シリンクス音楽フォーラム 35
Review Performance
油井 康修

「イタリアオペラを聴く」の記

[I]

ヴェルディ:椿姫
2001年1月7日
長野県民文化会館
指揮:ヤーチェク・カスプシェック
演出:マレック・ヴァイス・グルゼシンスキー
ポーランド国立歌劇場管弦楽団・合唱団・バレー団
中丸三千繪(ヴィオレッタ)
ダリウス・スタチュラ(アルフレート)
ズビグニエフ・マチアス(ジェルモン)


 2000年のわが音楽生活は1月の初っ端に小沢征爾指揮によるサイトウキネン・オーケストラのマーラー(2番)でスタートし、なんと年末それも12月31日に再びサイトウキネン・オーケストラのマーラー(9番)で締めくくりとなった。続いて2001年に入り1月7日、まだ正月気分消えやらぬ時分にオペラ「椿姫」を聴いたとなれば、結構ぜいたくな年末年始を過ごしたことになるだろうか。サイトウキネンは毎年8月末から9月初に長野県松本市を舞台にフェスティバルが開かれ、今や大変有名になってしまって地元の私もまだ聴きに行っていない(チケットが入手しにくい)状態だ。

 一方これと平行してというのか別企画として年末年始に松本と東京でマーラーを連続演奏するというのが、ここ2年続いている。こちらの方がチケットは入手しやすい。さすがに12月31日、大みそかの日ともなれば年末大掃除から始まって、年越し、新年の準備で忙しく普通は外出は控えるはず。そんな折りなので逆にいけるのではと、かなり間際だったが奥さんの許可を得て(ということはどうも私は家の内の仕事はあまり期待されていないということか)電話を入れたところまだチケットがあるという(松本会場)。かくして年の瀬にいそいそと音楽会場に足を運ぶことになった訳だが、ウーンこれは年末の過ごし方のパターンになるかな。

 ここで取り上げるのは年末年始のうち年始の方、つまりオペラ「椿姫」の方だ。クラシック音楽と一言でいうけれども、その中に含まれるものは時代的にも分野的にも実に多彩にして広範にわたり、知れば知るほど未知の部分が広がって来るのは驚くほどだ。私の場合は適当に興味のあるところを好きなように聴きかじって楽しんでいるばかりで、クラシック音楽ファンのうちには入るのだろうが、その実聴いたことのないものやよく知らないことも随分多いものだ。

 当方別に音楽評論家ではないので何でも満遍なく知っている必要もないしそれはそれでいいと思っているだが、それにしてもクラシック音楽の華ともいうべきオペラ、このジャンルは今まで余り関心がなかったし聴くことも少なかった分野だったが、友人でやたらにオペラを聴きまくっているものがいてどうもその影響か、このごろは気にはなる分野になって来てしまった。

 もっともそもそもオペラなるものを最初に聴いたのは、田舎出の私としては、また本格的オペラを聴く機会の少なかった当時の日本ということを考えれば案外早く、時は1970年というと知る人ぞ知る(というと年がばれて来るが)日本最初の万国博覧会が大阪で開かれた年の事だった。大阪フェスティバルホールではこの年万博にちなんで例年にない大規模な演奏企画を打ち出した。ベルリン・ドイツ・オペラ、カール・リヒター率いるミュンヘン・バッハ管弦楽団と合唱団、ジョージ・セルとクリーブランド管弦楽団、そしてスヴャスラフ・リヒテル等々随分豪勢な音楽祭だったものだ。金の無い学生たちが(もちろん私も含めて)一番安い学生券を手に入れるためにフェスティバルホールの入り口の階段で寝袋にくるまって二夜過ごしたのはこの時だった。

 しかし今思い返してみるに、どうしてあの時カール・リヒターを聴かなかったのだろう。ワグナーにはそれほど関心はなかったはずなのに。バッハといっても、フランス組曲や平均律を弾き始めたころで、まだ宗教曲には関心が及ばなかったのだろうか。初めてのオペラとして聴いたのがワグナーの「ローエングリン」、実は話の筋も知らないままに聴きに行ったような気がする。演奏中にオーケストラボックスからもくもく煙が出て来て一時続行不能、有名な「緒婚行進曲」を二回も聴いてしまったのは忘れられないなあ。

 以前「メリー・ウィドウ」を取り上げたときに書いた様に、オペラたるもの歌が満喫出来て分かりやすく楽しいものを中心に聴きたいと思っており、そんな意味からオペレッタに注目したのだが、この観点からもう一つオペラ中のオペラとも言うべきイタリアオペラも一度は聴いてみたいものだが...というところにちょうど「椿姫」が飛び込んで来た次第であった。

 これが大変有名なオペラだということはさすがに聞いていたが、その中身はというとはてさて。表題からは17・18世紀あたりの宮廷を舞台にした王侯貴族の恋物語かと想像してしまう。たまたましばらく前にデュマ・フィスの原作を読む機会があって(というか、いつか「椿姫」を見る予感があったのだろうか)、これが時代は19世紀、しかもなんとお姫様どころか高級娼婦が主人公のパリ社交界を舞台にした恋物語ではないか。全くイメージが狂ってしまった。さらには作家、作曲家双方にとって同時代の物語りというところも一つの特色だ。

 そういえばモーツァルトの「フィガロ」なんかも同時代オペラだろう。自分たちが生きているその時代の生々しい関心事に取材し人々に強く訴えることにより時代と共に生きるオペラが誕生するという訳か。「椿姫」は最初デュマ・フィスの処女作として発表され好評だったのでさらに戯曲に改編され、その上ヴェルディがオペラに取り上げ、今日ではこのオペラが一番有名ではないかと文庫本の解説にはあった。さてどんなものだろう。

 両者を比較してみるとまず原作とオペラとでは主人公の名前が違っている。原作では娼婦はマルグリット・ゴーチエ、青年の方はアルマンと言う。オペラでは前者がヴィオレッタ、後者はアルフレートだ。ヴィオレッタというのはイタリア語ではスミレということで美しい名ではあるが「椿姫がスミレか?」とも思ってしまう。アルフレートというのはドイツ風で一寸ごつい感じもするが、ま、いいか。

 二人が社交界で出会い、恋に落ち、パリ郊外で二人だけの暮らしを始める、それを嗅ぎ付けたアルフレートの父親がこっそりヴィオレッタと会い二人の恋をあきらめきせようとする、といった大筋は大体同じだ。大きく違うのは結末だ。父親の願いを聞き入れヴィオレッタはアルフレートから離れる。しかし彼女の肉体は既に長年の遊蕩生活でむしばまれており間もなく死を迎えることとなる。その様な状況下でアルフレート父子との間に和解がもたらされ、ヴィオレッタは二人の見守る中ではかなく命尽きる。この場面が見る者に紅涙を絞らしめ、このオペラの最後をしんみりかつ感動的に締めくくるという事になる。

 ところが実は原作ではアルフレートならぬアルマンはマルグリットの死後にパリに戻って来るのである。そして原作はここから始まっている。小説はマルグリットの死から始まり二人の恋を回想する形をとっているが、オペラの方はこういう回想形式はとりにくいだろうからそれは置いておこう。しかしアルマンがマルグリットの死に目に会えなかったからこそこの後のすさまじい場面が登場するのであり、それがまたこの小説の強烈な印象を作り出しているのだ。

 つまりアルマンは死んで既に埋葬されているマルグリットの遺体を掘り出してしまうのである。こういう事実としてはあるかもしれないが異様なというか奇異なという様な愛はあるのかもしれないけれど、日本の小説家はちょっとこういう描き方はしないように思う。外にもこの様な一面リアルでかつ異様な印象を与えるフランスの小説を前に読んだような気がするが、その時も想像力の飛ばし方が日本人とは違うと思ったものだ。

 ここを除くとあとはアルマンの父親が世間体を気にして二人の恋を割くというストーリー展開は、むしろ日本的な話の様でいささか平凡に感じられてしまう。「愛があれば全てが許される」というのは、フランスでの事ではなかったかなあ。この原作を知ったうえでオペラを見ると、結末を変えることであまり珍しくないいささかセンチメンタルな話と言うことになってしまうように感じられた。しかし小説は小説、オペラはオペラだろうか。オペラのストーリー展開としては分かりやすいことは確かだ。

 オペラの方はダブルキャストを組んでいて、この夜はヴィオレッタを日本の中丸三千繪が歌っていた。今やそれほど珍しくはないのかもしれないが、外国のオペラ演奏団体の中にあって日本人がタイトルロールを歌う時代なんだなあと、いまさらながら思ってしまった。声もいささか線が細かったし中丸さんの顔立ちということもあってか、パリの娼婦のふてぶてしさは全くなかったなあ。アルフレート父子に見守られて逝く気の毒な娘さんという雰囲気であった。これがマルグリットであれば、父親との約束で愛すればこそアルマンを断念した見様によっては強さを感じさせる愛を持ち、かつ不治の病と付き合いながら一人で死を迎える孤独に耐える一筋縄ではいかない女性像が浮かんで来る。

 むしろ脇役になるアルフレートの父親ジェルモンの方が堂々としていて声もしっかりしたバスで存在感を感じさせた。彼への拍手もなかなか大きかったように思う。それにひきかえ息子のアルフレートの方は体格は立派だが恋に焦がれて身も心もどうしようもないというような激しさや熱気までは聞こえて来なかったなあ。恋に翻弄される若者だから不安定な感じはあっても良いのだが、むしろ娼婦を相手に恋をするにしてはいささかひ弱な青年という印象だ。

 音楽はもちろん大部分は初めて聴くものばかり、そこはイタリア・オペラ、開幕のっけからの「乾杯の歌」から始まってふんだんに歌・歌・歌を味わえたと思うが、ただしこれが待ち望んでいた「イタリアの歌」かといわれると、自分で勝手にイメージを作ってしまっているのかもしれないが、実際に聴いたのはイタリアにしてはかなりおとなしい感じがした。もっと感情の爆発、喜びでも悲しみでも体の中からムンムンと発するようなイメージなのだが。話そのものがパリ、フランスのものという点でイタリア流とはいかなかったのかな。

 舞台の方も第一幕社交パーティの場、会場バックの壁に古代ローマのポンペイ風の絵をあしらっているなどそれなりに凝ってはいるのだが、ちょっとカビ臭い感じで、十分華やかとはいかない。ウーン、いささか沸き立つ思いには不足があったなあ。ただし第二幕、ジェルモンがヴィオレッタを説得して去った後やってきたアルフレートに、彼女が「私たちは幸せになるわ、あなたは私を愛していて下さるのだから」と歌ったところは実にジーンと来る一場であった。普通だったら何げない言葉なのだが、この場面では既に彼女は心の中でアルフレートをあきらめることにしていたのだから、その一言一言には「たとえあなたと離れても、私の心は変わらないのです」という気持ちを言外に含めた万感のこもった歌だったのである。まさしく心の琴線に触れる歌声であった。

 初めてイタリアオペラを聴いた結果、矢張り一度はイタリア人中心のイタリアのオペラ演奏団で聴いてみたいものだ。それにつけても有名な演奏団のチケット代の高さよ。ポーランド国立歌劇場がどの程度の有名度の団体か知らないけれども、長野という地方会場のせいもあるかどうか、一万円を中心に価格設定されていて何とか聴きに行けるが、メトロポリタンなどの超有名級になると最高は五万を越えるのだから、もうなにをか言わんや。売れ残っているのも矢張りS・A席ですねえ。

[II]

浦川宜也/セレス・アンサンブル
2001年3月16日
長野県丸子町セレスホール
モーツァルト:アイネ・クライネ・ナハトムジーク K.525
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ:チェロ協奏曲 イ短調
(vc)河野文昭
べートーヴェン:弦楽四重奏曲 第14番 嬰ハ短調 Op.131(弦楽合奏ヴァージョン)


 地元丸子町のセレスホールにおいて浦川宜也氏主催で毎年何回か開かれるコンサートは居ながらにして音楽を聴くチャンスを与えられる訳で、私には大変ありがたい事だ。解説付きのコンサートは浦川さんもそんなに得意ではないようでこれはちょっと勘弁だが、矢張りその形式のは評判がイマイチのようで最近は音楽だけのコンサートで大変結構。このところは浦川さんのソロの演奏会が多かったように思う。たしか浦川さんのコンサートでべートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ「スプリング」を聴いて以来、それから一年位の間にこの同じ曲を都合5回も聴いたことを思い出す。

 今回は久々にアンサンブル、それも弦楽アンサンブルというやや規模の大きいのは、私自身聴くのは初めてだ。メンバーは東京芸大関係の学生・演奏家(浦川氏は東京芸大の教授だ)、構成は第1ヴァイオリン6名、第2ヴァイオリン5名、ヴィオラ6名、チェロ5名にコントラバス1名だ。浦川さん自身は今回はなんと指揮のみだった。これも初めて。まだ名指揮者振りを披露とはいかなかったが、なかなか情熱的な振りっぷりではあった。

 それにしても曲目は何といっていいのか。モーツァルトはまあ客寄せ用。べートーヴェンは普通でもちょっと一般受けしないなかなか大変な曲、それをさらに弦楽合奏ヴァージョンで一ひねり。それらをエマヌエル・バッハで繋ぐとどうなるか。べートーヴェンの解説に「若いアンサンブルのメンバー達と演奏するにあたって、この誠実な音楽を皆様と共有しながら、私たちの努力が神の御耳に少しでも届けば、この上なく幸せと思っております」とあるように、今回はこの曲が一番のメインディッシュということになろう。

 アイネ・クライネ・ナハトムジークはもっと小編成で演奏することもあろうし、オーケストラで演奏することもあろう(多分その場合は少し人数を抑えると思うが)。いずれにせよ軽やかにしてかつ流麗な機会音楽といった趣旨に立って曲の雰囲気を出そうとすると、小編成の合奏が向いていると思う。今回のアンサンブル規模でも悪くはない。このアンサンブルを聴いた感じでは弦の流れるような感じ、歌うような弾き方に特色を感じた・音色もなかなか美しい。浦川さんの薫陶の賜物か。

 それはそれで素晴らしいのだが、ただし場面場面でもう少し幅を広げた柔軟な演奏の仕方が欲しいなあというところもある。最終楽章の軽やかな出だしはスタカート気味に撥ねるような浮き立つような感じに弾いて欲しいところ、一寸歯切れが悪かったなあ。それともう一つ、コントラバスがあったせいかどうか分からないが(他の曲ではあまり感じられなかったから弾き方によるのだろうか)、一寸バスが重い感じだ。そこだけ大型オーケストラのようだった。

 エマヌエル・バッハはほとんど聴いた覚えがない。わが家にはもう大分前からラジオが撤退しておりFMを聴くことがない。従ってレコードないしCDが専ら家での音楽ソースなのだが、この時代の物はショーベルトとミヒャエル・ハイドンが1枚ずつあるのみ(この二人も正確にはエマヌエル・バッハより少しあとだったかなあ)、私の手の(耳の)入っていないところだ。この時代にチェロ協奏曲が生まれていたのも初耳だ。音楽史的にはこの辺りはバロックから古典派への過渡期と言われているから、曲種も各分野で新しいものが誕生しつつある時代のはず。チェロ協奏曲もそういったものの一つだろうか(そこでカタログを調べて見たら、すでにヴィヴァルディやボッケリーニにチェロ協奏曲がある)。

 曲全体はなかなか印象的なものだった。どういう意味でかというと、いうなればアイディア勝負という点で。斬新な音型があちこちにちりばめられていて当時としてはかなり奇抜な印象を与えたのではないか。今聴いてもそうなのだから。見様によっては何か新しい時代を切り開こうという気負いのようなものを感じ取っても良いかもしれない。ただしアイディアつまり思いつきに走る反面、曲の深みといった要素はやや乏しい気がする。

 第1楽章トゥッティのあとチェロの独奏が入って来るが、それまでの速いテンポに比べ、いきなりゆったりと、しかもヴィオールの様なたっぷりとしたそしてやや動きのにぶい響きで入ってきたのにはびっくりした。思わず楽器に目がいってしまった、もちろんチェロであったが。さあソロの登場だ、私の出番だ、というのが後の協奏曲のソロの普通のあり方だ。しかしこの曲ではトゥッティとソロが何度か交替しながら、やがて完全にソロにバトンタッチされるという展開が、第1楽章にも第3楽章にもみられ、この辺が過渡期の作り方なのかなと感じられた。耳に刺激的という点でなかなかおもしろい曲だったといえよう。

 後半の1曲は難解にして大曲。べートーヴェンの後期の弦楽四重奏曲はいわば懐の広い大きな山々が奥深い山脈を形成しているようなものだ。その一つ一つ、どれも登頂するのはなかなか大変である。中でもこの14番はこれら深山の中では私には手の伸ばしにくい曲の部類だった。本来が弦楽四重奏曲なのだから、弦楽四重奏で聴くのが本筋ではあろう。最小編成の弦4丁の作り出す微妙なニュアンスは編成が大きくなるとなかなかだしにくいはず。もっともピアノ曲をヴァイオリン曲やオーケストラ曲に編曲したりとか、他の形の編曲もいろいろあるにはあってそれなりの意義を持っているものもあるのだが、さてこの場合の弦楽四重奏曲を弦楽合奏にする意図というのはどの辺にあるのか、専門家の声を聞いて見たいものだ。

 そうは言うものの、実はこれまでのレヴューでも触れたかと思うが、わたし自身が弦楽四重奏曲の弦楽合奏による演奏の方が良いのではないかと言っているのである。それは「大フーガ」の事だ。アルバン・ベルクやジュリアード(ただし奏者の平均年齢最高の頃)といった名手たちの演奏でも「大フーガ」は大変しんどそうで、聴く方もおちおち曲自体を味わっていられない雰囲気であった。そこで弦楽合奏では、ということになる。

 フルトヴェングラーの古い録音やら(最初調べたときはこれしかなかった)シャーンドル・ヴェーグのものなど集めて聴いてみた。ウーン、何か拍子抜けしてしまった印象だ。曲の安定感は大いに増すと同時に弦4丁の時の緊迫感がどこかへ。このことは今は置いておくとして、そのヴェーグのCDに14番が入っていたのだ。14番を弦楽合奏で演奏するということはあるということだ。このCDには編曲について何も記していないが、なぜか解説もなしにシェーンベルクの写真が載っている。推測するにこれは彼の編曲か。

 丁度好都合とばかりセレス・アンサンブルの演奏に先立って予習をしてみた。これがなかなかおもしろいのである。14番ってこんなにおもしろかったっけ?この曲はどうも冒頭の部分が難しそうな曲のイメージを与えているような気がする(譜例1)。しかしそれに続く第2部などは実にベートーヴェンらしい歌になっているではないか(譜例2)。譜例3のf,sfの入れ方など今にも踊りだしそうなあのベートーヴェン節といっていいだろう。改めて見直してしまった。ただし第2部に関してはヴェーグの演奏は一寸遅いか。

譜例1


譜例2


譜例3


 ついでに引っ張り出して聴いたブダペストSQのは逆に一寸速い位。テンポはセレス・アンサンブルのものが一番ぴったりという感じだ。そのほか今度この曲に発見したのは、ベートーヴェンの「ユーモア」とでもいうものだ。この表現が適当かは分からないがとりあえずはそうしておこう。難解な曲どころかあちらこちらにユーモアと言いたい面白さがはめ込まれているのである。第4部の緩徐楽章にもこんなふうに(譜例4)。

譜例4


 第5部などユーモアのオンパレードだ(譜例5)。勿論ベートーヴェンのユーモアだから、柔らかくもないし、やさしくも、ほほえましくもない。一見(一聴)怒っているようにすら聞こえるところだってある。しかしこれはベートーヴェンだけのユーモアなのである。この辺の発見はヴェーグに負っているといっていいだろう。表現としてはあまり露骨にやり過ぎてもまずいが、さりとていささかの強調は欲しい。全体に低音部が表現のカギを握っているようで、セレス・アンサンブルではこの辺が一寸弱かったかなあ。ヴァイオリンはそれなりに主張を示しているが、低音部がやや伴奏に甘んじているというべきか。

譜例5


 終楽章にあたる第7部は、さすがに気合が入るのか、どれを聴いても崇高さと悲壮美を感ずる。初めてこれをバリリSQで聴いたときはホントにびっくりした。こんな強烈な曲の開始があるのだろうか、と度肝を抜かれたものだ(譜例6)。ヴェーグにしろセレス・アンサンブルにしろ、弦楽合奏ヴァージョンもなかなか面白いということが分かったこと、それに第14番がかなり身近になったことが今回の収穫であった。

譜例6


 それにしても弦楽四重奏団にとってベートーヴェンは最高の目標であると共に、相当手ごわい相手なのではないか。アルバン・ベルクSQの様なトップクラスの団体でも、他の作曲家の曲は完壁に演奏しているのに、ベートーヴェンとなるとちょっと余裕が感じられない風なのだ。そのアルバン・ベルクSQで今度ベートーヴェンの第15番を聴く予定、どう料理して来るのか、これはまた楽しみである。
(2001.3.29)