シリンクス音楽フォーラム 25
Syrinx room-music

解説 歌とピアノによるヨーロッパ紀行



PART1 ドイツの森へ


 明治以来ドイツ音楽は日本人がもっとも親しんできた西洋音楽です。音楽を通じてドイツを旅し、その季節に、自然に、愛に、森の中の物語に親しんでいます。ドイツに行ったことがなくとも、その風土は私たちの感性の中にいつのまにか溶け込んでいます。

フランツ・シューベルト
(1797ヒンメルプフォルトグルント(現ウィーン市内)〜1828ウィーン)

 2回にわたるハンガリーのゼレチュ滞在やシュタイルへの旅行を除き、生涯をウィーンで過ごす。今年が生誕 200年に当たる。ミニヨンはゲーテの小説「ヴィルヘルム・マイスターの修行時代」に登場する薄幸の少女の名。

春の信仰(ウーラント詞)
 風がやさしく目を覚まし、昼となく夜となく、ざわめき吹き寄せる。いたるところで風が起っているんだ。新鮮な香り、新しい響き。さあもう恐れることはない。これからは何もかもが変わっていくぞ。
 まわりの世界は日に日に美しくなり、さてこれからどんなことが起こるのか。満開の花は限りなく、誰も行ったことのない谷間にも花は満ちている。さあ苦しいことは忘れてしまおう。これからは何もかもが変わるんだ。

ます(シューバルト詞)
 透き通った流れの中を気まぐれなますが嬉々として矢のように、元気に泳ぐ。ぼくは小川の岸に立ち、安らかな気持ちでますの泳ぎを眺めていた。
 そこに一人の釣師が現れ、岸辺で冷酷に魚を見つめはじめた。でも川の水が濁って、ますの目がくらまされるようなことがない限り、ひっかかることはあるまい。
 しかし魚の盗っ人は待ちきれなくなって水をわざと濁し、一瞬その竿が動くやますは釣りあげられ、体をくねらせもがいていた。ぼくには、その騙された魚を穏やかならぬ気持ちで見ていることしか出来ないのだ。

ミニヨンの歌(ゲーテ詞)
 あこがれを知る人だけが、私の悩みを知っていてくれます。たった一人で、喜びからはすべて離れて私は空の彼方を仰ぎ見るのです。
 以前私を愛し私の心を知っていてくれた人は今は遠くにいます。もう目はくらみ、からだは燃え尽きそうです。
 あこがれを知る人だけが、私の悩みを知っていてくれるのです。

ミニヨン(ゲーテ詞)
 レモンの花の咲くあの国を知っている?。ほの暗い葉陰で金色のオレンジが燃え、真っ青な空からは風がやさしく吹く。そしてミルテの木は音もなく月桂樹は高くそびえるあの国を。
 その国にあなたと一緒に行きたい!私の愛する人、あなたと一緒に行きたいのです。
 石の柱の上をアーチの屋根が覆っているあの屋敷を知っている?輝く大広間、きらめく部屋が並び、大理石の像が私を見つめて、どんな悲しい目にあったのかと尋ねてくれるあの屋敷を。
 そのお屋敷にあなたと一緒に行きたい!私の愛する人、あなたと一緒に行きたいのです。
 ラバが霧の中の道を探しながら進む、あの雲のかかっている山を知っている?洞窟には龍の一族が住み、岩がそびえ、水がその上をはしり落ちるあの山を。
 その山へと私たちの道は通じているんです!私のお父さん、そこへ私たちは行くのです。

ロベルト・シューマン
(1810ツヴィッカウ〜1856エンデニッヒ(ボン近郊))

 ライプチッヒ大学、ハイデルベルク大学で法律を勉強。ライプチッヒで音楽活動を行うが、のちドレスデン、デュッセルドルフに移る。歌曲集「ミルテの花」はライプチッヒ時代の作品。

くるみの木(モーゼン:詞)
 家の前に立つ一本のくるみの木。枝を高く伸ばし緑豊かに葉を広げている。咲き乱れるかわいい花をそよ風がそっと抱きしめる。
 花たちは2つずつ対になり、頭をやさしくかしげてキスをしようとしているよう。ささやくのは一人の少女のこと。夜も昼も物思いにふけり、しかし何を考えているかが分からない少女のこと。
 花たちがささやき交わすのが、そのひそやかな話し声が誰に分かろう。ささやくのは、花婿のこと、来る年のこと。少女は聴き入り、くるみの木はさやぎ、少女は憧れ、思いめぐらしながら、眠りへと、夢へとほほえみながら沈み入る。

はすの花(ハイネ詞)
 はすの花はきらめく日差しにものおじして、首をうなだれ、夢みつつ夜を待つ。月こそがはすの花の恋人。その光で目覚め、親しげにつつましい素顔を見せてくれる。はすの花は咲きこぼれ、燃え、光り輝いて天を見つめる。匂い立ち、泣き、おののくのは愛と愛の悩みのため。

ヨハンネス・ブラームス
(1833ハンブルク〜1897ウィーン)
 生地ハンブルクで過ごした後、29歳でウィーンに出て以降はそこで活動。シューマンとは20歳の時、デュッセルドルフで会っている。今年が死後 100年に当たる。

永遠の愛について(ヴェンツィッヒ詞)
 森や野原の暗いこと。日は暮れ、あたりは何の音もしない。光もなく、煙も上がらず、ひばりさえ今は黙ってしまった。
 若者が村から出てきて恋人を送っていく。柳の林を通り過ぎながら語り合う。
“あなたが僕のことで悲しい目にあい、僕のことで恥ずかしい目に会ったら、ちょうど僕たちが結ばれたときと同じくらいに速く、愛はたちまち引きさかれてしまうんだろう。雨が降るたびに、風が吹くたびに離れ離れになってしまうんだろう。”
 少女は語る。“私たちの愛が引きさかれてしまうことはありません。鉄や鋼が堅いといっても、私たちの愛はもっと堅いのです。鉄は鋼は形を変えれても、私たちの愛を変えることは誰にも出来ないわ。鉄や鋼は溶けても、私たちの愛は永久に続くのよ。”

子守歌(第1節 子供の魔法の角笛より;第2節 シェーラー詞)
 おやすみ、おやすみ。ばらにおおわれ、なでしこに飾られて、毛布に入ってね。神様のお守りによって、あしたにまた元気に目覚めますように。
 おやすみ、おやすみ。天使様に、夢の中でクリスマスツリーを見せてもらってね。夢の中の天国で喜びに浸されますように。



PART2 フランスの陽光を求めて


 フランスの音楽を通じて出会うのは、より近代的なものであり、都市の景観、洗練されたエスプリ、あるいはパリのキャバレー、印象派の絵画です。時に田園地方へ行けば太陽があふれた風景です。ドイツと対照的なフランスの感性も近代の日本の伝統の一つの流れにになっています。

エリック・サティ
(1866オンフルール〜1925パリ)

 13歳でパリに出る。モンマルトルのキャバレーでピアノを弾いていた時期もある。32歳の時にパリ郊外のアルクーイユに移り、多くの芸術家と交わる。「お前が欲しい」はキャバレー・ソング。「ピカデリー」は当時アメリカで流行していたラグタイム。

クロード・ドビュッシー
(1862サン・ジェルマン・アン・レ〜1918パリ)

 パリで活動。モスクワ旅行、ローマ賞を得てのローマ滞在、バイロイト訪問、イギリス旅行などもある。サティと交友関係があったが後に仲違い。前奏曲集1巻の第2曲"Voiles"は以前は「帆」と訳されていたが、最近ではパリの踊り子のまとう透明なヴェールであるとも言われている。アナカプリはイタリア、ナポリ近くカプリ島の丘。

フランシス・プーランク
(1899パリ〜1963パリ)

 パリの裕福な家庭に生まれる。サティの影響のもとに音楽活動を始め、フランス6人組の一人として若くして名声を得た。パリとツーレーヌ州ノワゼの別荘で暮らす。

デオダ・ド・セヴラック
(1872オート・ガロンヌ州サン・フェリックス・ド・カラマン・アン・ローラジェ〜1921ピレネー・オリアンタル州セレ)

 9世紀までさかのぼれるという古い家系の家に生まれる。曾祖父はルイ16世の海軍大臣。ツールーズの大学、コンセルヴァトワールで法律、音楽を学ぶ。後パリのコンセルヴァトワール、スコラ・カントルムへ。南フランスでの活動を中心としながらパリでも音楽活動を行う。南仏の地方色を色濃く反映した 絵画的なピアノ曲や歌曲、オペラなどの作品がある。マイヨール、ルドン。ピカソらと親交。「鳩のとまっている水鉢」は未完成の遺稿をB.セルヴァが仕上げた。