シリンクス音楽フォーラム 22
Review/CD
井上 建夫

季節はずれの復権

ロスラヴェッツ『室内楽曲集』
Nikolay Roslavets: The Chamber Music
The Moscow Trio and other players
Le Chant du Monde LDC 288 047
1992

ロスラヴェッツ『4つのヴァイオリン・ソナタ』
Nikolai Roslavets: Four Violin Sonatas
Mark Lubotsky (Violin), Julia Bochkovskaya (Piano)
Olympia OCD 558
1995

 ソ連の崩壊前後から突然楽譜の出版が始まったニコライ・ロスラヴェッツ(1880/81-1944)の作品の録音が現れ始めています。ロスラヴェッツはロシア革命前後に、シェーンベルクとは独立して、12音風の作曲技法を始めた作曲家として一部の音楽史の片隅に名前をとどめていましたが、その実体はほとんど全くと言っていいほど知られていませんでした。

 ロシア革命後、1920年代くらいまでのソ連での前衛芸術は近年ロシア・アヴァンギャルドという名で呼ばれ、絵画のマレーヴィッチ、詩のフレーブニコフ、マヤコフスキー、演劇のメイエルホリド、映画のエイゼンシテインなどの名前はよく知られています。ストラヴィンスキーが早くに西欧に出たこともあって、音楽家の名前はあまり出てこないのですが、ロスラヴェッツは音楽の分野での代表者の一人といえそうです。

 ヴァイオリン・ソナタ集のCDにロスラヴェッツの研究者マリーナ・ロバノヴァが書いている解説などから要約すると、ロスラヴェッツはモスクワ音楽院でヴァイオリンと作曲を学び、革命後は、作曲家の連盟などの組織化に積極的に関わり、雑誌「音楽文化」の編集長を務めるかたわら、プロパガンダ音楽の作曲など、革命の前衛として活躍しています。しかし、早くも1923、4年頃から、一部の批評家からフォルマリスト、デカダンと攻撃され、1929年には彼の名前は人民の敵としてブラックリストに載せられていたといいます。30年代の半ば頃には作品の発表が全く出来なくなっていたようです。1944年に彼は貧窮のうちに死去し、当局によって原稿が押収、破壊されたものの、夫人が遺稿の一部を隠し持ち、後にモスクワ中央文学芸術図書館に寄贈し、最近の出版へとつながったようです。

 さて、この2枚のCDに収められた作品の作曲年代を見ると、1910年代のものが、ヴァイオリン・ソナタ第1番(1913)、第2番(1917)の2曲、20年代のものが最も多く、同第4番(1920)、ピアノ・トリオ第3番(1921)、チェロ・ソナタ第1番(1921)、ピアノ・ソナタ第5番(1923)、ヴィオラ・ソナタ第1番(1925)、第2番(1926)であり、30年代のものはなく、40年代の晩年のものがヴァイオリン・ソナタ第6番(1940)ということになります。(最後にあげた作品以外はすべて1楽章の作品)

 10年代の作品が最も抽象的、前衛的であり、後になるほど、古典的、伝統的な書法を見せているのは、この時期の西欧の作曲家たちと軌を一にしていますが、ロスラヴェッツの場合は、政治的、社会的状況の影響をより強く受けていることは当然でしょう。

 彼の初期の音楽は伝統的調性から離れ、半音階的な彼独自の理論による新しい音組織に基づき作曲しているようですが、この2枚のCDに収められているのは、20年代以降の新古典主義的傾向を示すものが多いせいもあってシェーンベルクやバルトークなどに比べてはるかにメロディックで聞きやすい音楽です。ロスラヴェッツの場合は、和声進行は半音階的であっても、一つの和声が続く時間が、例えば半小節とか1小節とか意外に長く、これが彼の音楽を耳触りの良いものにしています。ヴィオラ・ソナタ第2番では、冒頭から叙情的な美しいメロディが現れ、まるでフォーレを思わせます。ロスラヴェッツの作曲技法は、シェーンベルク流の無調音楽というよりは、新しい旋法による作曲といった方が近いと思われます。全体的には、スクリヤビンの延長線上にあるものとして聴くことができます。

 また、彼の音楽は非常に抽象度が高く、純粋で理想主義的な音楽という印象を受けます。革命初期の理想主義を音楽で表現しているとも言えると思いますが、1940年のヴァイオリン・ソナタ第6番では伝統的な書法へと大きく後退しながらも、決して日常的な感情表現に堕すことがないのには、理想主義者としての誇りを最後まで失っていないことを感じさせます。

 皮肉なのは、彼の持っていた理想主義とはほとんど縁がなくなってしまったと思える20世紀末になってようやく復活を果たしたことです。完成度が極めて高く、華やかな演奏効果も備えている彼の音楽は恐らく数年のうちに多くの演奏家のレパートリーに入り、当然のように20世紀の古典におさまることでしょう。しかし、そんなに自然に、静かに受容されることはロスラヴェッツにとっては不本意ではないでしょうか。彼の作品そのものの演奏や研究だけでなく、彼の作品がこれまで旧ソ連・ロシアで、西欧でどういう風に受け入れられ、また無視され、あるいは拒否され、そして復活したのかが検証されることが期待されます。また、これからの受容のプロセスを観察するのも興味深いどころです。

 両方のCDとも演奏者は旧ソ連の出身で、どの曲でも見事な演奏を聴かせており、あらためて旧ソ連の演奏界のレベルの高さを実感させられるのですが、最近の演奏スタイルを反映した流麗な演奏が余計に、ロスラヴェッツの作品はもう古典なのだという印象を与えることになっています。
なお、「室内楽曲集」の各曲の演奏者は次のとおりです。
 (オリンピアでは同じ演奏者で、ヴァイオリンとピアノのための24のプレリュード他のCDも出ていますが、評者は未聴です。)