シリンクス音楽フォーラム 36


とりあえずの復刊に際して

井上 建夫


 シリンクスの例会に配布していた小冊子「シリンクス音楽フォーラム」は2002年12月の35号を最後に途絶えていましたが、今回4年ぶりにコピーを綴じた簡易な形ですが、復刊することにしました。最近シリンクスに参加するようになった方も多いようですからシリンクスの例会と音楽フォーラムの歴史?についてここに書き留めておきたいと思います。

 シリンクスの最初の例会は1987年7月26日です。何と来年が20周年です。20年近く前となると大分記憶があいまいですが、確か最初の例会を始める数ヶ月前に杉原敏夫さん、高橋隆幸さん、三露常男さん、それに私の4人が大阪の料理屋に集まって相談をしています。4人とも京大の音楽研究会というサークルの仲間です。私が大学を卒業したのが1972年ですから卒業後15年ほど経っていました。学生時代は、杉原さんがヴァイオリンやピアノ、三露さんはフルートとピアノ、高橋さんと私はピアノを弾いていました。

 卒業後も時々OB、OGが集まって自分たちで演奏をして楽しんでいましたが、仕事が忙しくなったり、転勤や海外出張で関西から離れる人があったり、またピアノを弾ける小さな会場を見つけるのが難しいこともあり次第に皆が集まるのは間遠になり、結果として音楽からも遠ざかるようになっていました。そんな時に、大学院卒業後、関東方面で仕事をしていた杉原さんが大阪の大学に赴任することになったので、その歓迎会と同時に少人数で演奏を楽しむ会を再開する相談をすることになったのです。

 その時話し合ったことはおおむね次のようなところだったと思います。
 ・大学のサークルのOB、OGに限らず、誰でも参加できるようにして、10人以上の参加者を集めることを目標にしよう。
 ・プログラムを作ることと併せて評論や研究とまではいかなくても音楽に関する文章を書いて配布しよう。
 ・会場は森田ピアノ工房を使わせてもらおう。(これより前に三露、高橋、井上の3名は森田ピアノ工房の森田裕之さんと知り合っていて会場として使わせてもらえそうだったことがシリンクスの例会を始める大きな契機になりました。森田さんと知り合うきっかけや当時のことについては書き出すと長くなりますので、別の機会に譲ります。)
 ・会の名称はSYRINXにする。

 具体的な準備は4人の中で年下の三露と井上がすることになりましたが、私的な友人関係の中から始まった会なので、特別に役員を決めることもなく会員資格や固定的な会費もありません。このシリンクスのスタイルは現在も続いています。そして、それぞれが演奏を楽しんでいそうな友人たちに声をかけるとともに森田さんに会場とピアノの提供をお願いしてシリンクスの例会が始まることになりました。

 1回目のプログラムを見ると、演奏は10人(組)ですが、曲名の記載のないのが2人あるので実際は8人(組)の演奏だったのかも知れません。演奏していない人もいたので、目標の10人は達成できていたはずです。また、プログラムとともに "Musical Notes of Syrinx" と題してプログラムの付録のようなものを配布しています。中身は高橋さんの「20世紀末への音楽展望」という評論と井上の「ウィーン美術史美術館のピアノ」という資料めいたものです。この8ページのコピーが「シリンクス音楽フォーラム」の創刊号というわけです。

 それ以後、例会は年3回のペースで続き、現在に至っています。ただ一度1989年の春が抜けています。これは私が体調を崩していたことによります。また、一度だけ森田ピアノ工房で開催しなかったときがあります。当初、工房の建物は現在の駐車スペースの奥の建物で今より狭いところでした。1990年12月の10回目の例会は現在の工房の建物が建築中だったため京都市内のアサクラビルで行い、11回目から現在の工房の2階に移っています。

 今回の例会が第58回、「シリンクス音楽フォーラム」(旧Musical Notes of Syrinx)が第36号という数字の違いを見れば、小冊子は例会ほど順調には進んでいないことが判ります。次第に原稿も集まるようになったので、1996年夏の第27回例会に配布した第21号からは32ページの印刷物として発行することにしました。この号から誌名を「シリンクス音楽フォーラム」に改題しています。印刷物になってから、適当なカットを入れたりレイアウトをするのはもっぱら三露さんにお願いしました。また、ホームページもつくりましたが、これは当初は小野山敬一さん、ついで三露さんにお願いをしています。

 が、この印刷した冊子は2000年の9月に出した第33・34号合併号で中断し、2002年12月に第35号を出したものの、再度中断し現在に至っています。印刷経費の問題もありましたが、執筆陣が3,4人に固定化し32ページを埋めるだけの原稿を集めるのが難しくなったのが中断の最大の原因です。また、エディターとして辣腕をふるう人がいないと質を確保しながら継続するのは難しいということも痛感したところです。

 しかし、音楽を音で表現するだけでなく、音楽を言葉で表現することも必要なことだ、という考え方はシリンクス発足の当初からあったことであり、余り背伸びをせずに可能な範囲で続けていこうと考えて、今回のコピーでの復刊になったものです。

 なお、油井康修さんや森田さんからは休止後も原稿をいただいており、ホームページには掲載されています。今回はその一部を掲載しました。高橋さんの原稿は新稿です。また、前回例会のプログラムを載せていましたが、今回は46〜47回のプログラムを掲載しています。今年の夏に我が家のパソコンが壊れ、51回以降のプログラムのデータが消失していますが、少しずつ 復元する予定です。

 [補足] "シリンクス"の名称について
 "シリンクス(SYRINX)"という名称はドビュッシーのフルート・ソロの小品の題名から取っています。ギリシャ神話では、シリンクスはニンフの名前で、彼女に恋したパン(半人半獣の牧神)に川岸まで追い詰められ、シリンクスは葦に変身し姿を消します。パンは残された葦を刈り取って笛を作り吹き続けた……。

 この話は美術や文学、音楽でしばしば題材とされています。今年、大阪市立美術館で開催された「プラド美術館展」を見に行ったところ、18世紀フランス・ロココの画家フランソワ・ブーシェの「パンとシュリンクス」という絵がありました。

 パンとシリンクスの話を題材にした芸術作品のなかでもとりわけ有名なものはフランス象徴派の詩人ステファヌ・マラルメの「牧神の午後」でしょう。ドビュッシーがこの作品から「牧神の午後への前奏曲」を書いたのはご承知のとおりです。日本でも明治末期に木下杢太郎や北原白秋らが集まった「パンの会」というのもありました。

 実はSYRINXという名称は最初の例会以前のサークルのOB、OGの集まりのときにも使っていました。会場を借りる際の団体名として使ったのがきっかけです。最初はドビュッシーの曲の日本での一般的な表記のとおり「シランクス」と呼んでいました。それが「シリンクス」になったのは、私がその頃イギリスの絵画や音楽に興味があって英語風にしたかったからでしょう。呼び方自体が揺れていたので例会のプログラムには、SYRINXと横文字で表記し、それが現在まで続いています。