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■<6>例会記録1973/12/05〜74/08/04■MIYACON参加
12月5日(水)、来年度の定例会のスケジュールが記されている。内容としては創作教室、読書会、批評会、エッセイ提出、定例会と区分され、ほぼ1週間ごとに定例会、月1に読書会と創作教室、批評会が行われる予定になっている。なぜか4月10日の予定は、ダベリ。6月1日はエッセイ提出。6月22日は新入生歓迎コンパの予定。しかしなぜ12月のうちから新学期のスケジュールなのかは不明。新入生歓迎コンパってって、まだ入試も始まっていないのに?いったいぜんたい1、2、3月はどうなった?冬休みと学年末の試験のために休部なのだろうか?それほど勉強熱心だったのか?この人達の時間感覚は、さっぱりわからん。

そしていきなり、ノートの日付は5月15日(水)までワープする。
はたしてこの半年間、SF研はどうなっていたのだろう。ミッシングリングを埋める資料は、いまのところ発見されていない。
さて半年前の新学期スケジュールによれば定例会の予定になっていたこの日、SF研究会新入生説明会が行われた。
5月15日(水)昼休み 412教室において
SF研究会新入生説明会
当日新入生2、3人来るが、入らず、
「海底二万里」「ピーター・パン」上映
パンフレット来参者に配る

大盤振る舞いのサービスである。映画を上映して、パンフレット配って、しかし入会者無し。手ぬるい。だいたい、筆者の時の説明会は、映画なんかなかったぞ。しかしなんで、「ピーター・パン」なのかね?まあ、いい映画ではあるけれど、ショッピングセンターの子供コーナーみたいだ。ママはその間にお買い物。

続いてこのような記述、
5月25日(土)昼休み
○マンガ・グループとともにセザンヌ展、アンドリュー・ワイエス展見学の予定
○各自SFの原稿を夏休みの前までに提出。枚数20枚程度

はたして新入生は入ったのだろうか。この時点では不明。ひょっとして、下級生にええカッコするためにセザンヌ展など行ったのだろうか。まあ筆者のイメージからすると、SF研らしくない行動ではある。

6月8日は読書会の記録。バラードの「結晶世界」が課題図書になっている。この読書会は学生休憩室で行われており、参加者が少なかったことがうかがえる。
記録は1ページに渡って中村保男(誰?)の評と、同じく1ページ分のジュディス・メリルの評が記されている。肝心のSF研の皆さんの感想の記述はない。これで代弁してあるということか?

6月22日(土)は日付のみの記入。
6月29日(土)は昼休み学生休憩室での、ル=グイン「闇の左手」の読書会記録。
6月29日(土)
昼休み学生休憩室
闇の左手読書会
渡辺氏の説明
この作品は明らかに中国文明を下じきにしている。etc

これだけ。うぇ〜ん、さっぱりわからないよぉ。
まあ読書会はともかく、渡辺さんの言う通りに「闇の左手」が中国文明を下敷きにしているとして、それを読み解いたということは渡辺さんはこの時点ですでに、中国に造詣が深かったということなんだろう。その関心が中国拳法に及ぶに至って、後年、下級生がエライ迷惑を受けることになるのである。

ひと月が経過した8月3日。ノートは第13回日本SF大会、通称MIYACONを記録している。
1974年の第13回日本SF大会は京都で行われた初のコンベンション。京都教育文化センターが会場となった。ノートの記録を見て見よう。
8月3日第13回日本SF大会
MIYACON
午前十時、会場
十一時、定刻。音楽と共に京都の風物を写した8oによるイントロが始まる。続いて名誉大会委員長、堀晃氏のあいさつ、大会実行委員長の小田根章氏の開会宣言。
(なんの事はない、ここまでSFマガジンの記事の丸写しである)
最初のプログラムは「戦後のSFマンガ」と題する青木治道氏の講演、手塚治虫を中心とするSFマンガの戦後史
午後の部 SFクイズ、ファンジン紹介、SF映画コロサス
ロビーには「ミニチュア・ヒーロー展」川合康雄氏
宿泊 SF談議、マージャン、8ミリ上映で狂乱酒乱で徹夜

この大会には、京産大SF研も参加した。右の写真はその時の展示ブースの様子である。左端に村上(欽)さん、中央のロン毛のにいちゃんは福井さん、後ろを向いているのは増田さんでしょう。展示物はノートにあるように、川合さん製作のミニチュア・ヒーローのフィギュアらしい。写真に写っているのは左から「松本零士の宇宙船」「単座宇宙船」「新型戦車」と読める。この他、ジェイムスン教授やバーバレラ、スーパーマン、バットマン、ヴァレロンのスカイラークなどが出品されていたようだ。なおこの展示はSFマガジン11月号(No.192)の記事内でも紹介されている。
しかしMIYACON最大の呼び物は、翌日行われた最後のプログラム、コスチュームショーだった、と当時を知る人は口々に証言する。それはいったい、どのようなものであったのか。まず大会2日目のプログラムをたどってみよう。
以下ノートの記録、
8月4日
午前十時 オークション
ドラマ「日本沈没」
パネルディスカッション「日本SF界展望」
昼の休憩 サイン会と古書即売
星新一、小松左京、豊田有恒、荒巻義雄
コスチュームショー「キャプテン・アメリカ」「スーパー・マン」他
淡々と書かれている。ことさら無関心を装い、とりようによっては、忘れたがっていると思えなくもない。いずれにしても、これだけではわからないので、前述のSFマガジンの記事を見てみよう。
「(前略)日本での本格的なコスチュームショーは初めてとあって、大きな期待がよせられていた。(中略)順番に紹介すると、まず関西ファンによる「ジェイムスン教授」ヨタヨタと四本足で舞台を横切る格好に歓声が沸いた。京都産業大学の「キャプテン・アメリカ」はブルース・リーばりの空手アクション。関西大学SF研「猿の惑星対日本アパッチ族」は猿とアパッチが舞台から駆けおりて大乱闘、場内騒然となる一幕だった。東京のグループ、ショッカーは「シャンブロウ」を幻想的な演出で見せて大好評。京都のファン扮する「スーパーマン」、次には突如「星づる」が現われ大喝采。「キャプテン・フューチャー」は道路工夫としてこきつかわれる演出。最後の同志社大SF研「プロレスアワー」は何と天皇陛下のコミッショナー宣言で始まるプロレス試合。本家、元祖、総本家ターザンにおなじみゴエモンまで入りみだれての大ドタバタ。観客全員、ただあっけに取られていた。(後略)」
当時、筆者は高校生だったが、この記事を覚えている。これを読んで、「はああ、大学というところにはSF研究会ちゅうもんがあるんや」とただ、漠然と思った。馬鹿なことをするもんだな、と。まさか自分がそんなところへ入るだなんて、ちらっとでも考えたことはなかった。人はどこで運命のツボに陥るか知れたものではない。
ここで気になることがある。ノートにも書かれているように、京産大SF研はこのコスチュームショーに、「キャプテン・アメリカ」と「スーパー・マン」で参加している。ところがSFマガジンの記事の赤文字部分を見てほしい。京都産業大学の「キャプテン・アメリカ」と京都のファン扮する「スーパーマン」。関大も同志社もSF研の表記があるのに、京産大だけ大学名のみ。まさか京産大主催でこんなことするわけはないし、間違いなくSF研のしわざなんだが。「スーパーマン」に至っては、これは欽也さんが演じたはずなのだが、京都の一ファンということになっている。前述の川合さんのフィギュアにしても、個人名のみだ。これはなぜだろう。ひょっとして「京産大SF研」と名乗れないような事情があったのだろうか。ファンダムに汚点を残す、暗い過去があったのだろうか。あるいはSF研として参加したが、何らかの理由で、それはなかったことにされたのか。謎である。
当時の写真も展示ブースなどを写したものは残っているが、コスチュームショーに関しては一枚もない。「あったはずやがなあ」と板谷老師は言うが、ないものはない。謎である。(その後、不幸なことに見つかった。観たいという奇特な方は、どうぞこちらへ→「かみがも写真館第5展示室」
ところが筆者には頭にこびりついて離れないイメージがある。赤いマントに青いもっこりタイツを履いてポーズを取る欽也さん。ただただ回し蹴りを繰り返しながら舞台を横切る渡辺さん。このイメージはなんなのか。単なる幻想にすぎないのか。それとも後年、関大SF研のコンパに参加した時に見た8ミリフィルムの映像だったのか。できるならば幻想であってほしい、と願う筆者なのであった。

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■<7>例会記録1974/10/04〜74/11/30■第9回神山祭
SF大会も無事(?)終わって、後期のメインイベントはやはり神山祭。この年、1974年は第9回目を数える。前年「日本沈没」、当年「ノストラダムスの大予言」と終末観漂うベストセラーの影響か、10月12日に話し合われたSF研の展示テーマは、「破滅」。食糧問題、人口問題、資源問題、核問題、気象問題と、いまでも全然解決されていない問題が、すでにここで提起されている。半世紀後の99年、これに付け加えるとしたら、爆笑問題ぐらいか。これらの問題がSF作品の中にいかに反映されているかをレポートするというのが部展のテーマだ。揚げられた作品は、「大地は永遠に」「鋼の荒野」「大破壊」「彼らの中の海」「アンドロメダ(病原体)」「草の死」「破滅への2時間」「ダイ・オフ」「コロサス」「ソイレント・グリーン/人間がいっぱい」「復活の日」。これらを模型やイラスト、写真で再現するということらしい。また電球の点滅による表示する「日本沈没の段階的比較」という展示物も企画されている(左の写真は、その製作風景)。
その他に註として、
 ※川合氏ははたして就職できるか、また卒業できるか
というコメントも記入されている。まるで津田俊次が書きそうなコメントだが、この時点ではまだ津田は報徳学園の3年生である。

11月1日(金)
第9回神山祭準備のため昼に学生休憩室にて集合
610教室において部展の飾りつけをする
資材を川合さん宅から運びだすため奈良さんのライトバンを使用
4時30分ごろ学校到着の予定が狂ってしまったので
奈良さんのライトバンの到着を待たずに6時に解散

これは神山祭前日の記録。SF研の無責任さは伝統的であるらしい。資材の到着を待たずに、気持ちがいいほどあっさりと解散している。いったいこの後、奈良さんと彼のライトバンはどうなったのだろう。別にたいした用事がある訳はないだろうに、6時に解散とはひどいじゃないか。明日は神山祭なんだぞ、と25年後に筆者が怒鳴ったって、どうすることもできない。案の定、次の日11月2日神山祭第1日目も、終日飾りつけに追われる羽目になる。そして翌3日、

11月3日(日)
今日から展示物の一般公開を初めた
(始めた)
展示物は米ソの戦略体系図、日本沈没の模型、日本沈没の映画の立て看板、
破滅をテーマにしたSFのポスター・写真、解説書、本、コンピューターの未来予想のデーター、
映画3本立て

こうして2日目から部展がめでたく始まった。この年の部展はかなり盛況だったようだ。先に延べたような「日本沈没」「ノストラダムスの大予言」に代表される終末ブームに加えて、春先には日本テレビ系「木曜スペシャル」でユリ・ゲラーが来日。テレビの前でスプーンを曲げたり壊れた時計を動かしたりして、超能力ブームに火をつけている。また神山祭直前の10月6日から「宇宙戦艦ヤマト」の放映が始まり、SFへの関心が高まっていたのかもしれない(もっとも例の「ヤマト」の馬鹿騒ぎは映画版公開後のこと)。
翌日のクラブノートの記録を見て見よう。

11月4日(月)
3本立ての映画を常時上映。この日の見学者は100人を超えた。
4時まで展示公開をして、5時までに展示物をかたづけ各自持ち帰る。

この時の映画(8mm)が何なのかは記載されたいないが、去年のと同じ「海底2万哩」「原子怪獣現わる」「フランケンシュタイン対宇宙怪獣」ではないかと思われる。100人を超えた見学者については、たまたま手元に当日の見学者名簿が残っている。来場した人に名前を書いてもらう名簿だが、総計105人の名前が記されていた。その名簿の66番目に「伊佐研一」の名前がある。当時伊佐さんは1回生。しかしSF研にはまだ入っていなかった。この神山祭が引き金となって、入会することになるのである。

神山祭後は当月30日の読書会の記録しか残っていない。なぜかここから新学期へ飛んでしまうのである。この年だけでなく、前年も、翌年も。年末年始ってそんなに忙しかったかね?
それはさておき、この日の読書会は「火星年代記」がテーマだった。

 11月30日(土)学生休憩室
 火星年代記の感想
 ○おもしろかった(板谷氏)
 ○さいこうだ(村上氏)第2のアッシャー家
 ○よきにはからえ(渡辺氏)
 ○ネズミのクリーナーがよかった(増田氏)
 ○きょうよんだ(伊佐氏)

小学生でも、もうちょっとましな感想言うっちゅうねん。
このあと、「火星人には火星人の生き方、地球人には地球人の生き方という、一緒のエゴイズムがこの作品中に流れている」という村上欽也さんの意見が紹介され、「ガハハハー、この話はアメリカ開拓時代へのノスタルジア」という正体不明(たぶん渡辺さん)の意見が付け加えられている。で、最後に

 ○結局たいしたことはなかった(林氏)
 ○彼の作品はメルヘン的だった(増田氏)
 ○彼の作品の中では内容に乏しい作品である(村上氏)

と結ばれている。欽也さん、「さいこうだ」言うたやん?
なにはともあれ、アリスの茶会みたいなワケのわからん読書会が終わり、本年度の記録もここで終わるのである。

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■<8>例会記録1975/04/19〜05/10■読書会

昭和50年度SF研究会
(幹)伊佐研一
書記  増田貴久

白紙のページをわざわざ1ページとって、新しいページの冒頭ヘッダー部分に書かれた1行目がこれである。新年度が、このように大々的に告知されたことはかつてなかった。いつもこっそりと、いつのまにか新しい年度に切り替わっていたのである。それだけに当時の意気込みが感じられる。伊佐さんを主幹とする新しいSF研体制の発足、それは創立者・川合さんを送り出した後の、存続を賭けた第一歩であった。思わず気持ちも改まったことだろう。
最初の記述は4月19日(土)学生休憩室で決定された、次回読書会用の作品名。それによると次回5月10日第1回読書会のテーマは、「ジェニーの肖像」。その他の候補作に「地獄のハイウェイ」や「世界の中心で愛を叫んだけもの」、「発狂した宇宙」や「日本アパッチ族」などもあがっている。
そして同じ記述の中に、「説明会により8名の入部決定」とある。筆者もこの年度に入部したクチであるが、この8名の中に入っているかどうかはわからない。また早くも、「原稿の請求、5月24日までに提出」の一文が見られる。その後、SF研の中心となる新しい同人誌発行が、この時点ですでに決定されていたと見るべきだろう。

1週間後、4月26日(土)、学生休憩室で、新入生顔見せ会が行われ、各人自己紹介をしたと書かれている。筆者は全然憶えていない。「新入生また一人入部」と書かれていることからも、この年はかつてない大量入部であったことが伺い知れる。おそらくかつてない大所帯となるSF研に、とまどいながらもうれしい悲鳴という状況だろうか。しかし問題はその質なのだ、ということにまだ誰も気づいてはいない。

そして5月10日(土)409教室において、50年度最初の読書会が開かれる。筆者にとっては初めての読書会である。課題図書はきいたことのない書名、「ジェニーの肖像」。「ジョニーへの伝言」なら歌えるけど、なんて思いながら薄い文庫本を開いた。作者のロバート・ネイサンも初めて聞く名前だった。「へえ、SF研て、こんなん読むんや」とちょっと意外に思ったのだった。
さて読書会はおおむね好意的な感想のあとで、「芸術は大衆のものか否か」という村上(欽)さんの問いかけから、芸術論に発展する。それはある登場人物が言った「芸術は大衆のものだ」という言葉に対して、主人公が反発するシーンに起因する。
クラブノートの感想録の後半から、

伊佐:

(芸術が作り手と受け手の間に存在するとの意見を受けて)芸術作品と同じもの、つまり複製が本物と同じ芸術作品であり得るのでは。

野崎:

たとえ複製であってもその作品の中のものは観念的には異ならない。だから同じ芸術作品と見ることができる。

村上(欽)

芸術は個人で占有するものではなく、広く大衆のものにするべきであり、その点で芸術は大衆のものであり、そうでなければならないのでは。

渡辺:

階級的なもの、政治的なものを考慮に入れた場合、芸術は大衆のものであるかも知れないが、しかし実際には芸術家が自分の創作意欲によって作品を完成するときに、そこには階級的政治的なものは何もない。

板谷:

芸術は作品を造ってゆく課程にあり、完成したものは単なる物・作品に過ぎない。

「若い」と今なら、そう言うだろう。「そんなもん、お金出した人のモンやろう」と。20年も前のことである。みんな若かったんだから。
今から思うと大した議論ではないが、その当時は「なかなかむずかしい事、言わはるわ」、と感心したものだった。この頃のSFファンというか、マニアというか、まあそのケの諸先輩たちは、見かけはともかく、随分とバランス感覚がよかったと思う。オピニオン・リーダーというか、おっちょこちょいというか、情報はかなり早くて、博識で捉え方もなかなか当を得ていた。「ポパイ」のような似非情報誌は翌年にならないと登場しない(76年季刊で創刊)。プガジャを手に自分でイベントへ出向き、人に会って、その目で見て、耳で聞いた。それが学生文化だった。「おたく」と呼ばれ始めたのは、不勉強な筆者の世代頃からではないだろうか。何しろ筆者は「ウルフガイのファン」といって入部したマヌケである。後にアニメ研を興した三吉健一に至っては、「宇宙戦艦ヤマト」しか知らない。
読者会の締めくくりとして、書記を担当した増田さんの一文が書き添えられている。

記録者として落第かも知れないが、以上が主な意見のようである。話しが抽象的な面が多かったので皆の意見が十分に記録されていないかも知れないが、この話し合いは熱の入ったものであり、話し合いの内容もドウドウメグリなところがあったにせよ、濃いものであったように思う。
とにかく皆、このジェニーの肖像を鑑賞したことは有益であったと認めていた。

筆者も同感である。この時のような読書会はあと2、3回で姿を消す。


(文中敬称略)