シリンクス音楽フォーラム 23
Review/Music
井上 建夫

墓場から蘇ったゾンビ


モソロフ『4つのピアノ・ソナタ』
Alexander Mosolov:Four Sonatas for Piano
Sovetsky Kompozitor Publishers(Moscow)
1991

モソロフ『4つの新聞広告』
Alexander Mossolow:Vier Zeitungannoncen fur Singstimme und Klavier Op.21
Sikorski(Hamburg)
1988


 アレクサンドル・モソロフ(1900−1973)の名前はかつて日本でも知られていたことがあります。1940(昭和15)年に発行された野村光一のレコードの案内書「名曲に聴く」を見ると、ロシアの現代作曲家として、グラズーノフ、スクリヤビン、ラフマニノフ、ストラヴィンスキー、プロコフィエフ、ショスタコヴィッチとならんでモソロフの名前もあがっています。

モソロフ
 ソヴィエットの新進作曲家。但し、彼の楽曲は概念的で、イデオロギッシュであり、純粋な音楽とは云へない。代表作は工場の機械の音をその儘用ひた「機械交響曲」だ。


とあり、「製鉄所」(「機械交響曲」より)のレコードが2種類あげられています(エーリッヒ指揮パリー交響管弦団、フィードラー指揮ボストンポップス管弦団)。

 この「製鉄所」という曲は、普通バレー曲「鋼鉄」の一部とされていて、1927年に初演され、社会主義国に現れた新しい音楽として当時世界的に有名になったものです。1940年に日本でも2種類のレコードが出ていたわけですが、恐らく初演からそう遠くない時期に日本にも評判が届き、レコードも早くから出ていて、けっこうポピュラーになっていたのではと想像します。

 実は、野村光一の本が出る4年前の1936年に、モソロフはソヴィエト作曲家連盟から追放されています。理由は酔っぱらってレストランのウェイターに乱暴したというものですが、もちろんこれには、モソロフの“過激な”作風をよしとしない、その筋の意向が働いたのに違いありません。ソ連では1934年のキーロフ暗殺に始まる大粛清の時代が始まっており、1940年には前衛作曲家モソロフはもう過去の人になっていたのです。

 最近になって、忘れ去られていたこのモソロフが復活してきていて、「製鉄所」も複数のCDがあります。3分ほどの短い曲で、スヴェトラーノフ指揮ソ連交響楽団の演奏(The Music of Alexander Mosolov, Melodiya MCD176)を聴いてみると、なるほどこれは、いかにも製鉄所だと思わせる迫力があります。金属板を振って音を出しているところもあるようですが、工業化を象徴する製鉄所の様子を演奏会場に持ち込んだのですから、世界中の聴衆の度肝を抜いたのもうなずけます。

 さて、ピアノ・ソナタの方ですが、1番(Op.3)、2番(Op.4)、4番(Op.11)、5番(Op.12)の4曲が収録されていて3番がありませんが、音楽事典の類でもピアノ・ソナタは4曲とあるので、3番は楽譜が失われたのかも知れません。

 楽譜を開いてみると、どれも猛烈に難しそうな曲です。あえて演奏してみようという人はそうはいないでしょうが、それでもCDが出ています(ジョフリー・ダグラス・マッジ演奏、4 Piano Sonatas, Dante PSG9118)。

 1番(1926年出版)は1楽章のみ、2番(1927年出版)は3楽章からなり、「古い手帳から」という副題がついています。4番(1928年出版)は1楽章のみ、5番(1929年出版)は4楽章からなっています。どの楽章についてもソナタ形式その他の形式は明瞭でなく、色々な部分が次々と現れます。半音階の断片風のもの以外にメロディらしきものはほとんどありません。意味のあるメロディを拒否し、分厚い和音を連続させた韜晦語法です。曲全体がこの調子で激しく煽情的に進み、しかも低音を極めて多用しているので、どことなくホラー映画風です。ホラー映画に熱心なファンがいるように、こうした曲を愛好する人たちがいることが予想されますが、ワーグナーやスクリヤビンの遺産をここまで濫用することはないという気もしてしまいます。

 「4つの新聞広告」は新聞の短い広告文を歌詞にした歌曲(中声用、ロシア語のほか独・仏訳つき)で、それぞれ、医薬材料を売る店、戸籍役場、行方不明の犬を探す人、ネズミ退治の業者の短い広告文を歌詞にしています。朗誦風の声に対し、ピアノ伴奏が効果的な描写をしていきます。民謡風のメロディーが断片的に現れたり、ネズミ退治ではピアノの低音がどことなく物売りの声を思わせるなど、なかなか才気あふれた作品です。この作曲家はソナタのような大形式の作品よりも、こうしたに具体性を帯びた小品に才能を発揮するようです。これも複数のCDがあるようですが評者は聴いていません。

 ところで最初に挙げた「製鉄所」を含むCDには彼が追放されて以後の作品も録音されています。追放後は民謡の収集に従事したと言われていますが、恐らく作曲家連盟にも復帰を許されたのでしょう、作曲活動を行っています。1960年代の「組曲 兵士の歌」を聴いてみると、昔、うたごえ喫茶というのがあったと思いますが、これはその類の音楽です。追放後の作品がこうしたものばかりなのか不明ですが、これから見るときれいさっぱり転向したようにも思えます。結局この作曲家はそれぞれの時代に過剰に適応したということでしょうか。モソロフも含め、ロシア・アヴァンギャルドやソ連時代の音楽の全貌が明らかになるにはもう少し時間がかかりそうです。