会稽山
200m程度の何でもない山。 ふもとに河姆渡遺跡。
禹がここに諸侯を集め、夏王朝を開くことを宣言。
禹は黄河流域の人。 金属文明を背景に南下したようだ。
なぜ南下したか。
すでに、長江流域が豊かな土器文明圏として存在していたから。
河姆渡遺跡は中国最古の土器文明遺跡(6800年前)。
中国の土器文明はここから長江をさかのぼっていく。
「史記」は、堯・舜・禹を顕彰するため、夏王朝以前の土器文明についてバッサリ削除したらしい。
中華思想
参考
- 金属文明はB.C.8000年ごろトルコで始まり、シベリアを経由して黄河流域へ。
- 一方、河姆渡遺跡からは石ケツ[右王左決字之右](ケツ状耳飾り)が出土するが、これは日本では到る所の縄文遺跡から出る。伝播の方向は明らか。東から広がった土器文明と西から伝播した金属文明の接触が禹のあたりになりそう。
- なお、稲作の伝播は土器の広がる方向とは逆。稲作発祥の地は中国湖南省。1万2000年前、ギョクセンガン(=蛙岩)遺跡に達し、さらに5000年をかけて長江下流域(浙江省)へ。7000年前、河姆渡遺跡。河姆渡の民は基本的には漁撈民だったようだ。