シリンクス
音楽フォーラム


No.29
1998年 冬


目 次

レビュー  演奏会  油井 康修  秋は信州で、音楽のひとときを

レビュー  C D  北岸 恵子  現代の歌姫とは... フェリシティ・ロットの歌曲

レビュー  C D  井上 建夫  複雑の快楽と単純の魅惑

練習論        井上 建夫

コンサート・オン・エア (18)  高橋 隆幸
   カール・ベーム − 名曲の名演

シリンクス ルームミュージック No.2 “自然を奏で、愛を歌う”

インフォメーション

編集後記

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Review / Performance
油井 康修

秋は信州で、音楽のひとときを

諏訪内晶子ヴァイオリン・リサイタル
1998年9月9日
長野市県民文化会館
東儀秀樹コンサート
1998年9月22日
丸子町信州国際音楽村ホールこだま
和波孝禧ヴァイオリンコンサート
1998年10月31日
上田市北野講堂


 昨年もこの時期のレヴューは私の地元信州のあちこちで行われたコンサートを取り上げたと思う。今年もまた同じようになってしまった。実りの秋ではあるが、そして我が信州の秋はブドウ、梨、リンゴ、栗、松茸と、実りを迎えるものには枚挙に暇がないけれど、音楽は別に秋に限ることはない訳だ。実のところ秋というのは自然界は豊かだが、我がふところはいささか寂しく、地元の音楽会が中心にならざるを得ないというのが実態という、少々情けないところが本当の事情であった。

 しかしオペラやオーケストラといった大物はそうそうこの山国までは足を運んでくれないが、室内楽やソロだったらなかなか楽しめそうなコンサートが来るのである。もっともこの地でのオペラというと、ほとんど唯一、毎年夏の終わり、又は秋の初めに行われる松本のサイトウ・キネン・フェスティバルで見れるのだが、それはチケットが買えた時のこと、私はまだ行く機会に恵まれていない。

 ところで松茸といえば京都の松茸は有名だが(もっとも学生時代には知らなかった)、当地上田の周辺の山にも松茸が取れる。時期が来ると、道のかたわらに看板が出て「○○荘へどうぞ」と松茸料理への誘いがかかるのである。上田に越して来て、あるとき子供と近くの山に出掛けたら(これは山登りが目的)、何とシメが張ってあって「ここから奥、松茸山にて入山禁止」とあるではないか。へたに疑われてもと早々に山を下ったものだ。しかし金はかかっても、その時期に旬のものが地元で楽しめるなど嬉しいことで、一度は行きたいと思っていたのだが、伏兵は思わぬところにいた。一番下の息子は実はキノコのようにフニャフニャしたものが苦手で、松茸でも乗ってこない、ヤレヤレ。

[I]

 さて、まずとりあげるのは、

諏訪内晶子ヴァイオリン・リサイタル
9月9日・長野市県民文化会館
ピアノ:ジェレミー・デンク
ヴォルザーク:4つのロマンティックな小品 Op.75
ヤナーチェク:ヴァイオリン・ソナタ
ブラームス:ヴァイオリン・ソナタ Op.120-2
ブラームス:ハンガリー舞曲集より

 チャイコフスキー国際コンクールで優勝したということでとみに有名なヴァイオリニストだが、その後しばらく研鑽のため演奏活動はあまりしていなかったと聞いていた。漸く活動再開で、当地長野にも来てくれた訳だ。たまたま図書館で「ヴァイオリンと翔る」という彼女の著書を見かけて目を通していたので、一度聴いてみたいなとは思っていた。それにしてもこの著作、30才台になるかならないか位で書かれたと思うがその割りには面白かった。その中の一節、

「1990年の春、私はアントニウス・ストラディヴァリの作ったヴァイオリンと出会った、製作年は1690年、巨匠が壮年期の作品である。そこで私は初めて、グァダニーニでは自らの想いを達成することは、これからも難しいと気づいたのである。」

 それからの彼女はひたすらストラディヴァリウスとともにある訳だ。チャイコフスキーコンクール以前にも、彼女はパガニーニ国際コンクール、エリザベート王妃国際音楽コンクールで2位に入賞している。これ自体すばらしい経歴だ、しかし自分としては何か納得仕切れないものがあった。その想いがストラディヴァリウスの発見につながったのだろう。チャイコフスキーコンクールではストラディヴァリウスで弾いたことが、優勝につながったといえよう。しかし当初はストラディヴァリウスの表現力に、自分の力が追いつかないとすら感じていたようだ。それがその後の研鑽につながったか。それにしてもヴァイオリンの世界では、それほど楽器が決定的なものなのか。そういう思いで自分を磨いて来た彼女の音楽を、やはり聴いてみたくなるというものだろう。

 しかしこれとは逆のことがあるのも事実だ。確か「カザルスとの対話」だったと思うが、カザルス自身がやった楽器のブラインド・テストの話が載っていて、そこではストラディヴァリウス以外の楽器が一番よい音が出る楽器として(それほど有名なものではなかったと思う)選ばれたのだった。こんな話も聞いたことがある。確かにストラディヴァリウスは名器だろうが、それが最高のヴァイオリンと言われているのは本当のところはどうか。他にもグァルネリとかアマティとか、いくつかあるはずだ。ストラディヴァリウスを最高とするのは、幾多の名器の中で数が一番多いからだというのである。商業的な観点からみると、これも一理ある気がする。いずれにせよヴァイオリンを巡る話にはマジカルな要素がまとわりつく。時にはまゆつば物の話もあるが、しかし面白い世界でもある。

 さて諏訪内晶子はストラディヴァリウスでどんな昔を奏でるのか。当夜の印象を一言でいうなら、ひたすら美音を追求している、そんな演奏だった。多分彼女の求める美音にはまだ成り切っていないだろう。しかし今まで他のヴァイオリンからはあまり聴いたことのない美音だったことは確かだ。見た目にもその演奏の仕方はちょっと類がないと言えば、少しオーバーかな。ヴァイオリン演奏の要は右手、つまり弓の扱い方だと何かにあったが、彼女のボウイングの滑らかさはどうだろう。とにかくしなやかで柔らかい。角張ったところ、固い動きはほとんど皆無、手首から腕までこれほどの柔軟さを感じさせるものは他のヴァイオリニストでは見たことがない。それに応じて音も実に滑らかなのだ。そういう美音だ。

ストラディヴァリウスを弾くとは彼女にとってはこういうことなのか。ただし彼女が書いているような「輝くような気品をたたえた高音部」とか「ヴァイオリンは、ソプラノ楽器だ」というようなものを実感させてくれるにはいたり切ってはいない感じがした。もっとも気品はなかなかに感じられた。その演奏の雰囲気は、例えるならば「湖上の麗人」とでも言うべきか。キラキラした高音や分厚い低音はあまり感じられなかったので、その分美しいが表現としては何か幅の狭いような感じはあった。

 音楽としては例えばヤナーチェクのものに、そんな感じが強くなる。ヤナーチェク自身個性が強く、癖っぽい表現を持っているうえに、チェコの民族的な部分もあると思うが、どうも曲の全体の印象が滑らかすぎてしまうのだ。いくら「ソプラノ楽器」といっても、いつも美しく歌ばかり歌ってはいられない。時には強いアタックを見せたり、ギコギコ鳴らしたりする部分もあるはずだ。そういうメリハリがこの曲にはかなり要求されると思うのだが。

 家に帰ってさっそくスークの演奏で復習をしてみた。スークもなかなかの美音を奏でているように思う(もっともレコードでヴァイオリンの音の性質をどこまで聞き分けられるか、本当のところは私は自信がないが)。そしてこれはいわば聞き慣れたヴァイオリンの音だ。ヤナーチェクの音楽もこんな風だろうと思う演奏だ。これに比べると諏訪内晶子の演奏は、まだ十分彼女の目指すものが形づくられるところまでに至っていないもののように思う。

 一体に彼女の演奏を聴いていてしばしば思い浮かんだ疑問は、この音でコンチェルトを弾いたらどうなるかということだ。というよりこの音ではコンチェルトは無理ではないかということだ。当然弾き方を変えるのだろう。しばらく後に、同じ長野県の別の会場で彼女がコンチェルトを弾くという演奏会があることを知って行きたいと思ったが、ちょっとこれは無理だった。いずれにせよこの音が今後どう磨かれ、どのような音楽が作られていくのかという点は興味がある。次の出会いを待ちたい。

 このコンサートでもう一つ感じたのは、ピアノとの相性がひどくいいということだ。音色といい音量といい、彼女のヴァイオリンにぴったりだ。とにかく音が柔らかい。またブラームスではピアノが分厚い和音を奏でてよくあることだが、フォルテでヴァイオリンを飲んでしまうということがない。ピアノの流れのうえにしっかりヴァイオリンが浮かんでいる。もっともこの夜のブラームスは、もともとクラリネットのための曲で、本来クラリネットの音量を考慮してピアノパートが書かれているのかどうか。そういえばこの夜のプログラムもいささか風変わりともいえよう。メインディッシュがヤナーチェク、後は後期ロマン派の花々(それも本来ヴァイオリン曲でないものも含めて)、共通点は中部ヨーロッパの音楽といったところか。

[II]

 「のほほん茶」というのをご存じか。実はテレビのコマーシャルで結構知れているものらしい。それに出演している人をご存じか。知らなかったのは私だけか。そのご当人が隣の丸子町に来るという。次の演奏会は、

東儀秀樹コンサート
9月22日・丸子町信州国際音楽村ホールこだま

という名称だったか、今手元に資料がなくなってしまい、記憶だけで書かざるを得ない。この東儀秀樹という人の家は、溯ると秦の始皇帝の血筋を引く渡来人秦河勝の子孫の家系という。代々宮中の雅楽の楽人を出していたとのことだ。東儀氏は小さいころから音楽に関心は強かったようだが、それもビートルズとかジャズもあったかな、しかし結局雅楽の楽人になった訳だ。しかし創造の念止まず、作曲をしコンサートをし、忙しくなったのだろう、今は楽人はやめてフリーとのこと。

 ところでこの日はどんな日だったか覚えている人はいるだろうか。そう、台風が日本列島を通過するという時だった。ここ上田の地は雨もあったがとりわけ風がひどく、とてもコンサートに行くなどという日和ではなかった。こんな日は客足も遠のくだろう、せめて一人でもなどと、変な同情心もあらばこそ(勿論電話で確認をして)、車が飛ばされないか心配だと渋っているうちの奥さんを口説いて、暴風雨のなかを小牧山中腹の会場に急いだのだった(今わが家で車の運転ができるのは彼女しかいない)。案に相違してホールはほとんど満員、「のほほん茶」の威力か、多分町民コンサートということなので丸子町から何らかの働きかけもあったのだろう。

 さてコンサートビラをみる限り出演者は一人だけ、一体どうするのだろうと思っていると、開始のブザーが鳴って戸が開き(このホールは本当に戸が開くのだ)、何と狩衣姿の東儀氏が一人で入場して来た。立ち居ふるまいといい語り口といい、なかなかゆかしい風情を感じさせる人だ(年は三十台後半だったはず)。これが家柄のなせるワザなのか。前半は雅楽についてや彼の使う楽器の説明が主だった。

ヒチリキはわずか20センチほどの縦笛だが、何とも奇妙な楽器で、固定した指使いでも(フルートやクラリネットならほぼ同じ音程になるのが)口の調整の仕方でほぼ5度位の幅で音程が動く。一方表現できる音程は1オクターブちょっとというのだ。この小さな胴体で音量はとてつもない大きさになる。そんなに大きなホールではないがそれにしても小さな笛一本が、耳を圧するほどの音量を出す。ちょっと信じられない大きさだ。帰りにCDを買って家で聴いたが、こちらは音量を他の楽器に合うように調整してあって普通並だ。実際の演奏を聴かなければヒチリキはこんなものと思ってしまうだろう。

 それにしても日本に来てからでも千年以上、中国から数えたら大変な時が経っているはずだが、この楽器はもう完成されたものなのか、これだけの年月を経ているにもかかわらずまだ未完成なのか、その音色・音量共に西洋の管楽器との比較を絶した不思議な楽器である。

 もう一つは笙、リードの付いた管を組み合わせた手乗りオルガンとでもいう吹奏楽器で、和音も出る輝かしい音色はよく響いてみごとだ。音量はヒチリキほどではないにしても実に豊かで広がりを持ち、私としてはこちらが好みだが、東儀氏はヒチリキの方が専門のようだ。といっても雅楽の人は他の楽器も大体こなすようだし、紹介文にはチェロも弾くと書いてあり、さらにこの夜第二部ではピアノも演奏した。

 第一部の最後は舞いで締め括ったという訳で、雅楽の楽人のあり方は今日の音楽家からすると、随分違っている。これまたバレーでは勿論ないし、太極拳でもないし、日本舞踊ですらなく、しかし何とも静かな雰囲気の中でそれなりに活発で(舞いのみで伴奏音楽がなかった)、いや何と説明していいやら、とにかく全てにわたって、我が日本にこんなものがあったのかと驚き、これはとんでもない人である、と驚き、ウーン、未知との遭遇であった。

 第二部でさまざまな曲を聴いた。一人しかいないので伴奏はテープが使われた。ヒチリキが中心なので雰囲気は雅楽風だし、テンポのゆるやかなものが多い。形容するなら、天上的というのか宇宙的というのか、時にはややポピュラー音楽に接近しつつ、ヒチリキの輪郭のフニャフニャした且つこの世離れした音が別世界へ誘っていくかのようであった。しかしアンコールでは「こんなこともできますよ」と、ビートルズの「ヘイジュード」を演奏してくれた。

[III]

和波孝禧ヴァイオリンコンサート
10月31日・上田市北野講堂
ピアノ:土屋美寧子
モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ変ロ長調 K.454
プロコフィエフ:ヴァイオリン・ソナタ ニ長調 Op.94
チャイコフスキー:3つの小品
クライスラー:愛の喜び/愛の悲しみ
マスネー:タイスの瞑想曲
ドビュッシー:パスピエ
ファリャ:スペイン舞曲

 3年の担任ということで、あちこちの大学説明会に行くが、たまたま地元の上田女子短期大学に行くことがあった。わが家から直線で2キロもないだろう。一番近くにある大学だ。その前を子供を市民プールヘ連れて行くときにはいつも通っていたが、中を訪れるのは初めてだった。あちこち施設を紹介してもらい、最後に北野講堂に案内された。入って驚いた。講堂と言い条、これは立派な音楽ホールだ。内装はロンドンから取り寄せた渋い色のレンガをあしらい柱もアーチ風に模様を刻んだ300席のこじんまりしたホール。大学の先生が「今日のお客様に」と、素晴らしいバリトンで「この道」を聴かせてくれた。

 そういえばしばらく前に音楽ホールが近くにできたという話を聞いたなあと思い出した。いや、これほど素晴らしいものとは、迂闊であった。この大学はバックが北野建設という長野にある大きな会社だ。この会社は長野に北野美術館というものも持っていて、随分文化面で貢献している会社だといまさら気が付いた次第だ、灯台下暗し、しかしこれはいい楽しみができたなあと思っていたら、早速和波氏のコンサートがあるという、勿論当日は自転車で駆けつけた(ちなみに、このホールは貸し出しはしないそうで、この大学の企画で音楽会を開くとのことだ)。

 数年前長野で初めて和波氏のコンサートを聴いたが(このレヴューにも書いた)、これは大変素晴らしかった。次の機会にも是非と思っていたのが、意外に早く訪れてくれた訳だ。それもわが家からすぐの所で。ピアノは前回同様奥さんの土屋さん、息の合ったところだ。モーツァルトの変ロ長調というと、K.378がとみに有名だ。こちらの印象は、事前の予習ではちょっと大振りで、K.378の様な魅惑に満ちた旋律、節回しはいささか乏しいかといった感じだった。

 実際聴いてみると特に第3楽章ではちょっとオペラを思わせる歌も感じられ、それなりの面白味も発見できたところが収穫だ。次のプロコフィエフ、前回ソナタの1番を聴いているからこの日で一揃いということになる。もともとはフルートのための曲のせいか、節回しがヴァイオリンとちょっと違うなと思わせる所もあるが、とにかく次から次ぎへと魅力に富んだ旋律が現れ、これはまさしく名曲と改めて思った次第。

 ここまでが和波氏いうところのたっぷりしたおごちそう。後半はどちらかというと軽いデザート的な曲、前回と同じ構成だ。そのなかではチャイコフスキーの最初の曲(瞑想曲)が面白かった。スクリャービンを思わせる和声、雰囲気、メロメロとしたチャイコフスキーのロマンティシズムのなかにスクリャービンに繋がるものがあったのは発見であった。しばらく前からロシアのロマンティシズムというのに興味を引かれている。

 まだまとまって説明できるほど明確に捉えてはいないが、その存在は私には随分気になる。それもどうやらスクリャービンを聴き始めてから感じ出したようだ。チャイコフスキーはもともとあまり聴かないし、印象としてはいささか甘すぎると思っていたのが、この日の曲にはちょっと認識を新たにした。

 この日の和波氏のヴァイオリンは、ホールのせいかどうか、前回より随分倍音が効いていたように思う。かなりヴァイオリンらしい美音も響いていた様に感じた。同時に力強さという点でも印象深かった。


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Review / CD
北岸 恵子

現代の歌姫とは... フェリシティ・ロットの歌曲

フェリシティ・ロット シューマンを歌う
Felicity Lott sings Schumann (piano: Graham Johnson)
IMP MCD22
プーランク歌曲集
F. Poulenc Songs
Felicity Lott (soprano), Pascal Roge (piano)
Decca 458 859-2
イギリス歌曲シリーズ「ウィリアム・ウォルトン」
The English Songs Series : William Walton
Felicity Lott (soprano), Martyn Hill (tenor),
Craig Ogden (guitar), Graham Johnson (piano)
Collins 14932
フェリシティ・ロットは楽しむ
Felicity Lott s'amuse (piano: Graham Johnson)
Forlane UCD 16760

 三大テノールのコンサートがワールドカップのイベントとして定着し、大都市ではそれと似た形式の音楽会が、最新の電子技術を駆使して、巨大なスペースで派手に行われる今日。CD店のクラシックの声楽コーナーではオペラ、あるいはオペラ歌手のソロアルバムが主流を占め、○○歌曲集と銘打ったCDを見つけることは難しくなってきた。それでも輸入CD売り場に行けば、何枚かを見つけることができる。今回取り上げるフェリシティ・ロットのCDも輸入CDばかりである。

 フェリシティ・ロットを初めて聴いたのは彼女のシューマン歌曲集CDであった。第一印象は“重いシューマン”であった。朗々と響く美声、ソプラノには低い音域の曲の多いリーダークライスOp.39をゆったりと歌わせている。ピアノ伴奏のグラハム・ジョンソンもしっかりと個性を持ちながら、控えめなサポートをしている。しかし、何かが欠けている気がした。シューマンの歌曲の多くはクララとの結婚の前後に書かれている。若々しい、ときには未熟さや生硬ささえ認められる彼の作品中でも、青春の心の揺れが大胆に表わされた作品が多い。ロットの演奏は起伏が少なく、アイヒェンドルフやハイネのドイツ語の詩が持つ息吹が乏しいように感じられた。立派な演奏であることに感心しつつも、感動を覚えず、印象はいつしか薄れた。

 あるCD販売店で、歌曲のCDを物色していたときに見つけたのが、プーランク歌曲集の一枚、歌はフェリシティ・ロット、ピアノはパスカル・ロジェである。プーランクはバリトン歌手ピエール・ベルナックの伴奏者として活躍し、彼のために多くの歌曲を作った。プーランクの歌曲の多くは今世紀前半に活躍した文学者の詩に作曲されており、アポリネール、アラゴン、マリー・ローランサン、コレット、コクトーなど、著名人がずらりと並ぶ。特にアポリネールの詩による歌曲は出色で、私は20歳代後半、アポリネールの詩に夢中になって、プーランクの歌曲のいくつかを知った。来年はプーランク生誕 100年である。忘れられた作曲家になりつつあったプーランクはここ数年再評価されており、生誕 100年を期にさらに評価を高めるであろうことが予想される。

 このCDで聴くフェリシティ・ロットはシューマンとは別人のようだ。アラゴン Louis Aragonの詩による2つの歌、“C”ではeの脚韻をふむ詩の特徴を適確に伝える。さらに、“華やかな宴 Fetes galantes”の難しいパッセージを楽々とこなし、詩を語る部分を交え、メリハリのある歌に仕上げている。何よりも驚くのは、言葉に対する感性で、詩と音楽と声が一体となり、心地よく身体に染み入るようだ。ピアノも繊細で、各曲の対比が鮮やかである。

 パスカル・ロジェはサティのピアノ曲集、プーランクのピアノ曲集などのCDを続々出していて、近代フランスのピアノ作品をよく取り上げている。ただ、ピアノ独奏曲でのロジェの演奏は、優等生であってプラスアルファの人を牽きつけるものが少ないように思える。プーランクの作品での歌曲とピアノ曲の出来の差かもしれないが、ピアノ曲で感じた物足りなさは伴奏では感じられない。“子供のための4つの歌 Quatre Chansons pour enfants”は子供のためと言いつつも大人のための洒落たフランス音楽を表現している。さらにこのCDはシェイクスピア“ヴェニスの商人”からの詩による Fancy(当然英語の詩)で終っているところが面白い。

 プーランク歌曲集でフェリシティ・ロットを見直した私は、その後、フェリシティ・ロットの2枚のCDを聴いた。1枚はウィリアム・ウォールトン William Walton(1902-1983)の歌曲、他の1枚はフランス歌曲集−オッフェンバックからプーランクまで−である。共に伴奏はグラハム・ジョンソン。ウォールトンのものはプーランクのように、あるいはそれ以上に自在な表現力で私を魅了する。ウォールトンはイギリスの作曲家で、オードバラ音楽祭のためにいくつかの歌曲を作曲したということである。今後、20世紀の代表的な歌曲として、生き残っていく魅力を十分に感じさせる作品である。

 フランス歌曲集の方は、シューマン歌曲集とプーランク歌曲集でのロットの印象を再確認させる。多くの歌曲では詩が語るように歌われ、言葉が鮮明に聞き取れる。反対に、叙情的な要素が強い歌ではオペラ的な歌いまわし、確実な発声が主体となっている。英語とフランス語は彼女の得意の言語なのだろう。私は、最近のアーティストの名前に疎くなっているため、フェリシティ・ロットのプロフィールをCDの解説冊子から読んでみる。フェリシティ・ロットはイギリス出身、まずオペラを歌って有名になり、近年は歌曲でも評判らしい。

 女声のシュワルツコップ、ロスアンヘレス、アメリンク、男声のホッター、フィッシャー=ディスカウ、プライ、ジェラール・スゼー、ピアノ伴奏ではジェラルド・ムーア、ジェフリー・パーソンズ、彼らが去って歌曲の1つの時代は終った。彼らは演奏を通して、20代の私に歌曲についての強烈な教えをくれた。歌曲は声自身の魅力もさることながら、詩を語る、詩のイメージを聴き手に伝えるという重要な使命がある、ということである。多くの歌曲は作曲家が詩から受けたイメージを音楽にしている。詩人と作曲家の意図を聴衆に伝える使命を演奏者は担うはずである。

 彼らの中でも、フィッシャー=ディスカウとジェラルド・ムーアが私に与えた影響は大きい。特に、フィッシャー=ディスカウのドイツ歌曲は言葉のリズム感や生命感を歌の中で表わしている。そのようなディスカウでも、ドイツ語以外の歌曲については抜きんでた存在とは言い難かった。作曲家達が自分の得意な言語で作曲するのであるから、歌手が得意な言語で歌うのは当然の権利であり、オールマイティである必要はないと私は考えている。

 しかし、現代の歌姫はロットに限らず、きわめて広いレパートリーを持ち、オペラから数か国語の歌曲までを録音する場合が多い。何でも歌えるのが現代の歌姫の条件とされているのかもしれない。それに対して、私は上記のように反発しつつ、心の底に別の欲望を持っている。それは、ディスカウ達によって教えられた歌曲の概念を覆すような新しい歌曲の時代に巡り合いたい、という望みだ。巡り合えた時、私は全身で拒否しながらも、すぐに新時代に拍手を送るだろう。新しい時代は未だ模索段階であるように思える。フェリシティ・ロットのシューマンに覚える物足りなさはさておき、私は彼女の歌曲への積極的な取り組み、プーランクとウォールトンの歌曲の存在感あふれる演奏が、新しい時代の華々しい幕開けではないかと密かに楽しみにしている。(1998.11.3)

主な収録曲

Felicity Lott sings Schumann
Liederkreis Op.39, Frauenliebe und Leben Op.42, Der Nussbaum, Widmung, Mignon, etc.

Poulenc Songs
Montparnasse, La courte paille, Deux Poemes de Loius Aragon,
Trois Poemes de Louise Lalanne, Cinq Poemes de Max Jacob,
Quatre Chansons pour enfants, Airs chantes, Le portrait, Toreador, etc.

The English Songs Series : William Walton
A song for the Lord Mayor's Table, Facade settings, Anon. in love, etc.

Felicity Lott s'amuse
Offenbach: On s'amuse, on applaudit, Couplets du Souper, La perichole, Griserie
Bizet: La chanson de la rose, Chanson d'avril
Duparc: Romance de Mignon, Chanson triste
Satie: La diva de l'empire, Je te veux
Poulenc: Les chmins de l'amour
ほかに Chabrier, Faure, Chausson, Messger, Bernard 等の歌曲


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Review / Music
井上 建夫

複雑の快楽と単純の魅惑

アルベニス集 1、2、3
編集・校訂 森安芳樹 濱田滋郎
春秋社
1995/96/97
3000/3500/3000円

 最後に、私がピアノを識るのに大きな役割を果たし、私が熱烈に讃美し、そして私にとってはおそらくピアノ書法上の傑作だと思われる作品として、アルベニスの「イベリア」を挙げておきましょう。この曲を発見したのは私が十九才のころでした!この四冊に収められた十二の曲(なかんずく「アルメリア」と「エル・ポーロ」と「ラヴァピエス」)を私はしばしばくり返しくり返し弾きました……恐るべき難曲なので、完璧には弾けませんでしたが ― イヴォンヌ・ロリオのように弾くことは、いつまでたってもできないでしょう……(『オリヴィエ・メシアン その音楽的宇宙 クロード・サミュエルとの新たな対話』(戸田邦雄訳 音楽之友社1993年))

 「イベリア」に対するメシアンのこの賛嘆のことばを読んで、意外に思われる人も多いのではないでしょうか。確かに「イベリア」は傑作と認められているにしても、スペイン的とか民族主義的といった形容詞が常についていて、ショパンやシューマン、リスト、ドビュッシーらの作品のように、留保なしの傑作とは一般的には考えられていないのです。ドイツ、オーストリア、フランス、イタリアというヨーロッパの音楽大国以外の民族的特徴を示した作品は常に過小評価される危険があります。20世紀末の現在から見れば、ロマン派の音楽はどの国のものであれ十分民族主義的な音楽であって、国民国家が確立される時期に当たる19世紀初めから20世紀初めの音楽はむしろ全体を国民楽派(ナショナリズムの音楽)と呼べないでしょうか。

 アルベニスの音楽で不思議なことは、「イベリア」以外の作品は、格段に見劣りがすることでしょう。(13曲目のイベリアとも言える未完の「ナバラ」は例外にしても。)もっとも、膨大なアルベニスの作品の全貌を知っている人は、いそうもないので確たることは誰も言えないのですが。上記『アルベニス集』第3巻収録の他の作品と比べてみても、楽譜を一見しただけで、同一人の作品とは思えないほど視覚的印象が異なります。ともかく「イベリア」は音符がいっぱいあるのです。単位時間に鳴らされる音符の数は恐らく数倍になるでしょう。

 輻輳する拍子やシンコペーションにより変化するリズム、アッチャカトゥーラを含む密集和音、高音域・中音域・低音域の両手への多様な配分と自由自在な強弱法による音色の変化、旋法の使用によるスペイン色の強調、絵画的描写と弛緩のない構成、華麗なヴィルトゥオジテ。楽譜では、どこにメロディが隠されているのか一見しても判らない個所が随所に見られるのですが、デ・ラローチャのような名手の演奏を聴くと、複雑極まるテクスチャの中から、常に単純で親しみやすいメロディが浮かび上がってきます。複雑さと単純さがあざやかなコントラストを示しながら、全12曲が高い緊張度を保ったまま、楽譜にして 160ページ続くというこの作品集はピアノ音楽史上、無比と言えるかも知れません。イベリアについて讃嘆のことば以外のことを書くのは困難です。

 さて、評者は少し以前にドーヴァー版の「イベリア」(“Iberia and Espana”)を入手していましたが、これがどう見ても音の間違いや臨時記号の間違いが多すぎて、とても使い物になりません。この版は、初版(パリのミュテュエル版、現在はサラベールから刊行)のリプリントで、ドーヴァー版以外でも大概の版は初版をもとにしているのでミスプリントに関してはよく似たものなのです。近代の作品でも、特にフランスの出版社のものはミスプリントや不適切な個所が多いようですが、これほどひどいものも珍しいでしょう。そこで、もう少しましな楽譜はないかと探したところ、意外にも日本から出ていました。

 春秋社版の校訂者、森安芳樹によれば、「イベリア」の初版の誤脱は1500個所を下らず、現在までほとんどの版はこの誤りを含んだまま放置されているようです。唯一、スペインのマドリードで1993年に刊行されたアントニオ・イグレシアス校訂のアルプェルト版(Editorial Alpuerto,S.A., Madrid)が自筆譜との校合を行い信頼するに足るテキストを提供している版で、春秋社版は自筆譜などの一次資料には当たっていないものの、このアルプェルト版との照合を行い、問題個所のほとんどで両版は一致しているとのことです。

 アルプェルト版が決定版と言い難いのは、読譜や演奏上の困難さを軽減するため、調号の書き換えや譜表の上下の配分を替え、オリジナルに大幅な変更を加えている点です。「イベリア」では、両手の交差したり重なったりする個所が非常に多いのですが、作曲者が、強調する音やメロディーを意識しながら両手への配分を考えて記譜しているのは確実で、一見、読譜がしにくく演奏もことさら難しくなっているようなところでも、合理的で結局は弾きやすいところがほとんどのように思われます。オリジナルを変える必要はなく、変えれば作曲者の意図が伝わらない個所が生じるでしょう。

 春秋社版は、この点に関してはオリジナル(初版)のままにして、上の譜表の音符を左手で取った方が良い場合、あるいはその逆の場合、編集者がかぎ括弧の記号で示していてくれます。この場合も評者が見たところでは、オリジナル通りの方が弾きやすいと思われる場合も多く、最終的には演奏者それぞれの弾き方、また、手の大きさや指の長さといった肉体的条件による個人差によるところが大きいので、あまり編集者が介在する必要はないのでしょう。

 この春秋社版では巻末に濱田滋郎による作品解説のほか、森安芳樹による校訂報告と演奏ノートが付けられています。校訂報告では他の諸版への言及もあり、主な版との異同が詳細に記載されています。これらを見ても、現在入手できる楽譜の中で演奏者にとってはこの春秋社版が最も望ましい版でしょう。イギリスで新しい校訂版が準備されているという話を聞いたことがあるので、いずれ近いうちに決定版といえる楽譜が出版されるのではないかと思われますが、当面「イベリア」の最良の版と考えられる春秋社版の解説や校訂報告に英文がないのは、折角の労作が諸外国に流通せず残念なことです。

 「アルベニス集」第3巻は、「イベリア」以外の作品を収録しています。このうち「スペイン組曲 Op.47」については、現在流布している楽譜では8曲からなるのですが、元来アルベニスは8曲中4曲しか完成しなかった組曲を、出版社が他の曲集などから4曲を勝手に付け加えて出来上がったものです。すなわち「グラナダ」「カタルーニャ」「セビーリャ」「クーバ」が作曲者が完成した曲で、春秋社版では、この4曲の形で収録し、更に、転用された4曲は原題でもって(ホタ・アラゴネーサ、セレナータ・エスパニョーラ、組曲《スペインの歌》のうちの2曲)収録しています。つまり、従来の版同様、一応8曲分はこの楽譜に含まれていることになります。

 第3巻についても、自筆譜などの一次資料には当たっていませんが、諸版の異同は校訂報告に詳細に記載されています。

 「イベリア」の誤植といい、「スペイン組曲」の出版社の勝手な曲の追加といい、1909年のアルベニスの死から90年近くが経っても、こうした基本的な事実関係が確認されないまま演奏や評価がされているということになります。アルベニスだけには限りませんが、地道な学問的努力が楽譜や演奏に反映されることを期待したいと思います。

 なお、春秋社のこのシリーズは、完全な無用の長物である箱に入っていますが、こんなものはやめて 100円でも安くしてもらいたいものです。

収録作品
『アルベニス集 1』
 《イベリア》第1巻 第2巻
『アルベニス集 2』
 《イベリア》第3巻 第4巻 《ナバラ》
『アルベニス集 3』
 《アラゴン》ホタ・アラゴネーサOp.164-1
 《セレナータ・エスパニョーラ》Op.181
  組曲《スペインの歌》Op.232 スペイン組曲Op.47




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On Practice

練 習 論

井上 建夫


魔法の指輪

 モーツァルトの神童ぶりを示す次のようなエピソードがあります。
 少年モーツァルトのピアノ演奏のあまりの見事さに、聴いていた人たちがモーツァルトが指にはめているのは魔法の指輪ではないかと考え、指輪をはずさせて演奏させたというのです。

 魔法の指輪とは無知蒙昧も甚だしい、天才モーツァルトなら当然ではないか、というのが、このエピソードを読む現代人の普通の反応です。しかし、ちょっと待ってください。子どもがその年齢では考えられないような素晴らしいピアノ演奏をしたとき、この子は天才だから当然だ、と「天才」ということばで思考停止してしまうよりは、指にはめている指輪に秘密があるに違いないと考えるほうが、まだしも合理的な考え方です。
 確かに秘密は、指輪でないのは確かです。そうなると秘密は他にあるのです。

神童は練習をしない

 “ピアノを弾けるようになるには練習が必要である。”
 これはピアノに限らず、他の楽器や歌の場合でも全く当然のことと考えられています。
 ところで、練習を始めてから弾けるようになるまではどのようなプロセスをたどるのでしょうか。

 (1)練習によって技術を得る。
 (2)作品を理解し、習得した技術を用いて表現する。

 これが、一般的に考えられている、練習から優れた演奏へと至る2段階のプロセスです。しかし、実際は多くの子どもが(大人も)、(1)の段階で挫折してしまいます。よほど熱心に練習して、専門の音楽大学などへ進んだ人が何とか(2)の段階へ入ることができる。しかし、この(2)の段階をクリアして演奏家としての評価を得る人は更にその中のほんの一握りの人たちに過ぎない。

 このようにピアノ演奏をマスターすることは非常に難しい、ということは常識のようになっています。ところが、このプロセスに当てはまらない現象があります。それが神童とよばれるような人たちです。有名なピアニストや作曲家には子供時代は神童と呼ばれるような早熟さを示した人が多く、5、6才で本格的な作品を弾きこなした、あるいは10才頃にリサイタルを開いたという人たちが結構います。何とかピアノの前に坐って、鍵盤を操作できるようになるのが4、5才からでしょうから、いかに猛練習したとしてもせいぜい数年間のことです。しかも神童と言われる人たちの多くは、最初からうまく弾いたと伝えられているのです。

 神童と言われるほどでなくとも、これによく似た現象は私たちの身近でも見られます。何十人かに1人くらいは、あまり練習した形跡もないのに、うまく弾けるようになる子どもがいるものです。

 これを私たちは、“才能がある”と言っているのですが、才能のある子どもがなぜ、他の人たちより早く弾けるようになるのかは誰も説明しようともしないのです。神童、天才、あるいは才能ということばは、そのことばさえ言えば全く説明をする必要がない神話的なことばになっています。

 さて、こうした神童や才能のある人たちがなぜ、すぐに演奏法を習得できるかを説明しようとすると次のようになるでしょう。

 “神童や才能のある人たちは、何かある秘訣(Secrets)を知っているのだ。”

神聖な技術

 ピアノ演奏に限らず、技術、技芸、能力などに関しては、コツあるいは秘訣のようなものがあって、それが判れば簡単にあるいは短期間に習得できるのだ、という考え方は一般的に非常に抵抗や反発を受ける考え方です。努力や苦労をせずに何かを得ようとするのはけしからん、というわけです。しかし、そういうはなから、神童や才能のある人たちは、この努力や苦労が免除されて当然と考えられています。

 練習(努力)と才能という二つのことばは、相互に補完しあう関係になっています。練習あるいは才能の向こうにあるのは技術です。練習あるいは才能のどちらかを通ってしか技術という聖域に到達できないのです。

 医師、弁護士、建築士、デザイナー、理容師、スポーツ選手、演奏家………。ほとんどの職業は、何らかの技術、技芸、能力(以下、技術ということばで代表させます。)を基盤にしています。中には、国家試験のある技術も多数あります。資格とは国家やその他の機関、団体によってオーソライズされた技術です。技術や資格を持っている人をみると、私たちはその人たちを、程度はともかくとしても一定、高く評価します。

 これ自体、別に悪いことではないのですが、もし、評価ということを言うのなら、本来は、その技術を使ってどのような成果を上げたかによって評価すべきです。しかし、成果の評価というのはなかなか困難で手間のかかることであり、しかも評価する人によってかなり異なる結果となることから、往々にしてその人がどんな成果をあげたかでなく、どんな技術(資格)を持っているかで評価してしまうのです。この方が簡便で客観性(?)があるからです。

 このことは私たちのまわりでいつも起こっていることではあります。大企業へ勤めているというだけで偉い人だと評価されているが、具体的にどういう業績をあげたのかは誰も知らない。有名大学を卒業したというので賢い人と評価されているが、実際どんな学識や能力を発揮しているのかは誰も知らない。

 こうして、技術があるということだけで評価されるようになると、技術が貴重なものとして神聖視されはじめます。その次は、この神聖な技術は獲得することが困難でなければならなくなるのです。ここで持ち出されてくるものが練習(努力)と才能という一対の概念です。

 技術の獲得には、簡単な秘訣があるという考え方は絶対に許されなくなるのです。
 ピアノ演奏に即して言えば、ピアノでどんな表現をしたかによって評価されるべきものが、単にピアノを弾けるということだけで評価され、ピアノを弾けることが何か特別なことのように神秘化され、更に、ピアノを弾くという神秘的な技術の習得には大変な練習(努力)または才能がいると思い込んでしまうのです。

ピアノ演奏の秘訣は既に解明されている

 ピアノ演奏の場合の秘訣とは何か。それは、身体の動かし方です。ピアノあるいは、その前身のチェンバロなどの鍵盤楽器も含めて、その演奏については昔から名人が輩出しており、演奏のノウハウは確立されています。身体的技術なので、単純であっても文字にすると煩雑で誤解もされやすいことから、先生から弟子へと直伝されるという傾向の強い技術です。

 しかし、筆者が読んだ近年のいくつかの演奏法の書物では、演奏の技術は極めて明快に整理されていて、もはやピアノ演奏の秘訣は解明されていると言ってもよいと思われます。これらの書物に共通している記述の方法は、演奏の技術をいくつかの単純な身体の動きに還元していることです。それぞれの個別の身体の動きは、日常的に簡単な動作であり、誰にでもできるものです。そして、これら数種類の身体の動きの組み合わせでピアノを弾くことができます。

 一例として、シーモア・バーンスタインの『鍵盤の振付けのための20のレッスン』(Seymour Bernstein: 20 Lessons in Keyboard Choreography [Hal Leonard] 1991)をあげてみましょう。この本では、坐る姿勢や手や指の形から始まり、身体の各部分の動きのメカニズムが詳細に論じられていて、ここで具体的に紹介するのは無理ですが、最終的には、

 (1)垂直方向の動き
 (2)水平方向の動き
 (3)ローテーション(回転)

の3種類の動きに整理しています。ピアノ演奏は、身体、主に上腕、前腕、手、指によるこの3種類の動きとその組み合わせて成り立っていることを示しています。この身体の動きの整理の方法や身体の動かし方を支える心理的コントロールの方法(心の動かし方)については、いずれ稿を改めて考えてみたいと思っています。

練習の意味

 それでは、秘訣がわかれば練習は必要ないのでしょうか。
 そんなことはないのです。技術の習得のためには練習は必要なくても、作品のより優れた表現のために必要です。これを2つの異なる練習を図示すると次のようになるでしょう。

技術の習得のための練習 より優れた表現のための練習
練   習

技術の習得

作品の理解

表   現

技術の習得

作品の理解←→練    習

表   現


 左は、一般に考えられている表現に至るプロセスです。ここではまず最初に練習があり、その練習は技術の習得のためのトレーニング的なものとなります。現に、ハノンやツェルニーといったトレーニング的練習曲はこの左の図の練習のためのものです。

 右の図での練習は、技術を習得してから行なうものです。練習と作品の理解は同時に行なわれるものであり、ほとんどこの2つは同義語といってもいいくらいです。これは彫琢のための練習であって、ハノンやツェルニーといった練習曲の出る幕はありません。

 ピアノの演奏も他の様々な身体的な技芸と習得のプロセスはそれほど変わるものではありません。自転車に乗ろうとすれば、ともかくうまくバランスをとって自転車に乗ることが必要です。脚力を鍛えるトレーニングをいくらしても、自転車に乗れるようになるわけではありません。泳げるようになるには、ともかく水の中で浮けるようになることが必要なのであって、陸上でいくら筋力トレーニングをしても泳げるようになるわけではありません。

 技術を習得する前に練習をしても、それはすればするほど、技術のない状態を固定化させるだけで、むしろ技術を習得できないようにしているようなものです。これが、ピアノを習っているが多くの子どもたちが(大人も)ピアノを弾けるようにならない理由です。

 ところで、神童たちはなぜ、すぐに弾けるようになるのか。本来、演奏の技術とは極めて単純なものなので、誰からも教わらずにできる人も少数いると思われますが、多分、彼らは親や近親者からその技術を伝えられているのでしょう。そして、神童といっても芸術家として大成するとは限りません。技術の習得というのは単にスタート台に立ったというだけですから。




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Concert on Air

コンサート・オン・エアー(18):カール・ベーム − 名曲の名演

高橋 隆幸


 今回は少々気楽な路線というわけで、カール・ベームを取り上げたい。ベームはとりわけ日本で人気の高い指揮者であったということもあり、かつてNHKのFM放送ではカラヤンと並んで最も頻回にそのコンサートが紹介された。私が初めてそのコンサートの放送に接したのは1970年にウイーン・フィルを指揮したシューベルトの第8番の交響曲(ハ長調、いわゆるザ・グレート)である。これは堂々とした、しかも柔軟なリズムをもった素晴しい演奏であり、何よりもその深々とした、微妙に変化する音色が魅力的であった。

 これが私にとってベームのレコード以外の演奏に接した初めての経験であり、以後、私のライブ演奏のコレクションにかなりの数を占めることになった。ただし、その後の数多くの演奏に接してみて感じるのは、ベームの全盛期は1970年のこのシューベルトあたりが最後で、以後は、例外もあるが、年々高齢による衰えが目立ってくることである。ちなみに1970年時のベームは76才である。レパートリーもかなり限られてきたようで、同じ曲の繰り返しが多く、例えば、先程のシューベルトの8番に至っては、その後10種類近くの演奏が紹介されている。

 ベームは戦後間もない頃よりレコードを通じて日本に紹介され、そのキャッチフレーズでは常に、「ドイツ/オーストリア音楽の伝統を真に具現する指揮者」であった。もっとも、このトレードマークは日本に限らず、ベームの生涯を通じて、全世界に流布したものと考えられる。その演奏のスタイルは前回述べた朝比奈隆氏と共通することが多い。ベームのオーケストラの音作りの基本は弦楽器であり、特に低音弦を強調するため、安定感のある音楽となっている。一方、イン・テンポが守られ、端正なフレージングが施されているため、決して古くさい感じはせず、いわば20世紀後半に向けて進化したドイツの伝統主義と言えるであろう。

 総体的に朝比奈と比べてより精力的であり、これはやはり肉食人種との違いかな等と余計なことを考えてしまう。もう一つ余計な事といえば、今、ベームの音楽を聞き返してみると大編成のオーケストラのためか、どれも分厚い響きで、リズムも鈍重に感じられる。ベートーベンですらスリムな響きが求められる現在、どうしても時代の流れを意識してしまう。考えて見ればベームが活躍したのは1950〜1960年代であるから当然の話ではあるが。

 ドイツ/オーストリア音楽の本流と言うものが尊敬され、崇められるという点においては日本は世界に冠たるものがある。ここから時に盲目の尊敬といったものが生まれ、真実を見極める目にくもりを生じる。日本ではベームに関する神話めいたものがいくつかある。その一つは1963年、ベームの初来日時におけるベートーベンの第9公演である。これは日生劇場のこけら落としにベルリン・ドイツオペラの引っ越し公演が行われた際のものである。

 ちなみに、このベルリン・ドイツオペラの来日(もちろん初)が日本の音楽界にとってどんなに画期的なものであったか、例えばトリスタンとイゾルデの初演、ヴォツェツクの初演、フィッシャー・ディースカウの初来日、そしてベームの初来日等、初ものづくしであった。それにしてもトリスタンの日本初演が1963年とは!当時の日本の音楽事情はこの程度のものであったようである。私はその時は京都の下宿に住む受験生で、テレビもラジオも無く、レコード芸術誌にはなばなしく報道されている記事、写真をながめるのみであった。

 さて、この時の第9は世評極めて高く、興奮した聴衆の一人がベームの足元にひれ伏したとのことである。このライブ録音が何と数ヵ月前の「20世紀の名演奏」(毎日曜朝10時〜)で紹介された。NHKには何と感謝したらいいことやら。日本における歴史的な第9ということで期待に胸踊らせて聴き始めたが、結論から先に言えば、これはドイツの伝統的な様式にのっとったごく標準的な名演奏ではあるが、それ以上のものではない。

 これはひょっとして、音楽マスメデイアのおかげで沢山の第9を聴いてきた人間が、日曜の朝に、コーヒーを飲みながら、スピーカーから流れてくる30年以上も前の演奏を聴いていたのでは、このときの聴衆の感激がわからないのではと反省して、その後、注意深く聞き直して見たが、やはり同じ印象であった。結局のところ、初めてドイツの著名な音楽家に接したアジアの音楽後進国における集団催眠現象のようなものではなかったか、はなはだ失礼な言い方であるが。

 ベームの2度目の来日はこれよりかなり後の1975年で、ウィーン・フィルハーモニーといくつかの公演をおこなっている。ベームはもうかなりの高齢であったが、このときは気力、体力ともに充実していたようで、聴衆の熱狂ももっともと思われ、ベームの神話として充分成り立ちうる充実した演奏であった。オーケストラがウィーンフィルというのも名演を生んだ大きな要素であろう。この公演はNHKより生中継され、後に再放送され、さらにレコード化されている。

 このときの演奏はいずれも素晴しいが、特にシューベルトの7番(未完成)、8番の交響曲が印象に残る。7番における細やかな表情づけとその転換の巧みさは特筆すべきものである。ブラームスの1番は堂々とした構成と年令を感じさせないボルテージの高さに驚かされる。面白いのはストラヴィンスキーの火の鳥組曲で、格調の高い、ドイツ風メルヒェンの世界と化しており、これはこれで実に魅力的である。

 ベームの音楽がドイツ/オーストリアの伝統的様式にのっとった標準的なものと述べてきたが、これは高いレベルでの標準的なものということであり、ネガティブな意味で言っているのではない。その音楽はいたずらに感情を刺激することなく、格調が高く、高い人間性とでも言ったものがにじみ出てくる。疲れているときなどには、刺激的で時には野心的ですらあるカラヤンの音楽を聴くのは辛いが、ベームはむしろ逆である。最後に、ベームは時に“標準的な名演奏”を越えた演奏を聴かせる。以下に列挙してこの項を終わりたい。

シューベルト:交響曲第8番(ウィーン・フィル、1970、他データ不明)、
シューベルト:交響曲2番(ベルリン・フィル、1972、ベルリン芸術週間)、
ベートーベン:交響曲3番(ベルリン・フィル、1973、ベルリン芸術週間)、
モーツァルト:交響曲29番、K201(チューリッヒ・トンハルレ管弦楽団、1974、ザルツブルク音楽祭)、
シューベルト:交響曲7、8番、
ブラームス:交響曲1番、
ストラヴィンスキー:火の鳥組曲(以上、ウィーン・フィル、1875年3月、NHKホール)




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Syrinx room-music

第28回滋賀県芸術祭参加

No.203 ブラームスホールサロンコンサート

シリンクス ルームミュージック No.2

“自然を奏で、愛を歌う”

1998年11月7日(土)19:00
ブラームスホール



I フランスの風景

フォーレ G.Faure
バルカロール No.4 変イ長調 Op.44 Barcarolle
バルカロール No.1 イ短調 Op.26 Barcarolle

ドビュッシー C.Debussy
映像 第1集 Images, 1re serie
水に映る影 Reflets dans l'eau
ラモーを賛えて Hommages a Rameau
運動 Mouvement

田 原 昌 子(ピアノ)
Masako Tahara (Piano)

II ロシアの愛の歌

チャイコフスキー P.I.Tchaikovsky
君よ信じるな Op.6-1 Ne ver,moy drug
憧れを知るもののみが Op.6-6 Net, tolko tot, kto znal
私は野の草ではなかったか Op.47-7 Ya li v pole da ne travushka bila?
昼も夜も Op.47-6 Den li tsarit?

西 岡 たか子(メゾソプラノ)
Takako Nishioka (Mezzosoprano)
杉 山 佳 子(ピアノ伴奏)
Yoshiko Sugiyama (Piano)

(休  憩)

III フィンランドの自然

パルムグレン Selim Palmgren
3つの夜想的情景 Op.72 Une nocturne en trois scenes
星はまたたく Les etoiles scintillent
夜の歌 La Chanson de nuit
曙 L'aube

メラルティン Erkki Melartin
雨 Op.52-4 Regen

田 原 昌 子(ピアノ)
Masako Tahara (Piano)

IV 愛のある風景 − 日本のうた

林 光 Hikaru Hayashi
沖縄童歌「てィんさぐぬ花」 Tyinsagunu-hana − Children song in Okinawa
石井 歓 Kan Ishii
五ツ木の子守歌 Lullaby of Itsugi
ずいずいずっころばし Zui-zui-zukkorobashi
間宮芳生 Michio Mamiya
こきりこ Kokiriko
さんさい踊り Sansai-odori

西 岡 たか子(メゾソプラノ)
Takako Nishioka (Mezzosoprano)
杉 山 佳 子(ピアノ伴奏)
Yoshiko Sugiyama (Piano)

主催:ブラームスホール (有)ブラームスプランニング
企画:シリンクス音楽フォーラム




プログラム・ノート

I フランスの風景

ガブリエル・フォーレ(1845-1924)
 バルカロールは元来、ヴェネチアのゴンドラの船頭のうたう歌。ピアノ曲としてはショパン晩年の傑作があります。フォーレはおそらくショパンの作品に刺激され、13曲ものバルカロールを書き、ノクチュルンとともにフォーレのピアノ曲の中心をかたちづくっています。1番と4番はそれぞれ、1880年頃、86年に書かれ、フォーレ特有のリリシズムあふれる作品。ここで感じられる自然は、田園風景ではなく、パリのような都会の中の自然でしょう。

クロード・ドビュッシー(1862-1918)
 映像(イマージュ)と題するピアノ曲集をドビュッシーは2集書いています。第1集(1905年)を出版する際に、出版者デュランに対して、ピアノ音楽としてシューマンの左あるいはショパンの右といった位置を占めるだろうと、自信のことばを述べていますが、この2つのシリーズでドビュッシーは、音というより響きで成り立つ20世紀のピアノ音楽の一つの典型をつくり出しました。「水に映る影」のように自然を感じさせる作品、「ラモーを賛えて」のように過去の伝統とのつながりを意識した舞曲風の作品に続いて、トッカータ風の終曲「運動」で締めくくっています。この曲集以前の「ピアノのために」や「版画」に比べて、具象的な風景が次第に抽象化していく傾向が見て取ることができます。そして、ドビュッシーの風景もやはりフォーレ同様、都会的な風景であることは確かなようです。

II ロシアの愛の歌

ピョートル I.チャイコフスキー(1840-1893)
 ロシアの歌曲は、ロシア語ができる人が少ないこともあって、ムソルグスキーの作品を除けばあまり演奏される機会がありません。しかし、グリンカ、バラキレフ、チャイコフスキー、ラフマニノフ、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチなど、ロシアの大作曲家のほとんどは歌曲の分野でも重要な仕事をしていて、オーケストラ曲や歌劇、室内楽曲、ピアノ曲などとともにロシア音楽の大切な部分を成しています。情熱的な、あるいはメランコリックで叙情的な、いかにもロシア的な歌曲を 100曲以上書いたチャイコフスキーは、バラキレフ、ムソルグスキーとともにロシアの近代歌曲の創造者と言えるでしょう。
 「君よ信じるな」と「憧れを知るもののみが」を含む「6つの歌曲 Op.6」は、1869年の作品で、第一交響曲に続き、幻想序曲「ロミオとジュリエット」の作曲を始めるなど、成熟した作品を書き始めた時期に当たります。「憧れを知るもののみが」はゲーテの小説「ヴィルヘルム・マイスターの修業時代」に登場する薄倖の少女ミニヨンの歌で、同じ詩はベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ヴォルフが作曲しており、チャイコフスキーも1曲を加えることとなりました。
 「私は野の草ではなかったか」と「昼も夜も」を含む「7つの歌曲 Op.47」は「弦楽セレナード」や序曲「1812年」が書かれた1880年の作品で、歌曲の分野での円熟を示す作品となっています。

「君よ信じるな」 (A.K.トルストイ詞)
 私のことばを信じないで。悲しみのあまり、あなたへの愛がさめたと言ったとしても。引き潮の海を信じないで。海は再びもどって来るのですから。
 もう私はさびしくなって、以前と同じ情熱であなたに心をゆだねるのです。波は潮騒とともに、なつかしい岸辺へと打ち寄せて。

「憧れを知るもののみが」 (ゲーテ詞、メイ露訳)
 あこがれを知る人だけが、私の悩みを知っていてくれます。たった一人で、喜びからはすべて離れて私は空の彼方を仰ぎ見るのです。
 以前私を愛し私の心を知っていてくれた人は今は遠くにいます。もう目はくらみ、からだは燃え尽きそうです。
 あこがれを知る人だけが、私の悩みを知っていてくれるのです。

「私は野の草ではなかったか」 (スリコフ詞)
 わたしは野の草、緑の草でなかったかしら。でもそれは刈り入れられ、干し草にされてしまったの。きっと悲しむことがわたしのさだめ。
 わたしは野のカリーナ、カリーナの赤い実でなかったかしら。でもその枝は折られて束ねられてしまったの。きっと悲しむことがわたしのさだめ。
 わたしはお父さまのまなむすめ、お母さまのもとで花のように育てられたのでなかったかしら。でも無理やり白髪の男と結婚させられるなんて。きっと悲しむことがわたしのさだめ。

「昼も夜も」 (アプーフチン詞)
 昼の光の中でも、夜の静けさの中でも、とりとめのない夢の中でも、この世のいさかいの中でも、私のいのちを満たし、常に私とともにある思い。それはあなたについての思いです。
 あなたへの思いがあれば、過ぎ去った幻におびえることなく、私は愛に燃え、心は羽ばたいている……信頼も憧れも、霊感に満ちた言葉も心に秘めたかけがえのないもの、聖なるもののすべて―すべてはあなたから来るのです。
 明るい日々が来ても、悲しみの日々が来ても、いのちがそこなわれ、私が滅び去っても―墓穴へ降ろされるその時まで、私の考えも思いも、歌もちからも、すべてあなたのためにあるのです。

III フィンランドの自然

セリム・パルムグレン(1878-1951)
 20世紀初めのフィンランドの代表的な作曲家の一人。特に、ピアノ曲が重要で、200曲以上のピアノ小品のほか5曲のピアノ協奏曲もあります。「3つの夜想的情景」にも見られるように、自然を題材にした作品が多く、その自然もいかにもフィンランドと思わせる厳しさと孤独を感じさせるものです。しかし、単なる自然描写ではなく、その中に常に大きな感情の揺れを伴っています。そして、このことはパルムグレンだけでなく、フィンランドのピアノ曲に共通する特徴でもあります。

エルッキ・メラルティン(1875-1937)
 フィンランドのカレリア地方の生まれ。9曲の交響曲の他ほか、多数の室内楽曲、ピアノ曲、歌曲を残しています。「雨」はピアノ曲集「悲しみの園 Op.52」の第4曲で、いかにも雨を思わせる音型で構成されていますが、雨の描写であると同時に心象風景をも表しています。

IV 愛のある風景 − 日本のうた

林 光(1931-)
石井 歓(1921-)
間宮芳生(1929-)
山田耕筰(1886-1965)

 童謡や民謡による日本の歌。日本の童謡や民謡に歌いこまれた自然やさまざまな愛が私たちにとってはやはり特別なものでしょう。
 「てィんさぐぬ花」はホウセンカの花。ホウセンカの花を爪先に染めて親の教えを心にとめなさい、空の星の群れは読めば読めるが、親の教えは読み切れない、の意。「こきりこ」「さんさい踊り」ともに富山県民謡。



シリンクス(Syrinx):牧神(パン)の笛
ルームミュージック(Room-Music):オーストラリア生まれの作曲家パーシー・グレインジャーがチェインバー・ミュージック(Chamber Music 室内楽)に代えて使ったことば




演奏者プロフィール

 田原 昌子(ピアノ)
   京都教育大学音楽科卒業、愛知教育大学大学院芸術教育専攻修了
   ジョイントリサイタル、ソロリサイタル、サロンコンサートなどに出演
   現在、種田直之氏に師事
   '97シベリウス・アカデミー夏期マスターコースにてテッポ・コイヴィスト氏に師事

 西岡 たか子(メゾソプラノ)
   京都市立音楽短期大学(現京都芸術大学)、武蔵野音楽大学及び専攻科卒業
   二期会関西支部研究科卒業
   ジョイントコンサートのほかオペラ、オラトリオ、アンサンブルなどに出演
   「コロ・マニャーナ」所属
   藤田ユキ、ヴォルヒャルト、外山亘子の各氏に師事

 杉山 佳子(ピアノ伴奏)
   京都市立音楽短期大学(現京都芸術大学)卒業
   ソロリサイタルのほかアンサンブル、伴奏などに出演
   ピアノ教育連盟会員、「フィンガートレーニング」所属




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Information

シリンクス ルームミュージック No.3

『音楽はことばを語る』

と き:1999年1月9日(土) 15:00
ところ:奏美ホール(大津市御幸町6-9 JR大津駅より徒歩8分)
出 演:大 西 津也子(ソプラノ)・北 岸 恵 子(ピアノ)

曲 目:

Part 1 ピアノは詩を語る

セヴラック: 『ラングドックにて』より 「沼で夕べに」「牧場での乗馬」
ショパン: ワルツOp.64-1,2, Op.70-3
リスト: ペトラルカのソネット第123番、エステ荘の噴水
シューベルト〜リスト: 「春の信仰」「鱒」

Part 2 ことばは歌になる

シューマン
『ミルテの花』より 「献呈」「ズライカの歌」
『リーダークライス』Op.39 より 「異国にて」「間奏曲」「静けさ」「異国にて」
ヴォルフ
『メーリケ歌曲集』より 「春だ!」「捨てられたおとめ」「隠棲」
『ゲーテ歌曲集』より 「ミニヨン」

主 催:シリンクス音楽フォーラム




シリンクス音楽フォーラム

バックナンバー

23号、24号(残部僅少)、25号、26号(残部僅少)、27号、28号
1冊 300円(送料 1冊200円、2冊270円、3冊以上300円)

賛助会員募集

賛助会費(年間):3000円(賛助会員には、本誌を毎号郵送します。)
送金先(バックナンバー、賛助会費とも):
郵便振替 口座番号 01080−2−22383
名 称 シリンクス音楽フォーラム



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編集後記

 今回も残念ながら、常連執筆者の記事ばかりになってしまいました。会員のみならず、幅広い皆様さんからのご寄稿で更に充実させて行きたいと思っていますので、よろしくお願いします。特に、演奏会・CD・音楽書などのレビュー記事を期待しています。(三露)




シリンクス音楽フォーラム No.29


発 行:1998年12月1日

編 集:シリンクス音楽フォーラム編集部

連絡先:

三露 常男(編集長) mitsuyu□yo.rim.or.jp
井上 建夫(編集企画) tk-inoue□mx.biwa.ne.jp
(□を@に変えて送信下さい)

(C)Copyright 1998 SYRINX


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