お大師さまと知恵の柳


役の行者さまが 瀬之堂の大澤寺を修行の道場として お開基になってからずいぶんと ながい歳月がたちました。

 時代は 奈良より平安へと移ります。
ある日 ひとりの旅の僧が 山深いこの地に 足を止められました。
唐から帰朝された お大師さまが、ときの帝から 高野山の土地を賜り 密教の道場をお開きになるため お山へ登られる途中でございました。
 「こんなところに これほどの精舎があるとは知らなかった。私も しばらくここに留まって もっともっと立派な密教の道場を構えよう。」
そう発願されたお大師さまは、つぎつぎと 伽藍を整えられました。
 大澤寺より南へ下ること十五丁(一、六キロメートル)の大澤の地には大門を、、、東方へ下ること八丁(九百メートル)の水澤の地には、勧請掛けの門をお建てになられました。

今はもう、その楼門は遺っておりませんが、往時は 十二宇の塔頭があったと伝えられております。
お大師さまが この地に錫を止められましたときの お杖から芽を出し、根をはり ぐんぐんと 見上げるほどの柳の木が育ちました。
 青竜の池のそばに今もある柳の木が それでございます。 

千年余りの間には、幾たびか嵐で倒されたりしましたが また その根元から勢いよく新しい芽が育ち ずっと今にその枝葉が栄えているのでございます。
何でも古い書には
 「この寺の法燈の輝くかぎり 柳は 枯れ朽ちはてることはなかろう。」
と書かれています。
お大師さまお手植えの「知恵の柳」として今も親しまれております。

*ときの帝
嵯峨天皇


大澤寺にまつわる昔話に戻る