シリンクス音楽フォーラム 25
Review/CD
北岸 恵子

ヴィルトゥオーゾとお茶を − アンコール集に聴くピアノの巨匠たち

シューラ・チェルカスキー・ライブ(Vol.3)“アンコール集”
LONDON:POCL-1298
ホロヴィッツ・アンコール
BMGビクター:BVCC-5106
アルフレッド・コルトーの遺産(第11集)ポピュラー・アンコール(T)
東芝EMI:SGR-8111


 コンサートでのアンコールは、プログラムに曲目が記されていないだけに、さて何が聴けるのか楽しみです。アンコールは、フランス語のencore(もう一度)だと思うのですが、フランスではBis!(ビス!)と言っています。

 語源の詮索はさておき、最近のCDには、かつての巨匠のアンコール曲を集めたものが見られます。これが実に楽しい。私が手始めに聴いたのは、3年くらい前に購入したチェルカスキー(1911〜95)のアンコール集で、偶然に2人の友人もその演奏に酔っていることを知り、そこで聴くことのできる有名、無名の小品に話が弾みました。チェルカスキーのCDの内容は以下のとおりです。

 シューラ・チェルカスキー・ライブ(Vol.3)“アンコール集”
  パデレフスキ:メヌエット Op.14-1
  チャイコフスキー〜ナーゲル:ただ憧れを知るもののみが Op.6-6
  ショパン:ワルツ ホ短調 遺作
  ラフマニノフ:VRのポルカ
  ショスタコーヴィチ:バレエ「黄金時代」よりポルカ
  スクリャービン:練習曲 嬰ハ短調 Op.2-1
  バラキレフ:東洋風幻想曲「イスラメイ」
  チェルカスキー:悲愴前奏曲
  シンディング:春のささやき Op.32-3
  アルベニス〜ゴドフスキー:タンゴ Op.165-2
  モーツァルト:トルコ行進曲
  ドビュッシー:アラベスク第1番
  レビコフ:クリスマスツリー
  ラフマニノフ:エレジー Op.3-1
  モシュコフスキ:愛のワルツ 変イ長調 Op.57-5
  シベリウス:ロマンス 変ニ長調 Op.24-9

 このCDは、1979年から91年のイギリス各地でのチェルカスキーのコンサートから、アンコール曲を集めたようで、各曲が終わるたびに盛大な拍手が入っています。チェルカスキーの演奏でまず驚くのは、音の豊かさ、フォルテからピアノまで暖かく豊かな音色です。また、これらの多様な、古典からロシア、フランス、現代にいたる曲を個性豊かにこなしています。

 さらに、モシュコフスキーやシンディングのようなどちらかというと内容の薄いサロン曲を鮮やかな手並みでさばいています。逆に、技術的難易度の高いバラキレフのイスラメイを余裕たっぷりに弾いているのです。CDの解説に出谷啓氏が書いているように、“偉大な芸術家は最高級の芸人である”という見本なのかもしれません。

 以前、音楽関係の書物に、ギーゼキングのアンコールは曲数が多く、それだけでも小さなプログラムを形成していたということが記されていました。アルトゥール・ルービンシュタインは、アンコールの最後にファリャの火祭りの踊りを持ってきて、聴衆と家族へのコンサートのエンドマークにしていたようです。過去の巨匠たちにとって、アンコールが演奏家としてのくつろいだ表現法であったと言えましょう。

 さて、この1年に、ホロヴィッツとコルトーのアンコール集を入手しました。対照的な演奏の2人ですが、アンコール集に一貫して流れるヴィルトゥオーゾだけが持つ雰囲気は共通のような気がします。

 まず、ホロヴィッツ(1904〜89)のアンコール集です。

 ホロヴィッツ・アンコール
  ビゼー〜ホロヴィッツ: カルメン変奏曲
  サン・サーンス〜リスト〜ホロヴィッツ: 死の舞踏
  モーツァルト: トルコ行進曲
  メンデルスゾーン〜リスト〜ホロヴィッツ: 結婚行進曲と変奏曲
  メンデルスゾーン: 無言歌より エレジー Op.85-4
                 春の歌 Op.62-6
                 羊飼いの訴え Op.67-5
  ドビュッシー: 人形へのセレナード(子供の領分より)
  モシュコフスキ: 練習曲 変イ長調 Op.72-11、ヘ長調 Op.72-6
  モシュコフスキ: 火花 Op.36-6
  ショパン: 英雄ポロネース 変イ長調 Op.53
  シューマン: トロイメライ (子供の情景より)
  メンデルスゾーン: スケルツォ・カプリチオよりプレスト
  リスト〜ホロヴィッツ: ラコッツィ行進曲
  リスト: 忘れられたワルツ 第1番
  ラフマニノフ: 前奏曲 ト短調 Op.23-5
  スーザ〜ホロヴィッツ: 星条旗よ永遠なれ

 1942年から1981年にかけての演奏で、コンサートで収録した曲が数曲含まれます。きらびやかな音で、名人芸という言葉そのものです。選曲においても彼のピアニストとしての個性を伺うことができます。最後に、お定まりの“星条旗よ永遠なれ”が入っています。全く個人的な趣味を言うならば、彼の立ち上がりの鋭い音色よりも、チェルカスキーの柔らかい音色が好きですが、好き嫌いを超えた時点の名人芸と言えるでしょう。

 続いて、アルフレッド・コルトー(1877〜1962)のアンコール集をご紹介します。

 アルフレッド・コルトーの遺産(第11集)ポピュラー・アンコール(T)
  ブラームス〜コルトー: 子守歌 Op.49-4
  シューベルト: 楽興の時 ヘ短調 Op.94-3
  J.S.バッハ〜コルトー: 合奏協奏曲 第5番より アリア
  パーセル: ハープシコード組曲 第1番、第8番より メヌエット
  シューマン: 予言の鳥 Op.82-7
  ショパン: 練習曲 黒鍵 変ト長調 Op.10-5
  ショパン: 練習曲 ヘ短調 Op.25-2
  ショパン: 練習曲 蝶々 変ト長調 Op.25-9
  ショパン: 夜想曲 嬰ヘ長調 Op.15-2
  ショパン: タランテラ Op.43
  ショパン: 子守歌 Op.57
  ショパン: ワルツ 変ニ長調 小犬のワルツ Op.64-1
  ショパン: ワルツ 嬰ハ短調 Op.64-2
  ショパン: ワルツ 変イ長調 別れのワルツ Op.69-1
  ショパン: ワルツ 変ト長調 Op.70-1

 これは、コンサートでの収録ではなく、1954年5月4日のテープ録音で、この時、コルトーは15曲休みなく一気に演奏したということです。70才を過ぎたコルトーの貫禄が伺えます。

 私には、コルトーのショパンは何となく病的なイメージがあったのですが、ここに聴くコルトーは、繊細ではあっても、病的ではなく、テンポルバートが意外にも少ない現代的な演奏です。コルトーの弾くピアノ曲は、桜の花びらがはらはらと散るように、軽くはかなげでありますが、どこかにしっかりと芯があります。

 難解なコルトー版のショパンの楽譜にある練習法をすれば、あのような演奏が可能になるかもしれません。しかし、私は思います。彼はすぐにこのCDのように弾けたのではないか。余った時間を活用して、我々凡人のために、あのような面倒くさい練習法を書いたのではないか。どの曲でも、この世のものでない美しい音が聴けます。ショパンのタランテラや黒鍵のエチュードで顕著ですが、ペダルも少な目で、クリアな音楽を作っています。得意な各曲に対する自信の成せる技でしょうか。

 近頃のアンコールの選曲は、知的要素が強いように思います。本プログラムとの調和を考慮し、作曲家と作風が選ばれます。場合によっては、調性まで考慮に入れられるようです。

 ここで挙げた今世紀初頭から半ばに活躍したヴィルトゥオーゾ達のアンコール集に感じるのは、得意のアンコール曲で観客を興奮に陥れるとともに、自分も演奏を楽しもうという姿勢です。神経質さがなく、大道芸人のようなサービス精神を感じます。本来、アンコール曲の持っていた意味は、こちらではないのでしょうか。演奏家の十八番で、演奏会をさらに思い出深いものにする...。その時、聴き手は演奏家の素顔に触れたような気がするのです。まるで、一緒にティータイムを過ごすかのようにすぐそばにいる巨匠を感じます。

 さて、あなたは、どの巨匠とお茶を飲んでリラックスしますか。

(1997.5.31)

 追記:楽しいアンコール集があれば、ぜひ筆者までご一報下さい。