竜のお話


瀬之堂のお薬師さんのお堂の前には、たいそう大きな濠があります。
この濠は、水の流れ込む川は一筋もありませんが、いつもきれいな水を湛えております。
 濠では、放生の鯉や亀が気持ちよさそうに泳いでいます。
お詣りの人達の足音を聞きつけると 先をあらそって鯉たちが集まってきます。 そのあとから亀がのっそりと寄って来ます。
鯉の間をかきわけ 石垣に足をかけて可愛いい首をのばして 餌をおねだりするのです。
 亀がなぜ石垣にのぼるのかですって? 
それは やっぱり亀さんだからです。
鯉さんと一緒にいますと 折角の餌は すばしこい鯉さんにみんな食べられてしまいます。
 そこで 亀さんは石垣に手をかけて口をあけ、餌を入れてもらおうという考えなのです。
 瀬之堂の亀は お箸で食べさせてくれるご飯を それはそれは上手に食べることができるのです。

 なんでも 話では この池の深さは何百尺(今でいいますと何十メートル)あるか見当がつかないほど深くて 底なしの沼とでもいうのでしょうか。
 その深い深い底から水が湧いております。
そこには「竜王宮」という宮殿があり、「竜王さま」とよばれる大きな竜が棲んでいます。たいそう立派な そしてやさしい竜王さまなのだそうです。
竜王宮のお庭であそぶ鯉や亀たちを 楽しそうに見てくらしているとのことです。

さて、話は 昔むかしのことです。
その年は、梅雨の季節になっても 雨らしい雨はなかなか降らないままに、暑くきびしい夏になりました。
 毎日毎日 お日様がぎらぎらと照りつけるばかりで、夕立の気配もありません。
「このままでは、せっかく作った稲が枯れてしまう。こまった こまった。」
稲が稔らなかったら、その年は ごはんが食べられません。
人々は おなかをすかせて 悲しい思いをしなければならないのです。

 村人たちは 来る日も来る日も 朝起きると まっさきに 空を見上げました。
 「お天道さま ちょっとだけでもいいのです、雨をお恵みください。」
「ご先祖さま、どうかみんなをお助け下さい。こんなに雨が降らなかったら、みんな食べるものがなくなってしまいます‥‥‥‥。」
あるお年寄りが 思いあまってこう言いました。
 「雨ごいとやらを してみてはどうだろう。」
雨ごいとは 高い所へ登っていって どんどん火を焚いて 雲を突き破り
 「雨を降らせて下さい」
と 天の神様にお願いすることです。
 「それがいいい。」
「それがいいい。」
「こうなったら、もう それしかない。」
くちぐちに、言いました。

神さまや、仏さまをおまつりしているところで、高い所といえば
「そうだ 瀬之堂がいい!」
ということになりました。
さっそく 村の人達は 瀬之堂の薬師さんに集まりました。
「そうか そうか。それじゃ 私も みんなといっしょに 仏さまにお願いをいたしましょう。」
と、お住持さんも、言いました。
山から 薪をたくさん集めてきて、すぐに、護摩壇で 大護摩をどんどん焚きながら、みんなは一生懸命に お祈りをつづけました。

「天の神さま どうか雨を降らせてください。」
「雨を降らせてくださいませ。」

それからどのくらいの刻がたったでしょうか。
真夏のかんかん照りの昼下がりだというのに、まわりが急に暗くなってきました。

人々が おどろいて あたりを見まわしました。
すると 今まで静かだった濠の面が 急に渦を巻きはじめ、なんと そこから、見たこともない大きな竜が 白い光を引きながら 天高く のぼっていくではありませんか。
村人たちは びっくりして腰をぬかせるやら 地べたにすわりこんでしまうやら まるで 夢をみているいるようで 立ち上がることも 動くこともできません。

ところが 急に もっと驚くことが起こったのです。
パラ、パラ、 パラパラパラパラ‥‥‥‥
ザァーッ ザァーッ    ザァー‥‥‥‥
「雨だ! 雨だ!」
「ありがとうございます。」
「ありがとうございます。」
村人たちは ずぶぬれになりながら だきあって 喜びました。

瀬之堂のお薬師さまのお堂には 竜が彫られています。お薬師さまをお守りしているのです。
前の濠を「青龍の池」お堂の前にある山を「龍燈峰」と呼ぶのです。
 今はもう そんな故事も すっかり忘れられ、何事もなかったかのように濠では、鯉や亀たちが 気持ち良さそうに 泳いでいます。

きっと、竜王さまと 年とった亀さんだけが 知っているお話しかもしれません。

*放生の鯉や亀
本尊薬師如来に、病気平癒の祈願をして 池に放たれた鯉や亀をいいます。


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