シリンクス音楽フォーラム 36


1937年ザルツブルク音楽祭のトスカニーニ

高橋 隆幸


 クラシック音楽のCDの売れ行きが不振という声を聞いて久しいが、レコード店に行ってみると、新発売CDやLPレコード時代のCD復刻ものを含め洪水のように多種多様のCDが並んでいる。私は宝の山に入り込んだような気持で物色しているが、いつも時間に追われ中途半端にならざるを得ない。予断になるが、LPレコードの時代は所得に比べてレコードは高価であったので経済的因子が購入を制限していたが、今の私の場合、CDの入手を制限しているのはむしろ時間の制約である。

 私がCDを選ぶ場合、新発売のものよりも再発売もの、すなわち、LPレコードの時代に小遣いが足りなくて買えなかったものが中心になっている。我ながら保守的になったと思うが、年のせいなのか忙しくて疲れているため新しいもの(演奏家も音楽も)がおっくうであるのか考えてしまう。自分としては手前みそで後者の方と思っているが。

 さて、LPレコード時代のCD復刻ものが次々に品を変えて発売されてくる現状をまのあたりにしていると、レコード業界の体力はまだまだ大丈夫なのではないかと思っている。それに加えて、LPレコードのみならずSPレコードでも発売されていなかった貴重な記録がこれまた次々にリリースされてくる。私のレコード業界健在説はこのことも根拠のひとつになっている。今回とりあげる1937年ザルツブルク音楽祭のCDもこうした記録のひとつである。

 このトスカニーニの公演は以前から私が関心をもっていたものである。元ウィーンフィルハーモニーの第二バイオリン主席奏者であるオットー・シュトラッサーが書いた「栄光のウイーン・フィル」(音楽の友社)の中に次のような一節がある。ちなみにシュトラッサーはバリリ弦楽四重奏団の第二バイオリン奏者として私達になじみの人である。1936年のザルツブルク音楽祭におけるトスカニーニ指揮、ワグナーのマイスタージンガー公演に関するものである。

 "私はしばしば8月のあの素晴らしい夕べを思い出す。私たちはちょうど第2幕を弾き終わったところだった。イタリア人のトスカニーニは魔法の力で、ドイツの中世を私たちの目前に展開してくれた。私たちが彼の同僚たるドイツ人の指揮者から今まで味わったことのないようなものである。中略。フランツィスカ教会がライトを浴びて夜の闇の中に浮かび上がっている。私たちはほとんどぼうとしていた"(134ページ)

 この公演を聴きたいものと前から思っていたが何とそれがANDANTEから発売された。山野楽器がレコード芸術誌に掲載していたので同社から取り寄せたものである。ただし、このCDは1937年ザルツブルク音楽祭のものとあり、恐らく2年連続で同じ公演が行われたものと思われる。オーケストラはもちろんウイーン・フィル、この時代のザルツブルク音楽祭のオーケストラはウイーン・フィルが独占していたと記憶している。ハンス・ザックスはハンス・ヘルマン・ニッセン、ポーグナーはヘルベルト・アルセン、エヴァはマリア・ライニングなどが主な歌手である。

 さてその演奏であるが、まずその音の貧しさに驚かされる。もちろんこれはワイヤーテープレコーダーか何かによる試験的な録音であろうから止むを得ないが、魔法の力で中世にいざなってくれるとは到底言い難い。予断になるがエドウィン・フィッシャーによるあの有名なバッハの平均律曲集は1935のスタジオ録音である。あの録音はまずまずの音であるから、正規のスタジオ録音ならばかなりの音質の録音が可能であった時代ではある。もっとも、ライブで切れ目のない長時間のオペラ公演の録音はこの程度しか期待できないのかも知れない。しかし人間の耳というのは不思議なもので、しばらく聴いていると何となく貧しい音に慣れてくる。

 音質はともかく、このマイスタージンガーを聴いてこれがトスカニーニと想像できる人は少ないであろう。まずテンポがゆったりしている。トスカニーニのテンポは速いという定説をくつがえすものである。もっともワグナーに関してはトスカニーニは全般に遅めのテンポであったらしい。バイロイト音楽祭におけるパルジファルで最も長い時間の演奏はトスカニーニであると読んだ記憶がある。

 このマイスタージンガーがトスカニーニらしくないのは彼特有の整然とした時の刻みが聞かれないのが大きな原因である。特にホルンなどが昔風の野太い音を張り上げ、リズムも間延びしている。この時代のホルンの技術がこの程度でそれ以上の要求は無理であったのか、トスカニーニが伝統的様式を敢えて尊重しているのかはわからない。歌手も今日的なレベルから言えば、音程が不正確でやはりリズムが間延びすることが少なくない。

 一方、現代のワグナー歌手の歌い方はオーケストラの整然とした流れの中に組み込まれ、ひとつの言葉やモチーフに感情を込めた方式は希薄になっている。このマイスタージンガーの歌手の歌い方はまさに後者に属するものであるし、この時代の様式に合致するものである。ちなみに現代ワグナー演奏様式を打ち立てたひとりはカラヤンであろう。この事情は1967年、ザルツブルク復活祭音楽祭におけるワルキューレの公演に関する記録で知ることができる。

 話は戻るが、トスカニーニは1937年の公演では伝統的様式に従っていると言える。トスカニーニはヨーロッパの伝統的様式の改革者として登場し、はなばなしい成功を収め、20世紀の音楽史に大きな影響を与えた人のはずである。この事情はオットー・シュトラッサーの書にもかなり詳しく書かれており、非常に興味深いものがある。このマイスタージンガーはトスカニーニの信条に反するものかも知れない。これはあくまで想像であるが、トスカニーニは常に自分の主張を通すのではなく、時と場合により柔軟な対応ができる人であったのではないかと思う。

 特にワグナーに関しては遅いテンポを採用したことからも、トスカニーニ自身がワグナーを聖域と考え、むしろ伝統的様式を楽しんでいたのかも知れない。そんな勝手な想像をしてしまうくらいこのマイスタージンガーの演奏は意外であり、また興味深いものである。オットー・シュトラッサーの同じ章にやはり1936年のモーツァルトの魔笛公演の事が書かれている。このCDも手に入れたがこれに関しては別の機会に述べたい。