シリンクス音楽フォーラム 22
Review/Event
井上 建夫

東洋と西洋が出会うとき?


JALステージスペシャル延暦寺音舞台
キリ・テ・カナワほか
1996年9月9日
延暦寺

 「JALステージスペシャル延暦寺音舞台」というイベントの招待券がJALとは縁のない私にも回ってきました。なにしろキリ・テ・カナワの出演です。行かないという手はありません。チラシには「抽選で2000名の方をご招待」とありますが、募集をしていたのには全く気がつきませんでした。当日はJR京都駅から専用バスで延暦寺まで行くことができます。

 延暦寺へ着くと、受付のテントがあります。ここで、招待券と座席券を交換です。招待客が予想外にたくさん来たのか、座席券が受付になくなってしまって行列が出来ています。少し待たされたので受付の方を観察していると、招待券には4種類の色分けがしてあり、それを3種類(S・A・B)の座席券と交換するようになっているようです。そういえば、飛行機にはファーストクラスやビジネスクラスがあるな、と妙に納得です。

 そのうち開演時間の6時が迫ってきて、JAL?の管理職風の人たちが大分焦っています。ようやく座席券が届きました。周囲の関係者から受付に向かって、ああしろ、こうしろ、早くしろという声が次々飛んでいます。でも、手を動かしているのは受付嬢2人だけというところが、いかにも日本の会社風景です。座席券と交換し、更に座席券に対応して色分けした小さなリボンを胸につけ、S・A・B、それぞれのプラカードを持った女性を先頭に根本中堂前の特設舞台まで行進です。3色のリボンは会場で別の座席に移動するのを防止するためのようです。

 確かに2000人ほどはいそうな聴衆の前で、まず勤行風に天台声明から始まります。そして、雅楽(平安雅楽会)に続き長澤真澄のハープでドニゼッティの「ルチア」ほか1曲、同じくハープと尺八(デビッド・ウィラー)で篠原真の作品、グレゴリオ聖歌(豊中混声合唱団)と続きます。

 そして、テ・カナワの曲目は、まずオブラドルスというスペイン近代の作曲家による「スペイン古典歌曲集」から4曲。これはスペインの古い歌曲や民謡に和声づけをしたもののようです。伴奏は簡潔ながら、洗練された近代歌曲に仕上がっていて、この作曲家の他の作品も知りたくなります。マスネの「マノン・レスコー」から「さようなら、私たちの小さなテーブルよ」に続いてはカントルーブの「オーヴェルニュの歌」から5曲です。テ・カナワの表現力は民謡風の1曲づつを細密画のオペラのように思わせます。4曲目の「子守歌」、5曲目の「女房持ちはかわいそう」で当夜の圧巻へと盛り上がりました。

 グラナドスの「ゴエスカス」から「マハと夜うぐいす」でもう一度オペラのシーンに触れて、最後にグアスタヴィーノというアルゼンチンの現代作曲家の民謡風の歌曲「ばらと柳」、そしてフォークソングの「スカロボ・フェア」(これはハープの伴奏)で軽く締めくくりです。アンコールに民謡を1曲、無伴奏で歌い、天台声明やグレゴリオ聖歌と照応させています。そして、最後にもう一度声明が現れ、全体が勤行風に終わるという趣向です。

 野外でのイベントなので当然スピーカーからの音となりますが、こうして聴いてみると伝統的なクラシック音楽の魅力はいかに微妙なところに依存しているかが逆によくわかります。スピーカーを通した音は、引き伸ばし過ぎた写真のようなもので、特にピアノの音は輪郭がぼやけてしまって、何ともしようがないという感じです。(ピアノ伴奏はウォーレン・ジョーンズ。歌手に忠実で達者な伴奏です。)このイベントはテレビ放映(9月28日)されるので、音自体は会場で聴くよりテレビの方が良好でしょう。

 さて、プログラムによると「JALステージスペシャル音舞台」とは、「京都の寺院仏閣を舞台に、国内外の一流アーティストを招いて『東洋と西洋が出会うとき』をテーマに開催するイベントシリーズです。国宝・史蹟と音楽が一体となり、荘厳な空間を創り出す、新しいコンサートの形態と言っても過言ではないでしょう」とあります。第1回の金閣寺を皮切りに今回の延暦寺が第9回となっています。(ついでながら延暦寺は京都府でなく滋賀県にあるので、念のため。)今回の主催は京都仏教会、延暦寺、毎日放送で、提供は日本航空となっています。

 全体が終わってみれば、このイベントは世界的なプリマ・ドンナ、キリ・テ・カナワを呼んできたところに眼目があったことは明らかです。聴衆もそれを期待して集まっています。その舞台を延暦寺にしたところが演出ですが、イベントのプロデューサーも「東洋と西洋が出会うとき」といったお題目を本気で信じているようには思えません。プログラムにはテ・カナワの演奏曲目は簡単な解説つきで載っているのに、他は演奏者のプロフィールだけで曲目すら載っていないのです。全体の構成を見てもプロデューサーの思想や音楽的主張を感じることはできませんが、それでもテ・カナワは凝ったプログラムで素晴らしい演奏を聴かせてくれました。東洋の側としては少し恥ずかしくなります。

 帰りのバスの車中で、大津や草津の夜景が見えると大きな歓声があがりました。往路に西大津バイパスのトンネルを出て見えた琵琶湖も美しいものでした。初秋の延暦寺のさわやかな夜気の中でキリ・テ・カナワのすばらしい声も聴けたし、琵琶湖も見たし、まあ満足というイベントでした。