シリンクス音楽フォーラム 25

Visiting Bayreuth

バイロイト体験記(3)

伊達 容子


 バイロイトには10日間滞在した。祝祭はつねに(ラインゴルトをのぞいて)午後4時に始まるので結構暇である。大抵の人は昼過ぎまで町を探索し、しかる後に祝祭劇場に繰り出す、という行動をとるようである。バイロイトは決して大きな町ではないし、しかも見所は旧市街に集中しているとはいえ、10日間の滞在が充分かと言えば否と言わざるを得ない。

 例えば、ヴァーンフリートなどその気になれば何箇月でも過ごせる。建物自体が広く、しかも迷路のようで、その迷路上の1室毎に展示された膨大な資料を詳細に調べ、視聴室でヴィデオやCDを鑑賞していれば時間は無限に過ぎていく。尤もいかなるヴァーグナー狂でもそこまでヴァーンフリートに入り浸ることはないだろうが。(迷妄―ヴァーン―が平和―フリート―を求めるどころかヴァーンから永久に逃れられなくなってしまうであろう。)

 バイロイトの最も美しい建物はオペラハウスである。これは、フリードリヒ大王の妹ヴィルヘルミネがバイロイトに嫁いできたとき、ここをベルリンに倣って文化の地にしようと試みて建てたものである。ヴァーグナーがバイロイトにやってきたのは、このオペラハウスでの自作の上演を薦められたからであった。

 しかし、この初期バロック様式の優雅な建物は彼の作品にそぐわない。勿論建築様式だけでなく音響などにも彼を充分納得させるものが無かったのかもしれないが、彼の地は気に入ったらしく、幾多の困難を乗り越えてここに祝祭劇場を作った訳である。

 私がバイロイトで最も足繁く通ったのは、さるピアノメーカーであった。その名をスタイングレーバーという。ここのピアノがすっかり気に入ってしまって、随分長い時間弾かせてもらった。工場も見学できることになっているが、必ず木曜日の4時から,即ち祝祭劇の開始時間から、と設定されている。

 これは、要するに、祝祭に参加する人を工場見学から排除しようという魂胆なのだろうか。(因みにこの年は7月25日から8月28日までの祝祭期間中、木曜日には何らかの上演があった。)次の機会にどうぞ、と軽くいなされてしまった。次の機会には是非見学しよう。

 8月17日 この日は祝祭劇場は休みであった。休みの日は何をするか。バイロイトの町は祝祭のある日でも見学できるので、休みの日には他の町、具体的には電車で1時間くらいのニュルンベルクやバンベルクに出かける、というのが一般的なようだ。私もご多分にもれずニュルンベルクに出かけた。

 ニュルンベルクは1日で見ることはできない。旧市街に主要建造物のかなりの部分が集中していて歩いて廻ることができるのだが、例えばゲルマニア国立博物館などその歴史的な建物そのものと展示物をゆっくり鑑賞するのに(語学のハンディも考慮して)3日はほしい。中世の教会と修道院を中核にしたこの博物館は、まず中に入るだけで歴史を感じさせてくれる。

 私がいったときは訪問者が少なく、長い回廊にも私一人という幸運を味わうことができたが、展示も生半可ではない。これは何もここだけに限ったことではないが、つまり欧米の博物館が一般にそうであるように、質量共に徹底している。それも私が一番見たかった楽器の展示を始め一部は閉鎖されていたにも拘わらずである。しかし、私に与えられたのはたった一日。足早に次に向かった。

 カイザーブルクとその前のデューラーハウスなど、建物の前に立つだけで中世にいるという錯覚に陥る。さらにこのあたりは小高い丘になっており眺望もきく。難点はニュルンベルク随一の人気ポイントということで人が多いことである。デューラーハウスは自由に見学できるが、カイザーブルクはガイディッドツアーに参加しないと中を見学することはできない。人の多さゆえ当然待ち時間が必要になってくる。20分ほどの待ち時間であったが長く感じた。

 一般にドイツの城、宮殿はガイディッドツアーでのみ見学させるようである。ヴァルトブルクしかり、ポツダムのサンスーシー宮殿(ドイツ人はザンズッチと発音する)しかりである。

 サンスーシーなど1時に申し込んでやっと4時のツアーに参加できた。見学者はまず大きなスリッパを履くように指示される。床を保護するためであるが、日本式に靴を脱いで素足で歩くという発想はないようである。私など靴の上からスリッパを履くという発想が湧かず、困惑してしまった。ガイドが一室ごとに説明するのだが、ガイドのいない空間には絶対に見学客が入り込まないようにしている。保護する姿勢が徹底的というか秩序を重んじるというか犯罪者扱いしているというか…。

 ここでのガイドはドイツ語でなされるが英語、仏語、西語、さらに日本語、中国語などのパンフレットが備えてある。(もっとも日本語のパンフレットの所在を確かめたとき、彼女はどのパンフレットが日本語なのかわからなかった。我々にとって日本語、中国語、ハングル語の区別は自明であるが、西洋人にその区別がつくわけがない。)

 そして、ドイツ人はこのガイディッドツアーがお気に入りのようである。ガイドは立派な職業だし、彼らと一般見学客との対話は自然でしかも知的である。

 これらの建造物で先ずなされる説明はその歴史であるが、つまり何年に、誰が建てたか、ということだが、その後についてくる 説明は、大抵の場合いつ破壊されていつ修復されたか、ということである。ドイツの戦禍は想像を絶するものがある。且つ、その修復にかける情熱も想像を絶するものである。戦後50年も経ってるとはいえ中世の町並みを始め歴史的遺物に対する深い愛着があるからこそ修復可能なのだ。

 ニュルンベルクの中央に聖ローレンツ教会が聳え立っている。ここにもガイディッドツアーがあり、ゴチック建築のその塔に登らせてもらえた。上部ほど狭く、急になる階段を、梁に阻まれつつ登り詰めると、ニュルンベルクが一望のもとである。美しい町並みの彼方に巨大な建物がよこたわっている。第三帝国の会議堂である。周辺とのあまりの違和感のため絶望的なまでに醜怪に感じられるが、ドイツ人はしたたかに、今もここを利用している。良きドイツと悪しきドイツの二面性というべきなのか。


 ある日、投宿先のP夫人からアンケート調査を受けた。バイロイト大学からの依頼とのことであるが、質問は多岐にわたっている。普段どのようにヴァーグナーに接しているか、という質問から果ては年収まで。私が一番困ったのはヴァーグナーの作品で一番好きなのは何か、というのであった。トリスタンとジークフリートとどっちがすきか、なんて答えられるだろうか。

 しかし、P夫人の答えは明快であった。彼女はなんの躊躇も無くタンホイザーを選んだ。あの宗教的合唱は彼女のような敬虔なカトリック信者にはなにものにも勝るらしい。これは私には図式としては理解できても、感覚的に理解できないことである。且つ、そこに決定的な欠落を感じるのは私だけではないだろう。

 その次に困ったのは、ヴァーグナーを知ってから人生が変わったか、という質問であった。“Ja”とは答えたものの、どのように変わったかを日本語でも説明するのに困るのに、どうしてドイツ語で説明できるのだろう。

 その他、言葉についての質問もあった。ヴァーグナーの言葉は古語に属するらしく、現代のドイツ人にとっても分かりにくいようだ。私にとってはどっちみち不慣れなドイツ語だから同じなのだが。ただ、M氏が持っていたENO(English National Opera)のリブレットを見たとき、納得した。

 ENOはつねに現代語でオペラを上演する。したがってヴァーグナーも現代英語に翻訳されているのだが、それまでよく見ていた英訳との差は一目瞭然であった。しかし、ヴァーグナーを現代ドイツ語に置き換えて上演しようという動きが今後起こるとはおもえない。

 劇場の不備についての質問もあった。M氏は椅子が狭いといっていたが、そして、私もこれは騒音の原因になるので同感であったが、この苦情はまず聞きいれられないだろう
 また、チケットの入手の困難さにも話題は及んだ。これはバイロイトの住民でも問題になっているらしい。特に旧東独と統一されてからはチケットの配分が悪くなったとのこと。アメリカのM氏も5年待ったらしい。これは日本と同じ状況である。しかし、P夫人は統一後6年待たされるらしい。日本人より長く待たざるを得ない、という事実に何となく釈然としないような、且つ現状を交換したくないような複雑な心境であった。



 8月18日、神々の黄昏。宇宙服もどきに身を包んだノルン。衣装担当のロザリエが非難されるところであろう。序奏の後に現れるジークフリートとブリュンヒルデはいまだに、甥・叔母である。ギービヒ家の人物ではグンターのシュトゥルックマンが印象的であった。トリスタンとイゾルデのクルベナールを演じたときと同様、役柄上の性格と彼固有の性格が一致しているのか演技というより地をそのまま出しているという感じであった。

 続く第2幕は圧倒的。主役はブリュンヒルデである。彼女の心理描写に主眼をおいている。彼女はジークフリートに裏切られる。しかしすべてはハーゲンが仕組んだ罠である。そうとは知らず彼女はハーゲンと徒党を組んでしまう。だが、舞台の上ではハーゲンの陰謀という視点ではなく、それに陥れられたブリュンヒルデを中心にとる視点が取られる。ポラスキーはその抜群の歌唱力と視覚に訴える力とで演出をしのぐ存在感を示した。

 第2幕の最後にヴォータンのプラカードが現れたが、これは、すべてがヴォータンの計画、ということであろうか。よく分からなかった。第3幕の葬送曲でまたもや幕。最後まで私の欲求不満は解消されなかった。それにしてもブリュンヒルデのポラスキーは本当に素晴らしい。彼女に匹敵する力量を持つジークフリートの出現を待ちたい。

 バイロイト祝祭劇場は丘の上にある。私の投宿先であるP家は祝祭劇場から徒歩20分のところにあるが、ここを出るとすぐ祝祭劇場が見える。見えるのに、歩けどもなかなか着かない。要は丘の上にあるからなのだ。“丘”に呼ばれる、“丘”に登場する、というのは、比喩的な表現ではなく事実として丘に呼ばれ、登場するのである。

 丘の頂点に劇場が鎮座し、その周辺はよく手入れされた公園になっている。1時間のインターミッションを、その公園を散策したり、或いは隣接のレストランで空腹を癒したり、思い思いのときを過ごす。やがてファンファーレが鳴り響く。各幕の開演15分、10分、5分前に次の幕の1節が正面バルコニーで奏される。観客は徐に丘の頂点目指して歩き始める。

 これは、聞き知っていたが実際にその像を結ぶことのできないことであった。バイロイトの地にあって初めて実感できた。別にとりたてていうほどの光景ではないのだが、実際に見ると,やはり何がしかの感動がある。特に、神々の黄昏の第3幕のファンファーレを聞くと、(まさにその時は黄昏時であったのだが) もうこれが最後、と感慨無量であった。

 それにしてもこの日のオーケストラは出色のできであった。前日の休養が奏功したのか知らないが、気合が入っているというか何かピカピカのアウラがその場を支配していた。聴衆も気合いが入っていた。第3幕の冒頭でホルンが勢いあまってかミスタッチ(ホルンの場合もこう呼んでよいのか分からないが)を犯したのに対しなんとも暖かいどよめきが起こったのも、その証左であろう。

 やがて、ブリュンヒルデは自らを火の中に投じ、ヴァルハラは炎に包まれ、ラインの黄金は娘たちに帰する。壮大な愛のテーマのうちに全てが終わった。この年の7演目を見終えた満足感と幾ばくかの欲求不満とを抱きつつ帰路についた。

 勿論満足感のほうがはるかに大きい。ヴァーグナーの音楽に浸りきった日々は何物にも代え難い。ヘルデンテノールの不在も圧倒的な感動に比べれば些細な問題である。何としても5年後またいきたい。P夫人は毎年バイロイトに来るために音楽批評家になることを提案してくれた。これはあくまでバイロイト御用達で、批判してはいけないそうであるが。とにかく特殊な空間なのだ。現実からの完全な遮断が許される特殊な時間なのだ。現実からの逃避ではなく、ヴァーグナーの空間はそれ自体で存在する世界のようにおもえる。今後日本での、あるいは世界中でのチケット争奪戦が加熱しないことを祈りたい。

― 完 ―