シリンクス音楽フォーラム 35
Piano and myself

100年×1/4、そして1/2

北岸 恵子

 シリンクス音楽フォーラムが久しぶりに発行されるというので、ぜひレビュー記事を、と意気込んでみたが、怠け癖がついたのか書けないまま締め切りが近づいた。私とピアノとの関わりについての雑感を記して、発刊を祝いたい。

 今年9月16日、京都コンサートホール小ホールでジョイントコンサート『色とりどり』を行った。私が公開コンサートらしきものに始めて挑戦したのが、1977年9月12日であるので、ちょうど四半世紀が過ぎたことになる。大学時代は京都大学音楽研究会の定期演奏会、例会などがあり、対外的な演奏の場を持てたが、去り際も大事と修士1年で定期演奏会での活動は後輩に譲ることに決めた。

 たちまち、私は発表の場をどうして持つか、悩んだ。そして、同門で同い年の岩永(伊原)道代さん(京都芸大卒、福井在住)を誘って、京都府立文化芸術会館で1977年にピアノ・ジョイント・リサイタルを行ったのである。その頃は、大人のための音楽サークルはほとんどなかった。また、昨今流行の「アマチュア・ピアニスト」なる市民権はなかったから、コンサートをやる以上はともかく練習、音大卒の人と同じような意識であったように思う。音大卒の人口も今より少なく、多くの人たちが結婚、出産までの演奏活動であった。

 1977年からは、孤独な練習が続いた。大学院生としての研究の方も学位がなかなか取れず、苦しんだ。その中で、100人程度の小ホールで、3回リサイタルをした。研究とアルバイト中心の毎日で、音楽関係の人脈がないため、友人を中心に20〜60人の方に無理を言って来ていただいた。聴かされた方々のことはさておき、自分にとっては大変良い勉強になった。

 1985年から、フランス、アメリカでの3年の生活、思いもよらなかった製造業の企業への就職、夫との出会い、出産と、めまぐるしい日々が続いた。ピアノは続けていたが、コンサートどころではなかった。ただ、シリンクスが森田ピアノ工房で年3回、定期的に行われるようになり、練習の良いペースメーカーとなった。ピアノを始め、いろいろな楽器の音楽サークルも増えてきていた。

 私は会社員で時間の制約を受けるため、退職するまでリサイタルなどの本格的なコンサートはできないとあきらめていた。ところが、いくつかの偶然が重なり、井上建夫さん始めシリンクスの方々の助力で、1997年4月、大西津也子さんとジョイントコンサート『歌とピアノによるヨーロッパ紀行』をブラームスホール(滋賀県栗東市)で行った。結果的には、それ以来、2年に1回のペースで歌の人とのジョイントコンサートをしている。

 歌とのジョイントコンサートのおもしろさ、難しさ、それは共に企画とプログラム構成だろう。一人でのリサイタルでは、自分と聴衆がいる。自分が聴き手だけを気遣ってプログラムを組めばよい。ところが二人のソリストがいると、演奏者同士の気配りが要求される。二人が好き勝手に選曲したとき、当日の聴き手にとって、耐え難い組み合わせになる可能性がある。ある程度の一貫性も必要だ。

 逆に、ピアノ一台より、幅のあるプログラムが作れる。また、単調さを避けることも容易で、聴衆が飽きるリスクを低くできる。このプログラム作りが、ジョイントコンサートのもっとも楽しいプロセスかもしれない。歌とのジョイントでは、ピアノ曲としては長いとはいえない30分の曲を選曲しにくいのが、ピアニストとして残念ではあるが、プログラム作りの楽しさはその欠点を補って余りあろう。

 二人でやるときの利点はほかにもある。会場を借りてのコンサートには多岐にわたる雑用が付随する。どこまで自分でやるかも問題で、マネージメントを頼むなど、お金で解決することも多少はできる。雑用を一人でやるか、二人でやるかは負担が全く違う。今年9月の時でも、会場関係は牧野さん、チラシと整理券の作成は私、当日配布の印刷物は友人、写真は業者、等々、お金の負担は少なく、練習時間に響かないように工夫をした。

 京都コンサートホール小ホールは好きな会場の一つである。ホールに曲線が使われているので、柔らかい感じがする。また、舞台と客席の位置関係もちょうどよいように感じる。ただし、約500の客席は私達にとって大きいもので、多くの皆さんに来聴をお願いしている。厚かましい話であるが、ある程度の数の方に来ていただけないと、まず弾き手が盛り上がらない。また、来ていただいた方にも余計な気を遣わせてしまうように思う。時間とお金をかけて、一生懸命準備をして当日を迎えるのだから、何としても盛会にしたい。「やる以上は、絶対しらけず、ただし謙虚に全力疾走」というところである。

 練習は正直言って大変である。特に、今回はプログラムの決定に手間取ったので、当日から逆算して週単位のスケジュール表を作り、マイルストーンを設定して練習した。一ヶ月くらい前からは、仕事との調整が問題だ。困るのは宿泊を伴う出張である。普段は「日曜大工ピアニスト」と嘯いているが、残り一ヶ月を切るとそうとも言っていられない。ぎりぎりまで宿泊日数を減らし、先に延ばせるものは延ばし、ピアノに触らない日を減らす努力をする。そして、弾ける日はまず通して弾く。それから細部の練習に取りかかる。

 私は、本番が好きだ。もちろん、一応の練習ができていれば、のことである。緊張はするが、その緊張も好きである。普段弾かない広い空間に自分の音が広がり、誰かの耳に届き・・・というプロセスを愛している。『色とりどり』もそうであった。ただし、今回、一つのコンサートを8分割し、歌とピアノ、それぞれを4ステージに分けた。1997年の『ヨーロッパ紀行』が2分割だからその4倍。演奏者、特にピアノの私にとっては、緊張の維持という意味できつかった。聴き手にとってどうだったのか、気になるところである。

 近頃は、リサイタル、ジョイントリサイタルのような大きな労力を要さずとも、ホールで弾く機会を見出すことができるのはありがたい。しかも多くのホールがシュタインウェイ、ベーゼンドルファーといった有名なピアノを備えている。最近、私が弾いたホールで好きな所というと、京都コンサートホールのほかには滋賀県安土町の文芸セミナリヨである。練習した場所だと、すぐご近所の草津文化芸術会館をあげたい。年に2回、安い使用料を払うと1時間単位で舞台を練習に使わせてくれる。今年の夏もここで練習した。

 このホールはヤマハのピアノであるが、舞台で弾いたときの感覚が好きだ。舞台に音がこもらず、客席に出て行き、演奏者も客席からの音を聴ける。このホールは、客席で聴くと響き過ぎで音がクリアでないのだが、舞台で弾く側にはよい。妙に力んで弾くと、客席に音が届かず、舞台の上だけの響きなのがよくわかる。無駄な力を抜く練習ができる。コンサート直前にホールで行うリハーサルは総じて時間が短く、本番への緊張感が先立ち、じっくりと練習できないケースが多い。この頃、多くのホールが練習のための公開の機会を設けているようだ。皆さんも近所のホールを試してみられたらいかがだろうか。

 いろいろなステップを経て、私にとって本年最大の音楽イベントであった9月16日のコンサートは終わった。そして直後に、50回目の誕生日を迎えた。半世紀、無事に生きてこられたことを感謝し、51年目の人生を歩み始めた。いい節目の年、2002年ももうすぐ終わりである。

(2002年11月2日)