シリンクス
音楽フォーラム


No.27
1998年 春・夏


目 次

レビュー  演奏会  油井 康修  音楽の旅・仕事の旅

レビュー  楽 譜  井上 建夫  革新者、逃亡者あるいは冒険者?

レビュー  楽 譜  井上 建夫  飛躍と愉しみ

コンサート・オン・エア (16)  高橋 隆幸
   小澤征爾とサイトウ・キネン・オーケストラ − 日本人の音楽観

続・私の海外滞在と音楽(1)  北岸 恵子
   アメリカ ペンシルベニア州フィラデルフィア(1986年8月〜1988年5月)

雑誌冊子(4)  BBC Music Magazine

資 料 (3)  ジョン・ケージ John Cage 1912-1992 の楽譜(2)

インフォメーション

編集後記

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Review / Performance
油井 康修

音楽の旅・仕事の旅

ショスタコーヴィッチ・フェスティバル1998
1998年3月26日
オーチャード・ホール
1998年3月27・28日
東京すみだトリフォニー・ホール

[0]

 日本の高校では三月は概ね休みになりますが(かく言う筆者はその高校に勤務しているのです)、それは生徒のことであって、教員には三月末でも仕事があるのです。この時期既に新年度を念頭に大学や専門学校の見学会が「産業教育情報センター」と名乗るような斡旋・仲介会社の企画で行われ、進路の係ともなるとそんな会に行くことにもなるのです。これは勿論仕事として出張になるのですが、この手の会は不思議なことに交通費や宿泊費は会社持ちとなっています。しかし企画会社はその費用を大学や専門学校から得ているのでしょうから、結局は生徒(の親)が払っているということです。

 そういうことを考えるとあまりいいかげんな見学は出来ないのですが、一方折角幾日も東京に滞在するのですから、これを活用しないというのももったいない訳です。実は昨年もこの時期の見学会に参加し味をしめて、今年ももう一度ということだったのです。しかも今回はちょうどロストロポーヴィッチ主催するところの「ショスタコーヴィッチ・フェスティバル1998」にぶつかりました。この高名なチェリストをまだ聴いたことが無かったし、いささかショスタコーヴィッチに興味を感じつつあったので、これは是非と思った次第です。さらにショスタコーヴィッチの前日ヤナーチェクの「イェヌーファ」が聴けたので、今回は現代音楽ラッシュとなりました。

 まずはプログラムを。

1998年3月26日
ヤナーチェク
歌劇イェヌーファ(演奏会形式)
大野和士・・東京フィルハーモニー交響楽団

1998年3月27日
ショスタコーヴィッチ
チェロ協奏曲 第1番 変ホ長調 作品107
交響曲 第13番 変ロ短調 作品113「バービイ・ヤール」
指揮・チェロ:ロストロポーヴィッチ
指揮(協奏曲):沼尻竜典
新日本フィルハーモニー交響楽団

1998年3月28日
ショスタコーヴィッチ
チェロ・ソナタ ニ短調 作品40
6つの歌曲 作品62より「ソネット」「ジェニー」「王様の出陣」
歌曲「風刺」(全5曲)作品109
ピアノ三重奏曲 ニ短調 作品67
ヴァイオリン:マキシム・ヴェンゲーロフ
チェロ:ロストロポーヴィッチ
ピアノ:イゴール・ウリアーシュ
ソプラノ:ヴァレリア・ステンキナ

[1]

 ヤナーチェクは生涯に9つのオペラを書いたということですが、私がこれまでに耳にしたのは「利口な女狐の物語」ただひとつ、それもレコードで聴いただけのものです。童話風のアニメーションのバックミュージックの様な雰囲気で一見軽いのですが、その割には何か重いものが残るといった印象でした。「イェヌーファ」は「女狐」より20年くらい前の作品でオペラ作曲家としてはいわば出世作に当たるとのことですが、この曲もあちこちに民謡調の響きが聞こえてきて、これがチェコスロバキアの音楽なのかは好く分かりませんが、モーツァルトやワグナーといったドイツ系のオペラの響きとは一線を画している気がします。バルトークやコダーイの民謡収集はよく知られていますが、ヤナーチェクもかなり力を入れていたようです。さて何も知らずに聴きに行ったのですが、解説によるとストーリーは次のとおり。

「イェヌーファはシュテヴァを愛し彼の子を身籠もっている。シュテヴァはいいかげんな放蕩者で本気でイェヌーファと結婚する気はない。一方シュテヴァの異父兄ラツァは心からイェヌーファを愛し結婚を望んでいるが、イェヌーファは全く相手にしない。いよいよ出産が近づき、イェヌーファの継母で教会世話人のブリヤおばさんは世間体を気遺い、彼女をひそかに閉じ込めて子を生ませる。そこヘシュテヴァが呼ばれるが、母子を気遺うどころか彼は村長の娘カロルカと結婚することを告げて帰ってしまう。ブリヤおばさんはこの事態をなんとかしようとイェヌーファの寝ているうちに赤子を殺してしまい、イェヌーファには死んでしまったと告げる。絶望したイェヌーファをラツァは優しく慰め、イェヌーファは彼の愛を受け入れる。2ヵ月後二人の結婚式のとき、小川の氷の下から死んだ赤子が発見され、おばさんがすべてを告白する。こういう事態になったいきさつを理解したカロルカはシュテヴァとの婚約を解消し、取り残されたイェヌーファをラツァはしっかり抱きしめる。」

 全体としては悲劇ということになると思いますが、それにしても舞台が随分身近に起こる題材だなあというのが率直な感想。田舎の村の出来事で、登場人物も血縁関係の人間が交錯している。一昔前の日本の田舎に移し替えてもいいくらいだ。ストーリーとしてはいささか鬱陶しいものが有ります。悲劇は悲劇でいいのですが、オペラとしてはそこに何か「華」が欲しい、そんな気になるような話です。それにどうもイェヌーファの人物像が主人公にもかかわらず今一つピンと来ないのも物足りないところです。しかしそうはいうものの、こういう題材を取り上げたヤナーチェクという人の重さのようなものも感ずるのも事実です。それに彼はいつもこんなものばかり取り上げている訳ではなく、月世界旅行やドストエフスキーなどもオペラにしているのですから結構多彩です。

 「華」といいましたが、それは音楽についてもいえます。元々オペラというものがよく分かっていないうえに、オペラといえばアリアとおうむ返しに出て来る人間ですから、つなぎもアリアもはっきりしないこういう曲は正直なところ苦手であります。これが二十世紀のオペラなのだと言われれば、ハイそうですか、と言うしかありませんが、もう少し楽しめる部分が有ってもいいように思うのですが、どうでしょう。音楽の響き自体は悪くないしもっと他の曲も聴いてみたい作曲家ではあります。

 オーケストラも随分美しく、かつての日本のオーケストラというイメージから完全に抜け切った演奏、合唱も(東京オペラシンガーズ)なかなか実力の高い団体と思いました。ソリスト陣ではイェヌーファの岩井理花、まずまずなんだろうけれどもう一つ惹き付けるものが欲しいという感じ。ラツァの伊達英二、シュテヴァの田代誠、いずれももう少し声量が有るといいのになあ。最近は大体オペラには字幕が出るようで、これは有り難いのですが、それを追っていると結構忙しいのも事実で、本当は耳で聴いてそのまま理解出来ればというのは無い物ねだりですねえ。以前「魔笛」を見たときは字幕はスライド式だったのが、今回のは電光掲示板式というのは時代だなあと思いました。

 ここまで書いていたら丁度新聞にこのオペラの昔楽評が載りました(4月1日朝日新聞、間宮芳生)ので、ちょっと紹介しておきましょう。間宮さんは大野和士の指揮は劇的緊迫感に満ち、効果的な照明と優れた歌唱陣相俟って此のオペラの魅力を十分に伝えたと評価しています。ただ気持ち良くオケを鳴らしすぎてヤナーチェク流の表現のヒダがとんでしまったところもある点に不満を訴えています。此のオペラを初めて聴く私には他の演奏と比較出来ずその辺の微妙なところはよく分かりませんが、一筋縄では行かないヤナーチェクの重さというのはこの辺のところかなと思われます。歌唱陣ではイェヌーファの継母役の小山由美をほめていましたが、これはなるほど。イェヌーファ役の岩井理花には間宮さんも少し不服そう。逆にラツァの評価は随分点がいいのが私と違うところです。

[2]

 ショスタコーヴィッチは名のみ知っていてあまり聴いたことの無い作曲家です。かって中学生の時N響で交響曲第五番を聴いたのと、あとピアノ五重奏曲が印象に残っているくらいでした。数年前ヴィオラ奏者を確か四人も集め、西村朗の新作発表(これがヴィオラ奏者四人を必要とする)を兼ねた音楽会がカザルス・ホールであり、その最後に演奏されたのがショスタコーヴィッチのヴィオラ・ソナタで、これは面白い曲だなあと気を惹かれたのでした。

 その後ひょっこり図書館で見つけたソロモン・ヴォルコフの「ショスタコーヴィッチの証言」、これは一読仰天、ショスタコーヴィッチという人間の複雑さ、またそういう人間を作り上げたソ連の音楽事情(ないしは政治事情そのものというべきか)に、いまさらながらに思いを致したものでした。特に驚いたのは彼にとってはロマン・ロランすら大甘な人物、というか彼の人道主義に対してさえ信をおけないその人間観でした。此のころ「ジャン・クリストフ」を読み返していて、自分自身の子育ての経験がだいぶ進んだ頃だったせいか、彼の赤子や母親、おじいさんの心の動き、感情の捉え方の見事さにもう数行毎に感動していたので、こんなことを言うショスタコーヴィッチというのはどんな人間なのかとか、ソ連の政治と音楽の在り方というのは私たちの想像を越えたすごいものなのだろうとか思った訳です。

 今回の「ショスタコーヴィッチ・フェスティバル」を聴きに行くに当たって少しばかりお勉強をしたのですが、まずしばらく前に入手していた弦楽四重奏曲全集(ショスタコーヴィッチSQ)を最初から聴いていって、これは十四番まできました。もう一つは、ちょうどタイミングよくソフィア・ヘントワという人の「驚くべきショスタコーヴィッチ」なる本が出たので、これを読んだのです。もっとも「驚くべき」点は上記の「証言」の方がずっとすごいですが。「驚くべき」は三部構成で、第一部がなんとこれまた好都合なことに今回聴く「バービイ・ヤール」について。第二部は彼の女性関係に関するもので、女性に対し決断力に欠け(此の場合政治は関係ない)ある意味でこんなに煮え切らない男が、音楽の中ではどうしてこんなに雄弁で勇ましいのだろうとこれを読んだ後には改めて感じてしまいます。第三部、サッカー狂い、彼は大変なサッカー狂だったのですが、厳しい政治状況のなかで唯一心を解放出来る場だったと言われるとなぜか納得出来てしまうのです。

 バービイ・ヤールというのはキエフ近郊にある谷の名前で、ここで第二次世界大戦中ドイツ軍によるユダヤ人の大虐殺が行われた地です。1961年エフトシェンコがバービイ・ヤールを歌った詩を発表、これを読んだショスタコーヴィッチは触発されて作曲に取り掛かったのです。しかしこのバービイ・ヤールというのはなかなか難しいところのようです。エフトシェンコもその詩の冒頭に書いています、

  バービイ・ヤールに記念碑はない。
  切りたつ崖は荒削りの墓碑のようだ。

 戦後十数年もたって記念碑すら建てられていないところに、ソ連政府のバービイ・ヤールについての姿勢が伺われるというものでしょう。初演は1962年ですが、それは大変なことでした。ショスタコーヴィッチの交響曲をいくつも初演していたムラビンスキーにはこの曲の初演を断られてしまうし、期待していたバス歌手のグムイリャーも降りてしまう。果ては後にエフトシェンコすら詩の一部を書き換えてしまう。ソ連政府にすれば反ユダヤ主義の問題はもうソ連では片付いている、いまさらそれを持ち出すのは何だ、と言うことらしいのですが、しかしかつてロシア帝国時代には繰り返しユダヤ人への迫害があり、ソ連になっても此の問題は微妙なものがあったと思われます。それにしても1962年のことです。とうにスターリンは死んでおり雪解けと呼ばれた時代が来ていたにもかかわらず、なおかつこのようなことが起こったのです。しかし一方苦労してではあっても初演にこぎつけることは出来たし、少しづつではあっても各地に「バービイ・ヤール」を演奏しようという動きは起こったのでした。こんな予備知識を持って演奏に臨んだ次第です。

 この一時間ほどもかかる交響曲はバスのソロと男声合唱を伴うもので、その規模の大きさからも、むしろオラトリオとでもいうべきかと思いました。楽章も五つもあり、問題の「バービイ・ヤール」は実は第一楽章の表題で、他も「ユーモア」「商店にて」「恐怖」「出世」という中には音楽の表題らしからぬものもついているのです。正直なところ初めて聴くこんな大曲をとても捉えきることは出来ません。印象としてはなんといっても「バービイ・ヤール」は重いものを持って迫って来る曲で、この雰囲気が全楽章を支配しているようでした。「ユーモア」もそれほど「ユーモラス」には聞こえてきません。ようやく曲の最後にたどり着いたときも何からも解放されずずっしりとしたものが残されたという感じでした。

 表現上で特に感じたのは弦、とりわけヴァイオリンがそれ以前のモーツァルトでもブラームスでもまたブルックナーでもいいですが、そういった人達の交響曲で果たしていた役割をもう打ち捨てているということでした。それは旋律を奏で曲を主導して行くといういわば主役の役割、そもそもアルコというのですか、普通の弾き方があまり出て来ない。たまに出て来るとこれがやけに優しく聞こえ、それまでの流れからするといささか違和感を感じてしまう程。そのようにショスタコーヴィッチが意図したのか、はたまた指揮者の解釈が間違っているのか、にわかには判断出来ませんが、気になったところです。バスはセルゲイ・アレクサーシキンという人で、声量もあり大変立派だったと思います。左足を少し踏み出したスタイルは最初から最後まで不動だったのが変に印象に残りました。男声合唱は晋友会合唱団というので「バービイ・ヤール」では実によかったのに、第二楽章以下は急に立ち上がりの悪いステレオのようになってしまい、バランスが崩れたように思いました。ちょっと残念。

 最初に演奏されたチェロ協奏曲は、勿論ロストロポーヴィッチのチェロがお目当てです。第二楽章の後半から第三楽章のあたりの曲の深まりはさすがという感じでした。特に第三楽章はチェロのソロという珍しい形をとり、時にバッハを思わせる風格のある響きが聞こえました。しかし全体的には音量もそれほど大きくなく、概して中から高音にかけての響きが強くややバランスを欠くかという感じ。年齢から来る衰えがあるのでしょうか。

[3]

 翌日は一転して室内楽です。この日学校見学の最後が演奏会場からはるか離れた八王子で、わずか二分の差で都合のいい電車に乗り遅れ、会場に着いたときはチェロ・ソナタが始まってしまっていて、これは聴きそびれてしまいました。二番目の歌曲からでしたがこの日はなぜかプログラムというものが配布されず、詩の中身が全く分からないままに聴いていました。しかし曲は大変面白かった。歌曲作曲家としてのショスタコーヴィッチもなかなかのものではないかと思ったものです。「風刺」の方はいずれもポツーン、ポツーンというピアノの音から始まる一見似た開始ながら、その後多彩に変化して行く凝った作りになっていました。

 歌手も細みの長身を白のドレス風の衣装に包み、見た目にもセンスが感じられました。女性演奏家の音楽会でしばしば感ずるのは、衣装のセンスの無さ、演奏とは関係ないとはいえ結婚式のお色直しじゃあるまいし、そんなハデなものはやめていただきたいというものが多いのです。しかもハデでもそれなりにあっていればまだしも、とにかく不調和・不似合いなのが多いのは閉口です。思わず服装に話がそれてしまいました。ステンキナの声は実によく響く声でした。まるで多重録音をしたように聞こえるのは倍音が強いのでしょうか。多彩なピアノの表現とぴったり合って、表情豊かな歌の一時を作り出しました。

 この日の聞き物は何といってもピアノ三重奏曲でした。チェロがヴァイオリンのような高音で曲を奏で始めると、それにヴァイオリンとピアノがまつわりついて曲が展開して行き、密度の高い音楽を紡いでいくのでした。これも初めて聴く曲でしたが、「バービイ・ヤール」と比べれば楽章間の組み立てが伝統的な室内楽の形であり、三人の演奏ということで曲の流れや受け渡しも捉え易く、前夜よりはるかに楽しめました。しかし曲そのものはなかなか充実したもののように感じました。この日なんといっても目を引いたのはヴェンゲーロフです。まだ若いように見えますが、ロストロポーヴィッチのような大家との演奏でも全く臆したところが無いし、その態度に自信のようなものが滲み出ていて不敵な感じすらしました。テクニックも見事ですが、それをひけらかすようなところは無く、果敢に音楽にアタックして行く演奏振りでした。まさしくピアノ三重奏に相応しい演奏者であったというべきでしょう。音色はヴァイオリン特有の倍音を聞かすような美音タイプではなく、どちらかといえば線の太いふくらみのある音です。昨年取り上げた和波孝禧の音色に近いと思います。いずれにせよソロにコンチェルトに、色々な形でこれからも聴いてみたいヴァイオリニストであります。

 今回わずか三日とはいえまとめて現代音楽を聴いたのは、学生時代のバルトーク弦楽四重奏曲連続演奏会以来です。かつてよりは演奏会で現代音楽が取り上げられることは多くなっていて、それももう特別なことでも無くなってきており、一回の演奏会の中で現代曲を演奏曲目の一つにしている音楽会はしばしば聴いています。私自身が現代音楽をひたすら聴いたのは十台の後半から二十台の前半、今に比べれば随分情報量の少ない頃でしたがその中で出来得る限りの機会を捉えて聴き、ひたすら新奇なものを追求していったものでした。その後も手に入れたレコードの中には何枚もの現代音楽があり、今もレコードケースの中にあります。

 しかし「日々の糧」として聴く音楽の中には現代曲は多くはありません。一日が終わり床に就くまでのしばらくの一時、一、二曲聴こうと手にする「日々の糧」は、やはりバッハやモーツァルトといったところから、せいぜいドビュッシー・スクリャービンあたりまで、現代音楽ではメシアンなど一部の作曲家のものだけです。いまだに私にとって現代音楽というと、それは極めて挑戦的のものだし、感性的なものも含めてその背後に強い問題意識のようなものが感じられることが多いのです。それだけに聴くとなるとこちらもいささか構えて聴かなくてはならないという事になります。

 いま「日々の糧」として聴いているような曲もそれが作曲されたときはその時の現代昔楽であり、やはり問題意識や強い感情や色々なものが生み出される背景にあったものと思います。今でもそういうものを探りながら聴く人もいるかもしれません。しかしわたしにとっては、そういったもろもろは時の流れが洗い落とし、それらの後になおかつ厳として存在しているいわば「音楽美」そのものを聴こうとしているのです。そういう聴き方の出来る曲が私にとっては古典といえるし、日々の糧にもなるのです。そんな純粋な「音楽美」などというものがあるのかという意見もあるでしょう。しかしさまざまなジャンル、さまざまな響き、さまざまな作曲技法のなかに天才的な音楽家たちは未知の美を常に探求しているように思うのです。今回ショスタコーヴィッチを聴く機会を持てたのも何かの縁でしょう。彼の中に新しい美を探ってみたいという気にもなってきました。
(1998.4.5)



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Review / Music
井上 建夫

革新者、逃亡者あるいは冒険者?

パーシー・グレインジャー
『2台のピアノのための音楽 第1巻』
Percy Grainger : Music for Two Pianos (Two Piano Album) Vol.1
Schott(London)
1997
£13.95(2冊セット)

 パーシー・グレインジャー(1882−1961)の音楽はここ数年、急速に復活していますが、戦前は我が国でもけっこう知られていました。1935(昭和10)年に発行された乙骨三郎の『西洋音楽史』には、「英米の近代音楽」の章で彼が写真つきで取り上げられています。

 パーシイ・グレェンジャー Percy Grainger 1882- は濠州メルボーンに生れ、獨逸でブゾーニに学んだ優れたピアニストで、1900年倫敦に来り翌年から演奏会に出演して名声を博した。彼は晩年のグリークと親交を結んだ人で好んでこの大家のピアノ曲を演奏した。作曲家としてのグレンジャーは英国民謡復興の運動に熱中し、民謡を編曲した合唱曲や民謡に基いた室楽及び管絃楽に於て成功した。グレンジャーは1915年紐育に於ける初演奏をなし、其の後米国に留まって此の国に帰化した。

 ここでも、作曲家としてのグレインジャーはもっぱら民謡との関わりがとりあげられていますが、グレインジャー自身は、民謡の編曲者あるいは民謡を素材にした軽い音楽の作曲者という一般的な評価に大いに不満を抱いていたようです。ドビュッシー、ディーリアス、ストラヴィンスキーなどとともに20世紀音楽の創造者の一人として自負しており、このことは彼自身、色々な機会で文章の中で表明しています。「丘の歌」「兵士たち」「パストラール」のような複雑な和声とリズムを駆使した野心的な作品を聞くと、20世紀初頭の革新的な作曲家たちの一群の中に彼も正当に位置づけるべきだという気がしてきます。

 とはいうものの、民謡に基く作品は彼の全作品の半分以上を占めていますし、最近のグレインジャー復興も必ずしも彼の革新者としての面が表に出ているわけでもなさそうです。昔から有名な「アイルランド デリー郡の歌」「カントリー・ガーデンズ」「浜辺のモリー」といった民謡編曲を聞くと、ともかく美しく楽しい音楽であり、何も理屈を言う気はなくなります。音楽的にとりたてて革新的な面を感じるわけでもありませんが、かといって古典的な古めかしいものでもありません。精緻なテクスチャの、きわめてよくできた作品であることは確かです。

 クラシックの作曲家が民謡を用いた場合、私たちは彼が民謡を素材にしてクラシック音楽をつくったという風に考えます。ドヴォルザークもチャイコフスキーもグリークもバルトークも民謡を素材にしてクラシック音楽をつくりました。しかし、多分グレイジャーは少し違っています。彼は、民謡の中にクラシック音楽を持ち込んだ、という方が正確なのでしょう。民謡以外でも、彼にはロンドンのミュージックホールの音楽のスタイルで書いたという「陽気に、しかし悩ましげに」、あるいはラグタイム「イン・ダホメ」のような曲があります。これらを含め、素材として民謡あるいはポピュラーミュージックなりラグタイムを使っているというよりも、作曲者はまずそれぞれの音楽の世界に、例えば郷愁を誘う民謡のメロディーに、小市民的センチメンタリズムに、あるいは激しいダンスのリズムにと完全に入り込んで、しかもそれをクラシック音楽の技法で再構成しているといった方が適当でしょう。これはバーンスタインがミュージカル「ウェストサイド物語」を書いたやり方に似ています。しかし、このやり方はクラシック音楽の流れの中ではいささか奇妙な方法であり、その作品自体は成功しても、ある種の袋小路に入り込んでしまうでしょう。後継のない、音楽史家が位置づけに困ってしまう作品なのです。

 グレインジャーは交響曲やソナタ、弦楽四重奏曲といったオーソドックスな作品は学生時代のごくわずかの習作を除けば1曲も書きませんでした。伝統的なクラシック音楽の本流を避け、民謡やポピュラーミュージックの世界へと入り込みながらも、自分が持っているクラシック音楽の財産は決して捨てようとしない。クラシック音楽の世界の中で成熟することを拒否して、少年時代へと逃走するわがままな若者という気配も濃厚ですが、オーストラリアに生れ、ドイツで音楽を学び、イギリスで音楽家としての活動を始め、北欧諸国での民謡の採集、そして最終的にはアメリカに行くという彼の生涯は、それぞれの土地や文化への抜群の適応力を示していますし、伝統的なクラシック音楽という武器を使いながらの彼の冒険の旅だったのかも知れません。

 クラシック音楽の世界では、過去の作曲家(クラシック音楽という概念の中では、作曲家はすべて過去の人でしかありえませんが)は音楽史の中で、すなわちクラシック音楽という世界をつくっているエスタブリッシュメントの中で、評価、位置づけされてはじめて演奏されるのですが、何が正統か誰にも判らなくなっているような近年では、ともかく面白そうなものであればジャーナリズムなり音楽産業が飛びついてきます。グレインジャーに限らず、これまで埋もれていたような多数の名前が登場してきていて、これが果たして本当に望ましいことなのかどうか疑問は感じるものの、独特の世界を持つ優れたマイナーコンポーザー、グレインジャーの復興は喜びたいと思います。

 楽譜に関しては、ここ数年、絶版になっていたものの再刊が続いています。標記の『2台のピアノのための音楽 第1巻』は「ストランド通りのヘンデル」「浜辺のモリー」「羊飼いたちのヘイ」「カントリー・ガーデンズ」の4曲を収めており、最後にあげた曲以外、2台のピアノ用のヴァージョンは長らく絶版になっていました。これに続いて、第2巻(「リンカンシャーの花束」)、第3巻(「丘の歌TU」)、第4巻(「組曲 要約すると」)、第5巻(「子どものマーチ」「東方のインテルメッツォ」「イングリッシュ・ワルツ」「母の遺品の2つの音楽」)と続く予定です(もう出版されているかも知れません)。

 彼の作品のほとんどは、楽器編成などが異なる複数のヴァージョンがあり、これらの2台のピアノの曲も、他にオーケストラ、ピアノソロ、声楽曲などさまざまな形で作られています。この楽譜の序文で編者のバリー・ピーター・ウールドが「ピアノという楽器との愛憎関係」と表現しているように、優れたピアニストであったグレインジャーは、特に後年、ピアノ演奏をすることを嫌悪するようになったようですが、私的な場所で2台のピアノで演奏することは非常に好んでいたと伝えられています。彼は自分の作品をピアノ独奏用に編曲したときは「ピアノに盛り付けた(dished up for piano)」と書いていますが、どれもが、まさに大盛りという表現がふさわしいほど、ピアノで表現可能なぎりぎりのところまで音を押し込んでいます。それでも、効果的な演奏が可能なところが、さすがにピアニスト=作曲家ですが、2台のピアノの場合は、やはり2台ということから媒体の方にゆとりができ(といっても各パートともそれほど単純というわけではない)ソロよりも素晴らしい効果を上げている場合が多いといえるでしょう。今後、2台のピアノの演奏会で取り上げられることも多くなるでしょう。なお、イギリスのパールというレーベルから、ペネロープ・スウェイツ、ジョン・ラヴェンダーという2人のピアニストによる大変好ましい演奏のCDがでていることも付け加えておきます。

* 乙骨三郎の「西洋音楽史」は日本人による西洋音楽史の名著。著者の死により19世紀末や近代のところは草案に終わったもののようです。
**同じショットから、「ピアノソロアルバム」4巻も並行して復刊されています。ピアノ独奏曲に関しては、生誕 100年の1982年にアメリカのシャーマーから1巻の作品集が出版されていて、収録曲はかなりの部分、重複しています。
*** イギリスのチャンドスからはCDの全集が刊行中です。



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Review / Music
井上 建夫

飛躍と愉しみ

アラン・ジョーンズ(編)
『ピアノのためのロマンティック・スケッチブック T〜X』
Alan Jones(Selected and edited): A Romantic Sketchbook for Piano T〜X
The Associated Board of the Royal Schools of Music
1996
@£4.25

 イギリスの王立音楽学校連合評議会( The Associated Board of the Royal Schools of Music)は、1889年設立という伝統ある組織で、各楽器や声楽のグレード試験を実施しています。試験の要項などを見ると、きわめて洗練され行き届いたシステムを築いていて、外国も含め毎年、数十万のエントリーを数えるという音楽教育の一大制度のようです。ここはピアノ曲を中心に楽譜出版も行なっており、標記のものは教育用として使え、また試験の課題曲ともなる小曲をグレード別に編集したものです。同種の曲集が他にも何種類か出版されていて、ロマン派のものを集めたものとしては、既に『ロマン派ピアノ小曲集 正・続(Short Romantic Pieces for Piano, More Romantic Pieces for Piano, edited by Lionel Salter)』各5冊があり、今回のものは編者は異なりますが、編集方針も同様で、ロマン派作品の第3番目のシリーズということになります。各冊48ページで、20数曲以上収められていて、全5冊で 163曲となります。3つのシリーズはどれも、教育用の曲集として非常によく考えて編集されているだけでなく、ロマン派のピアノ小品のアンソロジーとしても興味深いものです。

 王立音楽学校連合評議会のグレードは、易しい方から数えて1から8まであって、この曲集は1から7までの曲を、1巻はグレード1−2、最後の5巻はグレード7という風に順に収録しています。ちなみに第5巻(グレード7)に収められた曲のうち有名なものをいくつかあげると、ショパンの「マズルカ」 Op.17-1、シューマンの『子どものためのアルバム』より「冬 U」Op.68-38/2、ブラームスの「ワルツ」Op.39-1(作曲者が易しくしたヴァージョン)、チャイコフスキーの『四季』より「10月」、ヤナーチェックの『草陰の小径』より「ぼくたちと一緒に行こう」、セヴラックの『休暇に』より「シューマンを想い起こして」などがあります。これらの例からも判るように、グレード7といっても、日本の常識?からすれば、かなり易しい曲です。ベートーヴェン、シューベルト、ショパン、リスト、シューマン、ブラームス、ラフマニノフといった大作曲家の主要作品はほとんど、グレード8またはグレードを超えた作品ということになります。要するにこのグレードというのは、本格的なピアノ曲を演奏できるようになるまでの間の過程を示しているのでしょう。

 さて、この種の教育用の小曲集は数多く出版されていますが、こうした小曲が教材として役立つためには、まず第一に、音楽的に優れた作品であること、第二に、容易にマスターできる作品であることが必要でしょう。ところがこの2つの条件を兼ね備えた曲というのは、厳密に言うとあり得ません。音楽的に優れた作品は、常に一定程度以上の複雑さを持っています。複雑な作品を弾きこなすことは、常に困難を伴います。故に、優れた作品をマスターすることは、常に難しいということになります。

 実際、音楽的に優れた作品を演奏しようとすれば、それがチャイコフスキーの「子どものためのアルバム」の中の1曲のような一見易しそうな曲であれ、ショパンの「ソナタ」のような確かに難しい曲であれ、どちらの場合でも必要な演奏技術はほとんど同じものです。ショパンの「ソナタ」はより複雑で長さもはるかに長いので、当然準備に手間がかかるものの、「子どものためのアルバム」が弾ければ、ソナタを弾くことは可能であり、ソナタを弾くことが可能でなければ、「子どものためのアルバム」も弾けない。なぜ、こうしたことになるかといえば、ピアノ演奏の技術とは、極言すれば、強弱の加減とスピードだけという極めて単純なものであるからです。出来るか出来ないか、弾けるか弾けないかのどちらかであって、少し弾けるとか、かなり弾けるという状態はほとんどあり得ません。(ピアノに限らず、身体的技術というものは程度の差はあっても、本質的に単純なものだと思われます。)

 グレード1を始める前が弾けない状態で、8が弾ける状態であるとすれば、この曲集のグレード1から7とは、上の言い方でいえば、ほとんどあり得ない状態ということになります。ピアノ演奏を学ぶあるいは教えるとは、結局、このほとんどあり得ない状態をいかにして跳び越すかということにほかなりません。優れた指導者、学ぶ人の熱意(動機)、それに指導者と学ぶ人双方に十分な時間的余裕があれば誰でも、この曲集のような優れた教材を活用することによって、グレード1から7までは3ヶ月でマスターできると評者は信じています。しかし、残念ながらこうした短期決戦の教授法がなされていることは聞いたことがありません。学校をはじめ、教育に関する近代の諸制度は人間が成熟することを限りなく引き伸ばす傾向がありますが、近代のピアノの教授法もまた、それから免れていません。ピアノの演奏をマスターすることは難しく、長期間を要するというのが常識のようになっていますが、これは近代の諸制度の中での思い込みにすぎないと評者は思うのですが。

 話を標記の曲集に戻すと、第5巻の内容として上で紹介したような知られた作品は、実は例外的なものです。ここで登場するのはアルカン、ヘラー、ハーバービーア、ガーデ、キルヒナー、サンドレ、リャードフ、フィビッヒ、モシュコフスキー、カルガーノフ、マクダウェル、レビコフ、マイカパル、ゲーディケ、グリエール、グラナドス、ダンヒル、ブリッジ、オルウィンといった人たちの、1830〜1930年頃の約 100年間の作品です。教材として見た場合、バロックや古典派のものがないのが好都合です。チェンバロやフォルテピアノのために書かれた作品を現代のピアノで弾くには、どうしても技術的に不自然なところがあり、最初に取り組むには困難が多すぎるからです。

 収録曲の多くは、もともと子どもや初心者用として書かれた曲ですが、魅力的な作品が多く、あちこちページを繰りながら弾いていくとなかなか楽しい時を過ごすことが出来ます。先ほど、音楽的に優れた作品であることと、容易にマスターできる作品であることの2つの条件を兼ね備えた曲というのは、厳密に言うとあり得ないと書きましたが、ではこの曲集はどうなのか。やはり音楽的に優れた作品であることに重点が置かれているというべきでしょう。私たちの知らないロマン派の遺産は、教育目的に書かれた作品の中にもずいぶん豊かにあるものです。思いがけない佳品を次々と差し出してくれる編者の慧眼ぶりには感心してしまいます。また、すべて1〜2ページまでの短い曲ばかりというのがポイントで、短さというのは容易にマスターできるための大きな要素です。



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Concert on Air

コンサート・オン・エア(16):

小澤征爾とサイトウ・キネン・オーケストラ − 日本人の音楽観

高橋 隆幸

発足当時のサイトウ・キネン・オーケストラは桐朋学園メモリアル・オーケストラとよばれていた。私の手許には1984年9月18日、東京でのコンサートの一部を録音したテープがある。曲目はモーツァルトのディベルティメント、ニ長調 K.136、指揮は発足の呼びかけ人の一人である秋山和慶。この演奏は強い印象を与えるものであった。完璧なアンサンブル、音の透明な美しさ、キビキビとしたリズム、それでいながら表情豊かな歌わせ方も充分持ち合わせており、私自身の経験で言えば、この曲の最高の演奏と感じたものである。

 それと同時に思ったのは、これはもしかして世界のトップクラスのスーパーオーケストラが誕生したのではないか、ということであった。1980年代は日本人演奏家のレベルが飛躍的に向上し、これはもう世界の一流として充分通用するのではないかという人や団体(特に室内楽)が次々と登場してきた、いわば日本音楽界の高度成長期に相当する。その中でも多くの優秀な演奏家を輩出してきた故斎藤秀雄氏の門下生あるいは関係者のオールスター・オーケストラの出現ということで、非常に大きな期待を持って迎えられたのは想像に難くない。その後はサイトウ・キネン・オーケストラと改名し、主として小澤征爾が指揮をとり、常設の団体ではないが世界的な名声を得ていることは周知の通りである。

小澤征爾はブザンソンで優勝した後、帰国公演でメシアンの「トゥランガリラ交響曲」の本邦初演を行っている。我々日本人が彼について抱くイメージはこのあたりに端を発しており、近代、現代作品に積極的に取り組み、ドイツ系のスタンダードな曲よりは、フランス等ラテン系の作品を得意としている、というのが通り相場である。

余談になるが、日本のクラシック音楽の“大衆誌”「レコード芸術」で“世界の名指揮者読者アンケート”等という企画がある場合、全く信じられないことに、小澤征爾は上位20位にも入らない。世界の名門オーケストラであるボストン交響楽団の音楽監督を25年以上も勤めている人がである。この原因の一つは、日本のクラシック音楽愛好家はドイツ系音楽への指向が強く、ベートーベン等を立派に指揮出来ない人はとかく軽くみられる、ということであろう。同様にレパートリーの関係でとかくなじみが薄くなる、という事情も考えられる。

 話は小澤征爾が本領を発揮するレパートリーに戻るが、これまでFM放送で聴くことができたライブの公演ではやはり非ドイツ系のものが多い。例えばヘンリク・シェリング、ベルリン・フィルと共演したバルトークの2番の協奏曲(1870年、ベルリン)、ベルリン・フィルを指揮したマーラーの7番の交響曲(マーラーは異端のドイツ系?)(1989年6月、ベルリン)、アルヘリチ、新日本フィルと共演したラヴェルのト長調の協奏曲(1985年頃、東京)が印象に残っている。マーラーの7番は膨大な内容をきっちりまとめた名演であったし、特にラヴェルの協奏曲の場合、アルヘリチの技術の冴えもさることながら、オーケストラの色彩的で生き生きとした表情は特筆すべきものであった。

サイトウ・キネン・オーケストラは世界中に散らばって活躍しているメンバーが年一回、主としてシーズンオフに結成する団体である。その時間的制約も関係しているのであろう、取り上げる曲目はいわゆるスタンダードな名曲が多い。そのおかげで我々が小澤征爾のドイツ系音楽に接する機会が増えてきている。

例えば、パリ公演におけるベートーベンの第3交響曲(1987年4月)、バッハのマタイ受難曲(1987年11月、東京)、そして去る2月、長野オリンピック開幕時のベートーベンの第9交響曲(一部がサイトウ・キネン・オーケストラのメンバー)。このうちベートーベンの第3交響曲が非常に印象的であった。この時、FM放送の解説者が珍しく本質をついた感想を述べていた。すなわち、あえて味付けをしょうとしないで、正確さ、ひたむきさで押し通した演奏、という内容であった。この時は比較的小編成のオーケストラであった様で、大交響曲というよりはむしろ室内楽的、そしてヒロイックな人間性、悲劇性は希薄であった。

この演奏を聴いてすぐに思い出したのは、小澤征爾がかつて新日本フィルを指揮したブルックナーの第7交響曲である(多分、前に述べたラヴェルの協奏曲と同じ時)。この演奏は細部にまで神経の行き届き、すっきりまとめた美しいものであったが、どうも油気がないというか、肉が薄いというか、要するに何かドロドロとしたものが無いのである。

 もう一つ思い出したのは1984年、ベルリン・フィルを指揮したメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」(テレビ放送)である。このときはベルリン・フィルが相手なので豊かな響きに欠けることは無かったが、何か健康的に過ぎ、色気、妖しさといったものの乏しさが気になっていたところである。ベートーベンの第3交響曲を聴いた時、今までの印象は偶然ではなく、小澤征爾の一貫した特徴ではないかと思い至った次第であり、さらに、最近のマタイや第9も聴いてその印象は確信に近いものになっている。

小澤征爾の本質はあの特異な風貌とはかなり異なるようで、その音楽から感じられるのは真摯、ひたむきさであり、大げさな身振りやハッタリは見られない。長年要職につきながら、その指揮の動作はむしろ素人っぽい。強烈な個性というよりはむしろコスモポリタン的である。

考えてみれば、こういったスタイルは、かつて私がこのシリーズで取り上げた東京カルテットなど、1970年代以降に日本が輩出した優れた演奏家のそれと軌を一にしている。すなわち、重厚さよりは軽やかでスリムなものを、感情的あるいは耽美的なものを排してあくまで清潔に、個性的であるよりは客観的に、テンポはインテンポで、ペダルは控えめに、というスタイルである。小澤征爾をはじめとする日本の優れた音楽家の多くは斎藤秀雄氏の直接、間接の門下生であるのでこういった共通のスタイルが見られるのは当然というべきかもしれない。

 しかし、このスタイルは斎藤氏自身の音楽観というよりは日本にクラシック音楽が本格的に導入された時期、そしてその時のスタイルが何であったかが重要なファクターになってくると思われる。結局これは、第一次世界大戦後の一時期、ヨーロッパで支配的であった新古典/新即物主義ということになろう。この出発点がその後の日本人の演奏スタイルを大きく規定することになったと思われるが、一方、20世紀も間もなく終わろうとしている現在にあっても、かくも強固にこの音楽観が生き続けているのを考えた場合、これはやはり日本人の世界観あるいは特質とよく調和するからであると言わざるを得ない。

小澤征爾はデビュー後まもなくそのアメリカナイズされた言動が一因でN響とトラブルを起こし、その後は海外で大スターとして活躍を続けている。したがって私は、彼は日本人とはかなりかけ離れた心情の持ち主であると思っていた。今回、サイトウ・キネン・オーケストラとの一連の演奏を聴き、結局彼も日本人であるという発見は、意外であり、驚きでもあった。私は今まで、ある演奏家がどの国出身だからこういうスタイルであるという考え方は極力避けるようにしてきた。しかし、民族も含めたいわゆるルーツというものの影響力の強さを思い知らされた次第である。

 この日本人の音楽観というものは美点なのであろうか。私個人の考えでは少々の物足りなさを覚えつつも、小澤征爾、サイトウ・キネン・オーケストラにより多くのすばらしさを感じている。特にそのひたむきさが、古典の名曲のもつ深い人間性を、直接的ではないが、浮かび上がらせているように感じる。ショルテイ、シカゴ交響楽団の全盛期に、ボストンの音楽ジャーナルが“我々のオーケストラにはあの輝かしさ、力強さが無い”といった批判的論調を述べたことがあると聞いている。これも先に述べた日本人の音楽的特質のためかと考えられるが、その後、彼の地位は安泰で、そういった論調も無くなったようである。ボストンは何といってもインテリの町であり、それゆえに小澤征爾の音楽にショルテイとは違ったより多くの美点を認めているのであろう。



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Staying abroad

続・私の海外滞在と音楽(1)

アメリカ ペンシルベニア州フィラデルフィア(1986年8月〜1988年5月)

北岸 恵子


[モンペリエからフィラデルフィアへ]
1986年夏、涙にくれながらフランスを発ったところで前シリーズのフランス、モンペリエの話は終わった。おとぎ話ならここで余韻を残して終わるのだが、人生はそうは行かない。ロマンティックな別れは、次の現実生活の始まりである。泣いてばかりいた私は、パリのシャルル・ド・ゴール空港からの飛行機がニューヨーク、J.F.ケネディ(J.F.Kennedy)空港に近づくにつれて、自分自身の浅はかさに後悔し始めた。というのは、10年前、アメリカは景気の先行きが暗く、エイズが広がり、治安の悪さは世界でも有名であった。なのに私はニューヨークの地図一枚持っていない。JFK 空港からフィラデルフィアまでどう行くのかすら、真剣に考えていなかった。

 どうしてこんな無謀な状態のまま、出発したのか。ニューヨークからフィラデルフィアまで、グレイハウンドのバスが出ていて便利なことは知っていたが、グレイハウンドのバス乗り場はニューヨークのどこにあるのか、またJFKはニューヨークの中心からどのくらいの距離なのか。隣りの席のスタイルのよいアメリカ女性がマンハッタンまでタクシーで行かないかと誘ってくれた。グレイハウンドの乗り場はダウンタウンにあるので私はイエスと返事すべきだったのだが、マンハッタンは繁華街で私の目的地ではない、と思い込み、ノーサンキューと言ってしまった。

飛行機はJFKにつき、外へ出た私に話しかけてきたのは自称、タクシーの運転手である。自分はタクシーの中でもリムジンで、どこへでも行ってあげると言葉巧みに勧める。そう言えば新しいボスが、リムジンという大きいタクシーみたいな乗り物を利用すれば、簡単にフィラデルフィアまでも安価で行けると言っていた。“グレイハウンドでフィラデルフィアまで行きたいんだ”と言ったら、“お安い御用だ、車まで荷物を運んであげる”と重いトランクを持って歩き始めた。すぐそばに、同じ飛行機で着いたフランス人のカップルが同じような運転手に荷物を持ってもらって歩いている。

車が走り始めて急に恐くなった。メーターがないのである。これはうわさに聞く白タクに違いない。法外な料金を要求されるのではないか。おそるおそる“グレイハウンドの乗り場までいくらくらいかかるのか”と尋ねると、150ドルくらいかな、という。高すぎる。確かモンペリエでは50ドルくらいと聞いた。“高すぎると思うけれど、、、”と言うと、運転手いわく、“われわれは一般のタクシーではなくリムジンだからタクシーよりは高いんだ”と料金表のようなものを見せる。

 そこには確かにJFKからマンハッタンは 150ドルと書かれている。あのアメリカ人女性の親切を受ければ良かった、と後悔するがあとの祭りである。おずおずと運転手に“でも高すぎる。私はあんまりお金を持ってない”と言うと、“ 135ドルに負けてあげる。でもこれは高級なリムジンなんだからね。”よくその場で降ろされたり、荷物ごと身ぐるみはがれたりしなかったものだ。ナイフや銃で脅されて負傷したりしても文句の言えないシチュエーションだったから、後になって幸運だったと思う。

 グレイハウンドの乗り場に着いて、フィラデルフィア行きのバスに乗る。ニューヨークからフィラデルフィアまで何時間かかっただろう。フィラデルフィアに着いたのはもう深夜、12時に近かった。

[アジア人]
新しいボスに安くて安全なホテルを紹介してもらっていたので、フィラデルフィアに着いた夜から宿泊できる。しかし、時は深夜、物騒で有名なアメリカ東海岸の都市の中、どうしてホテルまで行けばよいのだろう。バスを降りて思案する私にアジア系の男性が声をかけてきた。誠実そうなきちんとした感じの人だ。韓国の人で、ペンシルベニア大学に留学中とのことである。事情を尋ねられて簡単に答えたところ、夜に予約したホテルまで移動するのは危険だ、すぐ近くのホテルに一晩だけ泊まったらどうか、とバス停に広告が掲示してあるホテルの写真を指差す。

 彼は、そのホテルに電話してくれて、予約したホテルにも一日遅れる旨連絡してくれた。また困ったことがあったら連絡してくれ、と、バス停で別れる前に自宅の電話番号を教えてくれる。心から礼を言う私に、彼は“ここは外国だ。アジア人はアジア人同士で助け合わなくては。お互いさまだから”と言う。この言葉はアメリカ留学中、いつも私の心の中にあった。そして今も同じである。アジアの国々に対して近親憎悪のようなものを感じたことがなかったといったら嘘になる。また、第二次世界大戦での我が国のアジア内での態度が今の日本、および日本人の心に翳を落としていることも事実である。しかし、アジアの外の国で同じ外国人として助け合うというのが体中に心地よい響きで広がり、それは人間の優しさ、善良さの現われのようで、早朝のモンペリエから時差を含んで、24時間以上かかった長旅の疲れを癒した。

[ホテル暮らし]
翌朝、予約したホテルへ行って驚いた。女性はスカート、ストッキング着用が義務づけられズボンだとだめ、室内での飲酒、喫煙は禁止、酒は持ち込みすら禁止、男女は階によって完全に分かれていて、夫婦でも別室どころか別階。男女が同室に宿泊することが常識のフランスから来た私は、あっけにとられた。違反したらホテルから出て行くことと明記されている。ここはキリスト教プロテスタントの一宗派が運営する善人善女のための宿泊施設なのだ。

 エレベータの中には、宿泊者がルールを守っているかチェックする、まじめそうな婦人が椅子にすわっている。スカートの皺が目立っただけで、ちゃんとアイロンをかけておきなさい、と説教される。エレベータおばさんは本を読んでいたり、編み物をしていたり、勤勉である。料金は確かに安い。一週間契約だとさらに安く、約50ドル。食堂もまずいが安い。危険な東海岸都市、フィラデルフィアにおいてこの値段で安全な宿は魅力だ。

 そのせいか、このホテルは日本人女性が多かったが、私のような反抗期の塊のような人種には相容れない。毎日のように禁酒に反抗してバッグにこっそりビールを隠して部屋に帰った。空のビンや缶が部屋に残っていると追い出されるから、空ビン、空缶を外出時に隠し持ってホテルの外で捨てた。数日でビールを持ち込む反抗活動に飽きて、早く出て行きたくて懸命にアパート探しを始めた。

しかし、なかなか適当なのは見つからない。新入生が新居を決めた後で、良い空き部屋が少ない。さらに、安全で明るく、一人で住めて、アメリカでのポストドクの1年目の給料で暮らせるところというと、皆無に等しい。2、3日不動産屋を歩いて探し疲れて、暗くて気に入らないけれどもここに決めようかな、という物件を見つけた。同じ研究室でポストドク3年目のギリシア人女性、エレーナが見てあげようと付いてきて、暗くて良くないから他のを探してあげると言って見つけてくれたのが、研究室から歩いて20分、3階建ての小さなアパートの3階の一室である。

 明るくて広いワンルームで、バスルームとの間にウォークインクローゼットのような3畳ほどの控えの間がある。月給が税引き前で1500ドル弱なので、月 500ドル近い家賃は苦しい。また、建物は古いアパートを改造していて、バスルームが狭かったり、古びた箇所もあったりで、今一つである。が、バス停がすぐ前にあって、歩いて1分と5分の距離に2軒のスーパーマーケットがある。便利で安全そうだ。アパート探しに疲れた私は、入居を決めた。

 アメリカのほとんどの学生アパートと同じく、そこは家具なしアパートだ。あるのは冷蔵庫とガスレンジと水道、それに暖房設備のみ。ガスレンジが4口で、冷凍庫付きの大型冷蔵庫というのがいかにもアメリカらしい。フランスの時は家具付きだったので、家具の購入の必要はなかった。しかし、ベッドすらないのだから、すぐにホテルを引き払うわけに行かない。翌日からは、最低の生活用具を安価に手に入れる算段を始めた。家具屋で安いベッドを買い、皿やなべは町角でのヤードセールやガレージセールで中古を探す。カーテンは一部が中古品、他は安い布を手縫いして作った。

 結局、アメリカ入国から約2週間、奮戦の甲斐あってうるさいホテルを脱出、自分の城を確保した。

[ピアノがほしい]
 アパートに移って仕事が始まった。そうすると無性にピアノが恋しくなってきた。研究室で教えてもらってフィラデルフィアで一番大きい楽器店を訪ねた。レンタルやリースについて尋ねると、価格が高いうえに6ヶ月分を前払い、クレジットカードがないと受け付けてくれない。当時、日本でまだクレジットカードが普及していなかったので私は持っていなかった。アメリカがキャッシュを嫌い、クレジットを好むことすら当時の私は知らなかった。仕方なく、安物のスピネット型アップライトを買おうと思った。しかし、手持ちのお金が足りない。日本の両親に20万円無心することにした。日本からの金を受け取って、手持ちと足しての現金払い。送金を待っての購入なので、アパートにピアノが来るのは1ヶ月くらい先である。

 その1ヶ月間の週末、私は工夫してピアノを弾く短い時間を作った。フィラデルフィアのダウンダウンにあるアパートのピアノ売り場には何回か行った。ピアノ売り場は最上階に近いフロアにあって、買い物客はほとんどいない。ピアノの上には、“許可なく演奏しないように”との札があるが、買い物客の姿と同様、店員の姿もない。遠慮して中程度のアップライトで小品を弾いてみる。隣の絨毯売り場に店員がいるが、絨毯に座って雑談している。絨毯売り場の店員は私に注意するどころか、1曲終わると拍手してくれて、不安いっぱいのアメリカでの研究生活のスタートの中で、週末らしい楽しい一時であった。



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Magazines and Bulletins [4]

BBC Music Magazine


 本号の高橋隆幸さんの記事に『日本のクラシック音楽の“大衆誌”「レコード芸術」』という表現を見つけ、これは言い得て妙だ、と思わず笑ってしまいました。クラシック音楽という概念が、社会階層としての大衆とはもともと無縁のものとして始まっていると思いますが、近年はCDの普及もあって、いやおうなくクラシック音楽の大衆的な享受の仕方が支配的になってきています。これは諸外国でも、程度の差はあっても同様の傾向にあるのでしょう。さしずめイギリスのクラシック音楽の大衆誌は「BBCミュージック・マガジン」でしょうか。

 大衆誌が大衆的であるゆえんが、「BBCミュージック・マガジン」のCD評からも見て取ることができます。ここではとりあげられたCDに対する短い評のあとに、「演奏」と「音質」の2項目について星★の数で点数化されています。最良が5つ星、最悪が星1つです。更に、特に優れているものには特大の星がついています。4月号では、例えばメディチ弦楽四重奏団のサン・サーンスの弦楽四重奏曲1・2番に特大星がついていて、逆にペーター・マーク指揮ヴァージニア・オペラのヘンデル「ジュリアス・シーザー」は演奏が星一つといった具合です。

 ところで、クラシック音楽の演奏に限らず、芸術作品が社会に提示されると、その価値をめぐって様々な議論がまきおこります。これが批評であり、その中から批評の対象となった芸術作品の価値だけでなくそれを取り巻く社会の状況や人々の精神生活のありようなども明らかになってきます。こうした批評をまきおこすことが芸術作品の社会的効用であると言えるでしょう。ところが上のCD評のように点数化してしまうと、議論は点数の上下だけに収斂してしまい、批評の言葉が持つ広がりが全くなくなってしまいます。これは明確に点数化していなくとも、点数を単に言葉で置き換えただけのような、いわゆる「レコード評論」も同様です。「BBCミュージック・マガジン」にせよ「レコード芸術」にせよ、本来の批評の持つ機能を全く持っていない「大衆的な」CD評はまじめに相手にするような代物ではありません。

とはいっても、「BBCミュージック・マガジン」が全く役に立たないというわけではありません。ノリコ・オガワというピアニストの「展覧会の絵」が特大星を獲得していましたが、なるほど日本人の海外での活躍の情報も入ってきます。広告では、ベーレンライターの新モーツァルト全集(ペーパーバックの縮刷版20巻)がなんと 295ポンドの新価格で出されるという耳寄りな話がありました。1ポンド 210円とすると、62,000円程度です。これはモーツアルト没後 200年の際、日本でも20万円程度で売り出されたもので、当時もその安さに驚きましたが、更に大幅なプライスダウンです。

 また、この雑誌は毎号、付録についているCDが売り物になっています。最近3号の例では、ストラヴィンスキー自演の「結婚」を含む現代音楽集、作曲コンクールの優秀作品集(これを聴いて投票が出来る)、カルーソー、フラグスタートなどの名歌手たちのアリア集で、この種の雑誌の付録としてはずいぶん興味深いものです。最近はライヴ録音のものが少ないのが残念なところです。この付録付きで1冊3.75ポンド(日本からの年間購読料£89、クーポンを使うと£72)ですから、クラシック音楽の大衆化がますます進むのももっともです。なお、「BBCミュージック・マガジン」は日本でも大都市の大きなCD店などでは置いているようです。(井上建夫)

  BBC Music Magazine
  Freepost(GI/2761),Woking,Surrey GU21 1BR, UK




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Documentation [3]

ジョン・ケージ John Cage 1912-1992 の楽譜(2)


OPHELIA (1946) (5 minutes) (P6788) [£21.50]
 Piano Solo

TWO PIECES FOR PIANO (1946) (ca.4 minutes) (P6814) [£8.50]
 Piano Solo

SONATAS AND INTERLUDES (1946-48) (70 minutes) (P6755) [£29.50]
 Prepared Piano

MUSIC FOR MARCEL DUCHAMP (1947) (5 minutes) (P6728) [£17.50]
 Prepared Piano

NOCTURNE FOR VIOLIN AND PIANO (1947) (4 minutes) (P6740) [£9.60]

*THE SEASONS, BALLET IN ONE ACT (1947) (15 minutes) (P6744)
 2(Picc) 2(EH) 2(Eb, Bcl) 2 2220 T, Per, Pf/Cel, Hp, Str(8-6-4-3-2).
 Version for Piano Solo (P6744a) [£51.00]

DREAM (1948) (5 minutes) (P6707) [£6.10]
 Piano Solo
 *Version for Solo Viola and Viola Ensemble by Karen Phillips (1974) (P6707a)

IN A LANDSCAPE (1948) (8 minutes) (P6720) [£14.75]
 Harp or Piano Solo

SUITE FOR TOY PIANO (or PIANO) (1948) (8 minutes) (P6758)
 *Orchestra version by Lou Harrison (P6758a)
 3333 3440 T, Perc, Cel, Pf, Hp, Str

PARTY PIECES ("Sonorous and Exquisite Corpses") (P66500)
 20 Short pieces composed collaboratively by John Cage, Henry Cowell, Lou Harrison, and Virgil Thomson (1949-50). Orchestrated by Robert Hughes for Flute, Clarinet, Bassoon,
 Horn and Piano.

A FLOWER (1950) (4 minutes) (P6711) [£11.75]
 Voice and Closed Piano

SIX MELODIES FOR VIOLIN AND KEYBOARD (PIANO) (1950) (15 minutes) (P6748) [£17.75]

STRING QUARTET IN FOUR PARTS (1950) (20 minutes).
 Score (P6757) [£11.75]. Set of Parts (P6757a)
 2Vns, Va, Vc

*CONCERTO FOR PREPARED PIANO AND CHAMBER ORCHESTRA (1951)
(22 minutes) score (P6706)
 Piano Solo, Fl(Picc), Ob, EH, 2Cls, Bsn, Hrn, Trp, 2Trbs, Tba, Perc(4), Hp, Pf/Cel, Str(5 soloists)
 Piano Solo Part (P6706a)

IMAGINARY LANDSCAPE NO.4 (March No.2) (1951) (4 minutes). Score (P6718). Set of Parts (P6718a)
 For 12 Radios (24 players and conductor)

MUSIC OF CHANGES (1951) (43 minutes) (Complete in 4 volumes, P6256-59) [£14.75, £17.75, £17.75, £17.75]
 Piano Solo

*SIXTEEN DANCES (1951) (53 minutes) (P6792)
 Fl, Trp, Perc(4), Vn, Vc, Pf

TWO PASTORALES (1951) (14 minutes) (P6765)
 Prepared Piano

IMAGINARY LANDSCAPE NO.5 (1952) (4 minutes). Score (P6719)
 For any 42 recordings; score to be realized as a magnetic tape

FOR M.C. AND D.T. (1952) (2 minutes) (P6713)
 Piano Solo

MUSIC FOR CARILLON NO.1 (1952) (4 minutes). Graph score (P6725)
 2-octave version (P6725a)
 3-octave version (P6725b)

SEVEN HAIKU (1952) (3 minutes) (P6745)
 Piano Solo

WAITING (1952) (1 minute) (P6769)
 Piano Solo

WATER MUSIC (1952) (6 minutes) (P6770) [£42.50]
 For a pianist, using also radio, whistles, water containers, deck of cards; score to be mounted as a large poster

*WILLIAMS MIX (1952) (4 minutes) (Magnetic Tape) (P6774)
 Version for 8 single-track or 4 double-track tapes, 71/2 i.p.s.

4'33" (1952) (P6777)
 Tacet, any instrument or combination of instruments
 Original version: (P6777a)

MUSIC FOR PIANO 1 (1952) (4 minutes) (P6729)
 Piano Solo

MUSIC FOR PIANO 2 (1953) (4 minutes) (P6730)
 Piano Solo

MUSIC FOR PIANO 3 (1953) (P6731)
 Piano Solo

MUSIC FOR PIANO 4-19 (1953) (P6732)
 Piano Solo or Ensemble

MUSIC FOR PIANO 20 (1953) (P6733)
 Piano Solo

591/2" FOR A STRING PLAYER (1953) (P6776)
 Any 4-string instrument

MUSIC FOR CARILLON NOS.2&3 (1954) (2 minutes) (P6726) Graph score

MUSIC FOR CARILLON NO.2 (1954) (1 minute) (P6726a) 2-octave version

MUSIC FOR CARILLON NO.3 (1954) (1 minute) (P6726b) 3-octave version
31'57.9864" FOR A PIANIST (1954) (P6780) [£60.50]
 Prepared Piano
 P6778-6781 to be used in whole or in part to provide a solo or ensemble for any combination of pianists, string players and percussionist; pre-recorded tape may be used to assist in the performance of 27'10.554"

34'46.776" FOR A PIANIST (1954) (P6781) [£61.50]

MUSIC FOR PIANO 21-36; 37-52 (1955) (P6734)
 Piano Solo or Ensemble

SPEECH (1955) (42 minutes). Set of Parts (P6793)
 For 5 radios with news-reader

26'1.1499" FOR A STRING PLAYER (1955) (P6779)

27'10.554" FOR A PERCUSSIONIST (1956) (P6778)

MUSIC FOR PIANO 53-68 (1956) (P6735)
 Piano Solo or Ensemble

MUSIC FOR PIANO 69-84 (1956) (P6736)
 Piano Solo or Ensemble

RADIO MUSIC (1956) (6 minutes). Set of Parts (P6783)
 To be performed as a solo or ensemble for 1-8 performers, each at one radio

FOR PAUL TAYLOR AND ANITA DENCKS (1957) (3 minutes) (P6714)
 Piano Solo (interior and auxiliary sounds)

WINTER MUSIC (1957) (P6775)
 To be performed, in whole or in part, by 1 to 20 pianists
 see also: ATLAS ECLIPTICALIS

CONCERT FOR PIANO AND ORCHESTRA (1957-58)
 Solo for Piano (P6705)
 63 Pages, to be played, in whole or in part, in any sequence; 84 'types' of composition are involved
 Solo for Vn 1, 2, 3; Va 1, 2; Vc; Cb; Fl(Picc, Alto); Cl in Bb; Bsn(Bar Sax); Trp in Bb(Eb, F, D, C); Trb; Tba in Bb(F) (P6705a/m)
 Part for Conductor (optional) (P6705n)
 Part also available on rental
 (see also: ARIA, SOLO FOR VOICE 1, 2, FONTANA MIX, WBAI)
 To be performed, in whole or in part, in any duration, with any number of the above performers, as a solo, chamber ensemble, symphony, concert for piano and orchestra, aria, etc.

ARIA (1958) (Score in color) (P6701) [£42.00]
 Voice, any range
 To be used alone or with FONTANA MIX, or any parts of CONCERT

FONTANA MIX (1958) Score (P6712)
 *Magnetic Tape: 4 single tracks (P6712a)
 *Magnetic Tape: 4 double tracks (P6712b)
 17 minutes of material, to be used in any time length, longer or shorter; version for 4 single track or 2 double track tapes, 71/2 i.p.s.; the score may also be used to provide a part or parts for any instrument or combination of instruments.
 see also: ARIA, CONCERT, SOLO FOR VOICE 2, WBAI

MUSIC WALK (1958) (P6739)
 For 1 or more pianists, at a single piano, using also radio and/or recordings

SOLO FOR VOICE 1 (1958) (any range) (P6750) [£17.50]
 To be used alone or with any part of CONCERT

TV KOLN (1958) (P6764)
 Piano Solo

VARIATIONS I (1958). Score (P6767)
 Extra Materials (P6767a)
 Parts to be prepared from the score, with or without the extra materials; any number of players, any sound producing means

*SOUNDS OF VENICE (1959) (3 minutes). Score (P6756)
 Score for solo television performance, involving a large number of properties and four single-track tapes, 71/2 i.p.s.

WATER WALK (1959) (3 minutes). Score (P6771)
 *Magnetic Tape (3 minutes) (P6771a)
 For solo television performance, involving a large number of properties and a special single-track tape, 71/2 i.p.s.

SOLO FOR VOICE 2 (1960) (any range) (P6751) [£58.00]
 To be used alone or with CONCERT, FONTAMA MIX, CARTRIDGE MUSIC

CARTRIDGE MUSIC (1960) (P6703)
 For amplified 'small sound'; also amplified piano or cymbal; any number of players and loudspeakers; parts to be prepared from score by performers

MUSIC FOR AMPLIFIED TOY PIANOS (1960) (P6724)
 Parts to be prepared from score by performer for any number of toy pianos

MUSIC FOR "THE MARRYING MAIDEN" (1960)
 Score (P6737); to be realized as a magnetic tape
 *Magnetic Tape (9 minutes) (P6737a); 1 single-track tape, 71/2 i.p.s.
 Witten for the play by Jackson Mac Low

THEATER PIECE (1960) (P6759a/h)
 Parts are provided for 1 to 8 performers (musicians, dancers, singers, etc.) to be used, in whole or in part, in any combination

WBAI (1960). Score (P6772)
 Auxiliary score for performance with lecture (WHERE ARE WE GOING? AND WHAT ARE WE DOING?) or instrumental performance (any parts of CONCERT), involving magnetic tape (FONTAMA MIX), recordings, radios, etc.

*WHERE ARE WE GOING? AND WHAT ARE WE DOING? (1960) (P6773)
 4 single-track tapes (71/2 i.p.s.; 45 minutes each) to be used, in whole or in part, to provide a single lecture, or used in any combination up to 4 to provide simultaneous lectures.
 Variations in amplitude may be made, following the score WBAI.


1.Petersのケージの楽譜カタログを年代順に並べたもの。同年のものはアルファベット順。

2.(P1234)とあるのは、出版番号。

3.* はレンタル譜。その場合でも出版番号の前に Scoreとあれば、総譜は販売楽譜でパートがレンタル。

4.価格は1993年のイギリスのプライス・リストから(ポンド)。

(井上建夫)



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Information

シリンクス ルームミュージック No.2

《ブラームスホール サロンコンサート》

『自然を奏でる、愛を歌う』


と き:1998年11月7日(土) 19:00 開演
ところ:ブラームスホール(滋賀県栗東町)
入場料:1000円

出 演:
田原 昌子(ピアノ)
西岡 たか子(メゾソプラノ)
杉山 佳子(ピアノ伴奏)

曲目(予定)
パルムグレン:3つの夜想的情景
メラルティン:雨
フォーレ:バルカロール Nos.4&1
ドビュッシー:映像 第1集
チャイコフスキー
「ただ憧れを知る人だけが」「昼も夜も」
 「私は野の草ではなかったか」「何故」
「信じないで」「子守歌」
「再びもとのように孤独で」
「オルレアンの少女」よりジャンヌのアリア
日本歌曲

企 画:シリンクス・ワークステーション
主 催:ブラームスホール・ブラームスプランニング


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シリンクス ルームミュージック No.3

『音楽はことばを語る』


と き:1999年1月(予定)
ところ:未 定

出 演:
大西 津也子(ソプラノ)
北岸 恵 子(ピアノ)

曲目(予定):
ヴォルフ:「春だ!」「捨てられたおとめ」「隠棲」「ミニヨン」
シューマン:『リーダークライス』より
セヴラック:『ラングドックにて』より
シューベルト〜リスト:「春の信仰」「鱒」
ほか

企画・主催:シリンクス・ワークステーション


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≪シリンクス ルームミュージック実行委員会≫を結成します!

 昨年4月に《シリンクス ルームミュージック No.1》と題してコンサートを開催しましたが、上のお知らせのとおり、継続して年1〜2回のコンサートを実施していく気運が盛り上がっています。これを定着させるため、7月頃までにボランティアの実行委員会をつくる予定です。是非、参加下さるようお願いします。希望する方は編集部井上までにご連絡下さい(なるべく5月中に)。
 当面、活動は滋賀・京都が中心になると思いますが、遠隔地の方でも電子メールなどにより企画に参加していただけます。
 実行委員会のメンバーの仕事は次のようなものになるでしょう。
 ・コンサートの企画・出演・案内・プログラムの作成・当日の運営など




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編集後記

◎今回は原稿集めの予定が少し狂い、井上の記事が多くなってしまいました。提供していただける記事や情報などがありましたら是非ご連絡下さい。(井上)

◎早いもので、本誌が今の形になって丸2年が経ちました。どうしても執筆者が固定化する傾向にありますが、幅広い皆様さんからのご寄稿で、更に充実させて行きたいと思っていますので、よろしくお願いします。(三露)

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賛助会員募集

シリンクス音楽フォーラムの発行に必要な経費は寄付金でまかなおうと考えています。
ご支援賜りますようよろしくお願いいたします。
なお、賛助会員には本誌を毎号郵送します。

賛助会費(年間):3000円
送金先:郵便振替 口座番号 01080−2−22383
          名 称 シリンクス音楽フォーラム




シリンクス音楽フォーラム No.27


発 行:1998年5月1日

編 集:シリンクス音楽フォーラム編集部

連絡先:
井上 建夫 tk-inoue□mx.biwa.or.jp
三露 常男 mitsuyu□yo.rim.or.jp
(□を@に変えて送信下さい)

(C)Copyright 1998 SYRINX


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