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ピアノよもやま話(18)

森田 裕之


 一期一会は人に限った話ではなく、私にとってはピアノにも運命的な出会いを感じる事が有ります。つまり、神が私に与えた試練、「お前なら出来る筈だ、やってみろ」と言うわけです。それは、皆から見放され、疎まれて、満身創痍の状態で担ぎ込まれた、ピアノであったりオルガンだったり・・・。そうしたのを見るに付け逆にファイトが沸いて来る私はいったい何者だろうと思う時が有ります。この道、55年目を迎えて、何台の楽器の修復をしてきただろう。その中で、3台だけ修理を諦めたピアノが有ります。それは、火事と水害と猫害に遭ったピアノでした。

 先ず、火事に遭ったブリュートナーのグランドピアノの場合です。お客さんから、修理依頼を受け、引き受けたのです。良い音がするのです。二階で弾いているのを聞いているとオーケストラの響きがすると仰っていました。私もブリュートナーを何台か修復をして感じた印象派オーケストラの響きだと思っていたところ、全く同じ表現に驚いたものです。

 唯、我が工房に持ち込まれた時は、響板の上に新聞紙でも置いて有るようなジャラジャラという雑音がしていました。見ると、響板が割れ、螺子が百本以上打って有りました。
未だそれだけなら、何とか修復できるだろうと、分解を進めて行くうちに、焼け焦げた跡を見つけました。そして更に、フレームに鉄板で補強をして、ヒッチピンの位置まで変わっているのには、驚きました。それでも、良い音を奏でている所が不憫でなりません。しかし、幾らなんでも、それにお金をかけて頂くのには偲びず、お客さんに説明をして諦めていただいた事が有ります。

 次は、国産の竪型ピアノでした。ピアノは木の芸術品と云われていて、昔は接着剤にニカワを使います。金属の木螺子はできるだけ少なく、ある限られた所にしか使いません。木の響きを損ねないようにとの配慮からです。従って水に長時間浸かると接着剤が溶けてバラバラになるのです。バラバラと言っても元通りと言うわけでは有りません。長年掛けて歪んだ木を元の状態に組み立てるのは、新品を創るより厄介な作業です。つまり、新品で50万円のピアノに100万円かけることは有りません。当時の価格を現在の貨幣価値に換算すると、1000万していたピアノなら200万掛けてでも治す価値はありますが・・・。

 そして、つい先日の事、1920年代のオーガスト・フォルスターというピアノの修理依頼を受けました。このメーカーは以前にも手掛けた経験が有るので、修復には自信が有りました。所がどっこい、運送屋さんがトラックからそのピアノを下ろす時から気付いていたのですが、湿気で塗装が所々剥げて、強烈な異臭を放っていたのです。何の臭いかと、運送屋さんに聞いたところ、猫の臭いだったのです。話を良く聞いてみると、20年間猫の小便の洗礼を受けていたようです。

 兎に角、工房に持ち込まれたその日から、臭いに悩まされ続け、色々な洗剤や消臭剤で試して見たものの効果なく、犬猫病院にも相談してみましたが、「処置なし」と言う事で止む無く廃棄処分と相成りました。元々、お客さんが持っていたものでは有りませんが、ある事情でお客さんの手元に入ってきたものなのです。私が、「どんな物でも治せないものは無い」と言った手前、こんな破目になったのですが、迂闊な事を言ってはいけません。

 でも、動物愛好家に敢えて申し上げます。昔から「猫に小判」と言う言葉が有りますが、猫も人間も地球に湧いた動物では同じです。差別をしてはいけませんが、区別はしてください。テリトリーは守ってください。お願いします。補足として、申し上げておきます。私の息子は猛烈な猫アレルギーなのです。猫屋敷から帰ってきて、目を真っ赤にして帰ってきた事が何度か有ります。ついでに申しておきますが、調律に伺った先で、犬に咬まれたケースが私も、息子にも有ります。動物が悪いのでは有りません。分をわきまえない飼い主が悪いのです。

 友達から聞いた話。仕事の途中、昼時になって昼食が出たそうです。食べようとした時「多かったら残していただいて結構ですよ、犬に食べさせますから」それを聞いた友達は何も食べずにそのまま帰ったそうです。

 私がピアノの納品を経て、ご主人と話をしながら領収書を書いていた時です。お茶菓子が出て、「どうぞ」と薦められました。薦められるがまま、そのお菓子に手を出した瞬間、横にいた子犬にガブッと咬まれたのです。「さっきから、横にいてちょろちょろ俺の顔を見ていたのはそういう事だったのだな」と思いましたが、私は「イタッ」と言ったかどうか、ご主人の顔を見たのです。するとご主人は何といったか。「ちょっとぐらい、やって呉れたらええんや・・・」それが犬との付き合い方の常識だ、と云わんばかりに・・・。以来その家には調律には行きませんでした。

 犬にまつわるもう一つのお話。私は、元来犬に慕われる性質なのです。初めての出会いから、吼えるどころか足にまとい付いてじゃれて来るのです。飼い主さんに不思議がられる事があります。ピアノを買って戴いてから7・8年経ったある日の事、毎年欠かさず調律に伺って、極めて親しくしていた筈の犬が、私の顔を見るなり牙をむいて唸るのです。何が気に喰わないのか私にはさっぱり理解できませんでした。

 実は、一ヶ月ほど前に調律をしたばかりだったのです。お母さんが、「音がおかしい、狂っている」と言うのです。実際は、全くと言って良い程狂っていませんでした。唯、多少荒れた感じがしたので、「ハハ〜受験を控えてむきになっているな」と思ったので「狂っていませんよ。弾き方が荒れているので、狂って聞こえるのでしょう、日本の音楽学校に入るには、あのくらい叩かないと駄目なのでしょうかねぇ・・・」

 実は、前年受験に落ちたのです。そして今年はランクを落として私立を受けたのですが又も失敗、本人はかなり追い詰められていたのです。公立を目指して最後の挑戦です。殆んど発狂状態だったのです。そして、ようやく公立が受かったのです。「ア〜良かった、目出度しめでたし」。お母さんからの報告に続きがありました。「あの犬が、三日間死んだように寝ていました」と。何ということか。お犬様まで受験地獄に陥っていたと言うお話です。

 折しも、今治しているプレイエルのお客さんが、前例に似た猫族なのです。「家の猫は、音が良く分るのです。ひざの上に載せて鍵盤を叩いたりしていますが、おしっこをかけたりはしません。」と言うのです。それこそ、しっかり分を見失っている証拠です。そういう人は必ず「そんな特殊な例と一緒にされては困るわ、うちの子に限ってそんな事考えられへん」と言います。

 「貴女は今使っているピアノを弾いていると猫が逃げていったのに、息子が調律してからは寄って来るようになった。家の猫は音が良く分るんや」と言っていたではないか。まして、プレイエルとなると、尚寄って来るではないか。と言っても解かろうとしない。みすみす猫の餌食になる事が判っていて、其処へ高級美術品として創られたピアノ、今や世界遺産に匹敵する芸術品を入れる私とすれば、可愛い娘を猫屋敷、ゴキブリ屋敷に嫁がせる親の心境なのだ。何とかならないものかねぇ・・・。