シリンクス音楽フォーラム 36
Review Performance
油井 康修

ショパン・コンクールから17年、小山実稚恵を聴く


小山実稚恵 ピアノ・リサイタル
2002年10月14日
彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール
ラフマニノフ:「音の絵」より
ハ長調 Op.33-2,変ホ長調 Op.33-7,ト短調 Op.33-8,ハ短調 Op.39-1.イ短調 Op.39-2,変ホ短調 Op.39-5,イ短調 Op.39-6,ニ長調 Op.39-9
スクリャービン:24の前奏曲 Op.11,ピアノ・ソナタ 第9番「黒ミサ」Op.68ファジル・サイ ピアノ・リサイタル

 「彩の国さいたま芸術劇場音楽ホール」での演奏会は既に二回ほどこのレヴューで取り上げている。ここは私の住んでいる長野県上田市から長野新幹線で東京に向かった時、埼玉の大宮駅で下車するとじきのところにあって(埼京線というのに乗り換えて二つ目の駅)、演奏会を聴きに行くだけの場合は案外行き易い位置にある。結構土曜日曜の演奏会が多いし(土日の場合は演奏が早く始まるので、その分早く帰れる)、曲目も都心からはずれている会場にしてはなかなか面白いものを扱ってくれる。

 ホールは小さい箱型で、木調の内装も落ち着いており音響も悪くなく、一番後ろの席でも大ホールならS席の位置だ。ピアノや室内楽にはちょうどよい空間だろう。実はまだ演奏会だけで往復したことはないが(今回も東京方面で買い物をしたりしてから駆けつけた)、これからそんな聴き方もすると思う。

 それにしても金はかかるけれども新幹線というのは何かと便利なものだ。同じ県内でも、上田から北の長野市の、さらに奥にある須坂市のメセナ・ホールに行くなどこの埼玉のホールに来るより時間が掛かるし、束京上野の文化会館でも同じくらいの時間なのだから。

 このところ寄る年波のせいか、ギリギリで駆けつけると疲れで演奏中眠くなってしまうことがある。それに前々回はルプーというすばらしい演奏会にもかかわらず遅刻をするという失態をしでかしてしまった。今回は2時間ほど前に着いて、駅前の公園のベンチでゆっくり休み、ゆったりした気分で会場に向かい、ホール内の喫茶店でコーヒーを飲み、いざ出陣、である。

 このホールでは大分前から10年で100人のピアニストを聴く「ピアニスト100」という企画をやっている。もう何回か聴きに来たが、今回の演奏会はそれとは別のシリーズだ。この日の演奏者小山実稚恵は、1985年のショパン・コンクールで第4位に入賞したことで知られた人。この時のコンクールの模様はかつてNHKテレビで放映され、何といっても主役は1位になったブーニンで、一時ブーニン・ブームが起こったことを記憶している方もいらっしゃることだろう。私もこういうのは大好きで、勿論テレビを見、彼のレコードを買い、このブームに乗っかった一人であった。

 小山実稚恵の名前は頭の隅には残っていたが、その後長くレコードでも実演でも彼女の演奏に触れたことはなかった。しかし、しばらく前から演奏会のチラシをもらうと、よく彼女の名前を目にすることが多くなった気がする。この日の演奏は2002年前後に生誕130年を迎えるラフマニノフとスクリャービンを組み合わせた6回の演奏シリーズの2回目なのだ。外にも彼女はこのホールでブラームスの室内楽シリーズを進めており(小山実稚恵と仲間たち)、これも聴いてみたい企画だ。

 ラフマニノブとスクリャービンの取り合わせ、ウーン、私にはかなり魅力的なプログラムだが、この組み合わせで6回もやるということは、当然それほど一般には知られていない曲目をかなり取り上げることになる訳だから、かなり大胆な企画という事になるのではないか。それにしてもここに来る演奏家達のもろもろのプログラムを見ると、このホールの聴衆はかなり耳が肥えているのかもしれない。

 ラフマニノフもスクリャービンも共に世紀末から20世紀に生きた音楽家で、ロマン派的色彩の濃厚な曲をかいている。スクリャービンの後半はロマン派的色彩だけでは語れないが、そのロマン派的なものはロシアのあの憂鬱にして陰鬱な響きをたっぷり含んでおり、実に暗い独特のものだ。この日のラフマニノフもそんな響きがたっぷり盛られた曲だ。ただ私としてはラフマニノフは少々音が多すぎた時など一寸聴きにくいかな、という感じはある。少し違うかもしれないがリストがいささか苦手なのと共通するところがある様だ。とはいえこれはこれで一つの良いチャンス、少しラフマニノフも勉強してみようかと思っている。

 ラフマニノフ、スクリャービンの醸し出すロシア的ロマンティシズムは、ロシア人以外のピアニストでも十分表現することが出来るのかどうか、ちょっと興味のあるところである。以前アナトール・ウゴルスキーのスクリャービンを聴いて、「これぞロシア的なるもの」ともいうべきものを存分に聴き知らされた感じがしたものだ。それまでイギリスの演奏家ゴードン・ファーガス=トンプソンのスクリャービンを一つの基準のようにして聴いていたのが(この人はテクニックがしっかりしているし、感覚的にもそんなに悪くないと思っていたし、それにスクリャービンのピアノ曲全曲録音中ということもあって、よく耳にしていたのだが)、ウゴルスキー以後これがいささか毒気の抜けたものに聴こえ出したのには困った。

 さて我が日本の小山実稚恵女史の演奏は如何に。一聴して、これはもうしっかり自分の何かを持ちそれを表現しようとしている本格的演奏家と私には聴こえた。もっともこう言うのはあるいは失礼か。これだけの人なのだから、ショパン・コンクールの当時から十分弾けてはいたのかもしれない。かつて聴く機会がなかったから正確には何とも言えないが、とにかくこの日の演奏会を聴いて、これは聴き続けて行くに値する人だとは感じた次第だ。

 ただ全体的にはいささか優等生的な演奏に聴こえたという印象があって、そこにもう一つ何かが欲しい気もした。それはスクリャービンの異常性とでもいうべきものか。また、ラフマニノフの曲は音は厚いけれど、ロマン派的ということになれば旋律線をしっかり出すことが表現上の大切な点になる。これには少々力がいるように思うが、中域から高域に掛けての音がなかなか低音の上に浮き出て来ないのが気になったところだ。或いは使用しているピアノの癖か。または前列3番目の席のせいか。

 これを書いている間に2002年12月シリンクスの例会があり、久々に出席、この会の最近の演奏プログラムを貰って見ると、なんと時々ラフマニノフが取り上げられているではないか。同様にスクリャービンやプロコフィエフもとりあげられているが、こういうものが演奏曲目にあげられるということはしばらく前には余り無かったことのように思う。確かに小山女子のような企画が出現してもそれほどおかしくはない時期に来ているということか。

 思い出すと、スクリャービンの楽譜自体は大学の頃クラブの蔵書の中にあって目にしたことはあった。当時はとても弾けそうになかったし、どう弾いていいかも分からず(楽譜面がなかなかユニークで面白そうではあったのだがさて弾くとなると…)、結局やり過ごしてしまったのは、今から思うと残念至極ではある。スクリャービンのレコードもほとんど無く、グレン・グールドの弾いたピアノ・ソナタ第3番は当時としては大変貴重なものであった訳だ。後は若干のホロヴィッツのもの。それもあの頃それほど発売されていたかどうか。もっとも現在でも、スクリャービンのソナタに関しては幾種類かの全曲盤が出ているが、全ピアノ曲集となると今出つつあるゴードン・ファーガス=トンプソン位しかないか。ラフマニノフもピアノ曲全集というのも見かけないなあ。

 スクリャービンの24の前奏曲は、その数からして「もしや」、そう、その「もしや」であった。あの有名なショパンの同名の曲を下敷きにしていた訳だ。調号の配列も同じだ。曲想はさすがに必ずしも同じではないけれども。この曲ショパンを意識しているにもかかわらず、もう立派にスクリャービンである。何曲かある私の好きなものの一つ、第10番嬰ハ短調の強烈な響きはショパンにはないものだ(譜例1:略)。小山女史はこの曲の盛り上がりに向けて幾分ストレッタ気味に感情を込めて弾いていたが、もう少し粘ってイン・テンポ気味に弾くやり方もあったかなと思う。

 第1曲目もすばらしい曲だ。楽譜を見ると変化記号に乏しくかなりすっきりしているのに、聴いていると微妙に和声が変わって行く様が実に美しい(譜例2:略)。5連音符風にフレーズが構成されているのも面白い楽譜面を作っている。彼女の演奏はこれも(というよりこの方が当然先に演奏されたのだが)感情を込めて、高まって来るとテンポも速めて弾いていた。それはそれで美しい演奏だったが、その部分が気になったということは、私はもう少し違うものを求めていたのだろう。右手の旋律をどちらかと言えば強調気味だったが、これももう少し左手つまり低音を強めてもいいのでは、というのが私の感覚。時々感情が表に出る割にストレートな弾き方がスクリャービンの曲への彼女のアプローチの一つということかもしれない。確かに彼女のスクリャービンへの思い入れもなかなかのものがありそうなことは確かだ。

 この日配られたパンフレットにさらに「−スクリャービン:≪24の前奏曲≫によせて−」という一枚が挟まれていて、一曲一曲に彼女のその曲へのイメージが書き記されている。

 第1番・ハ長調 「希望に満ちて。期待に膨らむ心が、時々そっと痛む」
 ウーム、ハ長調の堂々とした曲想の中に繊細な心の陰影を捉えているなあ。

 第10番・嬰ハ短調 「震える心。迷い、強い不安、怖れ、そこには謎も」
 私としては、まだ言葉にならない。先に書いたようにこの曲などは私には明らかにショパンと一線を画すものが聴こえる曲といいたい。言葉は悪いがちょっと「ドスの効いた」響きが聴こえる。ロシア的な陰影たっぷりのしかも暗い衝動を含み込んでいて、この響きは第8番などにも聴こえるから、一体に嬰ハ短調とか嬰ヘ短調とか調性から来ている所も多分にあるような気がする。

 第12番・嬰ト短調 「死、友人の自殺。静かな亡骸の前で、在りし日の姿が浮かぶ。乾いた涙。」
 これなんぞ、随分いろいろな想像を刺激する言葉だ。

 最後のピアノ・ソナタ第9番の演奏に際してはなかなか凝った演出が見られた。ピアノの周囲に4本のロウソク立てを配置し、その薄暗いロウソクの光の中で演奏されたのだ。曲が曲だけにこれはなかなか雰囲気が出ていた。しかし正直な所、スクリャービンの後期のソナタはまだ私にはよく分からない所が多い。ようやく第5番の美しさが少し分かって来た位だ。この第9番にしても、不思議な響きに満ちているがそれがこちらの感覚にしっくり来るところまでは到底来ていない。ただ小山女史の熱演に時間は瞬く間に過ぎ去ったという感覚だけが残った。

 6時に終わりホールを出て駅近くまで来ると、なんとそこになつかしの王将があるではないか。確か京都発の一大チェーン店に成長した中華料理店だが、こんな埼玉の辺りまで進出していたのか。安くてボリュームたっぷりでおいしい三拍子そろった王将の料理は昔から好きで、京都へ行ったときは勿論、その後名古屋で見つけてしばしばそこにも寄るし、今ここで発見したとなると、これは寄らない訳には行かない。スクリャービンやラフマニノフと王将の取り合わせは考えて見ると何とも珍妙だが、後2時間しないと家には着かないとなればしっかり腹ごしらえせねば。例のごとく「リャンガーコーテイ(ホーティかな)」と元気な声が飛び交っていて、スクリャービンの幻想の世界から一遍に現実に引き戻された気分だ。いままでどこの王将も男性従業員ばかりだったのがここでは何人かの女の子が声を張り上げていたのは初めてだ。

 この後家に帰ってから、24の前奏曲のCDを出して来てあれこれ聴いて見た。そこで新たな発見をしてしまった。意識には無かったが、どうも私のこの曲のイメージはヴェデルニコフの演奏で作られていたようだ。改めてヴェデルニコフを聴いて見て、これは大変な演奏だと気が付いた次第だ。前にはどうして気が付かなかったのだろう。彼の演奏は奇をてらったものではなく、曲に正面から臨んでいく(これはスクリャービンに限らない、どの作曲家でもそうだ)。テンポ、デュナミークなど実にオーソドックスだ。

 今残されているスクリャービン自身の演奏ではテンポなどかなり極端に揺れ動かしているし、それを踏まえてかどうか、現在の演奏家でもテンポの揺れというより恣意的に近いテンポをとる演奏もある所からすれば、彼のはまっとう過ぎるほどだ。そしてその中で実に微妙なこエアンス付けがなされておりこれが絶妙で、聴けば聴くはどに滋味が感じられて来る演奏なのだ。今この曲集の第1番、8番、第10番、第11番が大変気に入っている。それにしてもなんでこれほど美しいのだろう。ため息が出るほどだ。小山女史の演奏がどう触媒になったのかは分からないが、ひたすら感謝である。

 ヴェデルニコフはかつての満州で白系ロシア人の家に生まれ、少年のころ日本でも演奏をしているという。その後一家は彼の音楽教育のために旧ソ連に戻ったが、両親はそこで処刑され、ヴェデルニコフは極めて苦しい立場でいわばソ連の中に閉じ込められた形での音楽活動を余儀なくされた。その中で旺盛な好奇心を発揮し、そのような環境の中でバロックから現代音楽まで広大なレパートリーをものにしているというのが驚きである。冷戦終結のころから漸く海外へも出られるようになり、急速に名声が上がり、ついにかつて訪れた日本へも再訪しようとしたまさにその時亡くなって仕舞った。

 1990年代の半ば一時にヴェデルニコフのCDが20枚以上市場に出て、私もだいぶ入手し特にドビュッシーなどは愛聴していたものだが、今回改めて彼のスクリャービンを発見し、もっと彼の演奏を聴きたいと彼のCDを調べて見ると、これが驚いたことにもうほとんど出回っていないのである。あの頃は「レコ芸」で常に推薦盤になっていたものが、今や入手不可能となっている。最近の不況下でクラシックのCDは売れ行きが悪いと言う話は聞いていたが、それにしてもこれはちとひどい。良いものでも売れない(ヴェデルニコフは売れないだろうか)となると、さっさと市場から消されて仕舞うのだろうか。良いものだけは確実に入手可能な状態に出来ないものだろうか。