5
資料8:SF講座


■ハードコアな試み
当SF研研究所はまだ開設したばかりであるが、今後得られる成果の中でもおそらく最大級となるであろう発見がすでにあった。それは「SF講座」と名づけられ、あまり知られることなく昭和54年(1979年)夏にひっそりと発行されていた。内容はSF作品の科学考証である。信じられない。伝統的に京産大SF研ではプロパーなSF研究、なかでもハードコアな考察はタブーとされてきた。数式が出ると、誰もが知恵熱を出して寝込んでしまうのである。よくそれでSF研でいられたとお思いかもしれないが、心配には及ばない。普段はボーリングやソフトボールやコンパやトランプや中国拳法など、SFとは何の関係もない活動をしていたからである。「SF読みのSF知らず」と中国の古いことわざにもなっている。

本書は「第1回SPACESHIPLIBRARY」と銘打たれ、国内外20作品の中から31種類もの推進システムについて解説がなされている。ただ内容的にはかなり怪しい。有名な「バーゲンホルム機関」や「スピンディジー」は良いとして、「タヌキVのだいじょうぶ推進」とはいったい何なのか。また解説内容も、どこまで信用して良いものやら。たとえば「タキオン・ドライブ」の項、
詳しいことははぶかしてもらうが
いきなり省いてもらっては困るのである。かと思うと一方で、「光速限界」やら「崩壊の壁」やら、基礎的なSF用語の解説が親切に付記されている。しかしながらそれも奇妙で、たとえば「時間遅延効果」の項では、
(前略)するとウラシマ効果により弟は兄より42才も年をとっていた。なお、兄が飛行に要した時間は
あとの記述がない。いったいどうしたのか。兄はどこへ行ってしまったのだ。
やれやれ。ともあれ、このように本書は大変楽しい内容になっている。なにより、あの宝島社の「空想科学読本」に先んじること20年、このような奇書が存在したことこそ特筆に価する。ぜひとも完全復刻を試みたい。

■謎の執筆陣
さて、本書の著者はいったい誰か。賢明な読者の方なら、薄々は気づいておられるだろう。あの言い回し、漂うムード。多くの人が、津田俊次の名前をあげるに違いない。その通りである。何の引っかけもトリックもない。津田のしわざに決まっている。ただ奥付によると、編集「津田俊次」であり、出版元は「イワクラ貧民会議西河原支部」、協力「京都産業大学SF研究会貧民会西宮支部(カラテ)、ルシフェル編集部」となっている。いったい「イワクラ貧民会議西河原支部」とは何者だ。「貧民会西宮支部(カラテ)」とはどういう意味だ。
本書の筆者はすべてイニシャルで表記されている。登場するイニシャルから、名前を推理してみよう。
(S・T)=津田俊次 (K・I)=今田孝治
(T・N)=中島立雄 (T・I)=板谷亨
(K・T)=竹谷清史 (Y・T)=田中保幸
(M・A)=赤塚学 (K・A)=嵐清智
(N・N)=中原則彦
以上である。さらにクレジットはないものの、表紙のイラストはおそらくネモ宮原(宮島雅)であろう。あのゴケダミドロの巨匠である。彼に関しては当研究所も避けては通れないが、今はまだ体力不足である。機会を新たにしたい。
さて当時、京都・岩倉にはSF研の会員が生息する巣があった。「イワクラ貧民会議西河原支部」とはそこを拠点とした集団であろうか。活動内容は依然不明だが、まあ、ネーミングからしてもたいして力は持っていなかったに違いない。「貧民会西宮支部(カラテ)」は西宮在住の竹谷清史に関係があるかもしれない。もっとも竹谷はカラテではなく少林寺ではなかったか。クロード・チアリと兄弟弟子だと自慢していた記憶がある。しかし哀愁のギタリストが少林寺やカラテなんかやっていいのだろうか?これも謎だ。
しかし数ある謎の中でも最大のものは、「板谷亨」という名である。普通、この名前は、あの板谷さんをさす。しかしもう一度この「SF講座」が発行されたを見て欲しい。昭和54年(1979年)、これは奥付で確認される。ところが板谷さんは、昭和52年(1977年)にすでに卒業しているのだ。(効果音)。板谷さんは卒業後もSF研にいたのだろうか。それとも、これは違う板谷さんか?、やっぱりケン・ソゴルか?
別のところでも述べたが、筆者と板谷さんとの在学期間は2年間しか重なっていない。にもかかわらず、SF研にはいつも板谷さんがいたという印象が強い。板谷さんって、ひょっとして、11人いる?
いまでもSF研があって、そこに板谷さんがいると想像すると、もう夜中に一人でトイレには行けません。

卒業年の話になったので、ついでに付け加えると、昭和54年は筆者の卒業年度である。同級の津田俊次も当然、同じである。四回生の夏、就職活動の最中(もなかではない、さなかと読む)、津田は余裕でこんな奇書を編纂していたのだ。まさにSF研の鏡というべきだろう。卒業が1年遅れたのは、そのせいだったとは思いたくない。

さあ、もうお気づきのように、この本のタイトルには第1回とある。第1回とある以上、第2回、第3回が存在するのだろう、と考えるのが普通だ。現に本書の最後には次号の予告まで掲載されている。
(前略)SF作家の大ボラにもめげず<SF講座>の第2回目の予告をば−
<SF兵器アラカルト>
分子の大きさしかないのに、表面重力1,000万Gの物体とは−。宇宙船はおろか、空間まで消し去ってしまう超兵器とは−。ゼネラルプロダクツ社の宇宙船は理論上ゼッタイに破壊できない。ただ唯一それを破壊する武器がある−。
(以下略)
いかがだろう。スターキングとゼネプロが同次元で語られている。わけが分からない。が、分からないなりに、なかなか惹きつけるコピーではある。はたして「SF講座第2回」は存在したのだろうか。残念ながら、今のところ手がかりすらない状態だ。もし存在したのなら、ぜひ読んでみたい。ご存知の方は連絡をください。


(文中敬称略)

6
資料11:SF研究会回覧版NOTE/PART3



■SF研史上の新たな発見
当資料は最近になってSF研OB堀越一郎氏の自宅で発見され、当研究所に寄贈された。どうやら資料1<クラブノート>の3代目ということらしい。これで<クラブノート>が現存する唯一の議事録ではなくなったわけだ。
表面はビニール製の装飾カバーに覆われたしっかりとした作りのもので、その頃流行していた「白い本」「ホワイトブック」といった類のものらしい。内表紙にはタイトルのほかに魔除けのつもりか、ラヴクラフトの「クトゥルー神話」から模写した怪物のイラストが添付してあると思ったら伊佐さんの顔写真のコピーだった。内容は議事録というよりは、ほとんど日記である。
<クラブノート>で確認できる最後の日付は昭和51年(1976年)10月20日。一方、この<回覧版NOTE3>の最初の日付は昭和52年5月27日。ほぼ7ヶ月間の空白がある。その間を<ノート2>が埋めることになるのだろうか。今後の調査が待たれる。
(この項続く)