護士の方々、区労連の皆さんに助けていただきながら頑張ってきました。
 これまで、バラバラの職場に異動させられ、周囲からは「異動くらいで、わがままなこと言って…」とか「パワハラって言うけど大したことないんじゃない?」という視線を受けながら仕事をしてきました。
 今回の命令は、今後活動していくうえでも精神的にとても大きな支えになります。とはいえ、財団は早くも中労委で争う姿勢を見せています。まだまだ、闘争は続きますが、今後も組合員全員で勝利を勝ち取るため頑張っていきます。


自分たちは正しかった 今後も頑張りたい
副分会長

 職場の環境をよくしたい、パワハラをなくしたい、その思いで動き出してから3年になりました。
 この間に財団は組合員を何人も動物園から全く違う職場に不当に異動させたり、局長からは嫌みのような言動や行動が終始続きました。
そのため一緒に闘っていた組合員が抜けてしまったり、同じ職場の非組合員から距離を置かれるようになるなど、精神的につらいこともありました。
 しかし、公共一般のみなさん、弁護士のみなさん、地域の他の組合のみなさんのお力添えがあり、都労委、裁判、宣伝活動などを行ってこれました。
 今回都労委で勝利命令が出て、自分たちが正しいと結果が出たことでほっとした部分もあります。
 しかし、もとの職場に復帰が実現するまで、また5年雇い止めの問題やパワハラの問題など、解決しなければならないことがたくさんありますので、気持ちを引き締めて頑張っていきたいです。



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第6回反貧困集会
なくそう官製ワーキングプア





 自治体の臨時・非常勤や委託先労働者の問題を、ナショナルセンターの枠を越えて交流し、解決に向け議論する「なくそう官製ワーキングプア集会」が8月30日、文京区民センターで開かれ、150人が参加しました。
 午前は、東京都や大阪府当局が非正規の団交を拒否し続け、労働委員会や裁判に訴えて組合が勝利した取り組みを交流。
団交や組合づくりの映像での紹介もありました。
 午後は、基調的な報告と自治体非正規職員の正規化をすすめるソウル市長の取り組みを紹介。
続いて、現場からの報告で、国や自治体の非正規職員の問題について報告がありました。
公共一般からは、墨東病院の清掃の委託で激安ダンピングの中で雇用と労働条件を守る取り組みや、指定管理の竹ノ塚図書館の雇い止め問題を報告しました。
 次に、自治体非正規労働者の処遇の新しい指針を出した総務省7・4通知について、研究者や労組役員ら4人が読解。
今後の対自治体交渉で役立つ空白期間や更新年限、通勤費などの前進できる条件が生まれたと指摘。その他方で任期付公務員制度と一般職化の誘導を図り、組合の団結破壊への警戒が必要なことが浮き彫りになりました。
 川柳の発表やトークも有り、夕方は交流会で多くの参加者がめいめいの思いと闘いを語りました。



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◇シリーズ 〜私と戦争〜B

 来年は終戦から70年。戦争の記憶を風化させずに、継承しようと、戦争の苦難を生き抜いた組合員から、体験談を語ってもらいました。


毎日が空襲だった

新宿区路上喫煙 禁止パトロール分会 組合員(81) 宮崎県生まれ


米軍機が撃ちぬく
 小学校登校中の朝7時頃になると、米軍機が毎朝のように空襲にきました。警戒警報がでるのはすでに飛行機が来た後でした。
 沖縄にアメリカの航空母艦がいて、福岡県や四国に向かう時には、日向灘を通っていくため、宮崎県の都城市は米軍機が毎日通り抜ける場所でした。
 米軍機は山頂から一気に降りてきて銃弾を民家にも撃ち込んできます。知り合いの女の子は、逃げ遅れて足を銃弾で撃ち抜かれました。

応戦できなかった
 防空壕の中から空襲を見ていると、米兵の姿が見える時がありました。P という双発の飛行機が低空飛行で来て、操縦している人と機関銃を向けている人が見えました。
 日本は米軍にまともな応戦ができませんでした。日本軍の飛行機が来ても、米軍機に銃弾は届きませんでした。むしろ、日本軍は少ない飛行機を失うわけにもいかないのか、日本軍機は逃げていきました。

重油が雨のように
 空襲では、重油が雨のように降ってきました。そこに焼夷弾が降ってきて、あっという間に民家が燃えていきました。
空襲の後は不発弾も沢山あり、小川は重油まみれになっていました
 毎日怖かったです。みんな恐怖心があったと思いますよ。しかし、隣組があって、いつも監視されていました。戦争に勝つ、と言われてきましたから、怖いなんて誰も言えませんでした。若者を戦争に送りだしたのも隣組だったんですよ。

食べるため勲章売る
 旧制中学に入学した時に撮った集合写真を見返したら、私は裸足でした。恥ずかしい話ですが、靴が買えなかったのです。国民服でさえ、父や兄のおさがりを着ていました。
 父は、私たちが食べるために日露戦争で天皇陛下にもらった勲章を売ってしまいました。飾っていた日本刀もいつの間にかなくなっていました。大事にしていたものが毎年なくなっていきました。
 
戦争だめ
 安倍首相は日本を守るために、集団的自衛権行使などと言っていますが、戦争だけはやめなければいけない。戦争に行った若者がどれだけ死んだか。若者を戦争に行かせるようなことはやってはいけない。もう戦争はだめです。


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 カナリアは歌い続ける 18

作 八重樫 節子
挿絵 小林 武雄


「水の都 ストックホルム」


 現在、オペラの上演回数が多いのは、オペラの発祥地イタリアではなく、ドイツ語圏の国である。
ドイツ、オーストリアとも各都市にオペラハウスがあり、ほぼ毎日オペラが上演されている(イタリア各都市にも劇場はあるが、上演は月10回に満たない)。
私が研修したウィーン国立歌劇場も、9月から6月までのシーズン中毎日公演がある。ひとつの演目は3〜4日毎に6〜7回上演されるので、ウィーンに1週間滞在すれば3種類はオペラを見ることができるし、オペレッタを上演するフォルクス・オーパーも合わせて行けば、毎日異なる演目を見ることができる。
こういう上演形式をレパートリー・システムと呼び、このシステムを支えるのがオーケストラと合唱団の存在である。
ベルリン・フィルと並んで世界の人気を二分するウィーン・フィルは、本来この劇場のピットに入ってオペラの伴奏をするのが仕事で、オーケストラだけの演奏は余った時間で行っているのである。合唱団も、前回書いたように、正団員100名、登録制150名以上をかかえ、合唱団自体が膨大なレパートリーを持っているので、毎日異なる公演ができるのである。
 新国立劇場もレパートリー・システムを目指すと公言しているが、団員を毎年試聴会でふるい落としているところだから、同システムは夢のまた夢である。
  日本での稽古は通常1コマ3時間で、ひとつの演目のみ練習するが、ウィーンでは午前中2時間半の稽古で何種類ものオペラの練習が行われる。
その日何を練習するかは合唱指揮者の気分次第のところもあり、ライブラリアンは今後の公演の予定を見ながら全員の楽譜を用意していた。
ピアニストも同様で、沢山の楽譜を抱えて稽古場に現れるが、たまに足りないものが出て自室に取りに行くこともあった。そういう状況で、私も見学だけとは言え、毎日4〜5冊のオペラスコア(厚さ3〜4ab)を持って通うのはかなりの腕力と頑丈なカバンが必要だった。
 新しく入団した人たちは、全体練習の1時間前にさらに練習があった。新人は最初の3年間で60ものレパートリーをものにするそうで(因みに、日本での私は25年間に60超)、それこそ死に物狂いらしい。
しかし、それを乗り越えるとかなりの蓄積ができるので、2時間半で4〜5種のオペラの練習をすることが可能となる。とは言え、あまりに久しぶりの公演となるとさすがにその練習時間では足りない。
ボーイト作曲「メフィストーフェレ」は、まさしくそういう状況で、「もっと時間があれば…」「ああ今晩どうしよう…!」と言った嘆きの声で練習が終わり、本番のコーラスは惨憺たる結果となった。日本ではまず見られない作品なので、2回見ようとチケットを買ったが、再度見る気は起らなかった。
以前はもっときちんと練習時間があったそうだが、イオアン・ホレンダー総裁(当時)のコストカット政策の影響を受けているようだ。
 もしこのオペラだけを見たならば、ひどい合唱団だと思ってしまうが、ワーグナー作曲「ローエングリン」などのドイツ物や、その当時制作された男声しか出ないブリテン作曲「ビリー・バッド」などは、ウィーンの底力を見る思いがした。
  日本では各自譜読みをして練習に臨むが(もちろんこの時間は無報酬)、ウィーンではまず指揮者が歌詞を読み、それから歌ってみる。
すぐに音が取れない人も結構いて、「もっとゆっくり!」「もう一度やって!」等、臆面もない要求だと思うこともあったが、仕事であれば準備時間も労働時間に入れるのは当然のことであった。



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