シリンクス音楽フォーラム 22
Review/Performance

信州・音楽のひととき


油井 康修


 今回は私の身近で聴いた音楽会を取り上げ、あわせて長野の音楽事情を少しばかり紹介してみようと思う。

[I]

 私の住む上田市の南隣に、丸子町というのがある。街道筋に位置し、ウナギの寝床の様な町並みを成している。国道からは少し外れており、メインストリートから取り残された形で、時々地元の高校が甲子園にいって話題を振りまくが、要するに普通の町である。ところが、しばらく前から世にいう町おこしとして、文化事業に力を入れはじめた。音楽関係もその一つに入っており、さして大きくもない町に演奏会の出来るホールが二つもつくられたのである。4月中旬その一つの信州国際音楽村ホールこだま、なる所に初めていってみた。

 小牧山という、山というより大きな丘の中腹にあり、近づくにつれ、ヴァイオリンやコントラバスを形取った道標は雰囲気を作っていたが、車でいかないといささか大変だ。私は職場から自転車で駆けつけたが、最後の上りはなかなかしんどい。さすがに自転車で来る者などいなかったナ。それにしてもこの辺りの音楽人口はそれ程大きくはないし、やや不便な場所という事も考えると、演奏会による運営は大変なのではないか。聞いてみると、付近に宿泊の施設もあり、このホールを中心に音楽関係者が集まって夏など合宿をする、といった使い方もできるという。

 そういえば同じ様なタイプの音楽会場が外にもあった。長野市から西へ車で30分位の山中に中条村というのがある。ほとんどが山の斜面という村で、たいした産業もない。そこのかつての小学校舎(木造)を改造し、ベーゼンドルファーを置き、録音設備も完備して、演奏会にも合宿・研究会にも使えるようにしたもの。柿落としに高橋アキを招き、丁度メシアンが演奏された時、外から鳥の鳴き声が飛び込んで来たりして、楽しい演奏会だったことを思い出す。

 長野市には他にもベーゼンドルファーが入っているホールがあり、地方としてはちょっと珍しいのではないか。長野市自体ウィーンと交流があり、それが関係しているのかどうか。交流と言えば、長野県の高校生吹奏楽団がウィーンへ行って演奏したこともあったし、私の前前任校だった赤穂高校(駒ヶ根市)には、ウィーン・フィルのメンバーが吹奏楽クラブの指導にきてくれるという事もあった。願ってもないチャンスとばかり駆けつけ、アルバート式クラリネットを間近に見たり、短時間のうちに高校生のアンサンブルを、生き生きした音楽を奏する楽団に仕上げていく技量にあっけにとられたものだ。

 さて、「ホールこだま」話を戻そう。これが一風変わっている。内装は壁に木材を適当に加工し揃えて嵌めてあるが、天井板はなく構造が見えている、いわゆる山小屋風というところか。形状はスリバチ型でとにかく中が小さいので、演奏者を上から覗き込む感じ、中段から下はもう演奏者の息使いが聞こえるほどだ。座席は 300あるかどうか。ベンチがおいてあり座布団を一人一人分かつというのもおもしろい。この日の入りも70〜80名ほどだった。

 演奏会は山崎伸子のチェロ・リサイタルで、伴奏者は浦壁信二。曲目は次のとおり。

  シューマン: チェロとピアノのための5つの民謡風小品 Op.102
  シューベルト: アルペジオーネ・ソナタ イ短調 D.821
  三井某という日本人作曲家の、民謡などを素材とした小品集
  R.シュトラウス: チェロとピアノのためのソナタ Op.6

 私にはほとんどが初めての曲だが、それにしても随分渋い曲目。演奏者二人も聴くのは初めてだ。山崎さんはもうオバサン風で、ちょっと腕っぷしが強そうな感じ、ぐいぐい前に出てくる音で弾きまくり、ホールの響き具合が気持ちいいのか、アンコールは3曲もサービスしてくれた。伴奏の浦壁氏は逆にキリギリスの様な人で、なかなかデリケートな弾き方を披露してくれた。ただ、この両者の組み合わせはいささかバランス的に難があったと思う。

 チェロがmf〜fならピアノは常にmp〜mfmp〜mfなら対応して常にp〜mp、という具合で、ソロはソロ、伴奏は伴奏、という感じなのだ。時にはチェロを立ててピアノは伴奏に徹することもあろうが、また時には両者が丁々発止と火花を散らすこともあっていいはず、そんな意味での盛り上がりに欠けていたように思う。

[II]

 長野市から東へ電車で30分弱のところに須坂市がある。そこのホールがメセナホールといい、須坂市と地元長野県の銀行(八十二銀行)によって運営されている。一階で座席700〜800位か。内装は木の壁で明るく落ち着いており、室内楽に丁度いい感じだ。ホールと契約しているかどうかは知らないが、以前カザルスホール・カルテットや、そのヴァイオリン奏者ツェートマイヤーの演奏会を聴いたことがある。この日(5月下旬)は、「パウル・バドゥラ=スコダとN響の名手たち」と銘打ったコンサートだった(ヴァイオリン・大林修子、チェロ・岩井雅音)。曲目は次のとおり、

 モーツァルト:
   ピアノ・ソナタ イ長調 K.331
   ピアノ・ソナタ イ短調 K.310
   ピアノ三重奏曲 ホ長調 K.542
   ドヴォルザーク:ピアノ三重奏曲 ホ短調 Op.90「ドゥムキー」

 バドゥラ=スコダといえばモーツァルトということになるが、ピアノ・ソナタは思いのほか不調だった。確かに彼の奏でるピアノの響きには、長年親しんできたモーツァルトへの慈しみともいうべきものが感じられたし、デリケートな味わいに欠けることも無かった。ところがちょっと間の取り方を崩したところから、やけにミス・タッチが頻発しだし、もう余裕のある演奏ではなくなってしまった。とくにK.331の後半はひどかった。どうもモーツァルトにしてはピアノ(スタインウェイではあったが)の音が硬く、そのあたりをうまくコントロールしきれず集中できなかったのではないかと思う。

 バドゥラ=スコダは数年前にも長野市で演奏しており、その時はモーツァルトのコンチェルトを指揮しつつ弾いた。大きな身振りで、実にモーツァルトを演奏する喜びが溢れ出ているかの如く、その一方で音量は身振りほどには大きくなく、これがモーツァルトの則を越えず、という演奏かと感じ入ったものだった。それを思うとこの夜のモーツァルトは残念だった。

 「ドゥムキー」は初めて通して聴いた。ドヴォルザークの室内楽というと、ただちに「アメリカ」とか「ピアノ五重奏曲」が浮かんでくる。次々にかっこいい旋律が登場し聴かせどころを作っていく、といったイメージが強くあるのだが、この曲は予想に反し、終始実に幻想的な、また一味違ったおもしろい曲だった。バドゥラ=スコダもここではアンサンブルを楽しみながら演奏していた。

 暫く前から、日本各地でずいぶん立派な演奏会用ホールがつくられている。中にはその地の音楽人口からみて、経営が成り立つのかと思われるものもあるが、それはこれからの問題だろう。長野県もこの例にもれず、ここに紹介したホールに限らず、県内に立派なホールが増えつつある。それだけでなく、松本では今や毎年9月に行われる「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」は、全国的に、いやひょっとすると世界的に有名になっているようだ。それだけにチケットを入手するのも容易ではなく、まだ一度も聴きにいけない。いずれは報告を書きたいのだけれど、来年以降になるでしょう。

(1996/7/26)