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ピアノよもやま話(14)

森田 裕之


 修理が出来ないもの、つまり使い捨て商品が今日ゴミを増やすと言って問題になっていますが、何故その様な商品が出回るようになってしまったのでしょう。

 先日修理を終えたZIMMERMANN(ドイツ製)のグランドピアノ。このメーカーは、もっと古いものも、過去にも何台か修理をした経験があります。設計はスタインウェイそっくりで、きちんと直せばそれなりに魅力的なピアノでした。ところが、今回手掛けたピアノはハッキリした年代は分りませんが象牙を使っているので、そんなに新しい物でもなかったのですが、ナットの木目で化粧された綺麗なピアノでした。

 しかし、以前の使用者が長期間、蓋を開けたまま使用していたと見えて、蓋をした状態を見ると、日に焼けたところが変色して、そうでない所とがクッキリ差が出来てしまって、二色になっています。そこで全体を塗り替える事にしました。

 ところが、表面を覆っている透明の塗料は従来のニスとかラッカーでなく、最近開発されたポリエステルなのです。ニスやラッカーは、剥離剤をかけると、簡単に溶けます。しかしポリエステルと言う塗料は硬化剤を使って短時間で固まります。そうした塗料は一旦乾くと何を持ってしても溶けません。

 つまり、塗り替えと言う作業は、以前塗ってあった塗料を全部剥がし、新品の状態にしてから、改めて下地から塗り直します。黒の塗装は、欠けた部分はパテをして表面を馴らし、黒く塗り潰せば良いのですが(と言っても実際は、そう簡単なものではありませんが)、木目の場合、それも一部分が日に焼けて変色してしまった場合は、表面の塗料をはがして、下地からやり直さなければなりません。

 その表面の塗料に、最近はポリエステルを使います。ポリエステル塗料は、車等のために開発された物で、速乾性で厚塗りができ、硬くて丈夫、ペーパーが当てやすく、手間が省けて仕事が早い、と言う現代向きに開発されたものです。従って、溶けない塗料を剥がすには、ペーパー等で削り取るしか方法がありません。その時に問題になるのが、その下に貼ってある化粧板の厚みです。

 化粧板とは、文字通り自然が醸しだす美しい木目を柄として楽しむために、薄く剥いだ木を貼り付けるのものです。音とは関係がありません。カタログにマホガニーだ、ローズウッドだ、ウォールナットと書いてあっても、あくまで表面に貼ってある薄い化粧板の事であって、全体をその木の無垢を使っている訳ではありません。ピアノの場合、基本はあくまでも松系なのです。

 中には、あるいは部分的にはマホやローズ、あるいはタモとか他の木を使うこともありますが、いわゆる木目のピアノは表面に昔は1.5〜2ミリ程度の薄く剥いだ木を貼ってありました。私の工房では0.6ミリの化粧板を使っています。輸入品はそれが標準です。

 日本は技術が進んで、0.3ミリまで薄い化粧板を作ることができるようになりました。日にかざすと、気孔を通して向こうから光が見えるほどです。そうなると、手では貼れません。聞いたところによると超音波で貼るんだとか・・・。糊は表に出て来るし、うっかりペーパーなど当てると木目が無くなってしまいます。

 プリント合板と言うのもあります。うっかり汚れを落とそうとしてシンナー等で拭くと木目が消えてしまいます。つまり、そうした木目を生かしたピアノの塗り替えは不可能なのです。従って、白とか黒と言った単色に塗り潰すしか方法がありません。つまり現代で言う進歩とは、そういう一面を持っているのです。安く創るための技術開発が、製品にとっては進歩と言うよりも、実は退歩をもたらすのです。

 以前、ヤフーの掲示板で竪型ピアノはグランドピアノの代用品と言う表現を読みましたが、本来あるべき材料を新素材で代用したものを代用品と言うのであって、結構ピアノのプロを託っている人達でも言われているのが不思議でなりません。それは間違いであって、そういう意味では今の日本の大メーカーのピアノはグランドピアノも殆んどが代用品なのです。代用品と言う言葉の使い方を間違ってはいけません。

 本来、グランドピアノを使いたい所で、何らかの事情でアップライトになったという場合は代用と言いますが、それなら逆の場合もあるのです。また、アップライトはグランドに比べてタッチや音質が劣ると思われています、それも、間違った先入観から来るものなのです。本物を見たことの無い、或いは見てもその良さが解らない人が言っている事なのです。

 また、この業界でよく言われることで、東ドイツやポーランド、チェコなど所謂共産圏で作られたものは、技術が遅れているから駄目だ、と言われています。ピアノは18世紀に創られ始め19世紀の終わり頃には完璧なものが出来あがっておりました。それは以前にも書きましたが、今から250年前頃から起きた産業革命がピアノにも導入され生かされた結果、大変スケールの大きい楽器を作ることが可能になった訳で、今のような自動化された事とは違うのです。

 とかく機械化というと、手創りと対義語的に使われていますが、同じ形の精密な部品を大量に創るとなると、精度のいい機械を必要とします。それでも、一割或いはそれ以上のリスクは覚悟しなければなりません。しかし手創りよりもリスクははるかに少なくなりました。しかし、それでよしという訳ではありません。最後の調整はやはり人間の手でするのです。最近はそれさえもしませんが・・・

 進歩して明らかに昔より良くなった物と言えば水に強い接着剤が上げられます。アルテコは水分で固まります。ユリヤ樹脂とかフェノール樹脂は硬化剤で固まります。一旦乾くと水には溶けません。従ってスキーの板等、木を剥ぎ合わせたりする場合は、水に浸かっても構わないのです。

 10数年前、20センチほど水に浸かったグロトリアンを見ましたが、親板はホモゲンを使っていたので、膨らんでしまって駄目でしたが、響板周りは健在だったのには驚きました。昔は接着剤と言えば全てニカワでした。ニカワは、部分によっては今も使われますが、水分に弱い所があります。従って昔のピアノは水に浸かれば先ず駄目です。

 しかし、鍵盤の象牙とか、ヴァイオリンの指板等、何度も貼り変えの必要な所にはニカワでなければいけません。ニカワは、扱い方は難しいですが、接着力、速乾性の何れをとってもこれに勝る接着剤は、科学の進んだ現代でもありません。但し、プラスティックなどの石油製品には使えません。

 事ほど左様に、現代は全てが使い捨て感覚に馴らされてしまっている様に思われます。新製品、アイデア商品が次々と繰り返し宣伝されると、無意識の内に洗脳されてしまうのですね。玩具から家まで。特に最近全てにコンピューターが導入され、如何にもその答えが絶対であるかのごとく思いがちですが、入力しているのは人間であって、ただ計算が早いと言うだけで所詮二次元の世界に、人は翻弄され、自ら考えることを辞めてしまった感があります。結果、悪趣味で根拠に乏しい風評やデマに踊らされ、間違った思い込みが本物を見る目を失っているように思います。


 今回、京フィルの依頼でハーモニウムを作り変える事になりました。数年前に浜松の仲間から「珍しい物だからね」と言われて買ったものですが、変った構造をしているのに、かねがね興味を持っていました。今回はマーラーの「大地の歌」の演奏会に使うというので、時間が限られています。フランス製のクリストフというメーカーですが、100年くらい前の物と思われます。散々修理をされた結果、今や手の施しようの無い状態でした。

 オルガンの中では比較的コンパクトに出来ていてあちらこちら移動して使われていたのでしょうか、しかし樫の木を主に使用されていて大変重いのです。ピアノの様に車が付いていないので、乱暴な扱いをされたものと思われます。階段から落としたのではないかと思われる傷み方です。幸い、音源のリードは無事で、全体のシステムも読み取れました。

 従って、此れを基本モデルにして新しく作り変えることにしました。しかし、裏板は無く、ペダルや天屋根鍵盤蓋も変っていて、原型を留めていない状態でしたから、インターネットや博物館の資料を漁って、それを基にデザインを少し変えました。所謂、森田スペシャル版です。(山葉虎楠の心境です。)

 兎に角、急がなくてはなりません。先ず材料選びから始めます。最近白っぽい家具が流行っていると言う事から塗装に手間の掛からないオープンポアに仕上げるつもりで、シオジを選びました。ところが、材木屋に言わせると「一緒や」といってタモを持ってきました。「おかしいな」と思いながらも時間もないし結構しっかりした木だったのでそれを使う事にしました。(野球のバットに使われる木だそうです。)

 リードボックスとか空気袋、鍵盤などには松とかポプラ、ホウを使いました。大きな木を裁断するときは、そうした道具を備えている知り合いの大工さんにお願いして加工してもらいます。リードボックスのような精密作業は、NCと言う機械で切削してもらいました。「軽々しく引き受けるとエライ目にあいそうやなァ」と言いながら綺麗に仕上げてくれました。(348個穴を開けるだけで4万円ですぞ。)

 バネも新しくしました。作業がしやすい為、巻きバネを、からすバネに替えたのです。同じ強さにしてもらう為にオリジナルのバネを参考に持っていって見せた所、バネやさんが「此れを100年前にしたのか!!俺は未だに出来ない」と言って百年前のフランス人の技術の高さに感心しておられました(フランスベッドから来たのかな?)。私の周りにはそうしたスペシャリストが大勢いるので助かります。以前から何かの時にはお世話になった方達です。

 この度この仕事に踏み切ったのも、以前自動ピアノとか自動オルガンを修復した経験があったからです。これ等は全て空気を使って演奏します。今回、改めてアメリカ式とヨーロッパ式で空気の流れが逆になることにより、演奏の仕方また、表現の仕方がこれ程まで違うと言うのを実感しました。設計にも微妙な細工が施されていましたが、意味が解らなくて、1+1=2とした所、とんでもないしっぺ返しに遭いました。

 歴史と言うものを疎かにしてはなりません。どんな小さな事にも意味があるのです。息子が中心に考えて創り、私は専ら補佐役でしたが、いい勉強になった事でしょう。水も漏らさぬ、と言いますが、空気も漏らさぬ精密さが要求されるのです。私には、周りに居るこうした職人達のお蔭で創れるのですが、百年前に既にこれ以上の技術がヨーロッパにはあったのだと思うと、改めてレベルの差の大きさを感じます。

 さて、頼まれてから50日間、息子は日曜も返上して夜中1時過ぎまで頑張りました。21日の本番4日前の17日、私は居ませんでしたがオランダから演奏者であり作曲家のパブロ・エスカンデさん(35歳)が試奏に来られました。翌日から、リハーサルです。オーケストラとの音あわせ。その後の調整。ホールの門限である夜の9時半まで、実に3日間、息子は缶詰状態で最終調整に励みました。

 お互い、母国語そっちのけで、ブロークン英語でやり合ったようです。つまり、楽器として未熟な所があったからです。そこで、エスカンデさんも付き合って下さったようですが、わずかな事で微妙に音の変る事を知って、非常に興味を持ち一緒になって調整をしたようです。彼にとっても滅多に出会えない良い機会だった事でしょう。

 演奏者が楽器の構造を知る事は、楽器を上手く弾きこなす上で大変良いことです。彼は、非常に勘が良く理解力も優れていて、楽器の癖を即座に読み取り的確に対応すると言う事で息子は驚いていました。それを天才と言うのかもしれません。