シリンクス音楽フォーラム 21
Review Performance
北岸 恵子

ことばの持つ緊張感

春にうたう日本抒情(樹声会)
1996年4月7日
バロックザール


 ソプラノの大西津也子さんの伴奏者である私に、編集部からコンサート評を“書いてみる?”との打診です。出演者自身がリサイタルのプロフィールに“何とかに出演、好評を博す”だの“何とかで活躍中”とか煽るのだから、出演者が“このような素晴らしいコンサートでした”と書いてもいいのじゃないかと、おもしろ半分、引き受けてしまいました。

 このコンサートは、12人の歌手がそれぞれ約10分、日本歌曲を披露する形式で行われました。1人の歌手は1人の作曲家を取り上げます。今回、取り上げられた作曲家は、信時潔、山田耕筰、湯山昭、別宮貞雄、中田喜直、橋本国彦、大中寅二、團伊玖磨、林光で、おおよそ日本歌曲の歴史を横断する形となっています。山田耕筰、中田喜直、團伊玖磨は2人の歌手が歌い、これも彼らが作った日本歌曲の質、量を考えると当然です。12人の歌手は20才台から60才台まで年齢的には広がっていて、コンサート経験の差もかなりあります。

 会場に行って、前半、後半6人ずつのプログラムを見て、困りました。私が伴奏する大西さんの出番は後半の2番目、休憩は10分です。ゆとりを持って準備するためには、前半を全部聴くのは無理です。また、後半も着替えて気分を静めてから聴けるのは多くて2人です。半分の人が聴ければ上出来、と思うことにしました。

 バロックザールは200席と手ごろな大きさなので、コンサートは満席で始まりました。結局、予定どおり(?)客席で聴いたのは7人でした。

 10人以上の独唱者の歌のコンサートだと、当然、自身の好みも含めて優劣があります。私の聴いた範囲でもそれは認められます。完全な聴衆として、この日のコンサートでの優劣の要素が何であったかということを考えると、声の立派さではなくて、日本語をいかに日本語らしく歌うかということではなかったかという気がします。ドイツ歌曲を始めとする欧米の歌曲とは異なり、日本歌曲は、すべての聴き手にとって、注意を集中していなくても言葉がわかるため、聴衆は無意識の内に、歌詞を聴いて理解しようとします。また、それぞれの曲に、独自のイメージを描こうとします。

 したがって、歌手がいかに説得力をもって歌詞を歌うかが、聴衆との絆の太さになるようです。伴奏ピアニストにも、同様の技量が要求されます。詞を美しく歌うことを邪魔するピアノはもちろん失格であり、詞のイメージをさらに聴衆に膨らませることが望ましいわけです。この日使用されたバロックザールのスタインウェイ・コンサートグランドは、よく鳴るピアノで、コンサートホールとしては狭いこの会場によく響きわたります。私が聴いた範囲では、多くの伴奏ピアニストはピアノの音が大き過ぎたように思います。その意味で、日本歌曲は歌手にとっても、ピアニストにとっても、舶来モノを演奏している、というごまかしのきかない非常に難しい分野です。

 ただし、日本歌曲以外の歌曲についても同様のことが言えるので、歌手が日本人で聴衆が日本人であるがゆえに、上記の論理が成り立つだけです。単に、日本人歌手が外国語の詩に作曲された歌曲を演奏する際に、言葉が敏感かどうかが、その言語を母国語としない聴衆にそれほどわからない、ということです。しかし、外国語についてのハンディキャップは伴奏ピアニストが鈍感である言い訳にはならない、と私たち伴奏ピアニストはもっと肝に銘じなければなりません。

 日本人の演奏者にとっての日本歌曲の難しさは、やりがいがある、という反対の面を持つことになります。会場が比較的、明るかったので、正面を向いて歌う歌手からはお客さんがよく見えたようですが、知られた曲になると、一緒に口を動かして歌う聴衆の方がおられたという話で、歌手にとってはうれしく、励みになったそうです。この日の聴衆には年配の方が目立ちましたが、年配の方は日本歌曲をよくご存知のようで、聴衆が歌手を支えているような、日本のクラシックコンサートには少ない雰囲気でした。聴衆の平均年齢の低いピアノ中心のコンサートとは違うのが、うらやましく思いました。

 コンサートは、このコンサートを企画し、指導にあたられた林達次先生の挨拶と、出演した歌手全員による滝廉太郎の花で終わりました。林先生の挨拶の中で印象に残ったのは、もっと人に知られた曲を集めた音楽会にするつもりが、プログラムを組み立てる中でかなり専門的な、演奏者、聴衆の両者に難しい曲が増えて、当初の意図とは違ったものになったが、それなりに充実したコンサートになってお楽しみいただけたのではないか、という意味のお話でした。まさに、この言葉どおりの音楽会でした。一聴衆として、次は、ポピュラーな日本歌曲の多い、それでいて緊張感のある、同様のコンサートが開かれることを期待しています。

 最後になりますが、大西津也子さんは、この日、山田耕筰の歌曲を3曲歌われました。北原白秋の詩による2曲“鐘がなります”“かやの木山”と“中国地方の子守歌”です。彼女は出演者中でよく知られた歌を歌った1人でしょう。私はどれもゆったりしたテンポで、音符の数が少ないので緊張しました。また、この他にテノールとのデュエットが1曲あり、こちらは島崎藤村作詞、大中寅二作曲の初恋を、この日のコンサートのためにデュエット用に編曲したもので(デュエットの伴奏はテノールの伴奏者でした)、当然のことながら世界初演、ご興味がおありの方は、大西さんにお問い合わせ下さい。(1996.4.14)