かつて双葉社から小説推理の臨時増刊として「SFワールド」なる雑誌が出ておりました。覚えておられる方も多いかと思いますが、A5サイズで100数十ページの小ぶりな本です。そのSFワールドの6号に、この作品は掲載されたのでした。しかも渡辺さんの写真入り。解説では中国SF・中国武術の研究家と紹介されています(え”〜!!)。発行は昭和59年10月1日。「グリコ森永事件」が社会を揺るがした年です。
つい先頃、発行の双葉社が潰れたとかで、「もう版権は関係ないやろ」との作者のお言葉により、ここに転載いたしました。ほんまかなあ。差し障りがあったら、ごめんね。



「夢文字」
渡辺直人/作
おかしな夢を見た。
私はあまり夢をよく見る方ではなかったのだが、何故かそんな不思議な夢を見てしまった。その夢の中で、私はどうやらセールスマンのような男に何かを売りつけられているらしいのだ。目が覚めてしまった今ではよく思い出せないのだが、見知らぬ部屋の中で私に話しかけてくるその男にはとても奇妙な感じを与えられた。

山高帽を目はおろか鼻まで隠してわずかに口元だけがその下にのぞいている程目深にかぶり、客である私の前でも一向にそれを脱ごうともしないのだった。普通の背広姿に山高帽だけを深くかぶったその男。私はその男の異様な風体に不安と威圧感を覚えていた。
別にまくしたてるというわけでもなく、実に淡々としたロ調でその男は話しかけてくるのだが、それがまたどうしたものか嫌がる事でさえジワジワと無理にでもさせてしまうような強制的な力を私に対して働かせてくるのだ。私は、だから口をはさむ事もできずに一方的に男が話すのを聞いている。

「…というわけですから、この本を是非御覧になって頂きたいわけです」
男は黒い長方形の鞄らしきもの(こんな事を言うと笑われるかも知れないけどその黒い長方形の所々には光の点のようなものが鏤められていて、私にはそれが星の輝きのように見えたのだ。もっとも、夢の中だから何が起ころうとも不思議はないと言えなくもないのだが……)から、まるで奇術師が帽子から鳩でも取り出すかのように分厚い本をヒョイと取り出してみせた。
私はその本を仕方なく受取る。手にずしりと重い感覚。私は思わず顔をしかめて「重いね」と言った。

「どうぞ開けてみて下さい」
男の言葉に促されて本を開いてみると、そこには漢字でもアルファベットでもない見た事もないような文字が並んでいた。少し驚いて次の頁をめくってみる。同じだ。そこにも意味のわからない文字の行列があるだけだった。次の頁、そしてまたその次の頁……。
この本はどの頁も見知らぬ文字で埋め尽されていた。その文字は象形文字のようにも見えるし、何かの記号のようにも見えた。ところが、どんな形なのか憶えようとして眼を凝らすと、とたんに滲んだように不定形になってとらえ所がなくなるのだ。目をこすって見直してみてもその字の形を把握することができなかった。

「これは読めないよ。この文字は一体どこの文字なのかな?それさえわからないね。ひょっとしてアラビヤ文字かい?」
こんな本を勧めるその男に、皮肉のつもりでそう聞いてみた。男は小首をかしげ、それからニヤリと笑うと首を横に振った。
「いいえ、この地上のどこの国の文字でもありません。これは夢文字なんです」

「夢文字?」
「そう、夢の住人だけが読むことの出来る文字、夢文字です」
私は、つい笑ってしまった。
「じゃあこの本は何の役にもたたないじゃないか」
男は動じる様子もなく首を横に振った。
「いいえ、この本は夢の中で読む事ができるのです」
「どうやってそれを確かめられる?」
「簡単な事です。ここは夢の中ですから」
「ここが夢の中だって言うのかい?」
「そうです」
「そんな…だってホラ、この文字は読めないじゃないか」
男はクスクスと笑った。
「最初の頁をめくって下さい。そうすれぱわかりますよ」
言われたとおりに開いてみれぱ、そこにはこう書かれていた。索引。
「あなたのお知りになりたい事は何ですか?これは夢の本。索引に従ってひけばあなたの夢を読む事ができます」
「夢を読めるんだって。だからどうだと言うんだい」
「この本の中で読んだ夢は必ず実現しますよ」
「夢の中でだろう」
私はそう言って笑った。

「お疑いならば試してみられたらどうですか?」
「いいだろう。そうだな、宝くじの当りくじの番号なんてどうだい?」
からかうつもりで言ったのに、男は黙って本を指さした。索引をパラパラとめくり、宝くじの項目を探す。あった。宝くじという文字を見つけた次の瞬間、その頁の他の項目の文字が一斉に消え、夢文字が浮び上がった。そして不思議な事に私はそれを読む事ができたのだ。

宝くじ。明日発売の宝くじ、1等の当選番号はE572組の097081番。午後7時にB駅南口の売り場で買う事ができる。読み終ったとたんに字が消えかけた。
「一度に見れる夢はひとつだけ。目覚めてからお確かめになって下さい」
最後にそう言う男の声が聞こえ、すべてが溶暗した。

そして、目が覚めてみると枕元に一冊の本。手に取ってみるまでもない。あの本だ。消化不良のせいでおかしな夢を見たのではないらしい。開いてみたがそこに書かれているのは夢文字ぱかりでまったく読む事ができなかった。初めの頁を開き索引を探したのだが、それも見当らない。私はぞっとしてその本を放り出した。

陽が高く昇っている間はそれきりその本の事は忘れていた。陽が落ちて帰り道を急ぐ人達の群れに混った時になってその本で読んだ内容を思い出した。ちょっとした気まぐれ、恐いもの見たさとでも言うのだろうか、私は、いつの間にか指示されたとおりの時間にB駅南口の売り場で宝くじを買っていた。その中には予告どおりの番号E572組の097081番のくじが含まれていた。当る筈はないさ。いやきっと当る。そんな相反する気持の中で揺れ動きながら私は帰宅した。寝室のドアを開けると、まだ本はそこにあった。私は買ってきたぱかりの宝くじをそっと本の間にはさんだ。それから十日程は何事もなく過ぎた。宝くじの当選番号が新聞に発表されるその日までは。私はドキドキしながら新聞を拡げた。1等の当選番号はと見ると、間違いない、当ってる!しばらくの間は頭がボーッとして何も考える事ができなくなった。嬉しい気持と恐ろしいという気持が交互に私を襲ってきた。これはどう解釈したらいいんだろう?

その夜、夢の中に再びあの男が現われた。
「どうでした」
男は私をひやかすように言った。
「次はどの夢を読んでみますか?」
「車が欲しい」とつり込まれるように私はつぶやいていた。
「そんなもの宝くじのお金で買えるでしょうに。まだ大金が手に入ったという実感が無いんですね。まあいいでしょう。本を開いて夢を読みなさい」

私は男の言葉に操り人形のように頷くと車という項目を探し始めた。はたして夢文字のお告げのとおりに行動して車を手に入れることができた。こうなっては男の言った事を信じないわけにはいかない。私は味をしめ、むさぼるように夢文字を読んだ。夢文字で書かれた文章に従えば何でも手に入った。物だけではなく名声や地位も、いやそれだけでなく才能や恋人までも夢文字を読んで手に入れた。それは私を有頂天にさせた。人間の欲望は果てしない。癒やされる事のない飢えのように私はなお一層激しくより多くのものを望んだ。欲しいものは幾らでも増えてゆく。なのに一度に見られる夢は一つだけ。私にはそれがもどかしくてがまんできなくなってきた。一度に多くの夢を叶えたい。そのためにはどうすればいい?私はある解決法を思いついた。それは実に簡単な事だ。夢文字で夢文字を読めばいい。つまりあの本で夢文字の項目をひくのだ。その夜の夢の中で私はそれを実行した。興奮で震える手で夢文字の項目を読んだ。

夢文字。おまえはもうこの本を自由に読める。
本当だ。他の項貝もスラスラ読めた。私は夢中で読み進んだ。読めない所などなかった。全ての夢が、今私のものだ。

どれだけたったろう、読み疲れて目を休めていた時に背後であの男の声が響いた。
「とうとうかかりましたね」
ギクッとして私は振り向いた。
「それはどういう意味なんだ?」
耳まで裂けた口で山高帽の男が笑った。
「あなたはもう現実へは帰れないという事です。夢の中でしか読めない筈の夢文字全部が読めるという事、あらゆる夢が実現するという事は、すでにあなたは夢の住人になってしまったという事、最早現実が一かけらもないという事ですよ。ここに新しい夢の囚人が誕生したわけだ」
「馬鹿な!やっと総ての夢が叶うというのに。きっとどこかに出口がある筈だ」
「出口を探しても無駄ですよ。あなたの存在そのものがすでに夢と化しているのです」
そうだ、この本で出口を探そう。私は必死で頁をめくる。出口。目の前のドアを開けよ。
気がつくと目の前にドアが出現していた。私は急いでそのドアを開けて向う側へとび込む。嘲るように男の声が背後から追ってきた。
「そんな事をしても別の夢に出るだけ、しかも今度は逃れられない夢、あなたが読者で今この文章を読み終ったという夢の中に」




(了)