シリンクス
音楽フォーラム


No.28
1998年 秋


目 次

レビュー  演奏会  油井 康修  オーケストラの魅力はストラヴィンスキーとともに

コンサート・オン・エア (17)  高橋 隆幸
   朝比奈隆 − 時の流れと伝統的スタイルの許容

ピアノよもやま話 − ピアノ再発見のために(6)  森田 裕之

続・私の海外滞在と音楽(2)  北岸 恵子
   アメリカ ペンシルベニア州フィラデルフィア(1986年8月〜1988年5月)

資 料 (4)  ファニー・ヘンゼル FANNY HENSEL-MENDELSSOHN (1805-1847) の楽譜

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Review / Performance
油井 康修

オーケストラの魅力はストラヴィンスキーとともに

エサ=ペッカ・サロネン/フィルハーモニア管弦楽団
1998年5月27日
東京オペラシティコンサートホール
朝比奈隆/大阪フィルハーモニー交響楽団
1998年7月26日
サントリーホール
[I]

 今回取り上げた二つはいずれもオーケストラによる演奏会。このレヴューも大分回を重ねて来たけれど、オーケストラの演奏会評は最初の「昼下がりのモーツァルト」と前回の「ショスタコーヴィッチ・フェスティバル」の二回位しか無かったように思う。なんといっても筆者の好みで、聴きに行く演奏会は室内楽系のものが多いし、オーケストラも聴きには行っているのだが、うまくまとめることができるほどに十分なものを聴き取っていないことも多い。しかし今回のものはいずれも強い印象を受け、とにかく何とか書いてみようという気持ちになった。

 まずはサロネン・フィルハーモニア管弦楽団のプログラムを。

  リゲティ・・・・・・・・・・・・・・アトモスフェール
  ラヴェル・・・・・・・・・・・・・・左手のためのピアノ協奏曲(ピアノ:ミシェル・ベロフ)
  リゲティ・・・・・・・・・・・・・・ロンターノ
  ストラヴィンスキー・・・・ペトルーシュカ

 ウーン、私にとっては何とも魅力的な演奏曲目だ。これならお客さんは大入りだろう、というのはこちらの勝手な推測で、結構空席が多かったのにはいささか驚いた。指揮者は今売り出し中の人らしいし、オーケストラも実力あり、名声もありだし何ら不足は無いはずだが。同じこの夜に都内は演奏会が多かったのか。

 ところでこの夜の演奏会場だが、東京オペラシティコンサートホール、確かずいぶん話題になったホールのはず。初めて行ったところが、新宿のすぐそばの割には電車の乗り換えがちょっと面倒だ。電車から降りて地下から地上に出ると、そこはアーケードの真ん中で、すぐホールの入り口に行ける。しかし周りの環境がよく分からないので、迷路を抜けたらいきなり演奏会場という感じだ。公園の木陰を散策しながらとか、せめて町中の風情を眺めながら会場に近づくとか、そんなゆとりぐらい欲しい気もする。

 しかしホール自体はなかなかのものだった。あのウィーンフィルが本拠にしているホールと同じ型の箱型のものだ。かつて貴族達がましました特別ボックスはないが、気品あふれる木調の内装は立派だ。ただ私が座った正面に向かって右上の二階バルコニー席はオーケストラ全体が見渡せない。せいぜい三分の二くらいか。前の人が少し体を迫り出せば半分しか見えなくなってしまう。少し楽しみがケチられてしまう感じだ。

 だがそれにしても東京は次から次へと、よくも新しいホールが出来るものだ。このホールも、前回取り上げたすみだトリフォニーホールも、ここ一・二年の新ホールのはず。室内楽ではカザルスホールはもう新しいという感じではなくなって来たが、紀尾井ホールはまだまだ初々しい。もう古株になった東京文化会館も目下改装中でやがて生まれ変わる。さまざまなホールで聴くというのも一つの楽しみになって来たようだ。

 リゲティの二曲を並べたのは一つの試みではあろう。いずれもトーン・クラスターを用いた10分位の似たような曲ながら、それぞれに工夫を凝らしてあるので、そこを聴き分けて楽しみなさいということだろう。聴いていると断然アトモスフェールの方が面白い。リゲティといえばアトモスフェールというほど有名と解説に出ているが、さもありなん。家でレコードで聴き比べたときもそう思ったが、さらに同じ曲でも実際の演奏の方がはるかに面白い。ホールの鳴りも一役買っているかもしれない。

 最初のひそやかに、かつ突然に鳴り出す音塊がたちまち聴くものを音楽の中に引き込む。ちょっとタルコフスキーの世界を垣間見るようだ。さまざまな音色が寄せては返し寄せては返す波のように襲ってくるのは実に何とも言えない、心地よいといっても好いくらいだ。思わず身を乗り出してどの奏者がどのように音を出しているのかと見ようとするのだが、先に言ったようにこれがよく見えないのだ。ちょっと残念。

 指揮者のエサ=ペッカ・サロネンという人、ヘルシンキの生まれとある。そういえばこのごろ北欧系の指揮者がかなり活躍しているらしいが、その中でもかなり知名度の高い人のようだ。30代後半のはずだが、そのやや小柄の体からリズムや曲想がわき出てくるようで実に若々しく、指揮振りをみていても楽しくなる人だ。つい先日の「レコ芸」にインタビューが出ていて、積極的に現代音楽を取り上げているが自らも作曲をするという、なるほど。

 この夜何といっても一番楽しみだったのは、ラヴェルのピアノ・コンチェルトだ。ラヴェルには二曲のピアノ・コンチェルトがあり、ト長調の方がよく演奏されていると思う。しかし私が好きなのはニ長調、つまりこの左手のための方だ。確か高校のころ、たまたまレコード店でこの二曲が入ったレコードを目にした( Pf.サンソン・フランソワ、クリュイタンス指揮・パリ音楽院管弦楽団)。そのころはこんな曲の存在も知らなかったが何か面白そうな感じがして買ってみた。

冒頭のコントラファゴットやコントラバスの混沌とした音の揺蕩いから、徐々にオーケストラが目覚めるように音量が増大して行き、それは止まるところを知らないかのようにひたすら大きく大きくなって行き、そのとき心はもう驚きと不安がどんどん膨れ上がっていって、一体どこまで行くんだ、あーっ、と思った瞬間ついに何かが抜けたかのように音が解放されて、強烈なピアノのアタックが入る。

 全く、小さな四畳半でラジオにつないだステレオともいえない装置の前で(実際モノラルだったが)、筆者はうちふるえていたといっていいだろう。もちろんその後の展開もすばらしいし、とりわけ最後のピアノ・ソロの部分はこれが左手一本で弾いているのだろうかと、何度聴いても謎だったものだ。これに比べるとト長調の方はほとんど印象が無い。その後ラヴェルという作曲家を知って行くにつれ、ト長調の方がラヴェル的だし、この曲のよさも分かって来たが、とにかくようやくにしてニ長調コンチェルトを聴ける訳だ。

 どうしてもフランソワ盤との比較になってしまうが、まずオーケストラ。ストラヴィンスキーでは実に多彩だったので、フィルハーモニー管弦楽団が特に地味という訳ではないはずだが、この曲だけいささかくすんで聞こえてしまった。曲の性格上くすんだ音は似合わない。パリ音楽院の華やかな音の印象が強いということか。

 ピアノのベロフはしばらく前まで右腕が不調で、演奏活動から遠ざかっていた。実は数年前筆者はちょうどベロフの復活演奏会を紀尾井ホールで聴くことが出来た。それも彼の得意なオール・ドビュッシー・プロ。苦しい年月を過ごして来たこともあっただろうし、もうそれほど若くないということでもあろう、その動作、雰囲気は何か一つの年輪を加えたようなものがあったと記憶している。演奏もかつての若い頃の切れ味のよいさっそうとしたものと代わって(実際聴いたのではなくレコードでの印象だが)、随分気分を重んじるような弾き振りだった。

ドビュッシーはかなりきめ細かく演奏上の指示を書き込んでいるが、ベロフの演奏はあまりそういった細部にこだわらず、気分というか雰囲気に浸りながら、それはいわば彼なりにドビュッシーを楽しんでいるということのように見えたが、ドビュッシーに寄り添ってというより、自分に引き付けて弾いているようにも思えた。今までとは違った新しい演奏を模索しているのだろうが、その中間報告ととりあえずは受け取ったものだ。この夜の演奏もまだその流れの中にいるようだった。

 アンコールのドビュッシーはまさしくそのようなものだった。ラヴェルのコンチェルトもある面では非常に気分を重んじるところがあるが、同じ気分でもこちらは「気分が乗る」という気分で、ちょっと違うのだ。ジャズ的な部分など特にそうだろう。もっともそういうことを云々する前に、ベロフのピアノ自体がやや音量不足だったと思う。それともピアノの鳴りが悪かったか。時にはオケに飲み込まれてしまいそうだったりして、この曲の持っている野性的・挑発的なところが聞こえて来なかった。ピアノ・オケともに以上な訳で必ずしも満足出来る演奏では無かったなあ。

 最後のペトルーシュカ、というよりストラヴィンスキー自体最近ほとんど聴いていなかった。かつてはFMでストラヴィンスキーといえば何でも聴いていた時があったが、このところわが家ではチューナーというものが消滅してしまったのである。狭い住宅を転勤で回っていると、子供が増えるとともに何かを削っていかないと部屋のなかで身動き出来無くなってしまう、という事情もあった。持っていたチューナーのはいりが余りよくなかったということもあった。それにしてもチューナーの消滅とともにストラヴィンスキーを聴かなくなったというのも変な話だが、ストラヴィンスキーにはオーケストラ曲が多いということがあるだろう、私の手持ちにオーケストラ曲のレコードはそれほど多くないのだ。ストラヴィンスキーも二枚しかない。

 いずれにせよ実際の演奏で聴くのは初めてだ。しかしなんと面白いのか、というのが聴いた実感。音色の多彩さでたっぷり楽しませてくれるし、何といってもリズムが面白い。特に冒頭のフルートや弦によるさらさらとしたリズムに乗って次々にいろいろな楽器が現れてくるあたり、続いて煽情的な楽句が繰り返されて曲の雰囲気がますます高まってくるあたり、また時に一転して民謡調の旋律が親しみ深く擦り寄ってくるあたり、いやはやオーケストラはかくも面白いものかと感じ入る次第だ。

 それにしても今回特に感じたのは、ストラヴィンスキーの音楽は効果音の累積とでもいう方法を駆使している点だ。もともとバレー音楽であり、ソナタ形式のような展開のあるものと違い、部分の集積的な面がある曲だからそうなるのも当然かもしれない。効果音を重ねていくという方法はちょっと突飛な類推かもしれないが、筆者にはヴィヴァルディを思い起こさせた。「四季」の中にしばしば出て来る弦の一定の音型の繰り返しなどはまさにそれだろう。そういえばストラヴィンスキーは一時バロック音楽を素材に使っていたことがあったが、この作曲法と関係があるかどうか。サロネンの躍動感あふれる指揮はこの曲の面白さを十分引き出したように思う。それにこの種の曲では大切な管楽器陣もよかった。とりわけフルートは味のある音を奏でていたのが印象に残った。次のストラヴィンスキーの機会が楽しみになった。

[II]

 朝比奈隆と大フィルといえば、関西の方々にはもうなじみになっているだろうし、聴かれている方も多いと思う。むしろ当方はなかなか聴く機会がない訳だが、たまたま東京公演、それも今やこのコンビの看板となっているブルックナーとなれば、これは是非聴かねばとなる。こういっては失礼だが九十歳を越える高齢の朝比奈氏を今後いつ聴けるかという気持ちもあった。

  ブルックナー・・・・交響曲第5番 変ロ長調(ハース版)

 ブルックナーを聴き始めたのは最近といっていい。なぜか9番のレコードがだいぶ前からあるが、これはカイルベルトの廉価版シリーズが出たときにはずみで買ったもの。交響曲の全レコードがそろったのはホンの一月ほど前だ。という訳でまだ聴き込んでない曲がほとんどだ。5番もクナッパーツブッシュの録音の悪いのを一二回聴いただけ。それだけにまた楽しみといえば楽しみだ。

 演奏日は日曜日、これも「昼下がりのモーツァルト」ならぬ「昼下がりのブルックナー」。しかしこの暑さでは「昼下がり」という雰囲気は無い。東京はひたすら暑かった。いよいよ楽団員が入って来た。やがて拍手が起こる。最近は名のあるオケではコンサート・マスターが入って来ると拍手する習慣になっているらしい。しかし見るとそれらしい人も見当たらない。おかしいなと思って目をあげると、いやはや驚いた。ちょうど私の席の真向かいに天皇・皇后のお二人がいらしたところだったのだ。長野オリンピックの記念演奏会の際もご臨席されたそうだが、あの時はいってみれば公的なご出席、こちらはお忍びということか。やはり朝比奈氏をお聴きになるということだろう。これは演奏者たちにとっても特別なものになった訳だ。

 見事な白髪、ゆったりした動作で指揮者は入って来た。90を越えた人というほどには見えない動きだ。もっともこの長大な曲の指揮はさすがに大変だったようで、第3楽章位から時々後ろのてすりに寄りかかっていることもあった。聴く方も大変な曲だ。私にはまだまだ楽しんで聴く余裕など無い。しかし朝比奈氏に導かれて最後まで緊張感をもって聴き通すことが出来た。ずっしりと疲れた。聴きごたえがあった。それにしてもハイドンやモーツァルトから発した交響曲というものが、随分遠くまで来たものだという気がする。規模の大きさもさることながら、一つの楽章の中で何度もテンポが変わり、もちろん曲想も変化し、そういう複雑な部分を全体として捉えるのはなかなか容易ではない。

 実はこの演奏会の少し前、同じ7月初め出張で東京に出て来たとき、ちょうどエリアフ・インバル指揮・読売日本交響楽団のブルックナーの8番を聴く機会があったのだが、この時は第3楽章の半ばで道に迷ってしまったのだ。それにモーツァルトやブラームスでも旋律というものが音楽の主軸にあり、旋律に託して音楽を展開するという形があったが、ブルックナーではそういう面も希薄になってきている気がする。もちろんブルックナーにも旋律はあるのだが、どうも古典の交響曲とは違う気がする。というより旋律によって表現したいものが古典の時代とは違ってしまったというべきか。

 終楽章はフーガを織り込んだ曲になっているが、こんなテーマ(譜例)でフーガを書くのか、と思ってしまう。もっとも聴いているうちにべートーヴェンの大フーガもこんな奇妙なテーマだったなあと思い出した。変なところでべートーヴエンとブルックナーが結び付いた。5番を聴いてもう一つ感じたのは、随所にオルガン的な響きが感じられたことだ。コラール風の旋律を使っていることもあるが、金管の響かせ方がそういう印象を与えていると思う。吉田秀和氏はブルックナーは7番以降を傑作としているが、5番も十分聴きごたえを感じさせてくれる曲だった。

 最後の拍手は随分大きかったし長く続いた。楽団員が引き上げた後も朝比奈氏は2度ほど拍手に応えて顔を見せた。今や日本の音楽ファンにとって、朝比奈氏は特別な人という感じであった。(1998.8.3)

譜 例





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Concert on Air

コンサート・オン・エアー(17):朝比奈隆 − 時の流れと伝統的スタイルの許容

高橋 隆幸


 朝比奈隆氏は米寿、さらには卒寿の現役指揮者と言うことでここ数年来すっかり話題の人となっている。90才でなお立派に大曲の指揮をやってのける、というのが世間の興味の第一であろう。しかし、より重要なのは朝比奈氏の創造する音楽が、ドイツの伝統的スタイルではあるが、なかなかレベルの高いものであるという再認識がなされている点にあると考えられる。世界のトップクラスのオーケストラ、シカゴ交響楽団が朝比奈氏を単に敬老精神から客演に招くことは考えられない。

 朝比奈氏はデビュー以来、ドイツの伝統的な音楽作りを頑固に守り通してきた。この音楽スタイルゆえに多くの批評家および聴衆、特に東京の楽壇からはとかく時代遅れの音楽家とみなされてきたものと想像される。しかし、戦後50年を過ぎ、20世紀も終わりに近くなった現在、音楽スタイルの新旧についてある種の混乱が生じており、スタイルはともあれ、良いものは良い、と言う観点から朝比奈氏が再評価されつつあるものと考えられる。

 朝比奈氏の音楽について私がはっきりした印象を持ったのは、1970年、大阪で開催された万国博覧会のオープニングコンサートで氏が指揮したベートーベンの第9である(オーケストラは大フィル)。私はこれをFM放送で聴いたが、全体にゆったりとしたテンポで壮重な音楽作りであった。ただし、音色はこの頃の大フィルの技術的レベルの関係か、かなり地味なものであった。

 もう一つ、すぐに感じたのはこれは何と懐かしい第9であるか、と言うことであった。何が懐かしいかといえば、オスカー・フリート指揮の第9のレコードである(オーケストラはベルリン国立歌劇場管弦楽団)。これはおそらく1930年代に録音されたもので、戦前から広く日本に流布しており(もちろんSPレコード)、年配のクラシックファンの多くにとってこの演奏は第9のルーツとなったと想像される。私の実家にもなぜかこのレコードがあり、繰り返し聴いた関係上、私の第9に対する基本骨格は長いあいだこの演奏であった。

 私が朝比奈氏の演奏を聴いて懐かしいと感じたのはもちろん氏の音楽作りがオスカー・フリートのそれと基本的に同じであったからに他ならない。別の言い方をすれば、私の第9のルーツはなるほどオスカー・フリートの演奏ではあったが、その後様々な第9の演奏を聴き、私なりに演奏スタイルの変遷を感じ取り、当時はカラヤンなど、新しいスタイルになじもうと努力していた時期であった。そういう時期に朝比奈氏の第9に出くわした次第である。

 以来、誠に申し訳ないことに、私の朝比奈氏に対する勝手なイメージができ上がってしまった。すなわち、古き良きドイツの伝統的な演奏に接したければ朝比奈氏のコンサートに限ると。実際私は、このドイツ音楽の故郷にひたるため以後3回朝比奈氏のコンサートに出かけている。すなわち、マーラーの交響曲第9番(大フィル、1973年11月20日)、ベートーベンのハ短調交響曲(N響、1947年1月9日)、そしてブルックナーの交響曲第7番(大フィル、多分1975年)である。

 いずれのコンサートでも私の不純な(?)目的は達せられ、大いに満足したのを覚えている。朝比奈氏の音楽作りは、重厚でかつ柔らかい弦の響きが主体で、この弦の海の中に管楽器がちりばめられるという風情のものであった。テンポは大体にゆっくりめで、なかなかスケールが大きく、一方、テンポを動かしたり、ダイナミックレンジを広げて強いインパクトを与える、といった野心は無く、要は調和のとれた格調高い音楽を目指しているというふうに感じられた。

 このスタイルに一番近いのはカール・ベームであろう。もっともベームの場合、クライマックスでは壮大に盛り上げようという、より強い意欲が感じられるが。以上3つのコンサートで少々残念であったのは当時のオーケストラの性能、殊に大フィルのそれである。弦楽器はまずまずであったが、管楽器のほうは“楽譜どおりに弾く”という基本的なレベルもおぼつかない場面がしばしばあった。さらに言えば、大フィルのこの技術的レベルのためか、私にとって、朝比奈氏の指揮者としての真の能力を判断することは困難であった。同様に、氏が関西というローカルな地域でのみ通用する指揮者なのか、日本を代表する、ひいては世界的レベルの指揮者なのかも当時はよくわからなかった。

 以来20年以上の歳月が流れ、この間に日本人演奏家の技術は飛躍的に向上した。一昨年と思うが。朝比奈氏と大フィルのコンビによるブルックナーの第8交響曲がNHKの教育テレビで放映された。まず驚いたのは米寿になろうとする朝比奈氏の健在ぶりであった。テンポの弛緩、フレージングのあいまいさ、楽器のバランスの悪さ、弱々しい響きなどといった高齢の指揮者に特有の欠点はほとんど見当たらず、ゆったりした、しかし構成のしっかりしたブルックナーであった。

 ただ、ブルックナーの第8交響曲は名曲中の名曲であり、誰がやっても立派に聞こえるというところもあるので、オーケストラと指揮者の能力についてはもうひとつよくわからないところでもあった。その後、確か昨年と思うが、同じコンビによるR.シュトラウスのアルプス交響曲がやはりNHKから放映された。これはブルックナーよりはるかに難曲でオーケストラにとっても指揮者にとっても試金石のような曲であるが、技術的にほとんど問題のない、堂々とした、しかも非常に格調の高い演奏であった。

 これを聴いて大フィルの成長ぶりもさることながら、これまでの朝比奈氏に対するはなはだ失礼な考えを改める必要があると痛感した次第である。すなわち、朝比奈氏はこういったドイツ系の重厚長大型の曲に関しては世界的レベルの大指揮者であると。オーケストラの技量と指揮者の関係という点では、昨年NHKで放映されたシカゴ交響楽団とのブルックナーの第5交響曲(1996年5月16日)はなかなか興味があるものであった。

ここでも朝比奈氏は清潔かつ堅固なブルックナーを聴かせており、年齢をほとんど感じさせない。ただ欲を言えば、朝比奈氏の要求する音楽は彼等にとって技術的に余りに容易であるので、何か緊迫感と言うのか、音楽の中味の濃さという点で、やや物足りないところが無いでもなかった。このような高度の機能を備えたオーケストラ相手には何かもう一つ、言葉は悪いが、山師的要素も必要なのであろう。

 朝比奈氏は今まで前世紀の遺物とみなされ、不遇をかこってきたのであろうか。かつては多くの批評家や同業者は朝比奈氏に対し無関心であったように私には感じられる。しかしその一方で、一部の熱狂的な批評家や聴衆が存在したことも事実である。こういった朝比奈氏の信奉者の主張は常に単純明快であった。すなわち、現代文明に毒されない、精神美こそが音楽の本質であると。

 その結果、フルトヴェングラー、クナッパーツブシュ、ワルター、ベームなどが最高の音楽家で、朝比奈氏はもちろんこの仲間に入り、一方、カラヤンは真の音楽の何たるかを知らない俗物ということになる。前者の演奏家が創造した音楽のすばらしさについて私は何の異存もないが、彼等の主張では演奏の歴史的意義というものが全く無視されており、これでは芸術というものの進歩はありえない。

 しかしこの考え方(朝比奈氏の信奉者らの)はおそらく誰もが陥る逃れ難い誘惑でもある。極端な例えであるが、現代の作曲家があんな音楽を書かずに、モーツァルトやベートーベンのスタイルで書いてくれたらという願望の類である。現代作曲家が古典のスタイルで作曲をするというのは少なくとも、1970年代以前には到底考えられないことであった。すなわち、そんな行為は究極のアナクロニスムであり、それこそ芸術の自殺行為であると。

 しかし近年ではこのタブーを破る行為が散発的に行われるようになり、しかも次第に広く許容される雰囲気となっている。例えばサイモン・プレストンのトランペットとオルガンのデュオ。これをアルビノーニの新たな遺作として紹介しても誰も疑わないであろう。作曲界のこの動きは、いわゆる現代音楽というものの限界がはっきりとし、結局は誰もが楽しめる音楽にならなかったことと深い関係がありそうである。新しい作曲技法/スタイルの可能性が見い出せない現在、もう一度里返りをという考えはある意味で当然の帰結かもしれない。

 演奏の世界でも事情は同様である。指揮者の分野に限っていえば、カラヤンの死後、何人も新しい演奏スタイルを確立出来ずにいるのが現状である。しかしこれは無理もないことで、かつてトスカニーニとフルトヴェングラーの2大潮流があり、これを統合したのがカラヤン(決して折衷ではない)であることを考えると、それ以後何が考えられるか、ということにもなる。加えて近年のCDの洪水である。店頭にはあらゆる曲のあらゆる演奏スタイルのCDが山と積まれており、選択基準に、20世紀における演奏スタイルの変遷を考える人はよほどのオタクか職業上の必要からであろう。

 要するに、現在は何の演奏が新しいスタイルで、どれがアナクロニズムであるかについて御破算の時期に来ているのである。すなわち、自然体で接してみて、それで良いと思えばそれでよいのであると。近年の朝比奈氏の急浮上はこの時流に乗ったともいえる。この点に関して言えば、朝比奈氏が貫き通したドイツの伝統的スタイルというのは、これらの曲をどう再現すればよいかという点において、一つの最良の解答であるということにもなる。朝比奈氏が今日のこの時期まで長生きしたのは強運という他ないが、それも高齢にかかわらずなお知力、体力ともに健在であり、なによりも指揮者としての高い能力があってのことである。今後のますますの活躍が楽しみである。




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Instrument

ピアノよもやま話 − ピアノ再発見のために(6)

森田 裕之


6 山葉ピアノ

 数年前に同業者から勧められて買っておいた山葉グランドピアノ30号、製造番号 35946、1939(昭和14)年製の修復が先日完成しました。

 私たちの仲間では、ヤマハピアノは製造番号が2万台から3万台の頃のものが良いとされています。年代にすると1935(昭和10)年から1944(昭和19)年です。使用木材は桜が主体で、芯や支柱はケヤキを使っています。桜は非常に堅くてしっかりした木ですが、木目が複雑で加工後何年かするとねじれたり、曲がったりするのです。

 ところが今回手掛けたピアノはおよそ60年を経過しているにもかかわらず、ほとんど狂いがないのです。余程、素性の良い部分を年月をかけて高度な技術で作ったと考えられます。ちょうどその頃、ドイツのベッヒシュタイン社からシュレーゲルという人が技術指導に来ていたようです。従って設計の基本はベッヒシュタインと思われます。(日本楽器はベッヒシュタインの日本における総代理店でもありました。)

 また、当時は日本楽器で飛行機のプロペラも作っていて、工作機械も大がかりで高性能なものを用い、鉄鋼並みの精度を誇っていたようです。創業50年を超えて、技術的には世界のトップクラスに近づいたということでしょう。もっとも、世界の一流メーカー、エラール(仏)、ジョン・ブロードウッド(英)、ベーゼンドルファー(襖)、ブリュートナー(独)、グロトリアン(独)、スタインウェイ(米・独)等はそれ以上の精密な仕事をしています。

 しかし、楽器というものは、もう一つの大切な要素があります。音量と音色です。私は、西洋楽器は松の木が主体と申してきました。響板はもちろん松あるいはスプルースを使っているのですが、それを支えている箱(本体)が桜やケヤキであるところに問題があります。少なくともベッヒシュタインは支柱まで徹底的に松にこだわっています。日本人にとって良い木と言えば、建築あるいは家具に対応した考え方でしょうか、桜、桧、ケヤキ等、丈夫で見た目が美しいものということになります。

 さて、ここに同じ1939年(昭和14)年に印刷された山葉ピアノのカタログがあります。それによると、最近一般に著しく普及しはじめ、それに乗じて粗製品が市場に出まわり言葉巧みに誇大宣伝をしているので気をつけるよう、また、選ぶ基準として大工場の製品であること、創業の古いことをあげています。

 更に、ピアノの主要材料の大部分は木材で、優良な原料を大量に長期間貯蔵するためには、大いなる購買力が必要なこと、そして長年の経験を積んだ熟練技術者が必要なこと、また、世界的ピアニスト、レオ・シロタ氏の推奨状、更に国内シェア85%を占め、宮内省から音楽学校、小学校に至るまで普及し、御愛用と御好評をこうむっているとのこと、アフターサービスも万全だから、ニセ調律師にかからないよう気をつけろ等々、5ページにわたり説明してあります。

 ピアノの種類は竪型が18種類、その他自動付、二段鍵盤、折りたたみ式鍵盤等、グランドピアノは奥行 130cmの小型からフルコンサート、ルイ型まで10種類と実に豊富です。次に価格ですが、一番安い竪型の小型で 500円、フルコンサートが 7,000円、ルイ型コンサートグランドが10,000円となっています。

 今回私が修復したグランド30号は 2,250円です。昭和14年といえば、私は5歳、父は38歳の公務員、月給 200円くらいと聞いていますので、当時の給料の約1年分になります。現在、このクラスのピアノは 200万円程度です。年収が 5,6百万くらいとすると、年収の半分ないし3分の1となります。それだけ昔のものは良い材料で作られた価値の高いものなのに、ただ古いというだけで捨てられてしまっています。

商業主義と権威主義に無知が重なって、ピアノは消耗品(弦とかハンマーは確かに消耗品ですが、車のタイヤと同じく、本体は消耗品ではない。)という考えが虚構の世界を作りあげています。

私の手がけたピアノは黒のうるし塗りでしたが、お客さまの要望により、全部はがして茶色に塗り替え、2本ペダルを3本ペダルに改造し、響板も塗り替え、鍵盤もダンパーも新しく貼り替え、弦やハンマーはドイツ製を使い、グレードアップして修復しました。約2ヶ月を要しましたが、ほぼ満足のいく結果が得られました。シリンクスの例会の際に見てほしかったのですが、8月23日には東京に行っているでしょう。そこで30年あるいは50年と愛用されることを望んでいます。




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Staying abroad

続・私の海外滞在と音楽(2)

アメリカ ペンシルベニア州フィラデルフィア(1986年8月〜1988年5月)

北岸 恵子


[インフォームド・コンセント]

 フィラデルフィアでの1年目の生活で最大に困惑した事件、それは医者との付き合いであった。元来私は健康には自信がある。ただし歯は別で、小さい頃に甘いものを食べて歯を磨かなかった報いで歯医者とは縁が深い。フランス、モンペリエでの1年間の終わり、7月に歯が具合悪くなったが、あいにく夏休み、なかなか開いているは歯医者がなくて、開いてはいても歯科技工士が夏休みをとっていたりで、歯医者を渡り歩いて治療をしてフィラデルフィアへ移動した。

 その歯の具合が悪くて、フィラデルフィアでも歯医者に行かざるを得なくなった。アメリカ人イコール不器用イコール歯医者に不向き、という図式がなぜか私の頭にはあって、アメリカ人の歯医者にかからねばならない不幸を嘆きつつ。アメリカ人の歯医者はエイズ防止のためのゴム手袋をして治療を始めた。不器用な人種が余計不器用になる!! ところが、これは大きな偏見で、歯医者も歯科衛生士も非常にうまい。治療の丁寧さも日本以上。当時、身近にいた日本人に言わせると、ペンシルベニア大デンタルケアセンターは最高に近い技術があるということで、帰国してから日本の歯医者にかかっていて思うのはようやく当時のデンタルケアセンターに追いついたかなということである。

 別の医者通い、それは婦人科の癌検診で、子宮癌の定期検診にひっかかって精密検査を受けることとなった。一般向きの癌の解説書を買ってきて関係箇所を辞書片手に読んで、自分がどうなのか不安に駆られる日が1ヶ月余り続いた。しかし、今思い返せば、20ドルあまりという安い価格で丁寧な素人向け解説書があるからインフォームドコンセントが成立しているのだ。アメリカという国のオープンな良い面を知る機会として、得難い体験ができたと言える。

[食事]

フィラデルフィアで困惑したのは外食事情である。モンペリエのような安価でおいしい研究所食堂はない。外食すると時間とお金がかかり過ぎる。同僚や先輩に教えてもらったのはトラック弁当である。ペンシルベニア大付近の道路に何台もの小型トラックが並び、そこでは中華、メキシコ、サンドウィッチ、エスニック、タイ、フィラデルフィア名物のホギー、日本など世界各地のメニューを掲げて屋台が店を開く。屋台にぶら下がっているホワイトボードに書かれたメニューから注文すると、発泡スチロールの容器にランチを作ってくれる。

サンドウィッチやホギーは、紙に包んで、さらに紙袋に入れてくれる。ホギーはホットドッグのパンを一回り大きくしたような長くて丸い形状のパンに、ホットドックのソーセージの代りに牛薄切り肉を玉ねぎなどの野菜と一緒にはさんである。肉も野菜もたっぷりはさんであるので、ボリューム満点である。牛薄切り肉は日本では肉売り場の主役であるが、欧米ではほとんど見られない。フィラデルフィアのスーパーでも見たことがなく、ホギーの薄切り肉を業者がどこで入手するのか不思議であった。

 トラック弁当の中でホギー屋は人気があって味も合格点を付けられる店が多い。日本人としては牛薄切り肉というだけで、食べる気になるメニューである。ホギー以外のトラックでは中華関係が多く、歩いて10分以内に数台のトラックがある。味はまあまあからひどいレベルまで、おいしいとは言えないがお腹は膨れる。

トラック弁当は値段が数ドルで外食よりははるかに安い。着いてしばらくはあちこちのトラックを食べて回ったが、1ヶ月もしないうちに飽きてきた。徐々に秋が深まり、寒くなってきた。安い給料だし、ピアノを買ったこともあって、倹約しようと思い立った。アパートから歩いて15分ほどの距離に、韓国人の経営するオリエンタルスーパーマーケットがあり、日本食の材料が手に入る。日本の米に似た良質のカリフォルニア米も買える。材料は日本より割高だが、外食するよりはるかに安く、自分で弁当を作ればトラック弁当より経済的だ。

 弁当を作ろう。研究室に電子レンジがあるので、夕食の残りを詰めていって、電子レンジで暖めても良い。学生食堂の不備の反面、学内の売店にまで電子レンジが置かれ、無料で使える。そういう点はとても便利だ。売っている人の愛想はトラックからレストランまできわめて良い。こぼれるばかりの満面の笑顔で客に接する。

 これが銀行ともなると途端に無愛想、窓口担当は列に並ぶ次の客を呼ぶのにニコリともせず、不愉快そうな声で “Next.”と一言。ただ、口座を作り、手続きをちゃんとすると休日なしで24時間営業のキャッシュマシーンからお金を自由に引き出せるようになるので、無愛想な窓口担当とはおさらば、日本より便利である。クレジットカードを手にすれば、大きな買い物はクレジットカードで済ませられるので、ますます銀行窓口から遠ざかる。現金はせいぜい1万円くらいしか持ち歩かないようになる。それはそれで身軽な生活と言えよう。

 最近は日本の昼食も徐々に当時のアメリカに似てきている。東京丸の内のオフィス街にトラックの弁当屋が並んでいたり、コンビニに電子レンジがあったり、アメリカナイズは多面的に進行している。

[コンサートに行ってみる]

 アメリカ東海岸、なかでもニューヨークを中心とする東北部の音楽シーンは充実している。フィラデルフィアにはユージン・オーマンディが育てたフィラデルフィア・オーケストラがあって、当時イタリア人のリッカルド・ムーティが音楽監督をしていた。定期演奏会のメンバーになればいい席で比較的安価に、多くのコンサートが聴ける。しかし、アメリカ到着直後の慌ただしさに、年間契約をしそびれて1986〜87年のシーズンは1月に2回、聴きに行っただけだった。フィラデルフィア・オーケストラの音色は暖かく、体全体にゆったりと広がるように響く。来年はシーズンメンバーになっていっぱい聴こうと決意した。

ペンシルベニア大は立派な博物館を有していて、博物館のホールで年に何回か室内楽や独奏のコンサートが開かれている。フィラデルフィアに着いて早い時期にギリシァ人の女性ピアニストのリサイタルを聴きに行った。プログラムはショパンとギリシァ現代音楽。前半のショパンの出来はさんざんで途中で帰りたくなった。ところが横に同じ研究室の教授とギリシァ人ポストドクがいて、帰りづらいシチュエーションである。我慢して、後半のギリシァ・プログラムに臨む。汚い和音が音色の変化乏しくがんがん鳴って、ピアニストのせいか作曲家のせいか、やはり聴くに耐えない。知らない曲ばかりなので、前半のショパンよりは腹が立たない。

 コンサートが終った時はほっとした。研究室仲間のギリシァ人ポストドクに“ギリシァ音楽はいいね”とお世辞を言うのが礼儀かもしれないが、そんな気にすらなれなかった。大学の博物館のコンサートがひどいものばかりというわけではない。無名の弦楽四重奏で素晴らしい演奏を聴けたこともあったし、それなりに名の知れた室内楽を安く楽しめたこともあった。アメリカでのコンサートはかくの如く、日本並みあるいはそれ以上に玉石混交である。

[ピアノの練習]

ピアノを買うとき、周囲の人達に練習は9時頃まで、週末は10時までがフィラデルフィアでの常識と教えられた。改造はしてあるが、地上3階、地下1階の古いアパート、私の部屋は3階で、すぐ下の部屋の人がどんな人かわからない。ちなみに治安の悪いフィラデルフィアでは、アパートの1階は値段が安い。泥棒に入られやすいからで、窓には鉄格子がしてあって、牢獄を思い起こさせる。研究室で、安全のためにできるだけアパートの上の階に住むようにアドバイスを受けた。

 こわごわピアノの練習を始めたが、苦情はこないので、大胆に朝晩弾いていた。アパートの部屋は床が木造、天井と壁がモルタルで、スピネット型のピアノでもよく響いて心地よい。常識と言われた9時、10時であるが、フィラデルフィアは夜がうるさい。特に金曜日、土曜日、日曜日の夜は自分のアパートあるいは隣りのアパートのどこかでパーティーをやっていて、12時過ぎまでガンガンとロックやラップの音楽が大音響で響いている。ピアノの音に気を遣うというより、大音響で耳をふさぎたくなる。学生街のやかましさ、郷に入れば郷に従え、日本の団地でのピアノとは違うと割り切って、週末は気を遣わずに弾いていた。

 この頃、よく弾いていたのは、シューベルトの即興曲 Op.142-3、ショパンの練習曲から Op.25-1、シューマンのクライスレリアーナ、そしてビリー・ジョエルのオネスティ。オネスティは、同じ研究室に1年前から来ていた大阪大学基礎工学部修士出身のN君が好きな曲で、楽譜のコピーをくれた。弾いてみるとコードがきれいで、都会生活のせつなさを歌っているので自分の生活を映しているように感じられ、胸が締め付けられる。楽譜のコピーをなくしてしまって、何年も弾いていないから今は弾けないが、いつかまた弾いて思い出に浸りたい。

[街の風景]

フィラデルフィアはニューヨークほどでないにしろ、やはり人種のるつぼである。黒人も多い。1980年代後半、不景気の中で黒人は失業率も一層高く、スラムは危険度を増していた。研究室でも教えられた。マーケット通りから北、60番通りから西へは一人で行ってはいけない、特に夜は絶対だめ、また夜の地下鉄もいけない、と。黒人のスラムがあるからという理由である。しかし、研究室近辺の黒人の人達は皆、親切で優しかった。ガラス器具洗いのエラは、洗い場のスペースに観葉植物を育て、どんなにいっぱい汚れた器具を持っていってもニコニコと“OK. OK. そこへ置いておいて”と、ゆったりした声で言う。お母さんのような温かさが感じられる人だった。

 掃除のおじさんは、箒と大きなごみ箱を抱えて、鼻歌を歌いながらやってくる。“Hi! How are you going?”いつも上機嫌だ。彼らに接していると、アフリカの自然の持つスケールの大きさ、大地の香りに畏敬の念を持った。自然とともに生きる優しい彼らを無理やりにアメリカに連れてきて、忍従の生活を強い、貧しさから彼らを荒れた生活、性格に追い込んだのは誰か。文明人の奢りを目の当たりにしたようで、心が痛かった。

[研究室]

 ペンシルベニア大医学部の私の滞在した研究室は日本人が多かった。まず、教授でボスであるY先生、阪大出身、ダンディな装いで人あたりがソフト、自分のボスでなければすてきな中年男性である。Associate Professor も日本人が2人、京大工学部出身のIさんと阪大基礎工学部出身のSさん、現在は2人とも日本の大学で教授として勤められている。Iさんは滋賀県に居を定められているので、今も交流がある。そして同じポストドクのN君。10人足らずの研究室でこれだけ日本人がいれば英語の上達は望めない。怠け者の私は日本語中心の生活をし、英語は下手なままだった。

 “アメリカでのポストドクはフランスほど楽じゃないよ、土曜日曜はないと思いなさい。”とSさんに脅されて始めた研究室生活だったが、皆さん親切にしてくれた。特に、研究の詳細を教えて下さったSさん、同じポストドクとしていい話し相手になってくれたN君。N君は着いてすぐの週末、自由の鐘のある地区に連れて行ってくれた。フィラデルフィアは独立戦争の前後、アメリカの中心で、独立宣言から憲法発布の舞台となった。独立宣言の日に鳴り響いた鐘は、歴史地区の中心にシンボルとして保存されている。ペンシルベニア大のある辺りから歴史地区を過ぎてデラウェア川まで、歩くと1時間たっぷりかかる。肩の凝らない話をしながら、往復ゆっくりと歩いた秋晴れの日、幸せな一日だった。

 N君、Sさんの2人は、たいていの金曜夕方、実験が一段落したところで、飲みに行こうと誘ってくれた。キャンパスのはずれにある喫茶店兼ビアホールみたいなところでビールを飲む。ピッチャーで頼むビールと簡単なつまみは安く、一週間のできごとをあれこれ話しながらくつろぐ。確かに土曜日曜のうちのどちらかは研究室に行って仕事をしていたが、どうせ一人のアパート暮らし、あの金曜日の気楽なビールタイムがあれば、そのくらいの仕事は辛くもなかった。




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Documentation [4]

ファニー・ヘンゼル FANNY HENSEL-MENDELSSOHN (1805-1847) の楽譜


ピアノ
Ausgewahlte Klavierwerke [Ubungsstucke C, g; Klavierstucke g, f; Notturno g; Abschied von Rom a; Allegro molto c; Andante cantabile Des; O Traum der Jugend, o goldner Stern F; Allegretto d; Allegro vivace A]
(F.Kistner-Hensel/H.-M.Theopold)
Henle, 1986, $22.95

Lieder fur das Pianoforte [4 Lieder Op.2;
4 Lieder Op.6; Pastorella]
Reprint der Originalausgaben
Bote & Bock, 1983, $22.50

Klavierstucke von Fanny Hensel
 Bd.1 Lyrische Klavierstucke (1836-39)
 Bd.2 Virtuose Klavierstucke (1838)
 Bd.3 Charakterstucke
 Bd.4 Ubungssstucke und Etuden Heft 1
 Bd.5 Ubungssstucke und Etuden Heft 2
 Bd.6 Fruhe Klavierstucke Heft 1
    Leichte Stucke
 Bd.7 Fruhe Klavierstucke Heft 2
    Mittelschwere Stucke
(Annegret Huber Bd.1-5, 7; Barbara Heller Bd.6)
Furore, $32.00, $29.00, etc.

Das Jahr, Band 1, Band 2 [Twelve character pieces presented in two volumes]
(Liana Gavrila Serbescu and Barbara Heller)
Furore, 1989, @$42.50

Prelude fur Klavier
(Rosario Marciano)
Furore, 1989, $8.50

Vier Lieder ohne Worte Op.8
(Eva Rieger)
Furore, 1989, $17.50

Sonate g-moll
(Liana Gavrila Serbescu and Barbara Heller)
Furore

Sonate c-moll und Sonatensatz E-dur
(Liana Gavrila Serbescu and Barbara Heller)
Furore

Zwei Bagatellen
(Barbara Heller)
Furore

Six Pieces from 1824-1827 [Capriccio in F#, Allegro ma non troppo in f-minor, Fugata in E flat, Andante con espression in c-minor, Andante con moto in c-minor and Allegro in c-minor]
(Judith Radell)
Hildegard, 1995, $34.00

Two Piano Sonatas [in g-minor (four movements) and c-minor (three movements)]
(Judith Radell)
Hildegard, 1992, $40.50

Songs for Pianoforte, 1836-1837
A-R Editions, $38.40


ピアノ連弾
Four Pieces for Piano Duet
(Irene Patay)
Peters, 1996, $25.50

Drei Stucke zu vier Handen
Furore, $28.00


オルガン
Prelude fur Orgel
(Elke Mascha Blankenburg)
Furore, $10.00

Prelude for Organ
(Barbara Harbach)
Vivace Press, 1993, $5.95

Organ Works in G Major
(Calvert Johnson)
Vivace Press, 1996, $6.95

Farewell From Rome
(Arr. Barbara Harbach)
Vivace Press, $5.95


室内楽
Adagio fur Violine und Klavier
(Rosario Marciano)
Furore

Two Pieces for Cello & Piano [Fantasia and Capriccio]
(Christian Lambour)
Breitkopf & Hartel, 1994, $14.50

Piano Trio in D minor, Op.11
(Introduction by Martha Furman Schleifer)
Hildegard, 1998, Score and parts $42.50

Piano Trio in D minor, Op.11
Da Capo, $24.50

Klavierquartett As-dur
(Renate Eggebrecht-Kupsa)
Furore, 1990, Score/parts $50.00

Streichquartett Es-dur
(Renate Eggebrecht-Kupsa)
Furore, 1989, score/parts $50.00


歌曲
Lieder
Bote & Bock, $27.00

Selected Songs (Ausgewahlte Lieder), Vol.1 [16 songs], Vol.2 [15 songs]
(Annette Maurer)
Breitkopf & Hartel, 1993, $35.00, $31.00

16 Songs
(John Glenn Paton)
Alfred, for High Voice & Piano, for Low Voice & Piano @$9.95

Three Songs on Poems by Lord Byron, for Voice and Piano (medium or high voice)
(Suzanne Summerville)
Arts Venture, 1995, $9.95

Three Poems by Heinrich Heine translated by Mary Alexander, for medium or high Voice and Piano
Arts Venture, 1995, $9.95

Three Songs on Texts by Jean Pierre Claris de Florian, for Voice & Piano (for tenor or baritone)
(Suzanne Summerville)
Arts Venture, 1995, $9.95

Lieder, Op.1/Op.7
J. W. Pepper, $25.00


重唱・合唱
Three duets: texts by Heinrich Heine for SA with piano accompaniment
Arts Venture, $9.95, Performance copies @$3.00 ea. for 10 or more.

Liederkreis: High or medium voice and piano, plus unaccompanied SAT Trio.
Arts Venture, $10.95, Performance copies @$3.00 ea. for 10 or more.

Two Duets on Texts by Heinrich Heine, for Soprano and Alto Voices Unaccompanied
(Suzanne Summerville)
Arts Venture, 1993, $8.95, Performance copies @$2.00 for 10 or more.

Three Duets on Texts by Heinrich Heine, for Soprano, Mezzo-Soprano and Piano
Hildegard, 1995, $9.95

Three Duets: texts by Goethe, for Soprano & Alto Voices with Piano.
(Suzanne Summerville)
Arts Venture, 1995, $9.95, Performance copies @$3.00 for 10 or more.

Weltliche a-cappella Chore von 1846, Heft 1-5 (SATB)
(Elke Mascha Blankenburg)
Furore, score @$12.50, (Performance singles @$1.50 ea. for 10 or more)

Choral Music, Volume 1-5 [Music for SATB choir set to poetry by Johann Wolfgang von Goethe, Emanuel Geibel, and Nikolaus Lenau]
Hildegard, 1997, @$12.50

Gartenlieder, for SATB a cappella [Six songs set to the poetry of Joseph von Eichendorff, Ludwig Uhland, Wilhelm Hensel, and Emanuel Geibel]
Hildegard, 1997, $18.00

Gartenlieder
Earthsongs, $1.45

Schone Fremde [Choral SATB]
Breitkopf & Hartel, $3.30

Zum Fest der heiligen Caecilia [SATB soli, SATB chorus, pno]
Arts Venture, $40.00, Performance parts sale/rental

Terzette fur Singstimmen (S1, S2/A1, A2/T)
(Barbara Gabler, Tilla Stohr)
Furore

Nachtreigen, Es rauschen die Baume - for SSAATTBB Chorus a Cappella
(Ulrike Schadl)
Carus, 1995, $8.30


スコア
Ouverture C-dur [2222 4200 timp, strings]
(Elke Mascha Blankenburg)
Furore, Study score $70.00 (Performance score and parts rental)

Hero und Leander (1832) [Dramatische Szene fur eine Singstimme mit Begleitung des Orchester]
(Elke Mascha Blankenburg)
Furore

Lobgesang (1831) [Kantate fur Sopran, Alt viersti. gem. Chor und Orchester]
(Conrad Misch)
Furore

Hiob (1831) [Kantate fur Alt, Soli, viersti. gem. Chor und Orchester]
(Conrad Misch)
Furore

Oratorium (1831) nach Bildern der Bibel fur Soli, Chor und Orchester
(Elke Mascha Blankenburg)
Furore

Faust [Second Part of The Tragedy, First Act, For Soprano & Piano With Treble Soli & Chorus. Text by Goethe]
Arts Venture, 1994, Study score $50.00, Performance parts sale/rental.


注1 出版社のカタログ、オンラインのカタログなどから整理したもの。
     題     名
    (校訂者・編集者
    出版社、出版年、価格  の順。
 現物に当たれていないので、不確かな部分があることをご承知おき下さい。

注2 Furoreはドイツの出版社。Hildegardは、アメリカの女性作曲家専門の出版社で、Furoreの出版物も扱っています。Arts Venture は不明ですが、Hildegardのカタログにあるので、提携している出版社と思われます。合唱曲で、FuroreとHildegardが、ともに5冊の曲集を出していますが、全5冊の収録曲は同じような気配ですが、分冊ごとの曲の配分が異なっているようです。

注3 連弾のための3つの小品は確か、以前あったNHK教育テレビのテキストに含まれていました。 (井上建夫)




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Information

シリンクス ルームミュージック No.2

《ブラームスホール サロンコンサート》

『自然を奏で、愛を歌う』


と き:1998年11月7日(土) 19:00 開演
ところ:ブラームスホール(滋賀県栗東町)
入場料:1000円

出 演:
田原 昌子(ピアノ)
西岡 たか子(メゾソプラノ)
杉山 佳子(ピアノ伴奏)

曲目(予定)
林 光:沖縄童歌「てィんさぐぬ花」
パルムグレン:3つの夜想的情景
ドビュッシー:映像 第1集
チャイコフスキー:「ただ憧れを知る人だけが」「昼も夜も」
……ほか

企 画:シリンクス音楽フォーラム
主 催:ブラームスホール・ブラームスプランニング


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シリンクス ルームミュージック No.3

『音楽はことばを語る』


と き:1999年1月9日(土)(予定)
ところ:奏美ホール(JR大津駅より徒歩5分)

出 演:
大 西 津也子(ソプラノ)
北 岸 恵 子(ピアノ)

曲目(予定):
ヴォルフ:「春だ!」「捨てられたおとめ」「隠棲」「ミニヨン」
シューマン:『リーダークライス』より
セヴラック:『ラングドックにて』より
シューベルト〜リスト:「春の信仰」「鱒」
……ほか

企画・主催:シリンクス音楽フォーラム


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元気を出そう! こころの復興コンサート

〜スイスからの支援の歌声〜

と き:1998年8月29日(土) 18:00 開演
ところ:神戸聖書教会(阪急六甲駅徒歩5分)
入場料:無料

出 演:
由美・ゴレイ・武津(ソプラノ)
田 原 昌 子(ピアノ)

曲 目:
シューベルト、サン・サーンスなど5人の作曲家によるアヴェ・マリア
グリーク:「ペ−ル・ギュント」より2つの歌と2つのピアノ曲
日本の歌:赤とんぼ、この道、中国地方の子守歌 など

主 催:こころの復興コンサート実行委員会
問合わせ:
多田昌司(078-326-5910)
(株)アーバンスタディ研究所(06-308-3921 川本、江口)

後 援:シリンクス音楽フォーラム


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イョルク・デームスのマイスタークラスコンサートシリーズU

加藤雅子 イョルク・デームス
ピアノジョイントコンサート



と き:1998年11月26日(木) 19:00 開演
ところ:京都府立府民ホール アルティ
入場料:3000円

出 演:
加 藤 雅 子(ピアノ)
イョルク・デームス(ピアノ)

曲 目:
ショパン:子守歌 Op.57、バラード第3番 Op.47
ドビュッシー:映像 第2集
1 葉陰を渡る鐘の音
2 そして月は廃寺に落ちる
3 金色の魚
シューマン:クライスレリアーナ Op.16(デームス・ソロ)
シューマン:ピアノ協奏曲 イ短調 Op.54(2台のピアノ)

問合わせ:加藤 0726-69-5570

後  援:真声会、シリンクス音楽フォーラム



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シリンクス音楽フォーラム設立!

 「シリンクス音楽フォーラム」は本誌の名称ですが、同名称で、小コンサートなどの音楽活動を行なう団体が設立されました。去る7月19日、大津市打出浜の淡海ネットワークセンター会議室に9名が集まり、下記のとおりの会則や事業計画などを決定しました。雑誌「シリンクス音楽フォーラム」はこの団体の会報という位置づけになります。「シリンクス例会」は従来通りの形で行われ、この団体ではPRなどの支援を行なっていきます。
 年会費は会報の賛助会費3000円を含めて6000円です。(入会金なし)
 とりあえず、年1、2回程度の小コンサートの開催や企画、会報発行などの事業を行なっていく予定です。参加を希望される方は、幹事等、役員までご連絡下さい。


●シリンクス音楽フォーラム設立趣意書

近代社会では、あらゆる分野で専門分化が進み、音楽の世界も例外ではありません。そこでは、少数の専門家と大多数の聴衆という対立的な関係においてのみ成立する音楽が支配的になっています。そのような関係の中で、私たちはトータルに音楽やその関連領域、そして社会へと広がりをもって関わるのではなく、音楽という限られた分野の中で一つの機能としての役割を果たし、そのことによって現代の隆盛する音楽シーンを実現しています。
 コンサートを例にとってみましょう。私たちがその場で見出すのは、消費されるモノとして作り上げられたスベスベとした表面を持つ音の群れや奇妙に明るい聴衆というマスです。深さや高さを持つアイディアや親しい表情、身体、そしてそれらが出会って創り出す新鮮な体験ではないのです。
 とりあえず私たちは、さまざまな立場で自由に参加でき、参加する人すべての表情が見える小さな音楽の広場で体験を創りながら、音楽の多様な姿に出会いたいと考えています。様々な立場で音楽に参加できる場、聴き手として、演奏者として、作曲者あるいは編曲者として、マネージメントのスタッフとして、あるいは批評家として、そして成熟を望む人として、刺激を与える人として………。
 シリンクス音楽フォーラムに、熱意ある人たちが多数参加されることを期待しています。 1998年7月


●シリンクス音楽フォーラム会則

(名称)
第1条 本会は、シリンクスフォーラムと称する。

(事務所)
第2条 本会の事務所は、滋賀県草津市に置く。

(目的)
第3条 本会は、演奏をはじめとする多様な音楽活動を通じて、豊かな音楽生活のある社会の実現に寄与することを目的とする。

(事業)
第4条 本会は、前条の目的を達成するため、演奏会の企画、運営、会報の発行その他必要な事業を行なう。

(会員)
第5条 本会の会員は、本会の趣旨に賛同する者で、総会で定める会費を納めた者とする。

(役員)
第6条 本会に次の役員を置く。
(1)代表幹事 1名ないし2名
(2)幹事   若干名
(3)監事   1名
2 幹事および監事は、総会において選出する。
3 代表幹事は幹事の互選による。
4 役員の任期は1年とするが、再任を妨げない。

(会議)
第7条 本会の会議は、総会および幹事会とする。
2 総会は毎年1回以上開催する。
3 幹事会は必要に応じ、随時開催する。

付 則
 この会則は、1998年7月19日から施行する。


●役 員

代表幹事:大西津也子、高橋隆幸
幹事(事務局長):井上建夫
幹事(企画運営担当):北岸恵子、西岡たか子、二木 啓、米澤真理子
幹事(会計担当):江口一郎
幹事(編集長):三露常男
監事:田原昌子


●1998年度事業計画

1 主催コンサートの開催
 シリンクス・ルームミュージック No.3
  1999年1月9日 奏美ホール
  「音楽は言葉を語る」(仮題)
   出演:大西津也子(ソプラノ)、北岸恵子(ピアノ)
  (ヴォルフ、シューマンの歌曲、リストのピアノ編曲ほか)

2 コンサートの企画
 シリンクス・ルームミュージック No.2
   (主催:ブラームスホール)
  1998年11月7日 ブラームスホール
  「自然を奏でる、愛を歌う」
   出演:田原昌子(ピアノ)、西岡たか子(メゾソプラノ)、杉山佳子(ピアノ伴奏)
  (パルムグレン、フォーレのピアノ曲、チャイコフスキーの歌曲ほか)

3 シリンクス例会への支援
 会報、ホームページ等を通じての広報など

4 シリンクス音楽フォーラム(会報)の発行
   第28号(8月)
   第29号(12月)

5 ホームページの運営
 アドレス http://www.yo.rim.or.jp/~mitsuyu/syrinx/index.htm
 シリンクス音楽フォーラムの掲載ほか

6 その他
 本会の目的に沿ったコンサートへの協力、後援等



●主催コンサート運営方針

1 趣旨・目標
 世界の動向を踏まえた新らしい音楽認識や解釈、演奏されることが少ないレパートリーの開拓など一般的なコンサートにない特徴を備えると同時に、聴衆の親しみやすく、楽しみながら参加できる小コンサートを目指す。

2 内 容
 コンサートの趣旨や意味が分かりやすくなるように、ストーリー性のある構成とし、曲目の羅列という印象を与えないようにする。そのため、コンサートに標題を付け、演奏者のリサイタルといった打ち出し方は原則として行なわない。
 また、聴衆が親しめると同時に、何か新しいものを得られるように工夫する。具体的には、1回のコンサートをすべてを単一の楽器(または声)で通すよりも、2、3種類の楽器(声)があるようにする、あるいは、よく知られた作品とあまり演奏されない作品を適当に取り混ぜるなど。

3 入場料
 有料とする。ただし、高校生以下は無料とするといった工夫をする。

4 運 営
 コンサートに必要な経費は、入場料および出演者の負担金でまかなう。補助金や寄付金等が得られる場合は充当する。出演者の負担金を返還したのちの剰余金は出演者に帰属する。
 コンサートの運営に携わる会員に対しては、謝礼その他人件費は支払わない。

5 その他
 上記のほか、必要な細目については、幹事会で決定する。




●1998年度予算

 

一般会計

収入の部(単位:円)

科 目

金 額

説 明

会費(一般分)

ルームミュージック No.2

 

    〃     No.3

 

  30,000

  100,000

 

  100,000

 

3,000円×10人

出演者負担金     50,000円

入場料        50,000円

出演者負担金     40,000円

入場料        60,000円

  230,000

 

 

支出の部

科 目

金 額

説 明

ルームミュージック No.2

 

 

    〃     No.3

 

 

 

事務費

  100,000

 

 

  100,000

 

 

 

  30,000

ブラームスホール参加料50,000円

案内郵送料等     10,000円

出演者返還金     40,000円

会場使用料等     70,000円

プログラム印刷    10,000円

案内郵送料等     10,000円

出演者返還金     10,000円

送料、会議室使用料、コピー代等

  230,000

 

 

会報会計

収入の部

科 目

金 額

説 明

繰入金

会費(会報分)

賛助会費

販売収入

広告収入

  48,253

   9,000

  15,000

  15,000

   2,000

 

3,000円× 3

3,000円× 5

 300円×50

 

  89,253

 

 

支出の部

科 目

金 額

説 明

印刷費

事務費

繰越金

  64,000

  10,000

  15,253

28号、29号

送料、コピー代等

 

  89,253

 


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編集後記

 「シリンクス音楽フォーラム」が団体として発足するのに伴い、本誌はその会報となりました。会員のみならず、幅広い皆様さんからのご寄稿で更に充実させて行きたいと思っていますので、よろしくお願いします。特に、演奏会・CD・音楽書などのレビュー記事を期待しています。(三露)

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シリンクス音楽フォーラム賛助会員募集


賛助会費(年間):3000円

送金先:郵便振替 口座番号 01080−2−22383
          名 称 シリンクス音楽フォーラム

(賛助会員には、本誌を毎号郵送します。)




シリンクス音楽フォーラム No.28


発 行:1998年9月1日

編 集:シリンクス音楽フォーラム編集部

連絡先:

三露 常男(編集長) mitsuyu□yo.rim.or.jp
井上 建夫(編集企画) tk-inoue□mx.biwa.or.jp
(□を@に変えて送信下さい)

(C)Copyright 1998 SYRINX


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