シリンクス音楽フォーラム 24
Review/Book
井上 建夫

新大陸の音楽あるいは音楽の新大陸

S.フレデリック・スター
『バンブーラ! ルイス・モロー・ゴッチョークの生涯と時代』
S.Frederick Starr:Bamboula! The Life and Times of Louis Moreau Gottschalk
Oxford University Press(New York)
1995
$40

 19世紀アメリカの作曲家でピアノのヴィルトゥオーゾ、ルイス・モロー・ゴッチョークについては、その作品のCDがアメリカを中心にけっこう出ているものの、日本ではほとんど知られていません。まず、彼の生涯を簡単に年譜風に見てみましょう。

1829 アメリカ、ニューオーリーンズで生まれる。
父親はイギリス生まれのユダヤ人実業家。母親はフランス人移民の子孫。
42 ピアノの勉強のためパリへ渡る。
コンセルヴァトワールでは外国人という理由で入学を拒否される。
シャルル・アレ、カミーユ・スタマーティ、ピエール・マレダンにピアノ・作曲を学ぶ。
45 無料のコンサートでデビュー。ショパンらも出席。
49 初めての有料のコンサート。
この頃「バンブーラ」「バナナ」など出版。パリで有名人となる。
50 スイスへ演奏旅行。
51-52 スペインへ演奏旅行。
53 アメリカへ帰国。ニューヨークでアメリカ・デビュー。
ニューオーリーンズ、ボストンでコンサート。
54 キューバへ演奏旅行。
55-57 ニューオーリーンズを経てニューヨークで活動。
57-62 キューバ、ジャマイカ、ハイチ、プエルトリコ、マルティニー諸島、ギアナ等カリブ海諸国へ演奏旅行。
62-65 ニューヨークへ戻った後、南北戦争さなかののアメリカ北部各地で演奏。
65-69 パナマ、ペルー、チリ、ウルグァイ、ブラジルで活動。
69 虫垂炎のためリオデジャネイロ近郊で死亡。

 19世紀のヴィルトゥオーゾの生活とはこうしたものなのかも知れませんが、ざっと見ただけでも何ともあわただしい生涯です。フランツ・リストも同様の生活を送っていますが、ヨーロッパだけでしかも生涯の一時期だけです。ゴッチョークは生国アメリカはもちろんヨーロッパ、中南米を40年の短い生涯を、ほとんど休みなく旅芸人のように動き回っています。

 これは彼の父親がビジネスで失敗し多額の借財を残して死んだため、彼が家族を養っていく必要があったからですが、1862年初頭にハバナから帰国してから64年6月までの2年半の間のコンサートは1000回に近づいていたといいますからすさまじいものです。

 彼の訪問地の中で、特に目を引くのは、キューバを始めとするカリブ海諸国そして南米です。生地がメキシコ湾岸のニューオーリーンズですし、彼の母方の曾祖父はハイチで40年ほど過ごしていて、カリブ海の文化や音楽は母方を通じてルイス・モローに伝えられていたようです。もっともその曾祖父や親族の多くはハイチの奴隷反乱で命を落としているのですが。

 カリブ海地方を起源とするメロディやリズムなどは彼の音楽の中で非常に重要な要素であり、「バンブーラ」「バナナ」「バンジョー」「オーホス・クリオージョス」「パスキナード」など民族的要素の勝った作品には特別な魅力があります。ヨーロッパの国民楽派と呼ばれる作曲家たちの作品に比べても民族的素材の使用が徹底しています。更に当時のアメリカ市民社会のセンチメンタリズムにどっぷりと浸ったよう作品もあり、ヨーロッパで高尚とされ評価される正統的な音楽からは大きく踏み外しています。

 さて、上にあげたフレデリック・スターの本は、このゴッチョークの恐らく初めての本格的な伝記です。まず、リオデジャネイロで客死したゴッチョークの異例なまでに盛大な葬儀の模様を描き、死後多分に忘れられてしまったこの作曲家・ピアニストの南米での声価を確認してから、その誕生から死に至るまでを丁寧に追っていきます。ヨーロッパ、カリブ海諸国、南北アメリカを転々とする足跡を演奏会の批評など当時の記録を渉猟し、彼自身の手紙や雑誌への寄稿も引用しながらたどっています。

 その際、著者は彼が訪れた土地の社会や政治情勢をまず描き、彼がどんな環境の中で行動したのかを捉えることを忘れていません。本の標題にあるとおり「生涯と時代」であって、特に、中南米については、クラシック音楽ファンにはあまりなじみのない地域だけに、当時の社会のスケッチとしてもなかなか興味深いものです。

 ゴッチョークはかなり多くの文章を残しています。(死後、妹がまとめた「あるピアニストの覚え書き(Notes of a Pianist)」がある。)彼はニューヨークでボヘミアンの文学青年らと交友があり、彼らからの知的刺激もあったようで、なかなか鋭い観察眼とユーモアを示しています。しかし、これらの引用を読んでも、意外に彼の感情生活は見えてきません。南北アメリカを何かに憑かれたように演奏して回るのですが、必ずしも音楽ビジネスの才覚に富んでいるわけでもなく成功と失敗を繰り返します。

 しかし一方では、数十台のピアノを並べたモンスターコンサートを各地で行うという興行師ぶり、あるいは文章に見られる皮肉な観察眼、そして彼の音楽作品。これらを寄せ合わせても、明確なゴッチョーク像をイメージすることは困難です。これは、著者スターが出来るだけ客観的にゴッチョークを描くことに専念し、様々な伝説や挿話に被われているこの作曲家をもう一度新しく捉え直そうとしているからなのですが、それにしても、その音楽が余りに楽天的、センチメンタルで通俗臭がふんぷんとするにもかかわらず、切れ味の良い効果は類例がないという不思議なバランスを示しているように、その人物像もどこか捉えどころがなく奇妙に表面的で謎めいています。

 作品についての立ち入った分析はなされていませんが、彼が演奏した自作の題名は多数登場します。彼は演奏はしても楽譜に書き下ろすことをあまりしなかったため、多くの作品は演奏の記録があるのみで楽譜が伝わっていません。また、ピアノ曲だけでなく交響曲(実際は交響詩)「熱帯の夜」のようなオーケストラ曲も少し残していますし、晩年にはオペラに意欲を燃やしていたようですが、本格的なオペラは実現することなく終わりました。音楽家としての可能性を多く残したまま早世してしまったという印象は拭えません。(どの写真も見てもなかなか世慣れた感じで貫禄があるのですが、40才で死んでいるのでショパンとほぼ同じということになります。)

 この本の序文に「アメリカの音楽や文化の歴史の上でゴッチョークの今日の地位は、脚注(大きな脚注ではあるが)のようなもの」とあるように、彼の音楽は近年復興しているものの、民族色を強調したアメリカの通俗作曲家という受け取り方が一般的です。いくつかの作品は余りにポピュラー音楽風ですし、またいくつかはポピュラー音楽にしては余りに手が込み過ぎていて余りに完璧です。実際、評価するのが一筋縄ではいかない作曲家です。

 しかし、こういう風に感じるのも、私たちが、バッハ、ベートーヴェン、シューベルト、ショパンなどというヨーロッパの音楽史の流れに沿ってゴッチョークを捉えようとするからかも知れません。ゴッチョークはショパンを非常に尊敬し、その影響も強く受けているのですが、ショパンよりももっとゴッチョークと類縁性の強い作曲家はラグタイムのスコット・ジョプリン、ディキシーランド・ジャズのジェリー・ロール・モートン、タンゴ・ブラジレイロのエルネスト・ナザレなどでしょう。

 彼らは少し時代が下がりますが、同じ新大陸の作曲家としてその素材が共通しているだけでなくヨーロッパの伝統的な音楽の論理とは少し違ったものを身につけています。彼らはジャズやタンゴあるいはポピュラー音楽といったジャンルに分類されてしまうことが多いのですが、もう少し別の、もっと大きな範疇で彼らを捉えた方が適当でしょう。多分私たちにはまだよくは見えない音楽の新大陸が広がっていて、ゴッチョークはその新大陸の発見者なのかも知れません。

 最近日本でも突然流行しているアルゼンチンのピアソラもこの新大陸の住人なのでしょう。ここでは、例えばセンチメンタリズムのような感情の解放も必ずしも否定すべきものではなく、緻密な論理的展開もそれだけで評価されるものではありません。この新大陸の探索のためには、ゴッチョークと親交のあったというキューバのマヌエル・サウメル(1817−70)をはじめとする同時代の中南米の作曲家、更には現代の中南米の音楽の動きに注目することが必要であり、そしてより重要なことは私たちが西洋音楽史の論理から少し自由になることでしょう。

 著者のフレデリック・スターはワシントンDCのアスペン研究所の所長で、ロシアの歴史や政治の専門家であり、更に、ニューオーリーンズ・ベイスト・ルイジアナ・レパートリー・ジャズ・アンサンブルのクラリネット奏者でもあるとのこと。この本は専門外の仕事とは思えない本格的なものであり、当分の間ゴッチョークのスタンダードな伝記としての地位を占めることでしょう。アメリカにはすごい人がいるものです。

 なお、ゴッチョークの楽譜やCDなどについて簡単に触れておくと、1969年に初版楽譜等をリプリントした5巻の「ピアノ曲全集(The Piano Works of Louis Moreau Gottschalk)」が出ましたが現在は絶版になっています。この他何種類かピアノ曲集は出版されています。その中ではドーヴァー社のものが最も曲数が豊富なようです。先にあげた「あるピアニストの覚え書き」は1881年に出版され、1964年にはリプリントが出ましたがこれも現在入手できません。ゴッチョークの実像に近づくために、こうしたものの再版そして望むらくはクリティカル・エディションや著作集の出版が待たれるところです。

 録音に関しては、評者が聴いた数人のピアニストの中ではユージン・リストの演奏が最も優れたものでした。1985年に亡くなったリストはゴッチョークの専門家として鳴らした人ですが、第一級のヴィルトゥオーゾであり恐らく他の作曲家の作品でも優れた演奏をしていたことでしょう。リストの後継者も現れているのではないかと思われますが、CDの愛聴者でない評者の耳には未だ届いていません。