シリンクス音楽フォーラム 36
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ピアノよもやま話(10) 間違った噂 その1 ピアノの寿命の話

森田 裕之

 最近のピアノが様々な事情でプラスチックになったり、電子化して行くのは時代の流れとすれば、仕方ない事なのかも知れません。ピアノの歴史は300年と言います。最初イタリアのチェンバロ製作者が弦を爪で弾いていたものを、皮を木に巻きつけたハンマーで叩く仕掛けにしたのがピアノの始まりとされております。その時代といいますと、大バッハの極最後の頃の事で、ジルバーマン(オルガン創りの大家)の創ったピアノで生まれた曲が「音楽のささげもの」なのだそうです。モーツアルトもピアノを使い始めるのは後半と聞いております。

 ベートーヴェンになって、鍵盤の数も増え、内容も急速に進歩して行った様です。間もなくショパンやリストの時代を迎えます。それはイギリスから始まった産業革命が欧州に広がるのと時代を共にしております。既にピアノの誕生から150年を経ておりました。音域は、最低音下一点へ音から五オクターブ上のヘ音61鍵から始まり、両側へ次第に広めていきました。と同時に音量も求めたようです。それは弦の張力との戦いを意味します。つまり木では余程大きな材料を用いない限りその張力に耐えられなくなり、軽くする為に鋳鉄を用いるようになったのです。それは1850年頃の事なのです。

間違った噂 その1 ピアノの寿命の話

 ある本に次のような事が書いてあるのを読みました。

「ピアノはヴァイオリンとちがい、複雑な構造をしているので、古くなればなるほど木材が枯れてよい音が出る、というわけにいかず、七十年ほどすると金属や木材が疲労して修理に耐えられなくなります。ハンマーや弦を取り替えるだけでは済まなくなってしまうのです。つまり、人間の寿命とほぼ同じくらいで、ピアノの一生は終わるといえるでしょう。」

 NHKの音楽番組でも同じような話を聞いた事があります。つまりそれが、一般常識化しているという事です。という事が正しいとなると、一体私のやっている事はどういうことなのでしょう。私は、アポロ、ヤマハを経て今の仕事に至っております。外国には一度も行った事はありません。しかし、断言できます。日本のピアノは全て外国のピアノのコピーなのです。明治の中頃、日本にピアノが入ってきた時には、既にピアノが出来てから150年以上経ち、ヤマハがピアノを創り始めた頃には、音楽はロマン派も終わりの頃に差し掛かっていて、リストもショパンもこの世には居りませんでした。

 そこでもう一度ピアノの構造を簡単にお話します。ピアノは本来、木で出来た弦楽器なのです。しっかりした木枠に松の板(響板)を貼りつけその上に駒を立てて弦を張り、その弦を爪の様なもので引っ掻くと、チェンバロ、ギター、ハープで馬の毛に松やにを付けて弦を擦って音を出すのが、ヴァイオリンやチェロ等です。ハンマーやバチの様な物で弦を叩いて音を出す楽器がダルシマーとかピアノなのです。

 その弦の振動を西洋では松の板に響かせるのが基本原則なのです。つまり共鳴板(人間の声帯に当たる)が松の板なのです。何故松なのか。それは他のどの木よりも人の声に一番近い音とされているのです。つまり人間にとって良い音とは人間の声で有る筈なのです。チェンバロはサイプレス(糸杉)の赤い芯の部分を使っていた事もあったようですが、何れにせよ針葉樹の樹脂分の多い所を使ったと言うことです。樹脂は木を腐らせない重要な成分です。これが何百年もの間活きた木として法隆寺や醍醐寺の五重の塔などを支えているのです。

 但し、人口乾燥にかけた物は樹脂分が失われてしまっていけません。時間を掛けて自然乾燥された物が良いのです。最近人口乾燥された木を長持ちさせる為に、樹脂のようなものを沁み込ませるという技術を開発したと言う話が、ニュースで取り上げられていました。つまり、樹脂がその木を長持ちさせるのであって、今の人工乾燥された木材で作られた楽器や、建築物は質も寿命も昔の物には及ばないでしょう。従って「ピアノは複雑な構造をしているので寿命が短い」と言うのは当たらないのです。

 むしろ、新品の時から所謂老けた状態ですから、音の艶や力も劣って当然なのです。又、現代のピアノは価格を安くする為に、新素材と称して、プラスチックや圧縮材などで作られており、本来の松の木を主体にした、こだわりの芸術品から、形だけのプラモデルあるいは玩具感覚に化けてしまったものは寿命の話としては論外です。余談ですが、今は外国の一流品と謳われているメーカー品でさえ、人口乾燥されたものであったり、新素材と称する圧縮材だったりするようです。

 ピアノの歴史は300年と言われていますが、元はチェンバロにハンマーを付けた事からすると、更に200年以上足さなければなりません。つまり500年以上の歴史を持つ楽器が、改良に改良を重ね音楽と共に発達してきて現代のピアノとして完成したのが、今から凡そ130年程前の事です。ピアノの寿命を言うのであれば、そこを起点にカウントするべきだと思います。但し先程申したとおり、自然乾燥をした良い木材で作られた楽器に限られた話なのです。又あくまで本体の事を指しています。

 ハンマーや弦は消耗品です。その他にも使えば減る部分はあります。それは使えばと言うことであって、使わなければ永遠に減る事は無いのです。私がこの「よもやま話」で最初に書いたと思うのですが、ピアノの話なのに、ヴァイオリンの話が出てきて戸惑われた模様で、その後、構造の話をして欲しいという事になりました。

 鍵盤を含むアクション(ハンマーが梃子の原理で弦を打つ機械的な仕組み)は、ヴァイオリンの弓に相当します。弓が傷めば修理をするか取り替えれば良いのであって、ヴァイオリンも、ピアノも本体の寿命と、弓や、鍵盤を含むハンマーの寿命とは別なのです。本体とは、しっかりした木枠に響板を貼り付け、更に鉄枠をはめて、それに弦を張った物を指します。それをハンマーの付いたアクションを鍵盤に連動させて弦を叩いて鳴らすのです。本体にアクションを組み込んで纏めて箱にしたのがピアノなのです。従って鍵盤で鳴らすのであって、鍵盤が鳴るのではありません。

 ヴァイオリンも弓で鳴らすのであって、弓が鳴るわけではないのです。象牙が良い音を出すのではありません。また箱が音色を左右する訳ではありません。あくまでも響板の性能が、ピアノの性能なのです。勿論最終的には付随する部品が総合されて、其々の個性の違いが生まれて来ます。本体に付いているものは弦ですが、これも古くなれば錆や強い張力で劣化して行きますが全て元通りに新しく取り替える事ができるのです。

 問題は本体の創りです。ピアノは弦楽器であってヴァイオリンと同じ材料を使用しております。ヴァイオリンで400年持つものが何故ピアノでは持たないのですか?ヴァイオリン本体は400年前のものでも、弦は何度も取り替えております。弓の毛は2ヶ月から4ヶ月ごとに新しく張り替えると聞きます。

 ピアノのハンマーは叩きまくっても5年は持ちます。一般の家庭ではかなり熱心な人でも30年位は使っています。弦は100年経っても劣化していないのを見ております。古くなればなるほど木材が枯れるとは、どういう状態を言うのでしょう? 最初に書いた通り、伐採した木を何年も掛けて乾燥させ、水分が30%前後の状態の物を加工して、なるだけ、湿度の影響を受けないように塗料で覆っているのです。その塗料が長時間かかって、乾燥していく事で音が変わっていく事は考えられます。

 塗料は何年かすれば剥がして塗り替えれば何年でも持つのです。新しい木(生木)を使っている中に次第に枯れて行く様な表現は誤解を招きます。金属とはフレームの事を指していると思いますが70年で疲労してどうなると言うのでしょう。折れるのですか? 有り得ません。フレームが折れる場合は、フレームの材質、柱の設計ミス、扱い方のミスによっておきる事があります。ただ古くなって自然に折れるという事はありません。(ヤマハの本社に勤めていた時の事、材質のミスから何台も同時に折れた経験があります)

 このような、素人向きの言葉使いが、如何にも素人には正論のように聞こえるのです。昔のピアノは何十年と自然乾燥させた木を使って創られたものです。今は安く大量に創る為人工乾燥で短時間に7%にまで乾燥するのだそうです。7%と言う数字の根拠が何処に有るのか知りませんが、事実とすれば大変馬鹿げた話で、木材と言うより乾燥剤と言うべきでしょう。

 それこそ枯れた状態の様に思われますが。材木の自然乾燥の仕方は、切ったままの原木の状態で塩水に長期間漬けて、中から水分を抜きその後大まかに裁断して風雨にさらし、更に風小屋と言う雨のかからない、よしずで囲われた二階建て位の小屋の中に積み上げて、或いは工場の中の天井に吊り下げたりして、長年放置し歪がほぼ止まった所で素性の良い所、癖のあるところ其々木の特徴を生かして文字通り適材適所に使い分けるのです。

 その木を選択するのを、きどり(木選り)と言い、所謂目利きに慣れた職人の腕次第で工場の利益が随分違うと言います。その様に自然乾燥された木は水分だけが徐々に抜けて木が締まって樹脂は残ります。その状態で果たして湿度はヨーロッパの気候も考慮に入れてせいぜい25から30パーセントと言った所でしょうか。乾燥した木と枯れた木とは、似て非なるものです。

 一番の問題は樹脂だと思います。水分が抜ける事により、細胞が小さくなり繊維が締まって木も硬くなってきます。人口乾燥と言うのは短時間に熱を加えて一気に水分と共に樹脂分も抜いてしまうのです。それは細胞の縮む間もなく、フカフカの所謂老けた状態なのです。ノミやカンナ等で削って見ると、硬さの違いがはっきり判ります。(機械では判りませんが)

 以前、ある小学校を建て替えた時に使われていた百年以上経った米松の木を貰いました。幅50センチ厚さ30センチ長さ4メートル位の立派なものでした。それを使って梯子とか色々の造作に使いましたが、カンナを掛けても硬く艶があり、仕事を終えて家に帰ったとき、家内が「松茸の匂いがする」と言った程、その木は活きていたのです。

 ピアノは国によって、時代によって違います。一人の天才が急に思い付いて創られた物でもでもありません。多くの芸術家と技術者があらゆる角度から時間を掛けて音楽的な立場から検証し伝統を踏まえながらも、また新しい考えも取り入れながら、それでも尚失敗と試行錯誤を繰り返しなんとなく今のピアノが出来上がったのが、今から100年余り前のことです。

 ヨーロッパは建築から靴職人に至るまでマイスター制度と言うのが有って、看板を上げる為には、修行を積み技術は勿論の事、法律の試験も受けなければならないと聞きます。また、他人の真似をすると直ぐ特許問題で訴えられるそうです。従って目的は同じでも、メーカーによって独自の創意工夫が見られます。

 19世紀の中頃には、ほぼ現代の規格のピアノが出来上がっています。その代表がフランスのメーカーのエラールと、イギリスのジョン・ブロードウッドです。それらのピアノを元に理論的に尤も完成させたのは、グロトリアン・スタインヴェークだと言っても良いでしょう。

 このピアノはスタインウェイの前身でシューマンやブラームスが愛用したことでよく知られております。20世紀に入って二度にわたる大きな戦争が、芸術品をガラクタにしてしまいました。200年かかって培われ築き上げた道具も技術者も随分失ってしまったようです。残ったのは商業主義と権威主義だけです。ドイツにもフランスにも昔の伝統を引き継いで良い仕事をする人は、ほんの僅かになってしまったようです。

 フランスは昔のような良い巻き線を造る人が居なくなったようです。現在、ハンマーの巻き替えをする所は一軒だけあります。私たちと同じ位の親子で細々とやっております。昨年修理を終えたエラールのフルコンサートのハンマーの巻き替えは其処に頼まなければ出来ない所でした。

 皆さんは年々技術が進歩して今は全て昔より良い物が出来ているとお思いでしょうが、実は逆なのです。今やピアノは音質も価格もヤマハが基準になりました。全ての部品は規格化され、自動化され、人間の手で墨付けから穴あけ、カンナかけ等全くやらなくなってしまいました。手で削ってこそ木の硬さや性質が判るのです。コンピューターに合わせて唯、調律(音合わせ)と簡単な調整の出来るアフターサービスマンのみを養成し真の意味の技術者が育たなく成りました。

 また一般社会も使い捨て文化がはびこり、古い物は駄目、治らない、寿命だから調整が出来なくなれば、そんなのにお金を掛けるのは無駄。新品で安く良い物はいくらでもある。ヴァイオリンは古いのが良いそうだけど、ピアノは新しいのが良いのに決まっている。

 これは日本に限った話ではないのです。それが悲しいですね。「パリ左岸のピアノ工房」あのデタラメな世界が現実なのです。日本は未だ其処(フランス)までは行っていませんが、その前に電子化、デジタル化が更に進むでしょう。