「なんだなんだ、冗談じやないぞ」
二○・五七宇宙標準時に出る予定だった地球行き亜光速船が欠航になるという知らせを港に着くなり聞かされたおれは、この上もなく興奮し、なおかつ慌てた。ロビーの電光掲示板の前に群がっている他の利用者の中へ、おれはスーツケースを持ったまま割り込んだ。割り込みながら時々背伸ぴして人の頭越しに前方をのぞき込んだ。掲示板の前で港の制服を着た中年の係官が乗客にむかって何やら説明しているのが見えた。どうもよく聞こえないので、おれはもう少し前へ行くことにした。重いスーツケースを抱えるようにして、おれは人の間を縫っていった。そしてそうしながら、火星になんか来なけりやよかったと思った。
おれが火星にやって来たのは、昔の友人に会うためだった。彼とおれは中学、高校と地球の同じ学校で学んだ。その後、彼は父親の仕事を継ぐために火星に渡った。大クロレラ農場の経営者になるためだ。仕事は軌道に乗り、彼は大金持ちになった。その彼がおれを招待してくれたのだ。おれの方は大学へ進学し、まだうだつの上がらない学生をやっていた。そこで春休みを利用して火星にやって来たのである。彼は見違えるほど立派になっていた。きれいな奥さんももらっていた。おれにとっては何もかもうらやましかった。
そんな彼がおれに言った。
「卒業したらおれんところに来いよ。優遇するぜ」
その時、おれは彼が本当に嫌な奴に思えた。それはおれのひがみ根性のせいであるだけに、そしてそのことを自分自身でよく知っているだけに、一層腹が立った。火星になんか来なけりやなかったと思った。
やっとの事で人垣の前に出られた。港の係員は三十四、五ぐらいのやせた男だった。
この港の係員というのは、実は「航空宇宙局惑星間鉄道」の職員のことである。「航空宇宙局惑星間鉄道」は略して「航空鉄」という。しかし鉄道といっても列車が走るのではない。大型宇宙船が飛ぶのである。
「何です、何があったんです。どうして欠航なんですか。ねえ」
おれはスーツケースを足元に置くなり、そのブルーの制服を着た係員にたずねた。その男は、またか、というような素振りをみせうんざりしたように露骨に嫌な顔をして見せた。
「二十・五七宇宙標準時に出る予定だった地球行き亜光速船みまさか3号は」
彼はそこで大きくため息をつき、目を閉じ、目をあけ、再び口をひらいた。
「フォボスのドックからこちらへ向かう途中、電気系統の事故を起こし運行が不可能になりました。したがいまして本日の地球行き最終便は欠航となります。ご了承ください」
おれの背後の人垣がざわざわと騒がしくなった。文句を言っているのだ。
「ご了承できないぞ」
誰かが叫んだ。そうだそうだ、どうしてくれる、という声がそのあとに続いた。航空鉄の職員は両手を上げ、人々を制した。
「料金は清算所で全額払いもどします。今夜の宿泊所の斡旋もいたします。ご了承ください」
彼は無表情でそう言った。つまり誠意がこもってないのだ、とおれは思った。
乗船する予定だった人たちは、ぶつぶつ文句を言いながらも清算所へ行き始めた。おれ一人だけがそこに残った。
「で、かわりの便はいつ出るんですか」
おれは、その場を立ち去ろうとする職員を呼びとめてそうたずねた。
「かわりの便といいますと」
航空鉄の職員は、きょとんとした顔でおれを見た。
「かわりの便ですよ。欠航になった便の、かわりの便です。いつ出ますか。」
「そんなもの、ありません」
彼は言った。
「二○・五七宇宙標準時に出る予定だった地球行き亜光速船みまさか3号は」
やせた中年の職貝はそこで一息入れた。
「本日の最終便です。かわりの便は、ありません」
彼は自分で言って、自分でうなずいた。
「今日はもう出ないんですか」
おれは職員の顔をのぞきこんで言った。
「今日はもう出ないんです」
彼は少し首を傾げ、にこやかな表情でそう答えた。そこでおれも、何の屈託もなくいかにも楽しげにこう言った。
「じゃあ、明日出るんですね」
すると彼の顔がにわかに険悪になった。
「あんたは新聞もテレビも見てないのか。明日はストじやないか。四八時間の全面ストだ。そんなもの出るわけないじゃないか」
彼は叫んだ。
「毎年恒例の春闘だ。生活のための戦いだ。俺たちだって人間なんだぞ。生きる権利がある。文句があるのか!」
職員の顔には蛇行した血管、俗に言う青筋が浮き出ていた。彼もさすがに人の子らしく、ストを決行するということにはいささかの罪悪感を覚えるようだった。だから大声をあげてごまかすのだ。
「いや、そうじゃないのです。ストをおやりになることは知っていました。だから今日中に地球へ帰りたいのです」
おれは右手の人さし指で左手の手のひらをポンポンとたたく仕草をしながら、ゆっくりとした口調で相手に説明し始めた。
「おれは大学生なのです。春休みを利用してこの火星に来ていました。友人に会うためです。その友人の家には三日ほどいました。友人はもうしばらく泊まってけと言いましたが、おれは気が進まなかったのです。何故気が進まなかったかという問題に対する説明はこの際省きます。で、友人の家を出てからはぶらぶらと火星見物をしていたのですが、春休みは今日までなのです。ここまでは分かりますか」
おれは職員にたずねてみた。彼は腕を粗み、大きくうなずきながら聴いていたのでおれは、これは話が通じそうだと思い、あとを続けた。
「春休みが今日までだということは、これはもう取りもなおさず明日から学校が始まるということで、それも新しい年度になるわけですから新たに受講登録をしなければならないのです。それをしなければ一年間受講できなくなり、しいては四年で卒業することができなくなるわけです。そしてその受講登録の日が明日、明日一日だけなのです。明日はおっしやる通り全面ストですね。だから今日帰らねばならないのです。帰してください」
航空鉄職員は腕を組み、唇をとがらしたまま黙っていた。そしてしばらくして口をひらいた。
「俺は学校もろくに出てないんだ。だからあんたが大学がどうの、受講がどうのと言ってるのを聞くと、なんか自分が馬鹿にされているような気がしてならないんだが」
あ。これは話がこじれそうだぞ、とおれは思った。
「いや、そんな馬鹿にしたつもりはないのです。ただ、おれは自分が置かれている状況をわかりやすく…」
「誰が、あんたが俺の事を馬鹿にしたなんて言ったかね。ただ俺は自分が馬鹿にされたような気になると言っただけだ。あんたが俺を馬鹿にしたなどとこれっぽっちも言っちやいない。それとも何か、そんな事を言うところをみるとやっぱり俺のことを馬鹿にしていたのか。え。そうなのか」
「あ。そ、そんな言い方はないでしょうが」
「じゃあどんないい方をすりゃいいんだ。俺は十分な教育さえ受けちゃいねえんだ。話し方だっておかしいだろうよ。そうか、あんたはやっぱり俺の事を馬鹿にしてたんだな。ああ。そうなんだ。もう、そうに決まった」
「そんな事、言ってないじゃないか!おれはただ地球に帰してもらえさえすればいいんだ。亜光速なら地球まで10分ほどじゃないか!」
俺はわめいた。
「ああ。帰してやるさ。ストが終わりしだいな」
航空鉄職員はうそぶいた。おれは怒りの炎が脳髄をじりじりと焼きつくすのを感じた。
「ストなんかやめちまえ!」
あたりが一瞬しーんと静まりかえった。
「ス、ストを、やめろ、だと?」
職員は今にも泣きだしそうな顔をして、とぎれとぎれにそう言った。頬の筋がピクピクと動いている。
「ストをやめろだとお!」
彼は叫んだ。
「き、きさまは俺たちに人間らしい最低の生活を要求する権利をも放棄せよというのか!」
奴は唾をまきちらした。
「そうは言わんが、他人の迷惑も考えろといっているのだ。一体、何のためのストだ!」
「決まってるじやないか。スト権奪還のためのストだ」
航空鉄職員は腕を振りまわして叫んだ。
「戦え!戦え!勝利を勝ち取るのだ。政府粉砕、ロッキード汚職糾弾!」
「き、きちがいめ」
おれは奴の襟をつかみ、改札口から引きずり出した。奴は何か言ったようだが、その時下りの特急が駅のホームを通過したのでよく聞こえなかった。
「きさまのような奴は、こうしてくれる」
おれは航空鉄職員を殴り飛ばした。彼はふらつきながら辛うじて身体を起こし、俺に指をつきつけてわめいた。
「ぼ、暴力だ。これは暴力だ」
眼を見開いていた。
「何が暴力だ。お前らこそ職権を応用してストだの、順法闘争だのといって国民に迷惑をかけているではないか。あれこそりっぱな暴力だ」
「な、何を言うか。職権を応用するのは当然じゃないか。政治家がワイロを受けるのも、警官がいばりちらすのも、肉屋がいちぱんいいところの肉を食うのも、先生が女生徒にいたずらするのも、これはみんな役得というものだ。お前だって、学生だから大目に見てもらえるだろうと何度もキセル乗車したではないか」
おれの心臓がでんぐり返った。
「ど、どうしてそんなことを」
「ふふん。国鉄の、情報網はCIA並なのだ」
彼は襟元を直してすごんだ。
「お前は高校時代、通学定期を使って三の宮から姫路の間で四回、キセルした。岡山や、京都からもそれぞれ一回ずつ、やった。そのうち一度だけ見つかってこっぴどく絞られた。その時の事を逆恨みして、俺たち、国鉄職員の事を悪く言うんだ」
彼は両手を腰にあてて決然といった。
「そんなことだから、同じ女に二度までも振られたりするんだ」
頭の中で水爆が炸裂したような気がした。
「そ、そんなことまで」
おれはその場にペタンと腰を降ろしてしまった。
「ああ、知っているとも。彼女はお前と別れてよかったのだ。彼女は見事、第一志望の大学に合格した。それにくらべてお前は、第一志望も、第二志望もすべり」
彼は虫ケラでも見るような眼をしておれを見た。
「結局、馬鹿なタレントと同じ学校だ」
「うわああああ」
おれはコンクリートの床にべったり尻をつけたまま、大声で泣いた。
「あ、あ、あのねのねのことを言ってるんだ」
おれは両手で床をバンバンたたいた。
「馬鹿にされた」
国鉄職員は、そんなおれの姿を見て、ひゃっひゃっひゃっと声高らかに笑った。その声がおれの闘志に再び火をつけた。おれはプライドの高い人間なのだ。このままではすまされない。
「あんたはそうやって威張ってるが、家族のものはさぞ肩身のせまい思いをしているだろうな」
おれはうずくまったまま言った。
「な。なんだと」
奴の顔色が変わったのでおれはしめたと思った。この男は無類のマイホーム主義者だったのだ。
「そうじゃないか。ストをやって困るのは国民だ。当然彼らは、国鉄を恨むだろう。その矛先はその家族にまで及ぶのは、これはもう火を見るより明らかだ。奥さんは近所の意地の悪い婆さんにイビられ」
「た、田中のくそ婆ぁだ!」
奴が叫んだ。
「子供は学校でいじめっ子にいじめられ」
「伊藤んとこのドラ息子だ!」
髪の毛をかきむしった。
「そうだ。家族はあんたのことを憎むだろう」
「な、何故だ。家族は関係ない。やるんなら俺ひとりでたくさんだ。たのむ。妻や子供には手を出さないでくれ!」
彼は両手の握り拳を前にさし出し、眼に一杯涙をためて哀願した。
「殺るんなら、俺を殺ってくれ」
「よかろう!」
おれは、駅の待合室にあった金属製の長い脚のついた吸い殻入れを力まかせに奴の頭にたたきつけた。
奴は少しの間、フラフラとしたが、すぐに正気を取りもどし、切符に穴をあける金属製のパンチばさみを右手に握りしめ、熊のような低いうなり声を上げて飛びかかってきた。奴の文字通りの鉄拳は、おれの左の頬をつき破り、前歯を一本へし折った。
怒りのために全身が震えた。人を徹底的に憎むことは一種の快楽でさえあった。
「ぐあおう」
おれは身体ごと奴にぶち当たり、床に押し倒した。そして奴の手から奪ったパンチで奴の下唇に五ケ所ほど穴をあけたが、それだけでは飽き足らず、そのパンチばさみを奴の左眼につき立ててぐいぐいとねじり込んだ。
「どうだ降参か。ご免なさい言うか」
奴は口から血の泡を吹きながら言った。
「闘うぞ!闘うぞ!完全勝利だアー!」
死闘は三日三晩続いた。
|