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問題は「何故ゴケダミドロなのか」という点だ。どうしてゴケダミドロでなければならないのだろう。 ゴケダミドロは、最初「ネモ宮原」が描き始めたアドリブ漫画であった。それは完成度よりも「描く」という行為に意味を求めるものであり、瞬時のイマジネーションとテクニックを凍結させるものであった。それはネモの持つ「写真感覚」に起因するところが大きい。ゆえにそれは、ストーリィ性から逸脱した一瞬あるいは数瞬の連続されたものであり、必然的に形式というものはないがしろにされた、いわゆるフリー漫画でもあった。 ![]() ところが、ここに今一人の「ゴケダミドロ・ライター」を自称する人物が現われた。「ムパ」である。彼の描くゴケダミドロは、路線的にはネモと同一線上のものと見受けられる。それは当初、彼がネモのゴケダミドロのパロディ化を意図していたためであろう。しかしネモがそれを挑戦と受け止め、逆に挑みかかったために(ゴケダミドロW表紙参照)ムパとしても引っ込みがつかなくなった。 かくて競作ゴケダミドロ・シリーズが誕生したのである。
後進のムパの強みは、おそらく絵のうまさだろう。その大胆なペンさばきは、ネモにはなかったスピーディなバイオレンス性を持つ。この点において彼のショットガンの導入は、一応の成功をおさめたと見て良い。これはネモの「写真感覚」とは好対照なムパの「映画感覚」のためであろうか。
ネモがそのキャラクターの個性を、デフォルメされた単一のものとして描いたのとは逆に、ムパの場合そのキャラクターに作者としての主観を投影し、それを描く。
何故ゴケダミドロなのか。それは山根の事を描くからだ。そして彼を描く以上、そのストーリィ性はおのずと失わざるを得なくなる。何故なら、彼を描くにはまず、そのクモの巣(環境)を描かねばならないからだ。 (文中敬称略)
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