シリンクス
音楽フォーラム


No.26
1997年 冬


目 次

レビュー  演奏会  油井 康修  「ブラームスはお好き?」 − 秋は室内楽の時節

レビュー  C D  北岸 恵子  天翔けるプレリュードとフーガ

レビュー  C D  北岸 恵子  古いピアノは骨董品? − 浜松市楽器博物館を訪れて

レビュー  本    井上 建男  反(アンチ)メソッドによる身体の解放

私のフィンランド体験記  田原 昌子

ピアノよもやま話  森田 裕之  ピアノ再発見のために(5)

コンサート・オン・エア(15)  高橋 隆幸
    ジュリアード弦楽四重奏団 − 伝統への回帰と落日の輝き

雑誌・冊子(3)
    アカデミア・ニュース(新着 近着 輸入音楽書・楽譜案内)
    国内版・外国版楽譜音楽書展望
    楽譜音楽書展望 クラヴィアトゥール

編集後記

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Review / Performance
油井 康修

「ブラームスはお好き?」 − 秋は室内楽の時節


第2回 セレス・アンサンブル演奏会
1997年9月17日
長野県丸子町セレスホール

ウィーン室内楽アンサンブル
1997年9月23日
長野県県民文化会館

ラルキブデッリ………アンナー・ビルスマとその仲間たち
1997年10月16日
浜離宮朝日ホール

附 ポンピドー・コレクション(東京都現代美術館)


 という表題を捻り出したけれど、これまでのレビューも大方が室内楽の様なものばかりで、看板に比べ中身の素材の方はあまり新鮮味はないようです。オーケストラやオペラなどももっと取り上げたいのですが、如何せん、そのためには先立つものもなければならないところが辛いところであります。

 それにしても大編成のものはどうしてああも高いのでしょうか。実際の採算とか費用計算とかは知り得るところではないので何とも言えないのですが、東京で海外からの有名なオーケストラを聴こうとすれば、SないしA席ぐらいだと2万円前後は普通のようです。オペラも3万円以上、中にはいくつかの演目をセットにして20万円、30万円というのもあります。こんなすごいチケットを買える人が日本にはいるのかと、そちらの方にも驚きを感じてしまいます。かくして当方にとっては、実は1年中が室内楽の時節なのですが、これでは表題に偽りありですねえ。

 さて今回取り上げるのは、以下の三つの演奏会です。

  第2回 セレス・アンサンブル演奏会
    ブラームス   ピアノ四重奏曲 第1番 ト短調Op.25
    シューベルト  ピアノ五重奏曲 イ長調 「ます」 Op.114 D.667

  ウィーン室内楽アンサンブル
    マーラー    ピアノ四重奏曲の断片 ト短調
    ドヴォルザーク 弦楽四重奏曲 第12番 へ長調 「アメリカ」 Op.96
    ブラームス   ピアノ四重奏曲 第1番 ト短調 Op.25

  ラルキブデッリ………アンナー・ビルスマとその仲間たち
    ボッケリーニ  弦楽三重奏曲 ハ短調 Op.14-2
    シューベルト  弦楽三重奏曲 第2番 変ロ長調 D.581
    モーツァルト  ディヴェルティメント 変ホ長調 K.563


[I]


 最初の二つは地元での演奏会です。それも一週間のうちにブラームスの同じ曲を二回も聴けるというプログラムだったのです。解説によれば今年はブラームス没後100年とのこと、それにしてもピアノ四重奏といういささかやりにくい形のものが重なったのは面白いことです。いかにも対比して聴いてくださいといわんばかりでしょう。因みにシューベルトのほうも生誕200年ということのようです。

 セレス・アンサンブルは咋年スタートをしたばかり、それもセレスホールを根城にしており、その辺の経緯は何回か前のレヴューで触れたとおりです。勿論リーダーは浦川宜也氏、解説付というのも前回に同じです(これはなんとかしてもらいたいんだけどなあ)。一方ウィーン室内楽アンサンブルの方は長野県県民文化会館とウィーン楽友会館との姉妹提携に基づき、さらに来年2月の長野オリンピックの文化・芸術祭参加の一環として招聘されたものです。

 オリンピックを盛り上げるために様々な文化事業が執り行われているのですが、地元の私自身全部が全部分かっている訳ではありません。それにオリンピック自体これだけ大規模なイベントがそもそも私たち地元民にどうかかわっているのか、他人事のように聞こえるかも知れませんが、実はよく分かりません。町の一部(長野市周辺)が造り変えられていったり、高速道路が出来たり、新幹線が走ったり、オリンピックを間近にして日に見える物はずいぶん増えています。しかしこんなに私たちの回りが変わってしまっていいのかしら、という素朴な疑問は禁じ得ません。

 長野から少し南に下った当たりから西に見えるのが姥捨山というのですが、姥捨て伝説は御存じの方も多いと思います。「楢山節考」という深沢七郎の小説はこの話に取材したものでした。その姥捨山をよぎって篠ノ井線という鉄道が走っています。一本の鉄道ですので下から見上げても見える訳ではないのですが、夜間には暗い山の中腹を一本の線を描いて列車が通って行くのはなかなか風情があるものでした。姥捨山をよぎって夜汽車はそのまま銀河鉄道に……といった連想も悪くないものでしょう。

 所が今は鉄道に平行して高速道路が造られたため、一晩中道路の周辺はギンギラしていて風情どころではないし、昼間は削られた山肌が見えてしまい、これまた興醒めの景色になってしまいました。高速道路というのは確かに便利この上ないのですが、長野県のような山国に造るとなるとどうしても山を削る仕儀に相成り、いかにも見た目によろしくないのです。

 一方新幹線の方も便利この上ないのは言うまでもないのですが、これまた問題を残しております。在来線は信越本線といいます。この鉄道自体は赤字路線ではないのでもともと問題の線路ではありませんでした。ところが新幹線が通るというので、その一部軽井沢・横川間は鉄道廃止(鉄道の世界では有名な碓氷トンネルがこの区間にあります)、篠ノ井・軽井沢間は「信濃鉄道」という第三セクターになってしまったのです。

 オリンピックの様々な施設もどんどん造られています。オリンピック後も使えるとなれば、地元にとっても大変ありがたい訳ですが、中には維持費がかかり過ぎてオリンピック後壊されるものもあると言います(1日の経費が100万だったか200万だったかで、とてもそれに見合うお客は来そうにありません)。それにこれだけの建設ラッシュにもかかわらず、地元の建設会社はおおむね下請けかそのまた下請けといいます。本当に地元の利益になるのはいかほどなのでしょう。

 いささか脱線が過ぎたのでそろそろ切り上げますが、それにしてもこれ程の大開発は長野県では恐らく初めてでしょう。便利になるのはいいが、思わざる問題も多々残されたように思います。

 そういえば開発ついでに言うと、京都駅も随分長く工事中でした。京都は観光が大きな看板の町、そのような町の入り口があのように長く工事中だったというのは観光都市の名が泣くなあと思ったものです。実際のところ久々に京郡を訪れても玄開口があのようでは何かがっくりしてしまいます。もっと短期で造りあげる計画を立てるべきではなかったでしょうか。

 シューベルトの「ます」はなんといっても楽しい曲、シューベルトにしては、いささか陰りの少ない曲といえましょう。ピアノが高音部にウエイトを置いて書かれているので、そんな印象になるのでしょう。しかし清冽な響きは「ます」の名にふさわしいものです。曲のあだ名にもなった「ます」の変奏曲もそれほど大きな変化のあるものでもなく、分かりやすい曲になっていると思います。

 演奏に関していうと、ピアノは米川さんという女流で、それほどバリバリ弾く感じではないのですが、浦川氏のヴァイオリンはなかなか繊細な音色でちょっとピアノとでは音が聴き取りにくいように思いました。この人の場合、やはり弦だけで、例えばシェーンベルクの「浄められた夜」の様な曲が聴いてみたいものです。

 ウィーンには色々な室内楽団があるようですが、私にはどれがどれとあまり区別も出来ません。ウィーン室内楽アンサンブルの弦の3人はウィーン交響楽団に所属していると解説にありました。マーラーの「断片」は初期の頃の曲らしく、交響曲に伺われるマーラーらしさ・独特の人間臭さとでもいう物は感じられませんでした。毒気の薄いブラームスといったところでしょうか。ただ第一ヴァイオリンがウィーン風且つなかなか輝きのある音質で、後が楽しみと思いました。

 ところが残り2曲はビルギッツ・コーラという女流ヴァイオリニストが第一ヴァイオリンでした。解説のプロフィールもこちらに多くスペースを割いていたのでまあ彼女が格上なのでしょう。しかしこの夜は調子が余り好くなかったのか、はたまた元々こうなのか、先のクリメク氏に比べ音が幾分冷たいし、時々音程も不安定でした。とりわけ他の弦のメンバーとの乗りがイマイチなのが気になりました。ひたすら一人で弾いているという感じで、他のメンバーと目を交わしたり呼吸を合わせるという様子がなかったわけです。

 ドヴォルザークの「アメリカ」は私の中にある印象からすると、幾分遅いテンポで始まりました。これはちょっと違う演奏が聴けるかなと期待したのですが、それだけのことでした。どうもコーラ女史のヴァイオリンはこの夜は微妙な味わいを弾き分けるところまでいっていなかったようです。緩徐楽章も何か潤いに乏しくてこんな曲だったかなあといささか腑に落ちず、家に帰ってスメタナSQのものを聴いてみると、なつかしい響きがよみがえってくるのでした。

 さて表題にも使ったブラームスです。実のところ今までにこの曲を聴いたことはあっても一・二回でしょう。ブラームスのピアノの加わった三重奏・四重奏は、確か三曲づつあったと思うのですが、聴いたことのある曲もそれほど印象に残っていないし、聴いたことのない曲もあって、分明定かならずというところが有るのです。聴いた曲で残っている印象は、いかにもブラームスらしい響きはあれど、それ以上にこちらの心に食い入ってくるものが今一つ弱いのです。これまでのそんな経験から、逆に今度二回も続けて同じ曲が聴けるのは今まで良く知らなかったブラームスのピアノ四重奏曲に親しむいいチャンスだと思った次第でした。

 二回聴いて印象に残ったのはいずれも最終楽章です。ややワイルドな感じで始まるテーマ、解説にはジプシー風と有りましたが、なんとなくインディアン風とでもいう感じ、しかも時には急にウィーン風の品を作った旋律が出現したり、なかなか変化に富んでいて楽しめました。しかしどうもそれ以上でもないんですねえ。ピアノ入りというとどうしてもピアノ五重奏曲が念頭に浮かんでしまいます。あの灼熱のごとき高揚に比べると、ということがあります。もっともこのような比較はあまり意味がないかも知れません。この曲はこの曲で楽しめれば十分なのでしょう。


[II]


 さて、次ぎはブラームスではなく、またまた看板に偽り有りなのですが、しばらく前から活発な演奏を(といっても演奏会はどのくらいかはよく知りません、CDの出現度合いからすると、ということですが)繰り広げているラルキブデッリを取り上げて見ます。この夜も演奏されたモーツァルトのディヴェルティメントは私の大好きな曲の一つ、知り始めたころからずっとウェストミンスターのロンドンフィルのメンバーでの演奏で楽しんで来ました。かつて友人に結婚のお祝いにこのレコードを贈ったこともありました。

 ところが数年前このラルキブデッリの演奏がCDで出て、「たまには違った演奏も聴いてみようか」、「古楽器による演奏というのも面白そうだ」などと思って買って聴いて見たところ、これがすばらしかった。古楽器演奏とはいっても、この団体に限らず最近の古楽器演奏の技術は現代楽器とほとんど差を感じさせません。時にはもう名人芸と言ってもいいくらいの演奏を聴かせる人もいます。そのうえ弦は羊腸弦によるソフトなつややかさで、全く申し分ありません。

 とにかくしばらくはこの演奏にどっぷり浸かってしまいました。いずれ一度はこのディヴェルティメントを実際に聴いて見たいものだという気持ちがしだいに募って来ましたが、昨年の秋ついにそのチャンスが巡って来たのです。その時はイスラエルの室内楽団だったと思います。ところがこの時は家の事情が生じ、結局涙を呑むことになってしまったのです。しかしどういう因果か、一年後のほぼ同じ時期にまた念願の曲を聞く機会に恵まれたということでした。

 場所は浜離宮朝日ホール、確か出来たときにホールの名称を募った事があったように思いますが、行くのは初めてのホールでした。浜離宮と名付けられているので本当に浜離宮の中にあるのかと思い、そうだと行くのがちょっと不便なので今まで敬遠していたのです。今回行くとなって調べてみると何のことはない、よく行く銀座のヤマハホールから徒歩10分もかからない、朝日新聞本社の会館内にあるのでした。500人ちょっとの座席、壁が木張りのこじんまりした小2階のあるホールで、紀尾井ホールと似た感じです。室内楽向きといえましょう。

 メンバーはチェロがアンナー・ビルスマ(彼がリーダーでしょう)、ヴァイオリンはヴェラ・ベス、ヴィオラがユルゲン・クスマウルの3人、CDのメンバーと同じでした。このうちビルスマについては、以前須坂のメセナホールで独奏会を聴いたことが有りました。その時は確かバロック・チェロを使っていて、楽器をひざだけで支えていたのを覚えていますが、今回はエンドピンの有るチェロを使っていて、たまにそれが滑るらしく苦労していました。クスマウルという人が左利きで弾いていたのもちょっと珍しいものでした。

 ボッケリーニというと有名なメヌエットくらいしか知りません。室内楽がかなり有るということはきいていましたが、聴く機会は有りませんでした。解説によれば弦楽三重奏だけでも50曲は有るということです。いまやビルスマ氏はボッケリーニの室内楽にゾッコンとのことらしい。この夜演奏されたハ短調の三重奏曲は四楽章の構成、第一楽章ではチェロが高音部で旋律を弾くかなり難しそうなところが有り、こんなところも聴かせ所かと思いましたが、テーマ自体はそれほど印象に残るものでもありませんでした。

 第二楽章の後半、突如ミューズの神がほほ笑むようなすばらしい響きが聴こえてはっとしました。それはゆるやかな曲の流れに沿って、なにかにじむように和声が変化していき今までのレベルからすっと掛け離れていったものでした。「真実は細部に宿る」とはこういうことを指すのかと思いました。しかしそれ以上展開もなく曲はそのまま第三楽章に流れこんでいってしまった感じでした。

 第四楽章はなかなか目の詰んだ曲で、ハイドンの終楽章の様、これは、と思った途端曲は終わってしまいました。確かにさえた部分があちこちに有るなかなかおもしろい曲でしたし、他の曲を聴いてみたいと思わせるものが有ったと思います。ただ曲の展開といったようなものは乏しく、また楽章間のバランスも不十分で、四楽章による楽曲構成が形成過程にあるもののようでした。

 シューベルトは、いうところの若書きというものでしょうか。初期のピアノ・ソナタと同じような印象を受けます。美しい所もあるが、様々なアイデアと曲の構成とがしっくり合っていない感じがします。第一楽章は思わせ振りに装飾的なヴァイオリンは、ちょっとベートーヴェンの弦楽四重奏曲第二番冒頭を思い出します。第四楽章はピアノ・ソナタニ長調(あの長大な)の終楽章風でした。部分部分の美しさを味わうといった曲でしょうか。

 最後にお目当てのモーツァルト、始まって数小節聴いただけで、これはもう発想のうえで数段の違いを感じてしまったのでした。ボッケリーニもシューベルトも瞬く間に色あせてしまい、天才の作品とはかくなるものかと痛感させられたのです。旋律の歌わせ方、楽器の組み合わせとフォルムの移り行き、どこをとっても見事としか言いようがありません。

 第一楽章の冒頭、トニカの和音をおもむろに[ド−ソ−ミ−ド]と下ってきます。これはユニゾンで弾かれますが、いささか深みを感じさせます。むしろモーツァルトでしばしば見られるのは[ソ−ド]と下ってくるフォルム、この曲でも終楽章の頭はこのパターンです。有名な曲にもよく出てくるパターンでちょっと思い出してもK136のディヴェルティメント第一楽章、言わずと知れた「ジュピター交響曲」の第三楽章もそうです。

 このパターンのモーツァルトはひらめいているという感じのときが多く、曲想も軽やかです。オクターブの場合は少し重々しくなるようでその分深みが感じられるということでしょうか。しかしこの曲ではすぐ後に一転して飛躍を見せます。こうして次々に新しい展開、というより、次から次に新しい曲想が噴出してくるが如きなのです。これ以上書くこともないでしょう。ただこの音楽の泉に身を浸していればいいのです。

 この夜の演奏に関していえば、ヴェス女史はそれほど調子がいいとは思えませんでした。ボッケリーニの第二楽章当たりから少しほぐれて来た感じはありましたが、最後の曲もモーツァルトで聴かせたというところで、演奏者がモーツァルトと一体になるというところまでは感じられませんでした。そこがほんの少し心残りでありました。

 さて、音楽の話は以上で終わりなのですが、いささか蛇足を。ちょうど「ラルキブデッリ」を聴きに行ったとき、東京都現代美術館でポンピドー・コレクション展を開催していました。テレビでも取り上げていましたので、御存じの方もいるでしょう。なかなか見られない絵もある、大変有名な絵もあるということで、勿論私もこの機会を逃さず見に行ったのであります。音楽会の翌日ホテルの部屋の中、目はとっくに覚めていたのですが一向に明るくならない、まだかまだかとボンヤリ時を過ごしていたがそれにしても遅いと時計を見ると、何ともう八時ではないか。カーテンで日が遮られていて明るくならなかっただけのことでした。

 実はこの日家族を呼び寄せて美術館前で待ち合わせることになっていたのです。年に一回ぐらいは家族総出で東京方面に押し出していって楽しもうということをやっていて(子供を色々な所に連れて行くのも勉強、という気持ちもありますが)、今回は絵を見るということで連れ出した訳です。しかし「絵を見る」ぐらいでは子供の食いつき方はちょっと弱かったなあ。普通は学校を休んでどこかへ行こうなどといえば喜んで飛びつくのに、次女に至っては学校を休むのがいやだといっていたのだから。それを強引に言いくるめて連れてくるのだから親も親ですねえ。やはりディズニーランドくらいでないとだめですか。

 さて取る物も取り敢えず、最後はタクシーまで使って駆けつけました。現代美術館という名に相応しげに、入り口の前面に水を配してポールを(不揃いに)並べ立てているあたりに、いたいた、彼らは既にやって来ていました。聞いてみると九時開館と思っていたのが実は十時で、ここまで駅から歩いて来たとのこと、むこうも少し遅刻だった訳です。私の遅刻もそれで少し割り引かれたものの、やはり多少信用を落としてしまいました。

 早速中に入りました。平日だったせいか予想よりだいぶすいていました。絵の方は、これは文句なし、すばらしいものが沢山ありました。出会うもの出会うもの名の知れた画家のものばかり、美術の教科書で見たなあというものも、いくつもありました。ここにある絵をメインにすれば優に十回近くの展覧会は開けるでしょう。

 今回の私の発見は、まずカンディンスキーにあります。初期の絵と思われる「サン・クルー公園」はブラマンクかドランか、といったかなり強烈な具象画(カンディンスキーの具象画は初めて見ました)ですが、十分才能が感じられました。例の抽象画では、「黄−赤−青」と「空色」がいい絵でした。特に「空色」の方は彼には珍しく楽しげな雰囲気に満ちていました。

 そこで発見なのですが、抽象画で有名な画家は他にも色々いますが、どうもカンディンスキーには今一つ親しみが持てなかったのです。今回じっと絵を見つめていてはたと気がつきました。抽象を組み立てている個々の素材そのものにこちらの感情を何かかきたてるものがないのです。すぐ近くにあったクレーの抽象画は逆にかきこまれているそれぞれの細部がもう楽しいのです。自然に目はそれを追って行ってしまうのです。カンディンスキーの抽象画はこういうものかと、得心が行った次第です。

 抽象画といえばこれまた有名なモンドリアンもありました。そのかたわらにモホリ=ナジの「コンポジション A XX」というのがありました。数学の図形を重ね合わせたようなデザインを無彩色でうまくまとめており、日本人受けする感じで、以前だったら私の好みといいそうですが、モンドリアンを横に置かれて違う印象を受けました。

 モンドリアンは「コンポジションII」、教科書でもお目にかかるものです。黒くやや太い障子のような枠組みに右に少し赤、左上に少し青が配してあります。このわずかの赤と青がこの絵の強烈な主張を作り出しています。こういう抽象画は斯く強い主張を持たねばならないということがこの絵を見ていると何故か納得してしまい、モホリ=ナジはまとまりはいいけれどそれだけと見えてしまうのです。もっとも展示側はそういう意図があったかは知りませんが。

 こう書いていくとキリがありませんが、もう一つ。この展覧会で見たかった絵に、ポスターに使われたシャガールの「杯を掲げる二重肖像」があります。恐らく二人は夫婦でしょう。妻が下で、そのうえにまたがって夫が杯を掲げています。この構想自体がもう奇抜です。妻は遠くに橋や建物の見える川の水の上に立っています。これはシャガールらしい描き方と思います。それにしてもこの夫婦の雰囲気です。人生にひたすら快楽を求めるちょっと崩れ気味の庶民そのものではないでしょうか。それが私の胸にジンときてしまうのです。

 シャガールが絵を描けばそれは芸術になります。でも彼は何か高尚なものを生み出そうなどとは思っていないように思えます。ぴったりした言葉とは言えないかもしれないが、シャガールは気持ちは庶民なのではないか。そんな気がしました。それにしてもすばらしい絵です。もう一枚あった「ロシアとろばとその他に物たちに」。これもロシアの土、ロシアの匂い、ロシアの音、ロシアヘの彼の思いの爆発が芸術になったものです。しかし彼のロシアヘの思い、それは庶民的な物へと通じるように思います。画家というものがそのまま絵に現れているようで、これもすばらしい。

 子供達は何を見ているかと聞いて見ると、マルセル・デュシャンの足の裏にハエが止まっている彫刻(なんでしょうね)が面白いとか、息子の方はルネ・マグリットの「二重の秘密」、はぎとられた顔ともとの顔が一致するか一生懸命見比べているとか、ちょっと芸術を見る見方からするとどうなんだいという調子で、まずはわが子の芸術方面に関しては先が見えたかといったところでした。実はこの後さらに新宿に出て「ゴッホ展」など見たので、彼らもかなりだれ気味でした。先にポンピドー展を見たのもちょっと順序が逆のようでした。新宿の裏通りのあまりきれいでもなく小さなラーメン屋で食べた体験の方が、彼らにはおもしろかったようでした。次回はまたディズニーランドとか動物園とかに戻さないとだめでしょう。 (1997.11.15)



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Review / CD
北岸 恵子

天翔けるプレリュードとフーガ

バッハ 『平均律 第1巻、第2巻全曲 BWV 846−893』
『パルティータ 全曲 BWV 825−830』
ワルター・ギーゼキング(ピアノ)
ドイツグラモフォン429929−2、POCG−9841/2


 大阪への出張の帰途、駅の近くのCD店でふと見つけて買ったのがワルター・ギーゼキング(1895−1956)の弾くバッハ平均律全曲集でした。モーツァルトと近代フランスの作品の名演奏で知られるこの巨匠が、バッハの平均律をどうこなしているのか、聴いてみたかったからです。3枚組のCDの3枚目から聴き始めました。思わず叫びました。"これは何だ!!"テンポが不安定でミスタッチもあります。お手本のようなスビャトスラフ・リヒテルの演奏と何と違うのでしょう。チェンバロ奏者達のこれぞバロック、という演奏とも異なります。

 あっけにとられながらも聴くうちに、この演奏の偉大さがわかってきました。何度聴いても新鮮な演奏です。演奏会で目の前に演奏者がいるようなライブ感覚の平均律なのです。編集や取り直しなど、ほとんどしていないような気がします。まず、魅力的なのは彼の音色です。柔らかいのですが濁りがありません。その結果、各声部が混じらないで明確に聞き分けられます。ふっくらしたピアノの音なのに、チェンバロのようなポリフォニックな演奏になっています。

 各曲の弾き分けも見事です。第1巻の3番、第2巻の6番、軽くて早い音の洪水からメロディーが浮かびあがってきます。第1巻の24番、第2巻の7番、淡々とした美しさが溢れています。第2巻の22番、23番、バッハのカンタータを聴くような音色の変化、変幻自在です。各曲の演奏スタイルの違いから、作曲された時代の流れさえ感じとれるように思います。

 彼の弾くバッハの平均律の録音がすべての人の賞賛を得るとは思いません。しかし、大胆に曲を捕らえたスケールの大きさ、細部の出来よりも常に全体を見渡しているバランス感覚、即興性、そして何よりも音楽が自由です。バッハの音楽に神や天国を感じる人はたくさんいますが、ここでギーゼキングが聴かせる平均律は、宗教くささがなく、天を自由に翔け巡る天馬を思わせます。最近の編集の行き届いたミスのないバッハは、聴いていて面白くありません。ミスがない、ということは立派なことですが、人を感動させる何かとは別物なのは確かです。

 まだピアノのレッスンに通っていた20年ほど前、私の先生はよくレコードを聴かせてくれました。バッハの平均律についても、何種類かを聴かせてもらいました。先生が好きだったのはエドヴィン・フィッシャーのように記憶しますが、私にとって最も印象が強かったのはワンダ・ランドフスカのチェンバロでの演奏でした。彼女の弾く平均律を聴いた私は、音楽の演奏に決まりごとはない、自分がどう弾きたいのかというビジョンを明確に持って、そのビジョンに向かった演奏をすべきだ、と思いました。

 今回のギーゼキングの演奏は、ピアノという楽器の持つ豊かさとバッハの音楽の自由さの融合された楽園を見せてくれました。次は誰のバッハ演奏が、私に未知のすばらしい世界を教えてくれるのでしょうか。

 さて、次に2枚組のパルティータです。こちらは、プレリュードとフーガほど、曲の内容が込み入っていません。彼の演奏も一層、肩から力が抜けて、平均律では気になる人もいるであろう技術的不安定さがほとんどありません。よりまとまりとバランスのある演奏となっています。ただし、自由さはこちらも負けず劣らず溢れています。

 平均律もパルティータも1950年前半にドイツのザールランド放送局で録音されたようです。平均律のCDの解説によると、ギーゼキングは数ヶ月の間に、バッハのほとんど全部の鍵盤作品を録音したそうです。ライブ感覚の録音であって当然です。彼のレパートリーの広さは有名ですが、それにしても驚くべきタフさです。この辺りにも、現在の演奏家にないギーゼキングのピアニストとしての奥深さが現れていると言えるのではないでしょうか。 (1997.10.29)



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Review / CD
北岸 恵子

古いピアノは骨董品? − 浜松市楽器博物館を訪れて

『浜松市楽器博物館コレクションシリーズ2 フォルテピアノの開花
   − 19世紀オーストリア、イギリス、フランスのピアノ』
イェルク・デムス(ピアノ)
東芝EMI HMI-002

 先日、会社の出張で浜松に行きました。新幹線の車窓から国産ピアノメーカーの広告がある浜松の街を見ることはありましたが、駅に降りたのは始めてです。駅の近くに平成7年春にオープンした楽器博物館があります。出張のあいまを見つけて、わずか30分ですが、見学しました。国内唯一の公立の楽器博物館で、ヨーロッパとアジアを中心に、楽器が集められています。

 中でもピアノの台数は多く、スペース的にも半分くらいを占め、それなりに見ごたえがあります。スクエアピアノ、19世紀のシングルエスケープ方式のヨーロッパのピアノ、中でも、エラールやプレイエルのフランスのピアノ、ウィーンのピアノに立派なものがあります。シングルエスケープ方式、ダブルエスケープ方式のピアノの説明も、ビデオと模型を使っていてわかりやすくできています。ピアノに触ることができないのは残念ですが、ヘッドフォンがピアノのそばにあって、演奏を聴くことができます。そこの売店で求めたのが上記のCDです。曲目と使用ピアノは以下のとおりです。

 ベートーベン:ピアノソナタ第8番ハ短調 悲愴Op.13より第2楽章
  John Broadwood & Son(イギリス、ロンドン、1802年頃製作)による

 シューベルト:ハンガリーのメロディーD.811
        クッペルヴィーザー・ワルツ 変ト長調
        楽興の時 第3番 D.780
  以上、Conrad Graf(オーストリア、ウィーン、1819〜20年製作)による

 シューマン:ウィーンの謝肉祭の道化Op.26より第2番 ロマンス
       子供の情景 Op.15 より第7番 トロイメライ
  以上、John B. Streicher(オーストリア、ウィーン、1845〜57年製作)による

 ショパン:24の前奏曲 Op.28より第1番、第9番、第15番、第17番
  Ignace J. Pleyel(フランス、パリ、1860年製作)による

 リスト:ペトラルカの3つのソネットより第123番
  Erard(フランス、パリ、1871年製作)による

 フランク:前奏曲、フーガと変奏曲Op.18
  Erard(フランス、パリ、1880年頃製作)による

 ブラームス:6つの小品 Op.118より第2番 間奏曲
       3つの間奏曲 Op.117より第2番
  Grotrian-Steinweg(ドイツ、ブラウンシュヴァイク、1885〜90年製作)による

 ドビュッシー:ベルガマスク組曲より 月の光
  Steinway & Sons(アメリカ、ニューヨーク、1911年製作)による

 このCDはなかなかの拾い物でした。各ピアノの特徴がよくわかる演奏です。また、選曲もそれぞれのピアノによく合っています。フォルテピアノを好んで演奏しているデムスですが、古典派から印象派まで、どの演奏も聴くべき何かがあります。私が一番好きなのは、エラールで弾かれたフランクです。

 しかし、CDを聴きながら、私はだんだん腹が立ってきました。なぜかというと、こんなに素敵なピアノ達が、博物館ではピアノの歴史を語る展示品としての扱いしかされていないからです。浜松市楽器博物館の古いピアノを集めようという試みは、評価すべきものがあります。しかし、なぜ、この素晴らしいピアノ達の音を、多くの人に聴かせよう、あるいは弾かせようとしないのでしょう。館内には自動ピアノも置かれていましたが、1日に2回、決まった曲が演奏されるだけです。売店に立派なカタログはありましたが、展示品を演奏したCDは2枚だけで、そのうちの1枚がピアノで今回購入したものです。

 パンフレットには博物館のイベントが載っていますが、レクチャー主体です。デムスの弾いたピアノ達を使ったコンサートを定期的に企画することもできますし、規則を決めてこれらのピアノの演奏できる場を作ることもできるはずです。デムスが楽しそうに弾いているのを聴くにつけても、これらのピアノ達が骨董品扱いされているようで残念でなりません。

 個性のあった時代の楽器が集められた我が国で珍しい場ができたのですから、さらに一ランク上の試みがされることを、ピアノ音楽を愛する日本人の一人として切望します。特に、ヤマハ、カワイなど、楽器の製作販売で高い利益を上げた企業に、先導的役割を期待します。 (1997.10.29)

 浜松市楽器博物館 JR浜松駅より北西方向に徒歩7分
 開館時間:火曜日から日曜日 9:30〜17:00
 観覧料:大人 400円、高校生 200円、小・中学生 100円(20人以上の団体割引あり)



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Review / Book
井上 建夫

反(アンチ)メソッドによる身体の解放

アビー・ホワイトサイド
『ピアノの演奏について』
Abby Whiteside : On Piano Playing
Amadeus Press
1997
$19.95(Paperback)

 インターネットには情報交換をできる場がいろいろとあります。メーリングリストは、幹事役となるコンピューターに自分のアドレスを登録しておき、そこに電子メールを送ると登録者全員に配送されるという仕組みです。そのメーリングリストの一つ、アメリカの Piano-Listはピアニストやピアノの先生たちが参加しているリストです。

 そこに登録しておいたところ、アビー・ホワイトサイド(1881−1956)のピアノ演奏法に関する2冊の本『ピアノを演奏するために欠くことのできないこと』(Indispensables of Piano Playing) 『「ショパンのエチュードをマスターする」その他のエッセイ』(Mastering the Chopin Etudes and Other Essays)が合本されて『ピアノの演奏について』という書名で復刊されたこと、そしてこの本を強く推奨する旨のメールが届きました。

 他にも何人か、この本を推薦するメールが続きました。興味を引かれて、今話題のアメリカのインターネット上の書店アマゾン(Amazon.com)に注文し入手することができました。インターネットによる情報の入手の一例というわけです。

 25年以上前のことになるが、私のスタジオに来る生徒たちのうち、弾ける者は弾けるし、弾けない者は弾けない、才能のある者は進歩し、他の者は進歩しない、そして私はそれに対して何もできないのだ。この不愉快な事実に真正面に立ち向かったときから、教えることは私にとって刺激的な体験でありつづけている。

 これは私にとってチャレンジであり、私がそれまで用いていた手段は信用できなくなり、新しい技法の発見へとつながったのだ。この発見とはすなわち、どんな人でもピアノを弾けるようになるということを意味しているのである。私が確立した原理と、私が課題を正しく把握した日から開発してきた教授技術とによって、才能の乏しい者も極めて豊かな才能のある者同様に学ぶことができるのだ。

 『ピアノを演奏するために欠くことのできないこと』の序文の冒頭ですが、ここで著者はある非常に重要なことを述べています。ピアノを習っているが一向に進歩しない、これはよく見られることです。その人にはピアノ演奏の才能がないのだ、あるいは努力が足りないのだろうと考えるのが、私たちの普通の反応です。ホワイトサイドが最初にこうした一向に進歩しない生徒に当面した時の反応は違ったようです。彼女は、今は見つかっていないが、どんな人でもピアノが弾けるようになる原理のようなものがあるはずだと考えたようです。

 さて、ピアノを教えるに当たっては、何らかのメソッド(教本や教本の順序、教え方など)が用いられるのが普通です。ところで、このメソッドが効果があったかどうかの判定は、他のメソッドを試して比較しない限りできません。我が国ではバイエル、ツェルニー、ソナチネ、ソナタ等の教本が古くから使われています。近年ではバイエルなどに替えてアメリカなどの新しい教本が用いられることも多く、教え方も多様化しているようです。

 しかし、そうした変化があるものの、初歩の導入の教本からショパンやリストのエチュードに至るまでを順次、段階的に学んでいってテクニックを獲得していくという考え方自体は広く認められていて、教本や練習曲、更に有名な音楽作品までも含む全体が、この考え方をベースにした一連の均一なメソッド群といった様相を呈しています。

 このメソッド群は、選択可能なものの集合というよりは、全体が唯一の「制度」として機能していて、それ以外のありようはほとんど人々の意識にはないと言ってもいいくらいです。そして、この制度の中で進歩する人としない人が生じると、誰それは才能があるとかないとか、努力をしたとか足りないといったことが当たり前のように語られてしまうのです。

 段階的にテクニックを習得していくという考え方のメソッド群はあまり効果がない、あるいはむしろ害悪を与えているという可能性も否定できないのですが、効果の判定は問題にされず、ほとんど信仰の問題になっているのです。これは我が国での事情なのですが、ヨーロッパやアメリカでも、程度の差はあれ似た事情はあるのではないかと推測されます。(なお、このことはピアノのメソッドに限らず、「学校」一般についても言えることですが。)

 続いて、序文の次の「著者の前提」という章を見てみましょう。

 この導入の章のために、ピアノ演奏とは何をすることなのかを出来るだけ単純な言葉で切りつめて言ってみよう。まず、音楽に共鳴し、その響きを愛し、それを再生することを望んでいる人がいることから始まる。耳の中には美しい音楽が存在している、そう、問題はここにある。つまり、実体のない聴覚的イメージを、最終的には黒と白の鍵盤を指で接触することへとどのようにして移し換えていくのか。

 この答とは次のとおりだ。ともかくも楽曲全体を一挙に移し換えること、聴覚的イメージによって統一的にコントロールすること、全体を結合させること。そして、「観念」としての音楽を現実の音楽の再生へと移し換えるのは「一つの統一体としての」身体なのだ。

 人を高揚させるリズム、全体を統一しすべてを包み込むリズムによってのみ、演奏のメカニズム全体(これは腕の筋肉や手の骨格、指からなる)をフル回転させることができるのだ。ベーシック・リズムだけが隅から隅までを統括する「唯一」可能なコーディネーターである。というのは、このリズムは美しい音楽を生み出すよう煽り立てるのみならず、耳の中のイメージとあらゆる美しい音楽の底にあるはずの感情を身体全体の働きへとうまく移し換えることができるただ一つの要因なのだ。

 ピアニストの直面する問題は、ダンサーや、歌手、ヴァイオリニストの場合とそれほどひどく違っているわけではない。実際、あらゆる身体の技能(音楽に関わるものだけでなく)には共通したところがある。つまり、最善の結果を得るために、常に身体「全体」が関わっていなければならないということである。それぞれの技能の種類によって必要な「周辺部」があったとしても、身体がこれらの技能すべての「中心」である。ピアニストの場合、この周辺部とはもちろん指が鍵盤へ接触するところである。

 しかし、ここのところで余りにも多くの誤りがなされてきたから、常にこの事実を繰り返さなければならない。すなわち、中心が周辺部をコントロールするのだということである。これ以外の方法はない。ピアノの演奏においては身体が指を支配するのであって、指の敏捷さをいくら教えたところで、我々の目的であるはずの、演奏における美しさを、容易に獲得することには達しないだろう。指自体にはコーディネートする能力はない。「身体」に教えられなければならないのであって、指はこの中央からのコントロールに導かれて自らの進むべき道を見出すことになる。

 リズムの継続的な流れを中断することは決して許されない。リズムだけが音楽的観念の言葉を包み込めるのである。鍵盤上の指の動きや手首の位置といったアーティキュレーションの動きが音楽の言葉を妨げることがあってはならない。アーティキュレーションの運動はそれ自体では音楽的観念や感情を表現することはない。「それ自体では」耳の中にあった音楽的概念と形式のユニークな美しさを再生することはできない。ダンサーの脚の動きのように、野球選手のバットやゴルファーのクラブのように、ピアニストの指はあるメカニズムの最も外側の部分であって、中央でのコントロール無しには優れて機能的な動きは出来ないのだ。根源から発するリズムがこのコントロールである。

 それゆえ、教えることとはまず第一に、リズムの感覚を高めるよう刺激し、開発し、持続させることにある。これがピアノ演奏という技能を教えるということの主要な、ほとんど唯一の目標である。

 「伝統的な教授法に関する質疑応答」という章もあって、これまでの一般的な教授法を23項目にわたり厳しく批判しています。伝統的な教授法はあらゆる点で間違っていると言っているようなものなのですが、著者はそれに替わる具体的な教授法を提示するわけではありません。彼女が言っているのはほとんど上に引用した内容に尽きていて、それを言葉や表現を変えながら繰り返し、繰り返し強調しているのです。

 ここでベーシック・リズムと言われているのは、音楽で一般に使われている四分音符や八分音符などで構成されるリズム(これはミーターという言葉だと言っています。)という言葉とは異なり、人間に先天的に備わっている生命感から湧き出る身体のリズムのようなものを指していると思われます。しばしばジャズピアニストが引き合いに出され、彼らのように素直に身体の本源的な運動に従うべきことが説かれています。

 しかし、リズムさえ信じていればよいというのは、いささか催眠術師か教祖の暗示めいています。19世紀にはコインを手の甲に置いて練習させたといった指の訓練を中心とした教授法が主流だったのですが、これを転換させたのがイギリスのトバイアス・マッテイと言われています。マッテイの唱えたリラクセーション(弛緩とか脱力と訳されているようです)は、実際にどうするのかよく理解されないまま言葉だけが一人歩きし、ついにはマッテイ自身もリラクセーションを否定するようなこともあったようです(ホワイトサイドはこのリラクセーションも批判しています)。

 ベーシック・リズムという言葉も同様なお題目と化する危険性があるのですが、マッテイの本、例えば今手元にある「ピアノ演奏 弛緩の技法」(黒川武訳 全音)を見ると、リラクセーションを基礎に指、手、腕をどう動かすかを写真や譜例を豊富に入れて、具体的、微細にまた体系的に述べていて、確かにこれはスクール(学派・学校)を作りやすいものであるという感を強くします。しかし、過ぎたるは及ばざるがごとしで、詳細すぎて結局何が言いたいのかを理解するのは容易ではありません。

 これに対して、ホワイトサイドの著書は直感的、合理的、論争的で、体系へと誘惑されることがありません。最初に引用した序文では「新しい原理」とか「教授技術」という言葉が現れるものの、よく読むと、「原理」や「教授技術」によって演奏のテクニックを段階的に身につけていくという教育とか訓練という考え自体へ疑問を突きつけていると思われ、全体として、メソッド、スクールといった多分に近代的な概念への批判となっています。題名に「原理(Principles)」でなく「欠くことのできないもの(Indispensables)」という言葉が選ばれているのも彼女の考えを暗示しているのでしょう。いくつかのどうしても欠かせないものさえ心得ていれば、ピアノは誰でも先天的に弾けるというわけです。

 野球選手のバットやゴルファーのクラブというたとえが出てきましたが、他にも、自転車に乗ることとか、食事をするためには自然にからだが動くといったことをピアノの演奏にたとえ、日常的な動作と同様なものとして捉えることにより、ピアノ演奏が何か特別な技術や訓練を要するものという先入観(近代の多くのメソッドがこの先入観を固めるのに貢献してきました。)を取り除こうとしています。身体論から演奏理論を考えるという点では、マッテイの流れを汲んでいるのですが、メソッドを構築するのではなく、身体をメソッドから解放しようとしていると言えるでしょう。

 『「ショパンのエチュードをマスターする」その他のエッセイ』は著者の死後、残された文章をまとめてもので、標題に使われている「ショパンのエチュードをマスターする」は、ショパンのエチュードを取り上げて、前著の主張をより具体的に(といってもマニュアル化することは徹底的に避けています。)展開しようとしたものですが未完に終わっています。その他の文章も含め、著者の言うところは前著と基本的に変わっていません。

 最後に、ホワイトサイドの経歴について、『「ショパンのエチュードをマスターする」その他のエッセイ』の序文で編者のジョウゼフ・プロスタコフとソフィア・ローゾフが書いている内容を紹介しておきます。

 彼女は1881年サウスダコタ州ヴァーミリョンで生まれ、サウスダコタ大学、オレゴン大学を経て、1908年にはドイツに行き、ルドルフ・ガンツに学んでいます。帰国後はオレゴン州ポートランドでピアノの先生として成功し、後にニューヨークに移り1956年の死の年までそこで活動するかたわら、アメリカ各地の大学などでも教えています。『ピアノを演奏するために欠くことのできないこと』は1948年頃に書かれ1955年に出版されています。死後、アビー・ホワイトサイド財団が設立され、この著書はアメリカ各地を始め世界中の図書館に寄贈されました。『「ショパンのエチュードをマスターする」その他のエッセイ』は死後、弟子たちによってまとめられたもので、1969年に出版されています。

 ホワイトサイドの主張は、ある意味でコロンブスの卵のようなところがありますが、ピアノ教育の「常識」に対する厳しい批判ともなっています。これが、その後のアメリカのピアノ教育にどのような影響を与えているのか、興味を引かれるところです。

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Visiting Finland

私のフィンランド体験記

田原 昌子


 1997年5月29日、生まれて初めての海外旅行、しかも一人旅という冒険の一歩がスタートした。



 13年前、友人からのプレゼントの"パルムグレン-粉雪Palmgren - Snowflakes "のコピーが、私のピアノに対する思いを一変させた。たった、一枚のコピー楽譜との出会いが、このフィンランド旅行につながり、シベリウス・アカデミーでのマスターコース・レッスンへと私を導いてくれたのである。それまで、フィンランド音楽といえば、シベリウス…フィンランディア…くらいしか知らなかった私が、日本国内で入手可能なシベリウス、メラルティン、カスキ、パルムグレン、ハンニカイネン、クーラウといった作曲家のピアノ楽譜を買い求めるようになった。それらの曲を楽しい時も悲しい時も音にして過ごすうち、これらの響きの根底にある《フィンランドの自然》をいつの日にか体験したいという思いは募っていた。

 そして、阪神大震災で最愛のグランドピアノと解体処分というかたちで別れなければならなかったとき、また、被災以来次々と生じる問題に悩んだとき、私を慰め心の安らぎを与えてくれたのはフィンランドのピアノ曲であった。

 13年間の思いと、私の心の支えとなったフィンランドのピアノ曲を鞄に詰め込んで機上の人となったときには、言葉の不安も9時間半という長い飛行時間のことも忘れ、《生きている自分》を再発見したことを確信した。

 1ヶ月のフィンランド旅行は、4つの期間に分かれる。
 (1)5月29日〜6月2日 イギリスの知人宅でホームステイ
 (2)6月3日〜6月7日 フィンランド、セイナヨキのシベリウス・アカデミーの
              サマーコース(マスターコース)でのピアノレッスン
 (3)6月9日〜6月27日 フィンランド、タンペレ大学のフィンランド語の
              サマーコース
 (4)6月28日〜7月2日 フィンランド観光
 今回は(2)の期間を中心にフィンランドでの生活を回顧したい。



 フィンランドには、昨年まで大津ルーテル協会の宣教師として12年間日本に住んでおられたフカリ夫妻が、タンペレというフィンランド第二の大都市に住んでおられる。奥様のミリアさんは、私のフィンランド語の手ほどきをしてくださった先生であり、またいつも心の支えとなってくださった姉のような女性である。フカリさん一家がフィンランドでの私の身元保証人となり、タンペレ滞在中の受け入れを快く応じてくださった。

 日本出発後、英語の耳慣らしのためという目的でイギリスに5日間滞在したが、自分の英語力の欠如に絶望感すら覚え、不安の塊のままフィンランド入りした。ヘルシンキのバンター空港に到着した途端、二つのことに驚いた。まず第一に、静かである。空港独特のざわめきがなく、大声で話す人もおらず、人間の数が少ない。この静けさは、雑踏に慣れ切っている私の心細さを増大させた。二つめに、静かなフィンランド語が聞こえる方を振り向くと、ほとんどの人が携帯電話を手にしているのである。昨今の日本で、携帯電話で話す人々の姿は珍しくないが、森と湖の国であるはずのフィンランドでさえも文明の利器が氾濫している様相に軽いショックを覚えた。

 ミリアさんは、明日(6月3日)からシベリウス・アカデミーのピアノのレッスンに備えてと、旅の疲れを癒すためにと、一家の待つタンペレ郊外のサマーハウスに私を連れて行った。内心、『1週間程ろくにピアノに触れていないし、サマーハウスよりピアノのあるフカリさん宅へ行ってピアノを弾かせていただきたい』とつぶやいていた。が、サマーハウスに到着するやいなや、そのつぶやきは全く忘れ、『これ!!これなんだ!!私の求めたフィンランドがここにある。来て良かった。生きていて良かった』という感動に言葉がなくなってしまった。

 サマーハウスは、観光ガイドブックに載っている森と湖とサウナ小屋の写真通り、いやそれ以上にすばらしかった。写真には写らない光、影、澄み切った空気、静けさ、木々や野鳥の声、風の音……が私をやさしく迎え入れてくれた。湖面に映る森の木々や青い空の中へと吸い込まれ、森や湖の妖精たちとフッと出会えるのではないか。この自然がフィンランドの響きを創り出している。さて、ピアノを通して私のフィンランドをどのように表現しようか……。シベリウス・アカデミーでのレッスンを前に、自然という先生がレッスンをしてくれたようだ。

 6月3日、いよいよシベリウス・アカデミーのマスターコース・レッスンを受けるために、中央フィンランドに近いセイナヨキというところまで列車の一人旅が始まった。森と湖の中を通り抜ける2時間の列車の旅は、不安に加えて異常気象と言われる暑さとエアコン機能の不備で心身ともに疲れてしまった。到着したセイナヨキは、人と車の往来はほとんどなく、商店の数も少なく、工事でデコボコになった道(冬は雪が深く工事はできないので、工事という工事はすべて短い夏の間にされる。)とコンクリートの建物だけであり、ホテルまでの20分の道程がとても心細かった。

 シベリウス・アカデミーといえばヘルシンキにあると思っていたが、分校が2、3校あり、このセイナヨキ分校ではマスターコースの夏期レッスンが行われた。さぞ大学生、院生が大勢いるだろうと思っていたが、総勢8名、うち6名が高校生(シベリウス・アカデミーの附属のコースへ通っている生徒がほとんどであった。)という非常にこじんまりしたコースであった。

 が、高校生たちは、将来ピアニストとして活動して行くという目的でピアノを勉強しているので、私とは比べ物にならない素晴らしいピアノを弾いていた。テッポ・コイヴィスト先生とは英語でコミュニケーションをとることができたが、フィンランド女性の平均身長である私が、テッポ先生の体格に圧倒され、しかもあの大きな手から出てくるPPP−fffの音に尻込みしてしまった。

 レッスンにはフィンランドの曲をと思い、パルムグレンの“3つの夜想的情景”とメラルティンの“悲しみの園”を持って行ったが、テッポ先生は「Masakoの選曲は、どこかに東洋的な香りのする曲ばかりだね。君の弾くフィンランド曲をとても楽しみにしているよ。」と言われた。レッスンでは、細かいテクニックや、曲の裏にあるフィンランドの心を何とかしてMasakoに伝えようとするテッポ先生に動かされ、短いレッスン時間で最大限に音楽を掴もうと必死で取り組んだ。

 1日12時間、食べる事を忘れ(この私が!)、ミリアさんのサマーハウスで味わった感動を響きに変えようと、更にテッポ先生の言われる「gloomy, melancholy, dark」を音創りの根底にしようと、ピアノに向かい弾き続けた。今まで、これほどピアノに向かい練習し、疲れもなく幸せな日々を送れた事があっただろうか?あらためて自分を支えてくださっている人々への感謝の気持ちを異国の地で味わい、この時間がより一層愛おしく思えた。

 最終レッスンの6月6日の夜、テッポ先生は、「Masako、今夜は8時までしか練習してはいけない。8時30分にアカデミーの学生会館の最上階(11階)に来て。」と言い残し、次の日の修了コンサートに向けて必死の私に練習切り上げを言われた。『どうしよう。まとめきれていない。これでいいの?』という気持ちのまま、最上階へ上がって行った。眼前に広がる風景は、森と湖のフィンランドでなく、どこまでも続く荒野と丘であった。

 「Masakoにどうしてもこの景色を見せたかった。」というテッポ先生は、「君の修了コンサートの曲(パルムグレン − 3つの夜想的情景)はこの荒野と丘から白夜の《光》を全部消して、夜の響きの中にMasakoの魂を入れ込んで弾くんだよ。」と言われた。何せ夏至の前の夜が一番短い季節で、日の入りは午後11時30分過ぎ、日の出は午前3時過ぎ、夜といっても電灯なしで新聞が読めるくらいの明るさの夜である。その季節に、“3つの夜想的情景(星はまたたく、夜の歌、曙)”を音にするのは、しかも「gloomy, melancholy, dark」を根底に表現するのは、かなり難しい事に思えたが、私の思いをすべてピアノに託して修了コンサートに臨むことにした。

 6月7日、修了コンサートの本番、緊張に震えながら、このフィンランドの地でフィンランドの曲を演奏できる幸せと、テッポ先生をはじめとするコースの関係者の方々、受講生たちの支えに感謝し、ピアノに向かった。



 シベリウス・アカデミーでのコースを終え、フィンランド滞在中に味わった自然の雄大さを心に刻み帰国し、はや5ヶ月が経とうとしている。毎日の生活はピアノとともに明け暮れているが、自分が実際にピアノに触れ、音を創り出すことのできるとき、『音楽を続けていて良かった。ピアノと出会えて良かった』と改めて感じることができる。

 被災したことや、その後続いた苦しい日々を私の人生における貴重な経験として冷静に見つめると同時に、これから自分の音楽をどのように続け、どのように生きて行くのか考えながらピアノに向かう昨今である。そうして密かに、『今度いつフィンランドに行けるのかしら?その時には、この曲とこの曲と……を持って行こうかしら?』と楽譜を見ながら、心はフィンランドに飛んでいる自分を再発見し、苦笑するのである。




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Instrument

ピアノよもやま話 − ピアノ再発見のために(5)

森田 裕之


 5 自動ピアノ

 ピアノのことが最近立て続けにテレビに取り上げられました。

 一つは“上を向いて歩こう”と題して、作曲家の中村八大氏の生涯とともに所有するピアノが替わっていった話。最初はモートリー(中国製。彼は中国の青島の学校の先生の息子として生まれている)に始まり、終戦後は日本でジャズピアニストとして活躍し、次に求めたピアノがブリュートナー(ドイツ製)の竪型ピアノ。そのピアノから“上を向いて歩こう”“こんにちは赤ちゃん”等の名曲を一番たくさん生み出したということでした。

 その後、ヤマハのグランドピアノ(C−3)に買い替えていますが、大病にかかり思うように音楽活動ができない中、再起をかけ楽器店に向かい、ベーゼンドルファーに出会ったというお話です。世話をした調律師が、あのジャズピアニストがベーゼンドルファーを前にしてモーツァルトのソナタを上手に弾いた、と感心していました。その番組に同席していたジャズピアニストの世良さんが、私もいずれお金を貯めてあんなピアノが欲しいともらしていましたが、ちなみにそのピアノはベーゼンドルファー 225で、当時(10年前)860万円、現在890万円です。また、八大氏は購入した後5年で亡くなっています。残念!!

 次に、もう一つのテレビは「たけしの万物創世記」です。まず、簡単にピアノの歴史から始まり、ピアニストの代表としてリストを取り上げ、彼の手の大きさや強靭なタッチについて、また、新曲がピアノの構造を変えていったということなど、何といっても映像と音が伴っているので、判りやすい話でした。

 音の感じ方が国民によって異なること(日本人はドとレの間が狭い)等とか、更に胎教にまで話が及び、環境による影響にも触れていました。例えば、ベートーヴェンを聞かせると、まるで指揮をしているように活発に動き(例のごとく第9シンフォニーの合唱のある激しい部分)、サンサーンスの「白鳥」を聞かせると、じっとして眠ってしまうというのです。確かにお腹の中でも直接聞こえているようですが、その音楽が音として快いものか不快なものかと感じるのは、むしろ母親だろうと思うのです。もちろん人間ならずとも他の動物や植物にまで影響を与える話は聞いたことがあります。そこで胎教の典型的な例をお話ししましょう。

 昭和20年8月、日本は終戦を迎え、その年の12月に私の弟が生まれました。生後1年半程たったある日のこと、私たちの町では、昼の12時の合図にサイレンを鳴らし始めたのです。それまで機嫌良く遊んでいた弟が、その音を聞いて突然怯えて泣き出したのです。私は、何故?と一瞬思ったのですが、すぐに理解できました。あの音はお腹の中で空襲の度毎に何度も聞いていたのです。これこそ胎教なのです。音だけでなく、その音の意味することまで教え込まれているのです。

  音楽家の家系としてよく、バッハが引き合いに出されますが、一つは胎教にあったとなると、むべなるかなという気がします。ピアノの音に限らず、祭りの太鼓の音やリズムでも、胎児が聞いたその音を母親がどう感じたかの方が問題なのです。それでは生まれてしまった後の環境はどうなのか、もちろんこれも大切です。そこから先の話は次の機会に、また別の角度から考えたいと思います。

 先日、ある産婦人科のお医者さんが、私の工房の自動演奏装置付きのピアノ(スタインウェイ・ルイ16世モデル)をご覧になり、これを病院のロビーに置いて妊婦さん達に聞かせたいと計画を立てておられるところです。最近は病院であれ銀行であれ、あらゆる所で有線放送を備え付け音楽を流しています。それぞれお客様に対する良い環境作りのためにサービスをしているのですが、その功罪の程はいかがでしょう。私の話が我田引水になってはいけませんが、本物に触れるという点では、胎児に与えるインパクト(音量ではなく)は全然異なると思います。まず、親が感激することが大切なのです。

 今回は、その自動ピアノをテーマにするつもりでいたのです。自動ピアノと言っても、現在、デパートや楽器店に並んでいる電子楽器とは少し違います。これからご紹介する自動ピアノは、別名ポンププレイアーと言って空気圧で鍵盤または直接アクションを動かせて音を鳴らす仕組みです。起源は数百年前のストリートオルガンやオルゴールに見ることができます。

 ここでまず断っておきたいことは、自動演奏機と言えば、その後生まれた蓄音機や現在の電子機器と同様に、録音を忠実に再生するためのもののように思われていますが、ここにも発展の過程があって、再生の際に人間が一定程度関与できる中間的なものもあるのです。実はそれが色々な意味で一番良かったりもするのです。より便利に、より安く、より忠実にを求めることでかえって本質から離れていってしまう、進歩が必ずしも進歩になっていないケースは他でもよく見受けられることです。

 私が最初に自動ピアノに触れたのは今から20数年前、京都の旭堂楽器店の持ち物でキンボール(KIMBALL、アメリカ製)という新品の小型のアップライトピアノでした。長い間大丸に貸し出されていたため、新品とは言えないくらいハンマーも減って全体の調整もやり直さなくてはならない状態でした。自動ピアノとして機能する部分が65音(AA〜cis4)だったのでがっかりしたのを覚えています(88音用があることを知らなかったので中途半端なものという印象を持ったのです。)

 その何年か後にあるピアノ倉庫で、やはりアメリカ製の大きな背丈の自動ピアノ(MILTON、竪型の自動演奏装置付き88音用)を見つけました。88音用のものもあったのです。昔、あるお金持ちからタダ同然で引き上げてきたものらしいのです。ロールも30本くらいあったでしょうか。「六段の調べ」(ヤマハ製)なるものもあり、昔はヤマハでも作っていたらしい。このピアノを買ってくれ、と言われたものの直し方も判らないし、先輩に相談したところ彼は見向きもしません。

 ピアノ修理の道ではベテランの彼でも、自動ピアノでは過去によほど懲りた経験があるのでしょう。70年程前のアメリカ製のやたらと大きい楽器で、楽器自体にはあまり魅力はなかったのですが、そこにあるロールを見ると、それは魅力的な曲がそろっているのです。例えば、ローエングリン(リスト編)とか、クラウディオ・アラウの弾くシューベルトとか。こんなのが本当に演奏できるのだろうか、一体どんな仕掛けなのか、これを解明することは西洋人の音楽観に直に触れられるような気がしてきたのです。やってみるものです。その結果は、というと、緻密さ、合理性と同時に、音楽の楽しさ、そしてファジーな部分を存分に教えてもらうこととなりました。

 最初に空気の圧力でアクションを動かすと言いましたが、その圧力とは吸う力であって、吹く力ではないのです。従って、掃除機でも間に合うことになります。足踏式ポンプは、その踏み加減で吸引力が変わります。従って、多少表情もテンポも変わります。それに手許には、高音部(中央のドから上)・低音部の強弱やテンポの調節が出来るコントロール・レバー、クレッシェンド・レバー、ラウドペダル・レバー等が付いていて、自分なりの色付けができます。それをうまく使いこなすのは大変です。なかなか二度と同じ演奏はできませんが、それはそれで面白いものです。

 その後、ペダル式に加えて(平行して)バキュームモーターが出現します。モーターは吸引力が一定です。そこで一番問題になるのは、表情(ニュアンス)と息づき(テンポルバート)です。そして、同時に鳴らした時の音の中からメロディー(テーマ)を浮き立たせること、要所要所のアクセントをつけること等が必要ですが、音量の変化も32通りと普通の人間の感覚以上のレベルです。それをコントロールするエキスプレッション・ボックスというものを取り付ける必要が出てきました。(一部、エオリアン社製の足踏式プレイヤーにも簡単なものが付いています。)

 その仕組みの微妙で複雑なこと、そこに配られた神経の繊細さとその裏に潜む意味を見出す度に彼らのあくなき音楽への情熱と文明、文化の高さに感心させられます。これを 100年あるいはそれ以前に考え出したと思うと尚更です。これで実際の演奏を忠実に再現することができるようになったのです。そして多様化する使い方に応えられる3段階のプレイポジションレバーが付いています。

(1)ノーマル:演奏者の演奏を忠実に再現する。
(2)ソフト :バックグラウンドミュージック用(繰り返しレバーも付いている)
(3)ラウド :広い場所やダンス等の場合

 誰でもがピアノを楽しめるということでしょう。連弾やコンチェルトだって一人で鳴らせるのです。また、ロールに歌詞まで書き込んであって、側で歌えるものもあるし、強弱やテンポの指示もしてあります。

 もちろん最終的な狙いは一流の演奏家の再演です。今は亡きアーティスト、ガーシュインからラフマニノフ、プロコフィエフに至るまで、100%ではないにしても“ホンマカイナ”と思わせる面白さがあります。

 1840年、クロード・フェリックス・セイトル(フランス)という人が考え出したと言われている自動演奏装置が、その後イギリスに渡り、ドイツを越えて今世紀初頭にはアメリカで爆発的発展を遂げる、その開発競争は止まるところを知らず、鐘や太鼓、更にはヴァイオリンまで組み込んだものまで出現しました。名付けてオーケストリオン。人形を動かし、風景を描いたステンドグラスに光を当てつつ、朝夕昼の演出に至っては笑ってしまいます。ここまでくればもう確かにマニアの世界です。

 日本での感覚では、昔のものは非能率的で劣っていて、一部のマニアの骨董趣味くらいにしか思われていません。自動ピアノはこのハイテク時代に今もって世界で愛用され、次々と新しいロールが製造されているにもかかわらず、日本では見向きもされないというのは何故でしょう。私たちが日本で目にする自動ピアノは、いつも電子楽器で、今まで述べてきた機能が随分そぎ落とされています。電子楽器の自動ピアノは、すぐに飽きられ、ピアノを買ってからせいぜい半年でフロッピーを買いに来なくなるとも聞きます。面白くないのです。(使用したピアノ自体にも問題があるのですが。)

 本物の自動ピアノのことを知らない、技術者がいない、かつてはヤマハも製造していたはずなのに、その技術が伝わっていない。もう一つは機械的なものに対するアレルギーがあるのでしょう。機械、即ち無機的、即ち玩具、即ち邪道。日本の華道、茶道、剣道、武道等、どれも一つの道を究めるためには相応の苦労をして、人間の手でもって克服されるものであって、機械によって克服されるものではない!!

 ごもっとも…アレーやはりだめか、残念!!




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Concert on Air

コンサート・オン・エア(15)

ジュリアード弦楽四重奏団 − 伝統への回帰と落日の輝き

高橋 隆幸


 本年6月、ジュリアード弦楽四重奏団が東京のカザルスホールでべートーベンの全曲演奏を行った。これはNHK・FMで放送されたので聴かれた方も多いと思う。このときの解説によれば第1バイオリンのロバート・マンがこのコンサートツアーを期に引退予定とのことで、いわばお別れ世界ツアーの一環なのであろう。

 この放送を聴きながら感じたのは、引退予定であるのは恐らくロバート・マン一人に止まらず、この団体全体が直面している問題であるということであった。要するに、彼等の演奏スタイルがよくぞここまでと思うくらい伝統的なものになっていることと、団体全体としての技術的な衰えが散見される。というのが私の印象である。それにもかかわらず私の結論は、演奏スタイルの変遷や小さなキズを気にしなければ、全体として大変立派な美しい演奏であるということに落ち着いた次第である。

 ジュリアード四重奏団の創設は1946年、デビュー(翌47年)以来その機械のように正確無比なアンサンブルと速いテンポでの仮借の無いダイナミズムで先鋭的四重奏団の名をほしいままにしてきた。当然のことながら、その分野での現代、近代音楽の最高権威とみなされ、例えばベルクの叙情組曲やバルトーク、シェーンベルクの弦楽四重奏曲のレコードはバイブルとして扱われたものである。一方、古典、ロマン派の音楽にも広いレパートリーを持っていたが、その先鋭的スタイルは常に論議の的であったものと想像される。

 日本への初来日は1961年とのこと。この時のコンサートはNHKのテレビで放映されたが、私はモーツァルトの「狩」、シューベルトの「死と乙女」に関しては多少の記憶がある。「狩」の冒頭主題が非常に速いテンポでたたみかけるように弾かれたが、そのときの爽快さは今でも忘れられない。シューベルトはやはり速いテンポと正確さが全面に出た演奏であったが、この曲の性格も関係あるのであろう、あまり違和感は感じなかった。

 私が彼等の実際のコンサートに接したのは1973年、大阪のフェスティバルホールであった。このときの曲目はベートーベンの作品18の4(ハ短調)、ストラビンスキーの「弦楽四重奏のための三つの小品」、ヴォルフの「イタリアのセレナード」そしてシューベルトの「死と乙女」。1961年の印象もあり彼等の古典の演奏に好意的な姿勢で出かけた私であったが、最初のベートーベンが無味乾燥でさっぱり面白くなく、何故か、残りの曲についても全く記憶が無い。多分似たような印象であったのであろう。

 彼等の演奏スタイルがベートーベンで問題を生じるのは想像に難くない。ベートーベンの音楽は無駄な語りの無い、いわば「要約」のような音楽であるので、速いテンポそのものは多くの場合、機能和声が我々の心情に働きかけるのに必要な時間を奪ってしまい、音のドラマが成立しなくなる。もう一つ、この頃の彼等の目指していた正確無比な演奏は副産物として平均律的な音程感を生みだし、これがベートーベンの作曲技法と相まって、とかく無味乾燥なものにしてしまう。これはベートーベンの弦楽四重奏曲をピアノで弾いてみると良く分かる。響が悪くさっぱり楽しめない。

 これに対し、モーツァルトやシューベルトの弦楽四重奏曲をピアノで弾いてみると、いっこうに違和感が無く、むしろピアノの音から弦の響が彷彿として浮かび上がってくる。ジュリアード四重奏団の演奏スタイルの変遷を語るのは容易なことではないし、残念ながらその根拠となる資料も持ち合わせていない。

 一つ言えることは、彼等の内部でも当初の先鋭的スタイルを続けることに関して常に葛藤があったことは間違いない。創設以来のロバート・マンを除くメンバーの頻繁な交代はこの事情を反映するものであろうし、この交代の数の多さそのものはギネスものである。そしてこの団体の演奏スタイルはメンバーの交代毎に先鋭的なものから伝統的なものの間をさまざまな振幅でゆれ動いていたものと想像される。

 1973年頃、彼等のベートーベン全集のレコードが発売されているが、曲毎に演奏スタイルが大きく変化することと、録音年月日が1964年から1970年まで6年もの巾があることを柴田南雄氏が指摘しておられる(『レコードつれづれぐさ』p.259、音楽の友社)。私はこの全集の中では作品127しか知らないが、これは私があらゆる機会を通じて聴いた同作品の最高の演奏である。演奏スタイルは伝統的なものに近く、残存している先鋭性がプラスに作用している。

 彼等のその後のスタイルの変遷については私ははなはだ頼りない。私がFMライブで演奏を聴いたのは1982年、トロント留学時である。曲目はボッケリーニの弦楽四重奏曲とウェーベルンの「弦楽四重奏のための5楽章」作品5である。このときの演奏スタイルはこの団体らしく、キビキビとして引き締まったものであったが、かつての先鋭的姿勢は影をひそめている。

 これまでの彼等の演奏スタイルに関する葛藤は別として、今回の彼等の伝統的スタイルへの完全な回帰はどこから来るのであろう。残念ながらこれは加齢による技術の衰えが関係していると言わざるを得ない。これにはカラヤンという格好の先例がある。カラヤンはデビュー以来、演奏の今日的意義を唱え、新しい演奏スタイルを追及してきた人であるが、70年代後半に入り、高齢と脊椎骨の変形による痛みのため俊敏な身のこなしが困難となるや前衛的演奏家を諦め、伝統的な音楽作りにスタイルを変えている。前衛であるためには高い技術、気力、体力が要求される。しかし伝統的な音楽ならばまだやって行けるというわけで、実際、カラヤンは堂々とした万人向きの音楽を聴かせている。

 ジュリアード四重奏団にもそっくりこの事情があてはまる。そして今回の全曲演奏には夕映えの美しさとでも言うべき雰囲気がただよっている。弦楽四重奏団のお別れコンサートツアーにはこれまで失望させられることがほとんどであった。例えばアマデウス四重奏団の1982年、カナダ公演、ラサール四重奏団の1985年、日本公演、そしてメロス四重奏団の1990年、日本公演、ことに最後のは彼等の名誉にかかわる演奏であったと記憶している。

 今回のジュリアード四重奏団のお別れツアーは今あげた団体と異なり、有終の美を飾ることが出来、多くの音楽ファンは一安心というところである。それにしても私は大学生の頃からFM放送に親しみ、その間に多くの弦楽四重奏団を“見送って”来た。まさに“行く河の流れは絶えずして”である。




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アカデミア・ニュース(新着 近着 輸入音楽書・楽譜案内)
国内版・外国版楽譜音楽書展望
楽譜音楽書展望 クラヴィアトゥール


 近年は日本の楽譜出版社の出版物の種類が非常に増えて、あまり知られていない作曲家の作品も結構目にしますし、日本の出版社で独自に企画し学問的な校訂を経た楽譜も見られます。ウィーン原典版やベーレンライター原典版のように海外の出版社と提携して出版されるものも多くなっています。以前のように、スタンダードナンバー的な曲しか入手できない、また、あっても信頼性が欠けるという状況は大いに改善されました。とは言うものの、西洋音楽の出版はやはり欧米が本場であることには変わりはなく、演奏する人にとって輸入楽譜の比重は大きなものがあります。

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 音楽書については音楽史や作曲家研究といった種類別に、楽譜については楽器別に分類し、著者(作曲家)、題名、出版年、出版社(音楽書については記載なし)、価格を載せています。特集風に一人の作曲家の楽譜のリストなどが載せられていることもあります。

 最近では、アウシュヴィッツの収容所で亡くなり近年再評価が著しいヴィクトル・ウルマンの楽譜と書籍のリスト、シュトゥットガルトのノルトシュテルンという出版社から出ているヨアヒム・ラフ作品集の既刊リスト、また、エストニアの現代作曲家エルッキ=スヴェン・トゥールや死後ますます人気の高まるピアソラの楽譜リストがありました。継続的にこのニュースを見ていれば、世界の音楽書や楽譜の出版動向や情報をかなり早い時点で把握することができるでしょう。

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編集後記

◎2年近く前にパソコンを買ってから、インターネットなどの音楽情報を漁っています。どんなCDや楽譜、本があるといった軽い情報は手に入れやすく便利なものの、匿名社会(本名で通信していても、社会的責任を負う度合いが、一般の社会に比べて極めて低いので、一種の匿名社会です)では意見交換とか議論といったことは極めて困難だという気がします。マルチメディア社会にあっても本誌のような伝統的な活字メディアは必要なようです。(井上)

◎本誌を今の体裁で発行するようになって約2年が経ち、6号を重ねることができました。毎号皆さんからの原稿を楽しく読みながら、編集作業を進めている次第です。来年はさらに多くの方々から寄稿いただき、紙面を充実させたいものと思っています。(三露)


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シリンクス音楽フォーラム No.26


発 行:1997年12月20日

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