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ピアノよもやま話(13)

森田 裕之


 先日ひょんなことから息子が「探偵ナイトスクープ」という関西系のテレビに出ました。LA LUNA と言う名前のピアノを直して欲しい、と言う名古屋から電話での依頼です。土地の調律師(ヤマハ系)に見てもらったそうですが、古いし部品も無いから直らないとの事。そこでインターネットで調べた所、舶来を専門にピアノの修理をしているらしい、と言う事で私の所に電話が掛かってきたのです。

 これだけで、既に三つの間違いが有ります。一つには、LA LUNA というピアノは舶来では有りません。遠州楽器と言う所が作っていました。スタインマイヤーと言う名前も使っております。その後、日米楽器になり、アトラスピアノに変り、数年前に廃業しました。お客さんは名前の感じからフランスのピアノだと思ったようです。

 日本の会社が日本名で売り出したピアノは先ずヤマハ、カワイ、は何方もご存知の通り。その他ABC順に並べると、

 ACACIA, ACACIAN, AKASIAN, ASAGACHIYODA, FUJI, FUKUYAMA&SONS, FUUSHIMA, HIROTA, H.MATSUMOTO, HOTTA, KUNIYUKI, MIKI, NIPPON, NISHIKAWA, NITTO, OHHASHI, ONO, SEICO, S.MATSUMOTO, TAKARA, T.MORI, TOKAI, YAESU, YAMANO, YAMATO, Y.HIROTA, ZENON, 以上30社。

 ところがこれ等のメーカーは、外国名も持っています。又日本製ですが外国名だけで売り出しているメーカーも別に30社位有ります。販売店が独自のブランド名をメーカーに付けさせるのです。弊社が新たに開発した新型ピアノと言うわけです。車と同じ感覚なのです。ネームを鍵盤蓋にだけ書く場合と、中のフレームまでプレートをネジ止めしてある場合があります。

 ある時、自分のピアノがドイツ製だと思い込んで居られたので「いえ、違いますよ、茲にHAMAMATU JAPANと書いてあるでしょ」とフレームのプレートを見せると「世話をしてくださった調律師さんが、そう言われたのです」といって逆に叱られてしまいました。その調律師さんは、とっくに亡くなられたのですが、本当にこれをドイツ製と言ったのかどうか、「ドイツ製の部品を使っています」と言われた話が、拡大解釈されたのかも知れません。中には部品全てを輸入して組み立てたピアノもあります。

 創業が1888年のヤマハも最初は組み立てだったようですが、響板を自社で作った1900年を第一号としたようです。(製造番号は1001からです。)日本製で有りながらその様に舶来名を名乗ったピアノは戦前戦後を通じて無数にあります。

 又、ドイツ製にもピンからキリまで有ります。分解して中から尺貫法が出てくれば日本製と分る場合も有ります。何れにせよ戦前に作られたピアノは、今のピアノのように、人工乾燥された木やベニヤ板やプラスチックは使わず、かなり真面目に作っていますから、きちんと直せば今のピアノより良い音に甦り長持ちするものもあります。アクションは現代のピアノと規格は同じですから、修復しても良くならない場合は新品に入れ替えればいいのです。但し、それには、高度な知識と経験と音楽感と設備が必要です。

 以下、日本製のピアノ。

 その中には有名な音楽家名を使ったもの:
 CHOPIN, BEYER, BRUGMULLER, CHERNY, E.GREIG, FOSTER, GERSHWIN, LANGER, SCHONBERG, WAGNER, STRAUSS, WEBERN

 有名なピアニストの名前を使ったもの:
 COLTOT, HOFFMANN, KREUTZER, LAZAR, RUBINSTEIN, SCHNABEL 他

 何でもスタインという名の付いたピアノは良いらしい、というので:
 ADELSTEIN, BACHSTEIN, BARUSTEIN, EASTEIN, GROSSTEIN, MORGENSTEIN, ROSENSTEIN, SCHWEIZERSTIN, S.RODESTEIN, STEINBACH, STEINBERG, STEINER, STEINMEIYER, STEINMER, STEINRICH, TOASTEIN

 次に外国製の有名、或いは既成のメーカー名のピアノを捩ったもの:
 NEUMANN(ノイマン・ハンブルグ)をNORMAN(ノルマン浜松)
 BECHSTEIN(ベヒシュタイン・ベルリン)をBACHSTEIN(バッハシュタイン・浜松)
 BLUTHNER(ブリュートナー・ライプチッヒ)をPRUTHNER(プルーツナー・浜松)、PROTHNER(プロッスナー)、GELTHNER(ゲルツナー・音調社)
 PLEYEL(プレイエル・パリ)をPLEYGEL(プレイゲル・浜松)
 IMPERIAL(インペリアル・ニューヨーク)をIMPERIA(インペリア・浜松)
 KNABE(クナーベ・アメリカ)をKNABEL(クナーベル・浜松)
 MEISSNER(ミーズナー・アメリカ)をMEISCNER(マイシュナー・伊丹)
 NOBLE(ノーブル・ミシガン)をNOBEL(ノーベル・浜松)
 OTTO, CARL(MADE by EUTERPE)がOTTO・LARE(?)
 ROSENKRANTZ, ERNST(ドレスデン)をROSEN(東京・浜松)、ROSENBERLIN(ロゼンベルリン・浜松)、ROSENRICH(ローゼンリッヒ・浜松)、ROSENSTEIN(ローゼンスタイン・浜松)、ROSENTHAL(ロゼンタール・浜松)
 REINHOLD, ROBERT(ラインホルト・ウィーン)をREINVOLT(レインボルト・磐田)
 RUDOLPH(ルドルフ・ニューヨーク)をROUDLICH(ロードリッヒ・浜松)
 SCHWECHTEN(シュエヒテン・ベルリン)をSCHWESTER(シュベスター・蒲田)

 海外メーカーの商標流用(これは、訴えられたら罰金ものですがその話は聞きません):
 APOLLO, ATLAS, EASTERN, FLEMING, FORSTER, KAISER, HOFFMANN, KRAUS, KREUZER, LESTER, LITMULER, LUDWIG, MONARCH, NORMAN, REINHORD, RENNER, ROYAL, RUDOLPH, SCHNABEL, S.SCHIMMEL, STEINBACH, STEINBERG, STEINER, STEINMEYER, STRAUSS, THOMS, UNION, VICTOR, WAGNER, WILSON, WESTERN

 実際、詳しく調べれば更に出てくると思いますが、こんな作業に何の意味があるのかです。それは日本人にとって、西洋音楽がどう受け止められたか!と言うのが如実に現れているように思えるのです。

 戦前は余程のお金持ちしかピアノは持てませんでした。学校の音楽室に有るのは小さなオルガンでした。講堂にあるグランドピアノは町のお金持から寄付をされたものが多く大方が外国製でした。つまり非常に高価なものだったのです。ところが終戦後10年を経て、もはや戦後ではないと言われた頃から、軍歌から開放された庶民は、美空ひばりや笠木シズコなどの出現と共に、1950年から始まった朝鮮戦争の影響で金偏景気を向かえ、猛烈なインフレと共に空前の経済発展を遂げ高嶺の花であったピアノに目が向けられるようになりました。

 外国の音楽を求め、労音、音協といった企画社?が出来、うたごえ運動が盛んになって来ました。と同時に情操教育が叫ばれるようになり、特に女性にピアノを習わせることがステータスとされて来ました。とは言え、ピアノと言えば安くても20万円程、当時の一般サラリーマンの年収位しておりましたから、一人の子供だけに高額商品を与えるのは他の兄弟との関係も有り、取り敢えずオルガンで間に合わせる家庭が多く、あちらこちらでオルガン教室が開かれました。

 1960年の池田内閣が進めた高度経済政策が更に拍車を掛け、ピアノバブルが始まりました(土地バブルは更に10年後田中角栄が齎したもの)。兎に角ピアノの格好さえしていれば売れた時代なのです。ピアノの良し悪しはハッキリ数値で表せません。ピアノとして、凡その雰囲気を備えていれば良いので、簡単な金儲けの手段として、戦後まるで雨後の竹の子のように、製造会社が出来たものです。その数60社と言います。

 今は、バブルの崩壊と少子化とデフレ(価格破壊)によって、残ったメーカーはヤマハ、カワイ、アポロ、シュバイツァースタインの4社。日本の楽器のメッカとして誇っていた浜松からピアノ業者が無くなったという話です。熱しやすく冷め易い日本人は情操教育と銘打って、子供の為には何が何でも先ずピアノを買わなければ、と言う風潮が世間を席巻しました。特に女性にとっては先ずは音楽家を目指し、駄目なら学校か幼稚園の先生、或いは嫁入り道具として、親は習わせたのです。

 私がこの道に入ったのが昭和28年。お米とお金が同格の時代でした。その頃から情操教育の機運が高まり、ピアノが注目されましたが、当時でも一番安くて20万円位していたので、お金持ちは別として、一般はとりあえずオルガンで間に合わそうと言う家庭が多く、入社した頃は毎日、自転車の荷台や荷車に載せて納品したものです。本来、ピアノとオルガンはジャンルが別なのですが、器用な日本人の事、当時は何の矛盾も感じず、間に合わせ文化を託ってきました。

 或る先生の話「ええかげん、オルガン教室やめて欲しいヮ」・・・生徒さんが、ピアノの前で足をガタガタするからです。それでメーカーも足踏みオルガンから電動オルガンに変ったのです。

 私がピアノの修行をしたのは、東洋ピアノ(アポロ)ですが工員が5、60人で事務員が10人位の規模会社で月産50台位でした。母と兄から生活費を送ってもらって3年間、内地留学のような形で研究生として、工員と同じように製造全般に携わってきました。

 基本的には無給です。(当時の女工さんが、月額3千500円から残業して4千円くらい、研究生はその約8割、それでも社長は儲からないと、嘆いていました。) 塗装(漆塗り、昭和34年頃から、ラッカーに変る)こそしませんでしたが、張弦を始めボディーの組み立て、アクションの取り付け、鍵盤及びペダルの取り付け、整調、調律、最後の荷造り(当時は一台ずつ布団で覆いその上から木枠で囲った物です)。

 その他、乾燥の為工員全員で高く積み上げた材木の並べ替えなどもしてきました。更に私は最初に勤めたお店で修理、調整を習ったので、工場で預かった古いピアノの修復は、私一人に任されました。明日出荷という時など、大きな工場で一人朝方までやった事もあります。

 そうして、3年間の契約期間を終えて、本来なら派遣されたお店に戻るのが筋ですが、色々込み入った事情があってヤマハの工場に入ったのが昭和35年のこと。流石日本一の会社とは・・・日産100台、調律は一人一日10台がノルマなのです。

 勤めて半年位したある日、朝礼で工場長からの訓示がありました。「アメリカには日産400台生産している所がある。わが社もそれを目指して頑張りたい。しかし人数を増やして増産したのでは増産にならない。」と言って、ベルトコンベアーを導入する事になったのです。一台のピアノも高中低と三人で手分けして、歩きながらするのだそうです。

 私は、即座に退社しましたが、その後の話によると、一日4百台はおろか、8百台、千台まで造ったようです。その頃、岩城宏之さんが粗製濫造を新聞だったか音楽雑誌でぼやいて居ましたね。

 因みに、何方もご存知のスタインウェイは1853年ニューヨークで創業、1880年ハンブルグに進出、両国で製作されながら製造番号は統一です。1960年(私がヤマハに入社した年)創業から100年余り経って36万5千台、ヤマハは、創業が1888年と言いますから、70年余り経って12万2千台と有ります。

 ところがそれから10年後、スタインウェイは41万8千台、ヤマハ113万台、更に10年後1980年、スタインウェイは46万8千500台、ヤマハ325万台、スタインウェイが50万台に達したのは1987年記念モデルとして50万ドルで売り出したそうです。ヤマハは451万台を記録しております。ピークは1980年前後で年間24万台造っております。1991年500万台に入ってからバブルがはじけて、新品の売れ行きが滞り始めます。

 価格はいつもスタインウェイの半値から5分の1位に設定。材料も、自然の木は乾燥に手間と費用が掛かるので、安く、早く、と言う事から考えだされたのが、プラスチック、アルミサッシ、スポンジ、木部はラワンのベニヤ板、所謂コンパネといわれる建築材料、というわけです。

 ヤマハがすれば他社も右へ習えで、それでも爆発的な需要には追い付け無かったのです。お蔭で、我々のような店を持たない調律師でもピアノの専門化としてのアドバイザーという意味もあって一般のお客さんが買ってくれました。実際その後のメンテナンスも同時に引き受けるわけですから、お客さんにして見れば相談しやすいのでしょう。

 二つ目の間違いは、古くて部品が無いということ。前にもよもやま話で、現代のピアノは150年程前に出来上がっている、と書きましたが、多少メーカーによってアクションの寸法の違いは有りますが、鍵盤の幅、アクションのシステムはどのメーカーも同じで、まして戦後(既に61年になりますが)に日本で作られたものは規格化されていて、部品が無いというのは有り得ないのです。

 ヤマハやカワイが開発したプラスチックの部品こそ、そのメーカーに限られますが、それでも、アクションごと取り替える事は出来ます。その場合はグレードアップということになります。どの部分であれ、悪い所は良い物に取り替えることが出来ます。ピン板も然り。フレームも替える事はで来ますが、その場合の費用は新品より高くつきますので止めた方がよろしいです。

 つまり、直せないピアノは無い、と言う事ですが其れに値するかどうかと言うのは、個人の価値観によって異なってくるのです。楽器の中でピアノは工業技術が発達して精密な製品として生まれた新参者では有りますが、300年の歴史を持つ世界と、百年そこそこの電気製品や車などの基準は当てはまりません。何度も言いますが、弦楽器は自然の木を素材にして、創られたものです。

 三っつ目の間違いは、「森田ピアノ工房は舶来しか直さない」。先日も有るピアノブローカーが私の所へ来て、「森田さんは外国物しか直さないと皆思っている」と言うのです。そんなことありませんよ。ヤマハ、カワイ、ホルゲル、ヤマバ、ディアパソン、アポロ等何でも直しましたよ。つまり、ピアノの構造は舶来も国産も同じなのです。

 今更言う事では有りませんが、日本のピアノは、外国のピアノのコピーなのです。ヤマハは、ベヒシュタインとスタインウェイをモデルにしたものです。カワイはグロトリアンスタインヴェークとブリューツナーをモデルにしました。しかし、グロトリアンの真似をしても鳴らなかったので止めたようです。

 最近は、あらゆる世界が専門分野に分かれてしまって総合的に判断して対処すると言う考え方がなくなってしまいました。まして、ピアノの世界は木工、鉄工、塗装、音楽、物理、美学、心理学、歴史、等の集約されたものなのです。調律師と雖も、音だけを合わせて“事足れり”とするものではない筈です。

 そこで、もう一つの問題があります。修理にも色々な段階が有ります。例えば、鍵盤を押えても鳴らない場合一つとっても、原因は色々考えられます。先ずよくある単純な例として、湿気で木やブッシングクロスが膨らんだ場合。これは、キープライヤーを持っていればその場で直ります。

 鍵盤の間に物が挟まった場合、ヘアーピンとかお金、鉛筆の芯、小さな砂粒、など。これは、鍵盤を外して掃除をすれば済む事なので簡単です。専門的になりますが、ダンパーレバーのブッシングクロスが磨り減ってスプーンがはまり込んでしまった場合、ジャックが元に戻らない。これも、材料さえ持っていれば少し手間ですが現地で治せます。

 又鍵盤の鉛が湿気で錆び、膨らんで隣の鍵盤に当る場合また鍵盤のフロントのプラスチックが反り返って口棒に当るケース。これは、完全修理は可能ですが、それなりの道具と設備が要ります。勿論現地に於ける一時的処置の方法は有ります。使用者にとって、音の鳴らない楽器は致命的ですが実際は必ずしもそうではないのです。問題は、何故そうなったのか?を究明する事が大切なのです。単に古いからと言うことで片付けてしまってはいけないのです。

 最初の話に戻りますが10年余り放ってあったピアノを息子は4時間かけて調整しました。番組の最後に、持ち主さんが“津軽海峡冬景色”を弾き、念願かなって感動されていたとか・・・。それから2ヶ月ほどして、持ち主さんが工房へお見えになりました。

 「その節にはお世話になりました。ここには素晴らしいピアノが有りますねェ」とひとしきり感心なさって、帰りに「あのピアノ2ヶ月して狂ってきたのでヤマハに買い換えました」だそうです。