14階の庭

異次元へのパスポートは、本当に時間なの?


大きな団地
高層ビルが行儀よく整列して建っている。
定規を当てたように、真っ直ぐの道路が縦横にはしっている。
絵本に出てきそうな広い公園。
古い町並みよりひとまわりもふたまわりりも広い空。
このニュータウンは、むかし深い山だった所を切り開いて造成されました。
竹の子の生まれ育ったかってののんびりとした竹薮も今はどこにも見当たりま せん。
うさぎや、たぬき、きつねも棲んでいたと言います。
ひばり、めじろ、ほととぎすは、すっかりハトに居場所を譲ってしまっていま す。
深く済みわたった秋空に響くもずの金切り声も、今は、けたたましい車のクラ クションに変わってしまっています。
この街は、先祖代々から引き継がれたようなたいそうな家や住人はいません 。
この団地が出来た時に、各地から集まってきた人たちばかりだからです。
S君の家族もそうです。
S君の家は十四階建ての高層ビルの三階です。
引っ越してきた時は、左側の家も右側の家も、上の家も下の家もみんな知らな い人ばかりだったのでS君は心細い毎日でした。
でも、建物の両端にある階段を上ったり降りたり、階段と階段を結ぶ長い廊下 を走ったり建物の中央にあるエレベータに乗ったりしているうちに、建物の人た ちと友達になりました。
どうして、そんなに早く友達になれたのかって?
そりゃ、みんなも淋しかったからさ。
S君の左となりは松ちゃんの家です。
新しい学校の六年生で先輩になります。
すぐに命令するような口調で、人をこき使うからすぐに嫌いになってしまいま した。
その向こう隣は子どもが居ません。
その先の家には、吉君、清君の兄弟が住んでいます。
共働きなので、いつもよる遅くまで二人っきりです。だからよくS君の家に遊 びに来ます。
引越しした頃はあまり言わなかったのですが、この頃よく
「あんまり暴れると下のおばさんが怒ってくるから止めなさい」
と、言って怒ります。
でも、S君は下のおばさんが叱るなんて信じられません。
だって、次の日に外であっても、「昨日はとても元気そうだったね、子どもは 元気でいいのよ」
と、にこにこ顔でほめてくれるからです。
階段の一番端は松川さんです。そこのお姉さんは、大学生です。人の顔を見る とすぐに、
「細め君、こ・ん・に・ち・わ」
と、気にしている目のことを言うので大嫌いです。
上の家はお琴の先生がいます。
琴の音がときどき聞こえてきます。
しゃん、しゃんととても気持ちのいい音が聞こえます。
そんな時いつのまにかS君は寝てしまっています。
ときどき、歌っている声がします。S君にはなんだか、うなっているみように 聞こえるのですが、きれいな声なので許しています。
それに、とてもきれいな人なので、外でであった時、「いつもうるさいでしょ 、ごめんなさいね」
と、声をかけてくれます。
S君は、自分のことを知ってくれているのがとても自慢です。
S君の友達は、他のもたくさん出来ました。でも、なんといても一番の友達は 、S君の建物の一番上、十四階に住んでいる”おじさん”です。

S君がおじさんと初めにあったのは、先月の中頃です。

外で遊んでいると、今まで、一度も見たことのなかったおじさんが、団地の建 物の裏庭にいて、土を一生懸命バケツに入れていました。
「おじさん、なにしてるの」
S君は、しゃがんで砂をすくっているおじさんの後ろから声をかけましたが、 返事がありません。
「おじさん、何してるの」
と、こんどは少し声を大きくして尋ねます。
「二度言わなくても、聞こえてとる」
振り返りもしないで、ぶっきらぼうな言葉が返ってきました。
ムッとしたS君は、
「じゃあ、返事ぐらいしてよ」
「あ、そうだったね。今いそがしいんだ、待っとくれ。…・・ほーれ、これで おしまい」
そう言いながら、おじさんが腰に手をあてながら、よっこれせと立ち上がり、 体をねじるようにして、後ろのS君の方をみました。
「やあ、すまんすまん」
「おじさん、花植えるの」
「花なんか植えないよ」
「じゃあ、どうして土なんかとっているの」
「庭を作のさ」
「にわって、遊べる、あの、庭のこと?」
「そうさ、思いっきり遊べる庭のことさ」
「ふーん。でも、どこに庭作の?。どこにも、そんなとこ無いよ」
「たくさんあるじゃないか、ほら、あそこを見てごらん」
S君は、おじさんが指さす方を見ました。
指は空を向いています。
高い団地の建物のすきまに青い青い澄んだ空が広がっています。
その青い空に白い雲がぽっかり一つ浮いています。
「あんなとこに、空き地なんか無いよ!」
「へ?、ほれ、この建物の一番上、十四階のベランダのところを見てごらん、 空き地が見えるだろう」
S君は、もう一度上を見ました。
団地の十四階のベランダが見えます。でも、その後ろは、青い空が見えるだけ です。
「ないよ」
「見えないかな、ほれ、あのベランダ。あの少し先にほれ、見えるだろ、ぼん やりだけど」
S君は首をかしげながら、少し不服そうに、
「へんなの、先のほーって…空中だよ」
「そう、その空中さ。あそこがおじさんの庭を作るところさ」
「へんなの。でも、あんな所へ、どうして砂なんかまけるの?」
「敷くのさ。」
「しくの?」
「そう、敷くのさ。砂を敷かないと、木も草も植えられないだろう」「おじさ ん、そんなことすれば、砂、落ちちゃうよ」
S君は口をとがらせ、言いました。
「僕知ってるんだ、この前の家のおじいさん、何か気に入らないことがあると 、わざとおおきな咳払いしたり、窓をピシャンと大きな音を出して閉めたりする んだ。おじさんも、そんなことすれば、砂を取りにきたとき、大きな咳払いで脅 かされちゃうよ」
S君は、二人の立っている目の前の家をチラット見ました。
窓のカーテンが少し揺れたように見えました。
「ご忠告アリガトウ。でも心配は御無用だね。落ちたりしないんだ」
「うそだい」
「ウソなもんか。本当だよ」
「じゃあうそか本当か見せてよ!」
「ああいいとも」
おじさんの髪は白くなっていました。
でも、おかっぱ頭みたいで、ヘンです。
背の高さはs君のお父さん位
やせて、目ばっかりぎょろぎょろしていますが、S君は、すっかり気に入って しまいました。
二人でエレベータに乗って14階まで行きました。
「わ、すごい。一番上まで来たの、今日が始めてなんだ。。遠くがこんなに良 く見えるなんて、おじさんとこ、カッコいいね」
S君は、廊下の手すりに身を乗り出すようにして、遠くの景色を眺めました。
「もしも、この空のような広々とした湖が家の周りを囲んでいたらどうする」
「ぼく、泳ぐさ、魚がたくさん泳いでいてさ、底がはっきり見えるなら大歓迎 だよ」
「おじさんは泳ぐより、のんびり寝そべる場所がいいな。芝生がずうとずーっ と、向こうまで広がっていてさ」
おじさんは、大きく手を広げて、本当に大きな芝生の広場を見ているように遠 くを見ながら言いました。
「おっと、こりゃ失礼」
すぐに、S君のいることを思い出し、家に入りました。
「わ、すごい!。おじさん、科学者なの」
「そう見えるかい」
「うん、科学者だよ。だって、ここに、オシロスコープだろ。あれは、発振器 」
「よくしってるね」
「本読んだもん」
「へ、もう、こんなこと習っているの?」
「ぼく、こんなの好きだから、自分で本買ってきてやんだんだ」
「ほ、こいつはスゴイぞ、君は、将来、科学者だぞ!」
「無線機だね、かっこいい」
「よく知っているね」
「おじさん、コールサインは?」
「ジェイ・エー・スリー・エル・エッチ・エー」
「JA3LHU・・JA3LHUこちら14階です」
「お、カッコいいぞ。ちびっこ通信士どの」
「へへ、でも、すごく昔のコールサインだね」
「よく分かるね」
おじさんは驚いた顔で、S君を見ました。
S君が部屋の中の機械を珍しそうに眺めている間に、おじさんは、砂のは入っ たバケツをベランダに運び、ベランダの床を手でたたいたり、しゃがみ込むよう なカッコで、手すりに顔を付けるようにして、なにかを透かし見ていると、急に 立ち上がっては首をかしげてみます。
「おじさん、この望遠鏡反射式だね」
「・・・」
「土星の環みえた?」
「・・・」
「ミマスやエンケラズスも見えるの?」
「・・・・」
「ね、僕の言うこと聞いてるの
ベランダの端の方をのぞいていたおじさんは、「あ、機械ね
と、トンチンカンの返事を返したのでS君は、ムッとして
「僕、もう帰る」
「うん、やっと見つけた、ここだ、ここだ」
おじさんは、突然、手をたたきながら大声を上げました。
「おじさんどうしたの」
あっけに取られたS君も、思わずベランダに出ました。
「見えるかい。ここだ、ここだ」
おじさんが指差すところを見ました。
ベランダの外の空中です。
空気だけです。
「なにも見えないよ」
「し、静かに」
おじさんは、バケツの砂を一握りつかんだ腕をベランダの外に突き出しました 。
「おじさん、何するの」
「向こうの世界に、庭を造るのさ」
「向こうの世界ってなに?」
「これは、おじさんだけの秘密だったけど、親友の君にだけは教えてあげよう 」
そういいながら、顔はベランダの外側に向けたまま、手の中の砂を少しずつ空 間に、撒きはじめました。
S君は目を丸くして驚きました。
そんなことをすれば、砂はたちまち広がりながら下の方に落ちていきます。
もし、お母さんに見つかればひどく叱られて、きっと、夕ご飯抜きの仕置きを されてしまうはずです。
砂は、おじさんの手から少し下に落ちました。ほんの少しだけ・・・・
どうしたのでしょうか、砂は、ほんの少し落ちたところで、透明なガラスの上 に乗っかるように、止まってしまいました。
おじさんの手は、せわしく次から次へ、バケツから砂を取り出しては、空間に 撒きます。
砂の敷かれたところが、見る見るうちに広がって行きます。
バケツが空になったときには、S君がベランダから手を伸ばしても届かないほ ど遠くまで砂が敷かれていました。
(手品だ)S君は、心の中で歓声をあげました。
「さてと、ジョウロで少し水をまいて地面を固めるとするか」
パタパタと手のひらの砂を叩いてから
「不思議に思うかい?」
と、おじさんは尋ねました。
「ぼく、こんな手品初めて見たよ」
「これは手品じゃないよ。おじさんが苦労して発見した科学だよ」
「ふーん、なにを発見したの?」
「・・・・・・」
「おじさん、この顕微鏡チョットだけのぞいていい?」
「ああ、いいとも。いま見えるのは汚水だよ」
「わ、いっぱい何か動いてる」
「かっせい菌だよ」
「かっせい菌?、ふーん。おじさんなんでも出来るんだね。どうして、顕微鏡 で見れば奇麗なの?」
「人間のいない、別世界だからだろう」
「ほんと?、別世界って奇麗なの?、四次元の世界もかい?」
「四次元ね・・・。そうさね、・・・・きっと、奇麗だろうな」