シリンクス音楽フォーラム 21
Review Performance
井上 建夫

華麗で精密なアンサンブル

久米智子 & 佐々木雅子 ピアノ デュオ リサイタル
1996年4月14日
京都府民ホール アルティ


 考えてみれば、グランドピアノを2台ならべて演奏するとはなかなか贅沢なものです。楽器の中でも音量、音域などの面でとりわけ強力な性能を持つピアノを2台ならべて演奏するわけですから。ショパンやリストの伝記を読むとパリのサロンで2台のピアノの演奏が行われていた様子が書かれていますが、オーケストラの曲などの編曲がよく演奏されていたようです。こうしたサロンでの親しい雰囲気のなかでの演奏でなければ、19世紀アメリカのルイス・モロー・ゴッチョークがやったようなショー的な演奏会もあります。彼は2台のみならず3台、4台、時には10台ものピアノを演奏会場に並べて聴衆を驚かせていたようです。

 シリアスな演奏会で2台のピアノの曲だけが演奏されるというのは比較的最近の現象のように思われます。ラベック姉妹あたりが活躍しだしてからでしょうか。オリジナル曲のレパートリーはそれほど多いとは言えませんが、モーツァルトの2台のピアノのソナタから、メシアンなどの20世紀の作品にいたるまで傑作と言われる作品に不足しているわけではありません。そして何よりもピアノを2台並べるという華やかさが聴衆にとっても大きな楽しみに違いありません。

 久米智子さんと佐々木雅子さんの2台のピアノのリサイタルも終始華やかな雰囲気のなかで進みました。曲目は、まず、サン・サーンスの動物の謝肉祭、休憩をはさんで、ストラヴィンスキーの2台のピアノソロのための協奏曲、インファンテのアンダルシア舞曲という演奏効果の大きな曲目が並んでいます。

 まず、何はともあれアンサンブルの名人芸がいかんなく発揮されていた演奏と言えるでしょう。わずかの例外的な箇所の乱れ以外、2人の奏者の呼吸は見事なものです。2台のバランスもまず問題ありません。後半ではややプリモの方が大きいかなという気もしましたが、作品の書法や楽器(スタインウェイとヤマハ)の違いの影響もあるのでしょう。それに必ずしも2人の音の大きさが同じでなければならない理由もありません。ともかく、輪郭が鮮明で明瞭な演奏です。

 ピアノの音はアタックが明確なだけに、それぞれがよほど正確なリズムで弾かないと2人の奏者の音のずれがよく判ってしまいます。他の楽器以上にアンサンブルの名人芸が要求されるわけです。今回のコンサートは充分この要求に応えたものと言えます。しかし、逆にアンサンブルが正確になればなるほど、即興性のようなものは失われていきます。このあたりが2台のピアノに特有の危険だと思うのですが、果たしてこの危険はそもそも避けることがができるものかどうか(レパートリーの選択によるところも大きいでしょう)、久米さんと佐々木さんのデュオの今後に期待したいところです。

 各曲について言えば、「動物の謝肉祭」では、マイクを通して各曲の解説が曲の切れ目に入るという趣向ですが、会場に装置があればこれは映像で処理した方がいいのでしょう。音楽が何度も中断されることになり、やや煩わしく感じられます。ナレーションでの中断は1、2回になるようにまとめた方がよさそうです。演奏の方は、前半では硬さが残っていたものの、後半ではのびのびした演奏です。

 休憩後のストラヴィンスキーの協奏曲は1935年の新古典主義時代のもので、派手な効果を持つもののなかなか晦渋な作品で、筆者にはコメントする能力がありませんが、全4楽章とも緊張を維持し、充分まとめあげられていたと言えるでしょう。このあとにインファンテのアンダルシア舞曲が来てほっとした気分になります。華やかでいてかつリラックスした余裕のある演奏です。

 アンコールはレクオーナのマラゲーニャとマルティヌーのファンタジーで、演奏者の得意と曲目なのでしょう、この2曲が当日の最も優れた演奏となりました。