シリンクス音楽フォーラム 35
Review Performance
油井 康修

我が町にも音楽フェスタがやって来た


長野国際音楽フェスタ in Ueda 2000

2000年8月14〜20日
信州国際音楽村ほか

[I]

 学校の廊下でふと目にしたポスター「長野国際音楽フェスタ in Ueda 2000」、ん、これはいったい何なのだ?しばらくして地元の新聞に少し詳しい紹介が掲載されていた。地元の新聞といっても、「京都新聞」クラスのものではなく(そのクラスなら「信濃毎日新聞」という有力紙がある)、「週間上田」というごくごくローカルな無料配布の新聞があるのである。

 音楽監督清水高師、これはかなり名の知れたヴァイオリニストではなかったかな。講師に中沢きみ子、これは地元出身のヴァイオリニストだ。さらに他の講師にイーゴル・オイストラッフ...何々、これはどうもただならぬフェスタだということがだんだん分かって来た。

 その後会場でもらったパンフレットを見ると他のメンバーにもかなりの演奏家が名を連ねている模様。ウーン、こんなフェスタを当方に相談もなく行うとはけしからん、ということは勿論ないのだが、それにしても我が上田近辺でこんな企画が行われるとは夢想だにもしていなかった。例によって情報不足の人間なので、そんなうわさはこの時まで全く耳にしたことがなかった。後で聞いた閉会式の時の実行委員長さんの話によると、話が出たのは今年の5月とのこと。普通これだけの規模の事業は1年かそれ以上の準備を掛けるものだろう、よくぞ2・3ヵ月で実施に持ってこれたものだと思う。

 一番のねらいは音楽家の卵を育てる研修会にあるようで、世界各地から受講生が集まって来るという触れ込みだが、実際は日本人が多かったし、初日の会場で目に付いたのはそのほとんどがなぜか女子ばかりだった。男子はどうなっているのだ。下は小学生から上は青年くらいまでの研修生が参加。講師陣による音楽会が2回ほど。受講生によるコンサートがほぼ毎夜行われ、そして最後にはコンクールも予定されていた。

 最近はこの手の音楽企画が結構あるようだ。それも夏休みに。この少し後にも、同じ長野県はずっと南の飯田という所で「アフィニス音楽祭」というのが開催されるはずだ。以前は確かロストロポーヴィッチが中心になっていたはずだが今年はどうか。この時期は演奏会はオフシーズンで、この間に涼しいところに集まってみっちり研修をというのだろうか。

 信州は世の中では夏涼しい場所の代名詞になっているのだろう。実際海抜の少し高いところは確かによろしい。有名な軽井沢など真夏でも夜は少し涼しいかというほどだ。海抜は900mほどあるか。一体に長野県でも600mは越えないと涼しくならない。しかし上田近辺は海抜450mくらいでさほどでもない。それに今年は例年よりは暑いようだ。確か「八ヶ岳音楽祭」とかいうのがあったと思うが、あれくらいになるとクーラー無しでも可能だろう。とにかく夏休み中ではあるし、一つ楽しんでやろうと心待ちにしていたものである。

 期日は8月14日から一週間(20日まで)、参加する研修生は100人前後に及ぶ。会場・練習場の確保がまず第一だ。中心会場は信州国際音楽村、ここには「ホールこだま」というのがあり、このレヴューでも何度か登場したはず。室内楽、特に弦はなかなか響きがいい。周りに研修室や宿泊施設もある。しかし「長野国際音楽フェスタ in UEDA」つまり「上田」と銘打っているが、信州国際音楽村は実はお隣の丸子町なのだ。もう一つの会場「セレスホール」も(これもなかなかいいホールで、浦川宜也氏率いるセレス・アンサンブルの本拠地になっている)これまた丸子町だ。上田市では北野講堂という室内楽くらいには最適のいいホールがあるが、これは私立短大のホール。

 最終日の国際コンクール、グランドコンサート、そしてコンクールの本選・表彰と閉会式は上田市の文化会館で行われるが、こちらは丸子町のホールに比べるとだいぶ見劣りがするなあ。そろそろ上田市に一つ音楽会用のいいホールがほしいところだ。このフェスタが切っ掛けで話が進まないかなあ。しかしローカルな不満をここに書き立てても仕方ないか。先に進もう。宿泊の手配もなかなか大変な仕事だが、この点については郊外に別所温泉や沓掛温泉を控え、全く問題がない。夏場の暇な時期にお客さんが来てくれて、温泉の旅館も大助かりであろう。

[II]

 8月14日フェスタ初日、発会式は当然ながら関係者のみの出席で行われるだろうが、夜の受講生によるコンサートの方は一般聴衆も聴きに行ってよかろうと、早速「ホールこだま」に出掛けていった。ところがどうも様子が違う。何やら打ち合わせや注意事項の説明ばかりしている。かたわらの人に聴いてみたらそれは明日からとのこと、やれやれ最初から空振りをしてしまった。

 次の晩今度こそはとまたまた出掛けて行って例の座布団シートに座っていると、確かにこの夜は演奏会が始まった。ただし雰囲気からして必ずしも正式なコンサートというのではなく、いわば研修生の腕試し・肝試しといったところのようだ。しかし聴いていてこれはこれでなかなか興味深かった。ピアノ奏者の場合は、概ねそつなくこなしており、まずは研修のためにしっかりおさらいして来ていますといった模様だ。何をどう表現するかとかプロとしての技術レベルからみたらどうかとか言い出すと色々あるかもしれないが、一応は聴かせるところまではいっていると言える。

 これに対してヴァイオリンの場合、確かによく弾けていて指は実によく回っており、これだけみればピアノ奏者と同じかそれ以上のレベルかもしれない。曲がバッハの無伴奏ヴァイオリンパルティータからともなれば、これはもう立派なものだ。ところが音程がいけない。不安定だったり、そろって微妙にずれていく。そういえばピアノには音程のずれというのは演奏者の技量には関係がない。ヴァイオリンはそうはいかない。彼女たち(今度も彼は見当たらなかった)は、それなりの才能に恵まれて小さい頃から練習に練習を積み重ねてここまでに至ったというのは十分に推測出来るが、しかしそれでもまだ人に聴かせるという点ではもう一歩なのである。ヴァイオリンというものの困難さとでもいうものを感じさせられた気がする。

 毎晩というのではいささかしんどいので、研修生のコンサートはこの夜だけにしたのだが、後で知ったところによればこのコンサートは実は関係者のみによるものだったそうだ。知らぬが仏か。一晩は空振りとなってしまったけれども合わせれば余得をちょうだいした気分。

[III]

 研修生によるコンサートはもっときちんとしたものもあって、「バリアフリーコンサート」などはちょっと珍しい企画だった。ただしこれも関係者のみという訳で、直接聴いておらず立ち入った報告は出来ないのでカット(このフェスタのサブタイトルが「教育・福祉ともに歩む21世紀の音楽祭」で、このコンサートはいわば「福祉」の部分を反映したものか)。ここでは17日夜矢張り「ホールこだま」で行われたスペシャルガラコンサートを取り上げてみたい。これは講師の先生方によるコンサートで一般聴衆にも公開はされているものの、プログラムはかなり凝っていて研修生向きとでもいえようか、先生方の模範演奏会でもある。内容は下記のとおり。

 シューベルト:
   弦楽四重奏曲 第14番 ニ短調「死と乙女」
     vn. ルートヴィッヒ・ミュラー、中澤きみ子
     va. ゲオルク・ハーマン
     vc. 河野文昭

 ショパン:マズルカ
     pf. パーヴェル・ギリロフ

 イザイ:
   無伴奏ヴァイオリンソナタ 第3番 ニ短調「バラード」Op.27
     vn. イーゴル・オイストラフ

 ショスタコーヴィッチ:
   ピアノトリオ 第2番 ホ短調 Op.67
     pf. パーヴェル・ギリロフ
     vn. 清水高師
     vc. チョー・チン

 シューベルトの「死と乙女」は、これはよく知られた曲だ。ただし全曲じっくり聴くのは私にとって初めてではあるが。地元出身のヴァイオリニスト中澤きみ子さんも参加して張り切って弾いていた。この曲は次の第15番や弦楽四重奏断章などと共通して、ロマン派の曲というより表現主義的な曲に聴こえる。ただでさえかなり激しいのに、先生方随分力が入っていたようで、相当激烈な曲になった。会場の雰囲気は大いに盛り上がったが、シューベルトのこの類いの曲はちょっと苦手である。私の好みからいくと「ロザムンデ」あたりをゆったりやって欲しいところ。

 ショパンを弾いたギリロフという人は、経歴を見るとソリストというよりヴァイオリニストの伴奏や(シトコヴェッキイやアモワイヤルの名が挙がっている)室内楽中心の奏者のようだ。あたたかい穏やかな演奏をする人で、曲も有名なものとか際立ったものではなく割に地味な感じのマズルカが多かった。いわばごく普通の演奏という感じなのだが、実にしっかりしていて美しい。一つ一つの音、一つ一つの和音、一つ一つのフレーズが充実していて着実に音楽を作っていく。

 最近聴いたマズルカの演奏では、アファナシエフのものやウゴルスキーのもののように非常に凝った解釈そして弾き方をしたものに興味惹かれていた。それはそれで素晴らしいものではあるが、この様なマズルカもあるかと納得した次第だ。このところマスコミ・音楽情報雑誌などによく登場する様な有名な人ではないが堅実でしっかりした演奏を聴かせる奏者に出会う(実はギリロフ氏は私が知らないだけでかなりの有名人かもしれないが)。咋年そして今年と続けて、セレスアンサンブルの浦川宜也氏の伴奏をしたモーリーン・ジョーンズ女史もそんな人だった(この二人の演奏は京都でも行われており、聴いた方もいるかもしれない)。

 この夜の圧巻は何といっても後半最初に演奏されたイザイの無伴奏ヴァイオリンソナタだった。オイストラフ氏は何といっても父の方が有名で、我々もついその息子というところから入ってしまう。しかしイーゴル氏にしてみればそれは迷惑な話だろう。イザイの曲はこれは玄人好みの曲といっていいだろう。無伴奏という点でヴァイオリニストにとっては重要かつ貴重なレパートリーだと思う。わがCDケースにもなぜかクレーメルのものが1枚あり聴いたことはあるはず。でもそれほどいい聴き手ではなかった。

 この夜の演奏でこの曲の真髄に触れ得たと言えようか。曲の細部にまでわたって書くことはとても出来ない。強い重音、弱い音のデリケートな旋律、寸分狂いのない音程、そして圧倒的な曲の存在感、これらの全てが説得力を持って聴く者に追って来たことだけは間違いない。そしてイーゴル・オイストラフここに有りということを我々にはっきり示した演奏でも有ったのだ。完壁という言葉もこういう時に使うべきものだろう。

 最後のショスタコーヴィッチのピアノトリオ第2番、これは以前ショスタコーヴィッチ・フェスティバルでロストロポーヴィッチ・ヴェンゲーロフらの演奏で聴き、このレヴューでも書いたはずだ。その時がこの曲を聴いた初め、ショスタコーヴィッチだから一筋縄では行くまいと思っていたが案の定色々工夫がこらされていて随分面白い曲という印象が残った。チェロがとんでもない高音で旋律をこすり始めるとヴァイオリンはあまり出そうもない低音でこれに唱和するあの出だし、ああこの曲だという感じで演奏は始まった。

 が、正直な所全体には前に聴いた演奏ほどの感銘は感じられなかった。矢張りその前のイザイがちょっと素晴らし過ぎた様だ。それにチェロのチョウ・チンさん(趙静と書く)、こういう演奏会ということもあるせいか、何とタンクトップというラフな出で立ち、ガバとチェロの上から覆いかぶさるような演奏の仕方でそれはそれで特徴のある弾き方なのだが、そのせいか時々タンクトップの肩紐が外れかかってしまい、聴いているほうも(いや見ている方もか)いささか気になってしまうのも困ったものだ。それはさて置くと、しばらく前から日本人のヴァイオリン演奏家の世界的進出(特に女性の)が目を引いている。それに劣らず韓国や中国の弦楽器奏者の進出もすごい。チンさんもそんな人の一人といえよう。

[IV]

 1週間のフェスタの中にはいろいろな企画があって、そのうちのいくつかには関係者のみというのも含めてせっせと参加したというか聴きに行った訳だが、一つだけ心残りが有った。15日にオイストラフ氏は上田市の隣の隣の(上田から電車で20分くらい)小諸市にある小諸高校音楽ホールで公開レッスンをしている。ここには音楽学科があり、そこでこの企画になったものであろう。どうして潜り込まなかったのかなあと後悔しきりである。特にあの素晴らしい演奏を聴いてしまった後では。ついうっかり見過ごしてしまった。

 最終日が来た。この日のメインは国際コンクール、研修の成果をコンクール形式で競ってみようとのことであろう。楽器による区別はないのでちょっと無理気味では有るけれど、それはまあいい。聴く方はそれなりに楽しみである。予選後のグランドコンサートと本選を聴きに行った。グランドコンサートは長い予選後の気分毎換といったものか、バロックのコンチェルトを中心にした軽いプログラムだ。

 室内オケは、研修生が担当、ソロは先生方だ。最後のヴィヴァルディ「2つのヴァイオリンのための協奏曲」イ短調 RV.522、聴き物は服部譲二氏のグァルネリ・デル・ジェスだ。ウーン、確かによく響く。といってすごく美音というのでもない。独特の響きとしか書き様がない。響き渡るというのではなく特定の倍音が鳴り続いているというべきか。

 相方は我が地元の中澤きみ子女史で、大分張り合って頑張っていたが、いかんせん相手のヴァイオリンに押されていたようだ。そういえば浦川宜也氏のものもグァルネリだったはず。あちらのほうはいささか病的な響きが感じられる。そこでセレスアンサンブルでぜひシェーンベルクの「浄夜」を演奏して欲しいとアンケートに書いたが、まだ実現していない。

 本選には8名が残った(ただし1名は都合があったらしく棄権している)。おお、男子もちゃんと残っているではないか。棄権者ともう一人は日本人、ゴンザレスさんという外国人も入っている。楽器別に見ると、ピアノが2人、いずれもバッハを弾いた。そういえば研修生コンサートでもバッハを弾いたピアノ奏者がいた。チェロ3人、これも皆バッハの無伴奏チェロ組曲だ。ヴァイオリン2人、一人は小学生だったか中学1年生だったか伴奏の有る曲だったが(ものすごくしっかりしたほとんどすきがない演奏、特別賞をもらった前田なおさん)、もう一人の人はこれもバッハの無伴奏曲。弦はバッハでいいとしてもピアノはモーツァルト以降がいいのではないかという気もするが、たまたま残った人がバッハだったのか。もっともピアノでバッハを弾くと面白いかそうでないかはすぐ分かってしまうが。

 私には日下紗矢子さんのバッハ(無伴奏ヴァイオリンパルティータから)がしっかりしては幅も有りなかなか大きい演奏でよかったと思われた。1位はバッハのパルティータ6番からトッカータとクーラントを弾いたピアノの山下亜紀子さんだった。これまた堅実なしっかりした演奏であった。さすがに本選に残った人達はいずれも演奏自体は大方しっかりしたものであった。上位に入った人達は目の詰んだよりしっかりした演奏という感じで、講師の先生方の求めるものはこの辺かなという感じ。独創性という点ではこれからかなというように思われた。

 楽しい1週間は終わってしまった。オイストラフ氏の強い印象を残した演奏、プロを目指す人達の音楽がどう形成されていくかを少しばかり垣間見ることが出来た事、今年のフェスタは、そんな置き土産を私に残していってくれた。地元でこの様な催しが開催されるということは、そして継続されていくとすれば、きっと何かが育っていくであろう。音楽への刺激は勿論、今回も多くのボランティアによって支えられていたようで、こういう方面の経験もこの地に何かを生み出してくれることだろう。また来年に期待するものは大きい。