シリンクス音楽フォーラム 21
Mourning

追悼 柴田南雄

高橋 隆幸


 去る2月2日、柴田南雄氏が亡くなられた。享年79歳、高齢ではあるが、知的活動に衰えはなさそうでまだまだ活動が期待できただけに実に残念である。昨年秋に「わが音楽・わが人生」という本を出版され、その序文に、80歳を前にして自分がやってきたことをまとめてみたかった、と書いておられるが、死因が肝臓癌であったこと、近年テレビなどで拝見した時、異常に痩せておられたことを考え合わせると、この本は一種の遺書として書かれたものと想像される。

 柴田南雄氏は多方面で活動されたのでその肩書きを特定することは困難であるが、作曲家、音楽学者、音楽解説者、批評家、教育者が主なものであろう。このうち私たちに最も身近であったのは音楽解説者、批評家としての活動であり、私がここで取り上げるのもこの分野である。私の結論を先に述べるならば、柴田南雄氏は日本の最高の音楽解説者および批評家であり、国際的にも第一級の人であった。

 日本で最初の本格的な音楽批評家は(少なくとも私にとって)、吉田秀和氏であろう。私は氏の大部分の著作に目を通しているし、その中の一部は音楽評論というものが芸術の域に達しうるということを示している。しかし、私はある時点で吉田秀和氏の考えにはドイツ音楽至上主義がヨロイの下のコロモのように見え隠れするのを感じ取るに至った。

 一例をあげれば、チャイコフスキーの第4交響曲を論じた一文で、氏はこの曲の数々の美点をあげておられるが、でも結局この曲はつまらないと結論しておられる(吉田秀和全集13、 p.117)。問題はつまらないという結論に至る根拠が全く示されていない点であり、私はこの始めに結論ありき式の論理的矛盾と、吉田氏が時々示されるチャイコフスキー、シベリウス、はてはイタリアオペラなどに対する偏見を考え合わせ、私の吉田秀和氏に対する考えはやや醒めたものになっていった。

 柴田南雄氏の著作に初めて接したのは「西洋音楽史第4巻 − 印象派以後」であった。われわれの学生時代、現代音楽に取り組もうという場合にはこの本はバイブル的存在であった。当時、氏は十二音技法の推進者であり、電子音楽にも取り組んでおられたから、われわれはひたすら前衛作曲家というイメージを抱いていた。

 ところが、その後、氏がNHK・FM放送のバイロイト音楽祭の解説をしておられるのに接し、少々意外に感じたのを覚えている。しかし、その語りぶりは端正そのもので、簡潔で理路整然としていながらも、楽曲あるいは台本の魅力というものが直接的にこちらに伝わってくるような解説であった。おかげで私はすっかりワーグナーのファンになってしまい、多くのレコードを買い込むことになった。

 よく気をつけてみると、FM放送の解説者として比較的頻繁に出演しておられることが分かり、放送される音楽よりも氏の解説がむしろ楽しみになり熱心に拝聴したものである。また、種々の音楽雑誌にも楽曲の分析、演奏会評などを寄稿しておられ、それらがいくつかまとめて出版され、1970年代後半からはその数も増え、氏の知の体系というものがわれわれの前に提示されることとなった。

 しかし、不思議なことに、これらの放送での解説や著作に現代音楽があまり前面に出て来ず、対象となる音楽は普通の音楽、すなわち古典派、ロマン派および近代の音楽であった。 これは、 吉田秀和氏が1950、60年代に現代音楽の普及のために啓蒙活動を熱心にやっておられたのとは対照的であった。当時私は、柴田氏の場合、これは前衛作曲家の道楽と理解しており、しかしそれにしてはレベルの高い道楽であると感じていた。

 しかし、事実はどうも異なるようである。吉田秀和氏が啓蒙活動をされていた時には、柴田南雄氏は実際に前衛音楽の創作に手を染めており、その後1970年代に入り、十二音技法に端を発するいわゆる前衛音楽が、世界的な音楽の流れの中で主流でなくなっていったことと関係があるようである。

 柴田南雄氏が楽曲を解説する場合、その曲の音楽史における位置および意義づけが実に明快である。ある曲の旋律、和声、一つの動機、構成など各々の音楽史におけるルーツや誰からの借用であるか、それがもたらす心理的効果、さらに後世に及ぼした影響などが論理的に明示される。音楽作品というものは個々の作曲家の独創的なアイディアの結果であるのはもちろんのことであるが、同時にそれはある日、突然変異のように生まれてくるのではなく、それまでの音楽史の集大成のうえに深く関連して生まれてくる、言いかえれば個々の楽曲は音楽史の中でも作曲家の個人史の中でも一つの道程標であるということ、氏はこのことを我々に痛感させてくれる。

 一例としてベートーベンのエグモント序曲の解説があげられる(おしゃべり音楽会 p.92)。そして、このような分析を行うに必要な知識の蓄積とそれを有機的に結びつける能力を考えた場合、氏の知の体系の底知れない深さを感じる次第である。演奏に関する氏の解説、批評も同様である。氏が強調されたのは、ある演奏に関してそれが演奏スタイルの歴史の中でどの位置を占めるか、そしてその今日的意義は何かということである。したがって、氏が関心を持たれたのは問題意識を持ち、新しい感覚、スタイルを生み出した演奏家であった。

 実際、氏は多くの著作の中で繰り返し「真に優れた音楽家は伝統を踏まえ、音楽の将来の姿を予感し、そこに自分の個性をうまく投影し、聴き巧者な聴衆や一部の良い耳を持った批評家を自分の味方にして時代の音楽趣味を変えていくのである(グスタフ・マーラーp.12)」という意味のことを述べておられる。そして氏自身もこの考えに基づいて行動してこられたことは容易に想像される。すなわち、戦後の十二音技法、ついで電子音楽、そして西洋の音楽史と日本における洋楽受容史を織り込んだ大作「交響曲・ゆく河の流れは絶えずして」の作曲、というふうに時代の流れとともに変貌が見られる。

 言いかえれば、世界の音楽の潮流の中で、何が最先端であるか、俗な言葉で言えば何が主流かを敏感に感じ取り、その中に身を投じ、また、啓蒙活動をしてこられたということになる。氏は東京大学の文学部と理学部に学ばれたわけであるが、氏のこの考え方は、東京大学が発足以来日本で果たしてきた役割と無関係ではないと思われる。ここから次のような言葉も生まれてくる。「近年、ベートーベンの人気は依然として好調だが、どちらかといえばファンの入門曲目となり、大都市の聴き巧者には飽きられてきた(グスタフ・マーラー P.11)。」

 私ははじめ心情的に引っかかるものがあったが、結局は氏の言うとおり、価値観というものは時代とともに変遷し、それが人間の、ひいては文明の本質であると納得した次第である。同様に氏の行動を“流行に敏感な東京の知識人”と言うつもりは毛頭ない。どういう行動にせよ、そのレベルの高さが問題であり、氏のレベルは芸術的ですらある。「我が音楽・我が人生」の最後の章のタイトルが「ゆく河の流れは絶えずして」であるのは実に興味深い。柴田南雄氏が奉じた前衛というものも結局はこの日本的な思想、哲学と期を一にするものであるという趣旨なのであろう。私はそう確信している。