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この作品は「OZ」の創刊号に、「渡辺直人傑作特集」の一編として掲載されました。姉妹編として2号掲載の「行楽客」があります。別に、だからどうっつーこたぁないのだけど。 渡辺直人・作
数日前から、その噂はひろがっていた。街角から街角へ、それは浸透していった。僕達は期待に胸をふくらませながら、その時を待つことになった。町中の人々が、心からその時を待っていた。強い太陽の日射しの下で、行きかう人々のにこやかな顔に、疑いようもなくくっきりとその様子が現われていた。 「観光客がやってくる!」 そのニュースは、本当に僕達の胸をどれだけときめかしただろうか。目には見えない興奮が、口では言い表わすことのできない興奮が、狂気のように僕達を襲った。街角で、それがささやかれる度に、僕達は秒読みを聞かされているような気になった。まさしく、それは狂気だった。一日が一年のようにも思え、また一秒のようにも思えた。不安定な心をかかえながら、その噂が嘘である事をおそれていた。その日の事を想って、夜、遅くまで寝つけない夜を何度もすごした。そして、とうとうやってきた。今日が、その日。 「観光客がやって来る。この町にやって来る。」 もうすぐ、観光客は町の駅からやってくる筈だった。僕と、その悪友達、つまりこの町の悪童達は、今駅の方へ向かっている。そりゃ、観光客ともなると僕達にも見る権利はあるってものさ。息を切らせて僕達は走った。だがすでに、僕たちが着いた時には、駅前の通りはすごい騒ぎで、黒山の人だかりだった。僕は舌打ちをした。もし、いい席が取れなかったらどうしよう。 しばらくして出店が、通りのあちこちで物を売り始めた。みんな息をひそめて待っている。静まり返った駅の方へ、列車の近づく音がはっきりと大きくなって来た。かすかなどよめきが、あちこちで起った。キーッと車体がきしむ音がして列車が駅に着いた。いよいよ観光客が姿を現わすのだ!とうとう、この町にも観光客がやって来たのだ!ファンファーレが鳴った。くす玉が割れて五色のテープが飛びかった。何百羽もの鳩が一せいに放たれた。ブラボー!お祭りだ。なんたって観光客がやって来たのだ。そのまま待っていると、やがて駅から観光客が姿を現わして駅前の通りを行進し始めた。 「見えるかい?」 彼等こそ、まさしく観光客だった。緑の制服を着こんで三列横隊で行進してくるその様子は、見ていてまぶしい程だった。観光客はみんな、直立不動の姿勢で立ち止まると、パレードの為の車に乗って、また同じ姿勢を堂々ととりながら町の中を進んでいった。緑の制服、その「やどや」と白抜きで書かれたゆかたを着こんだ彼等が、なんだかとてもうらやましかった。となりの親子連れが座り込んで、母親の手づくりらしいお弁当をひろげ始めた。ピクニック用のバスケットを持って来ている人も居る。そして、この町の人は全員、この日の為にと、とってもおめかしをしている。観光客は、もう僕達の前を通り過ぎて行ってしまった。これから通りに沿って追って行くつもりだ。ホラ、遠くから歓声が聞こえてくる。それに、あのどよめきとささやき。 「ホラ、あれが観光客よ。」「どれどれ、わしにも、…。」 「見て、見て、いやだわ、観光客よ、そこ。」 「へーっ。噂には聞いてたけれど、やっぱり実物はああでなくっちゃ。」 観光客を追いながら、頭の片隅で、彼等が次に来るのは何時だろうかとチラと考える。 <了>
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渡辺さんとしては珍しく、この作品には冒頭に献辞の一文があります。二人の間でどのような出来事があったのか、全然知りたくはありませんが。 この作品は「OZ」2号「渡辺直人傑作集U」に掲載されました。作者が意識していたかどうかはわかりませんが、「観光客」と対をなす作品として現代まで語り継がれています。別に、だからどうっつーこたぁないのだけど。 渡辺直人・作 この作品の設定を思いつかせてくれた川嶋に捧ぐ− ケンカは突然始まった。オレが、ただブラブラと町の中を、旅館の方へ向けて歩いている時に、それが起こったのだ。ケンカをしているのは二人の男、一人は、若い工員風の男で、もう一人は、同じく若いと言えなくもないけれど、三十代らしい屈強な男だった。一方的に工員風の男の方がなぐられて鼻血を出している。パァーッと、その血が飛び散ってオレのゆかたに点々と附着した。オレは気分を害して大声をあげた。 「なんやねん、おまはんはワイにケンカを売ろうっちゅうのか?ええ、どないぞ言うたったらどやねん、アホンダラ!」 「アホンダラは、そっちじゃ!ワイを誰や思とるねん。ええか、よう聞けよ。ワイこそは、政府認定第一級行楽客甲種様々じゃ。どうだ、おそれいったか!ざまあみさらせ、アホンダラ!」 「ゲッ!」 「ホゲ〜ッ!ブゲ〜ッ!」 そう言って男は眼球を三十センチ程飛び出させて驚いてから、しまった相手が悪いという顔をした。それから、急に自らの非礼に気づいたのか、あわててオレの前で土下座した。 「へえ、すんまへん、すんまへん。つい知らんもんでっさかいえらい失礼なことをぎょうさんしてしもて、どうか、かんにんしたっとっておくれやす。」 オレは、土下座している男の顔の上に下駄ばきの足をのせると、かかとでゴンゴンと男の後頭部をこ突きまわした。 「あかん、あかん、誰がかんにんしたるかいな。お前のようなアホンダラは、わいがよう言うてきかせなあかんのじゃ。ええか、よう聞けよ。行楽客の行楽という字はなぁ、行く道を楽しむという意味なんじゃ。それを、ようもお前は、政府公認の、しかも一級甲種のワイの楽しみをこわしてくれたやないけ。ただで帰れると思うとんのか、あぁ〜ん。どないや、言うてみい。」 「す、す、すんまへん。」 「アホンダラ〜ッ!」 そう言って、オレは男の顔をケリあげる。ゲタの歯が男の歯にあたって、くだらないしゃれになる。前歯が全部折れて、男が口じゅう血だらけになって、真っ赤な歯ぐきから糸のように血が流れ落ちている。オレはとてもいい気分になる。このようにして、オレは自ら行く道を楽しむことができる才能を持っているのだ。それも、そのはず。俺は行楽客。しかも、何といっても政府公認の第一級行楽客甲種様々なのであるから、あたりまえなのだ。 <了>
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上級生の板谷亨さんの実家はたまご屋さんです。それを聞いた貧乏な下宿生の作者は、「ああ、たまごが山ほどあるなんて、なんて贅沢なんだろう」と板谷先輩を妬ましく思ったのでした。そんな悲しい背景から生まれたこの作品は、「ルシフェル」創刊号に拾われましたとさ。
村上和也・作 始業のベルが鳴ってから10分程して教授がやってきた。講義室はすでにほぼ満員である。よく見ると生徒は、ひとり一個ずつ玉子を持っていた。 「えー、先週はどこまでお話したかというと…」 それから彼は、いたるところから飛んでくる玉子をよけもせずに身体で受けとめながら講義を続行した。 <了> |