瀬の堂薬師
ずっと、ずっとむかし(今から千三百年ほど前)一人の行者さんが白い衣を身にまとい、下駄をはいて棒を手に修業の地をもとめて山道をさまよっていました。
人里をはなれ、切りたったけわしい崖のある深い山はないだろうか。そんなことを考えながら秘境の地をもとめて金剛山地にやってきました。そして道のない原始林の中をかきわけながらきれいな谷川や滝のかかった鬼多山(現在の北山)、上之、水沢、大沢の地にやってきました。
「なんて、深い山だろう。」
「この地こそ、わがのぞむ修行場としてもっともよいのだ。」
やっと修行の地をみつけてよろこんだ行者、ここに一つの堂をたてて薬師如来をまつり瀬の堂と名づけて、ここで呪文をとなえ修行にはげみました。
それから二百年ほどたったときお大師さん(空海・弘法大師)も高野山と大和、河内とを結ぶこの大沢の地を求めてやってきました。けわしい山にかけのぼったり、崖をおりて谷へくだったりして、体をきたえると共にお経を読んだり、文字をかいたりして行にはげみました。
ある日のこと、一人のおばあさんがとぼとぼと、杖をつきながら少しあるいては休み、またあるいては休みながら、この大沢寺へとむかって歩いてきました。しょぼ、しょぼと、まぶたをうつ眼には涙がでています。眼から流れ出る涙には白いうみのようなものもまざっています。腰をのばしてじっと空をみあげるほそい眼は、まぶしそうに、すぐとじてしまいます。小布で眼をふいては歩き、またしばらくあるくと眼が痛むのかじっとおさえています。あとずさりするような急な坂道を「はー、はー、」いいながら登りきったところで白い壁の大沢寺につきました。おばあさんはころげるように薬師如来さまの前へすわりこみました。小布でじっと眼をおさえながら「薬師さま、お願いにまいりました。」
「眼が、いたむのです。」
「眼が、かすんでみえないのです。」
「涙やうみが出てくるのです。」
「薬師さま、どうかなおしてください。なおしてください。」
おばあさんは、薬師さまにすがりつかんばかりにして祈りはじめました。夜になるのもわすれ、じっと動かず一心にお経をとなえだしました。あくる日も、あくる日も薬師如来さまの前から動こうともしませんでした。いく日たったでしょうか。おがみ続けている、おばあさんの耳に、
「二つの琵琶池の右の池で、眼をあらってごらん。」
と、かすかな声が聞こえてきました。
「ほとけさまの声だ。」
はっとしたおばあさんは思わず 薬師さまに手をあわせました。
そして 急いで琵琶池に近より両手で水をすくい眼をぬらしました。すきとおった池の水は冷たくおばあさんの眼にしみてきました。水を手ですくっては何度も何度も眼を洗うと、眼の前がだんだん明るくなってきました。青葉がくっきりとみえます。
「みえる!」 「みえる!」
「はっきりみえる!」
「なんと、美しいお庭だろう。」
「なんと、きれいなみずだ。!」
パチ、パチ、と瞳を動かしながらくいいるようにあたりをみまわしました。
涙もとまり、うみも出てこない美しい瞳になったおばあさんは、池の畔の柳の木にもたれながら両手をあわせて
「薬師如来さま、ありがとうございました。」
「ありがとう ございました。」
と深く深く頭をさげました。
この話が人から人へ、村から村へと、伝わりつぎつぎと眼を洗いにくる人が続きました。男は左の池で、女は右の池で眼を洗うとどんな眼病でもなおるというので琵琶池はいつしか「眼洗い池」と呼ばれるようになりました。
また不思議なことに、どんな日照りが続いてもこの池の水はなくなったことがないので誰いうとなしに「底なしの池。」ともいわれています。人々は眼病をなおしてもらった嬉しさに、この池に亀や鯉をはなしました。今では亀や鯉は仏様のおつかいとして、琵琶池ではなく別の大きな池で大切にかわれています。
ちなみに、この池の水を分析したら炭酸水だとのことで、しもやけの妙薬ともいわれています。
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