「椎間板ヘルニア闘病記」

(NiftyServeすこやか村から転載)


内容より
【足を組むことについて】 【バラコンバンドのこと】 【寝床のこと】 【きくち体操のこと】 【真向法のこと】 【畑仲さんからのコメント】


051/055 SGK03057 野原 椎間板ヘルニア闘病記 序
(10) 94/11/21 16:39

 はじめまして。野原といいます。以下に記すのは、私の一年間にわたるヘルニアとの闘いの記録です。長文なのでファイルを分割しますから、興味のないかたはとばしてください。

 私は1960年生まれ、現在34才の教師(男)です。身長は174cm、体重は62kg。スポーツの類はほとんどしません。19のとき、転倒した際に椎間板ヘルニア(腰椎)になりましたが、この時は整形外科で治療しました。神経ブロック注射を3度打ち(1週間に1回の割で)、日常生活に戻れました。翌冬すこし左足にしびれが出て、今度は整体医にかかりました。週に1回の整体を4週つづけ、症状は完全に消えました。その後の15年間、まったくこの病気のことを忘れていたぐらいです。

 それが去年の秋、再び同じ症状に見舞われました。つらく長い日々をすごすことになったのです。いま思い返すと遠い出来事のように感じますが、いつまたなるやも知れず、万一の際の参考のためにも記録に残しておこうと思いました。

 椎間板ヘルニアの闘病記については、フォーラムが違いますが、FHELTHに畑仲 哲雄さんの「ヘルニア戦記」という超面白い連載があります(1993/12/18)。あんなにすごい文才はないので、私はこの病気を克服するために役に立ったことをメモしていくつもりです。

 私自身、主観的には一切の営利・宣伝行動を行なうつもりはありません。ただし、固有名詞を書かなければ何を言っているのか分からない場合もあり、また「闘病記」としても気の抜けたものになってしまいます。それで、自分の判断でいくつかの治療・健康法を具体的に書きました。万一問題が生じるようであれば、発言を削除されても文句はいいません

 野原

052/055 SGK03057 野原 椎間板ヘルニア闘病記 1
(10) 94/11/21 16:40

【椎間板ヘルニア再発!】93年11月

 そもそものはじまりは、夏休みを見込んで依頼された仕事を放置し、二学期に入ってから座業を続けるハメになったことでした。当時たたみでの生活をしていた私は、机と椅子をもたず、ホームごたつを机代わりに仕事をしていました。座り方は、だいたい横座りか背を丸めてのあぐらです。今から思うと、筋力のない私は、あぐらをかくと上体をまっすぐ支えられず、その無理な姿勢が腰への負担を重くしていたようです。

 早くも10月から腰痛を感じだし、少しだるくなると立ち上がって身体をそらすということをしていました。手を腰にあて、背をそらして腰をポキポキ鳴らすというのが、いつのまにかクセになっていたわけです。

 11月の初旬、ある朝目を覚ますと、突然左足に痛みがあるのに気づきました。この瞬間、椎間板ヘルニアが再発したことを悟りました。痛みの種類が、あの懐かしい坐骨神経痛のものだったからです。左側のお尻から腿の裏側にかけて、なんとも言えないイヤな痛みが走りました。

【信頼できる治療者を求めて】

 15年前に治した記憶があるので、タカをくくっていたようなところもあったと思います。「いざとなれば前回の整体の先生のところに行けばいい」と思いつつ、治療者を探しました(前回の整体医は通うのに2時間ほどかかるのです。学生の頃は何でもなかったけど、仕事を持つ身としては、できれば近所で治したいと思いました)。

 まず最初に訪れたのは、部屋から最も近いカイロプラクティックです(歩いて数十秒)。電動式のあの台に乗るのは初めてで、どんな治療をするのか興味津々でした。ただし、眼目と思われる最後の気合いのところで私の関節はウンともスンともいわず(これはおそらく前回の整体の治療を思い出して、自分なりに腰の運動を前もってしたからだと思う)、ちょっと拍子抜けしました。足のしびれにも変化がなく、そのむね正直に伝えると、「治せると思うが、通うかどうかは自分で決めてください」とのこと。人間的には好感のもてる先生でしたが、いちおうこれ1回で行くのはやめました(1回5000円という治療費も痛かった)。

 次に行ったのは整形外科です(歩いて3分)。すぐにレントゲンをとりました。腰椎4番と5番のあいだが少し狭いけど、トシとともに狭まってくるものだから椎間板ヘルニアというほどのものでもない、ということでした。この4番と5番のあいだは前回の時にも悪いと言われた箇所で、内心「ああ、やっぱりあそこが悪いんだな」と思いつつ、「しかしびっくりするほど悪いわけでもないのか」と釈然としませんでした(症状として出てくる坐骨神経痛の痛みが激烈なので、「たいしたことない」などと言われると不愉快になる)。牽引をしましたが、足のしびれはまったくとれません。15年前のことを思い出し、神経ブロック注射のことを持ち出しましたが、それはやりたくないようでした(結局やらず)。前回の先生が勇敢なのかこの先生が慎重なのか、素人の私には判断できませんが、その時には「何でもいいからこの痛みをとってくれ」と叫びたい気持ちでした。ここも1度でやめました。

 次に行ったのは前回とは別の整体医です(バスで10分)。この先生が、丁寧に説明をしてくれる、私にとってはありがたい先生でした。整体をしてもらっても実は少しラクになるだけで、魔法のようなわけにはいきません。しかしそれを御承知の上で、日常生活で気をつけるべきことや姿勢、自分でできる体操など、なぜそうするのかという理由から順々に教えてくれました。私はここをヘルニアに立ち向かうための基地にすることにし、できる限り通うことを決心したのです(1回600円というのも助かった)。

 つけ加えておくと、この整体の先生から、協力関係にある整形外科にもう一度行って診断を下してもらうよう言われました。この整形外科では「これは立派なヘルニアだ」と言われ、かえって嬉しく思いました。本当はここにも並行して行ったほうがいいと言われていたのですが(理学療法をおこなっている)、電車で15分プラス徒歩10分と少しつらいので結局通っていません。

 さらにつけ加えると、本屋でも「腰痛」と書いてあるものにはほとんど手を出し、かなりの本も買いました。それについても以下のファイルで触れていくつもりです。


 野原

053/055 SGK03057 野原 椎間板ヘルニア闘病記 2
(10) 94/11/21 16:41

【悪戦苦闘】93年11月〜94年2月

 それからは、できる限り整体に通い、自室でも回復につとめるという毎日が続きます。しかし実際には、波のように押し寄せてくる激痛に耐えながら横になっていることが多かったです。1日24時間、腰(というより左足)のことから頭が離れない毎日でした。身体の正中線は「く」の字に曲がり(自分で身体を見おろすと腰が左側に大きく突き出ている)、上を向いては寝られず、夜中に何度も痛みで目が覚める……。この痛みから解放されるのだったら左足を捨ててもいいとまで思いました(なんと罰当たりなことか)。「ヘルニア戦記」で畑中さんも書いておられましたが、この病気の困る点は、断続的な神経痛によって精神的にもまいってしまうことです。

 仕事のほうは、教師という職業柄、長期休暇もあり、キツイ時には休講通知を出して休むこともできました。学生たちに事情を話して、この期間は2〜3回に1回の割合で授業を休ませてもらいました。

 授業に出かけるときは、左足を引きずりながらゆっくりと歩きます。道を歩く時も、少し進んでは立ち止まって休むということの繰り返しでした(調子のいい日は休まずに歩けましたが……)。それでも完全にリタイアしなかったのは、人と会っていると、少なくともそのあいだは気持ちが晴れるからでした。一人で痛みと向かい合っていると、どこまで気分が落ち込んでいくのかわからないという不安がありましたね。一人で部屋にいる時にできるのはテレビを見ることぐらいで、本好きの私もこの期間にはほとんど読書ができませんでした。それから、○○日まで頑張れば長期休暇に入れる、という希望があったことも幸いでした。

【足を組むことについて】

 私が回復を遅らせた原因のひとつに、この期間にも足を組んでいたことがあると思います。左足に症状の出ている人間が左足を上にして足を組むというのは一番やってはいけないとされていることです。このやってはならない(と自分でもわかっている)姿勢を敢えてとったのは、そうすると、そのあとほんの一時でも歩きやすくなるからでした。ちょうど左足の神経が少し麻痺したようになって、そのあとしばらくは痛みすら感じないんですね。仕事に出て歩かなければならない時には、ちょくちょくこの方法を使いました。しかし、これによって大きな負債を背負わされることになったと思います。ほぼ腰が回復したと思われた後も、左足の付け根だけはいつまでもきっちりはまっていないという違和感に悩まされましたから……。こういう一時しのぎの方法には手を出さないようにしましょう。

【バラコンバンドのこと】

 この期間のあいだに書店で買った本の中に、自然良能会というところに関わるものがありました。「骨盤のゆがみ」が腰のトラブルの一番の元だという話です。この説の是非を問うつもりはありません。私が患者として体験した範囲で感じたことを記します。

 興味をひかれたので、私は「バラコン(バランスコントロールの意)バンド」というのを購入しました。このバンドを腰に巻いて指示された通りに運動すると、確かに「く」の字に曲がっていた身体がまっすぐになります。これは気持ちの上で非常に効果があります。

 ただし、ヘルニアの症状がひどい時には、しばらくすると元に戻ってしまいますし、痛みがそれによって急に消えるということもありませんでした。

 私について言えば、私は割と熱心にこの運動を続けました。運動そのものは大してキツイものではありませんから、それが悪い影響を与えるということはないでしょう。効果について過大なことを期待しない限り、これはやってみて損のないものだというのが私の判断です。

 野原

054/055 SGK03057 野原 椎間板ヘルニア闘病記 3
(10) 94/11/21 16:42

【寝床のこと】

 冬を迎え、寝床については試行錯誤の連続でした。机と椅子は持っていなかったのに、寝るのはベッドだったのです。整体の先生に「柔らかいベッドは良くない」と聞き、思い切ってベッドを処分しました。

 すると、冬ということももちろんありましたが、たたみに布団のほうがずっと寒いのです。これは空気の層がないため冷えが床から直接あがってくるのだと分かりましたが、寝床が冷たいと、入ったとたん腰の周辺の筋肉が縮みます。まずは布団乾燥機で寝床を暖めてから寝ることにしました。

 しかし、布団乾燥機だと、寝る際にはいいのですが、結局夜中のうちに冷えてきます。朝起きたときの調子が非常に悪いので、電気毛布を入れることにしました。この冬もすでに同じ態勢で臨んでいます。

 それから、「下は堅いほうが腰にはいいのだ」とよく言われますが、身体に故障のある時には考え物です。たたみに布団1枚ではさすがに腰への負担が大きく、私の場合は逆効果でした。「堅め」と表示されている5センチ弱のマットを布団の下に敷いて寝るのが、私には最もラクです。

【光明】94年3月

 整体に通いバラコンバンドの運動をしながらも一進一退でしたが、3月に入ったある朝、突然腰が軽くなっているのに気づきました。日常生活には支障がない程度まで一気に回復したのです。ものすごく嬉しかったのですが、なぜ良くなったのか判然としないので、ここに多くを書くことはできません。同じ病気に苦しんでいる人は、こういう良くなり方もあるのだと思ってください。今のところ私に言えるのはそれだけです。

 ただし、もう少し詳しく言いますと、この時の状態は、まず、日常生活に支障はなく、仕事も休まずに毎日できる。もっとも、左足の付け根には、「足がしっかり関節にはまっていない」というような違和感(痛みではない)が残っていました(これはしばしば足を組んでいために生じたものだと思います)。また、いきなり走り出す気にはまだ「なれない」。それから、これが椎間板ヘルニアの場合に特徴的なことだと思いますが、前屈は「できない」。

 しかし、「これで完治も夢ではない」と実感できた時の喜びは、体験者でないとわからないでしょう。あと少し、あと少しと思いながら新年度を迎えることになったのです。

【停滞】94年3月〜10月

 ところが、ここからが長かったのです。「痛み」というほどのものはもうありませんから、気分的にはラクでしたが、ちょっとしたしびれが位置を変えながら取れないのです(私の場合は、左のお尻と腿の裏側→左スネの外側→左足の甲という具合でした。また、左足付け根の違和感はずっとありました)。何とか生活はできるけど、まだ健康とは言えない(例えば、せっかく誘われた中国旅行にも行ける気がしない)。何か自分でできることはないのか、と考え続けた半年でした。

 野原

055/055 SGK03057 野原 椎間板ヘルニア闘病記 4
(10) 94/11/21 16:43

【きくち体操のこと】

 これはどのお医者さんにかかっても言われますが、ヘルニアを予防・治癒させるには足腰および腹筋を強化することが必要です。しっかりとした筋肉で支えてやることによって、腰椎の故障そのものは元に戻らなくとも、症状を抑えることはできるとされています。それでさまざまの腰痛体操が提唱されているわけです。

 またもや本屋で仕入れたものですが、私は自分で何ができるのかと考えている時に、「きくち体操」というのと「真向法(まっこうほう)」というのに出会いました。まずは「きくち体操」について記します。

 詳しいことをここで紹介するわけにもいかないので簡単に私の場合のことを言いますと、その基本的な考え方に感心しました。身体は「鍛える」というよりも「育てる」ものである……文弱の徒としてすごしてきた私には、すっと入っていける考え方でした。ただし、私はそんなに真面目な人間ではありません。きくち体操は本来全身体操なのですが、自分に関係のありそうな体操だけをやることにしました。で、気に入ったのは、「おすもうさん」という足腰強化の体操です。これは足を大きく開いて(外マタに)、まっすぐに立てた上体をそのままゆっくり降ろしていくというものです。最終的には地面に接着した両足先と両ヒザとを頂点にする横長の「長方形」ができあがり、その上に上体がまっすぐ立っているという形になります。実は、私は最初この姿勢がとれませんでした。股関節がかたいのと腿の筋肉が弱かったためです。腰を降ろしていく途中で腿の筋肉がブルブル震え、情けない思いをしました。しかし、あきらめずにやっていると、そのうちできるものです。こういう自分で実感できる効果のあるものは長続きしますね。今では腰をさらに落とすことができ、ほとんど本物の関取のような姿勢を保つことができます。

 また、「歩くときには足の親指に意識をもっていくこと」というのも良い教えだと思います。そうして歩いているうちに、扁平だった足の裏に「土踏まず」らしきものができてきました。

【真向法のこと】

 それから、真向法という健康法も私には面白いものでした。4つの体操だけからなる健康法ですが、このうちの1つの姿勢がどうしてもとれないのです。普通の体操などでもよくある、床に座ってまっすぐに伸ばした足を広げられるだけ広げ、前屈するというのがそれです(実は両足をそろえてまっすぐ前に出し前屈するというのもできませんが、これは椎間板ヘルニアに特有の症状ですから、最初からやりません。やるとかえって腰を痛めます)。

 だいたい私の股関節は、もともとこの方向にはほとんど開かない堅い状態だったのです。ですから最初は、両足を広げようとすると上体が後ろに倒れてしまうという体たらくでした。ただし、これまでは「とてもじゃないが自分にはできない」とあきらめていたのですが、真向法の本にはその場合の対処法が書かれていました。つまり、背を壁にぴったりつけて、まず足を広げる練習から始める、最初は90度ぐらいでいいから、そこからだんだんと柔らかくしていけばいいということです。「これならできそうだ」と始めることにし、1週間後には足を90度開いて上体がまっすぐ立つというところまできました。これも毎日効果が実感できるので、長続きしました。今では足は130度ぐらい、そこから上体を45度ほど前傾させることができます。

 なお、体操はすべて「反動を使わない」ことに注意しなければなりません。反動を使うと、思わぬ怪我が起こり得ます。じっくりと筋肉に力を入れていくのがコツです。

【いよいよ完治へ】94年11月

 きくち体操と真向法とから自分で選んできた体操をやっているうち、ついに左足付け根の違和感もとれる日がやってきました。これも、ある朝突然のことでした。これまでは注意してやらずにいた「足を揃えて立った状態での前屈」も、ゆっくりやってみると両手が床から20センチぐらいのところまで曲がりました。無理をして神経痛が走っては元も子もないので、これ以上はやりませんが、少しずつ良くなっていくので
はないかと思います。

【最後に】

 長々と書いてしまいました。良い状態になってから2週間ほどたっています。現在は走ることもできます。私の場合は「再発」でしたし、治療のための時間が比較的ゆったりととれたこともあります。この病気の人がみな同じ経過をたどるとは限らないでしょう。ひとつのサンプルとして、もしヘルニアに苦しんでいる人のお役に立つことが少しでもあったら嬉しく思います。

 野原

060/060 MHA01655 仏師 RE:椎間板ヘルニア闘病記 4
(10) 94/11/24 00:00 055へのコメント

 こんにちは、野原さん。

 ヘルニア闘病、どうもお疲れさまでした。ヘルニアって、腰に巣食うちっちゃな悪魔すよね。一度そいつに睨まれちゃったら最後、供物を捧げて一心不乱にお祈りをしないと……。いや、治療しないとネ。

 まずは、野原さんの「完治」おめでとうございます。やれやれ、ですね。

 え、私ですか? 喉もと過ぎればなんとやら。「ヘルニア戦記」なる珍妙な駄文(恥ずかし!)を書いた昨年の12月からすると、ほぼ「寛解」です。(再々々発の可能性がゼロでない)

 野原さんの闘病記を拝読いたしますと、「きくち体操」と「真向法」がかなりの威力を発揮したようですね。私は両療法とも知りませんでした。やっぱりヘルニアのように患者の主体性を問われる病気は、情報交換の重要さを痛感します。民間療法にせよ、病院治療にせよ、自立した患者による情報ネットワークの構築が求められると痛感しますね。 特に、「この病院が良い」とか「あの人は名医だ」という情報だけはなく、「あそこはキケン」とか「あいつに体を壊されそうになった」といったキケン情報も含めたものが…

 俗に、腰痛は日本人の7割が一度は体験するといいます。日本の人口を約1億3000万人として、えーっ、ざっと1億人近くの人に関わる重大な社会問題。日本列島は腰痛持ちの収容所群島じゃないですか!

 収容所内の、腰痛持ちたちは、みんな知的で大人しくって、洗練されてて、控えめ。「腰痛を何とかせよ!」と厚生省に対して抗議しない。仲間作りも下手じゃないかな。そのくせ、「あの人も腰痛なんだって」といった話を耳にすると、自分のことのように痛みを感じることができる菩薩のような大慈悲の持ち主ばかりですよね。

    あぁ、またアホなことばかり書いておる。。。

 私の場合はカイロプラクティック療法で痛みはやわらぎ、約2カ月の自宅療養休暇を経て、今年1月から職場復帰しています。カイロ療法は今も月1回のペースで診てもらっています。ま、気休め程度の受診なのですが、そのカイロプラクターと仲良くなり、施術の後、一緒にご飯を食べにいく関係になりました。
 そのカイロプラクター氏のおかげで、私の腰の悪魔はすっかりナリをひそめています。近ごろでは、階段を3段飛ばしで駆け降りたり、赤に変わりそうな黄信号で横断歩道を疾駆してスリルを楽しんだり、混雑する駅のホームからホームへ走り幅跳びしたり(嘘)。

 ただ、カイロ療法で半身不随とか、病状悪化といった話は後を絶っていないようなので、カイロが万能だとは決して思いません。国家資格ではないため、術者の技術に差があったり、ムラがあったりするためでしょう。

 取り留めのないことばかり書いてしまい、せっかくの野原さんの闘病記のお口汚しをしたようで、う、う、なんだか気まずい。 ですが、さまざまな人のヘルニア闘病記は、出版物としても絶対に商算が見込めると思います。シスオペもそのへんをよーく考えて欲しい。

  それでは野原さん。予後の措置も怠りなく! お元気で。

                  畑仲 哲雄/MHA01655

061/061 SGK03057 野原 コメントありがとうございます
(10) 94/11/24 19:35 060へのコメント

 仏師さん、コメントありがとうございます。「ヘルニア戦記」の著者からコメントがもらえるとは望外の幸せです。(^^)
 
 まずは仏師さんも「寛解」ということで、おめでとうを言わせてもらいます。しかし、私の場合も「ほぼ完治」、仏師さんの場合も「ほぼ寛解」と、ちょっと弱気な副詞のついているところが悲しい……(^^;)。再発の不安がなかなか消えないため、どうしてもそうなりますよね。
 
 腰痛持ちのネットワークが必要というのは確かにそう思います。カイロ・整体の治療の中には「荒療治」と思われるものがけっこうあるそうですし……(私、闘病記では「整体」と言っていましたが、正確には「柔道整復師」でした。訂正します)。
 
 で、私の場合、仏師さんがおっしゃっているのとはまた別の理由でも当時情報に飢えていたことを付け加えておきます。というのは、治療のノウハウについて、たいしたことではないけど妙に気にかかるということが次から次へと出てきたわけです。
 
 たとえば、筋力をつける必要があるということでストレッチなどを行なうと、ポーズによっては神経痛が走るわけですね。それは我慢して続けたほうがいいのか、大事をとってやめたほうがいいのか、ずいぶん悩みました。早く治したいから筋力はつけたい、また痛みを我慢すること自体には求道的な意味での快感がある、しかしどうも翌日調子が悪くなることが多い……現在ならはっきり「そういう場合はすぐにやめるべき」と言えますが(関節の堅さに起因する痛みなら少々痛くても大丈夫)、当時はそういう細かいことを説明してくれる人がいなくて何をするにも心細かったです。「歩くのがいい」というのも同じで、身体が「く」の字に曲がり足を引きずらなくてはならないのに歩くのが本当にいいことなのか、疑問に思いつつ歩く練習をしたこともあります(これも今なら「やめるべき」と言える)。また、身体の正中線にゆがみを伴ったまま筋肉をつけると、かえってゆがんだままで固定されてしまうのではないか、とか、とにかく気になることの連続でした。そういう、体験者でないとなかなか気がつかない細かい知識も集積・流通したほうがいいと思いますね。
 
 医学部の友人によると、椎間板ヘルニアの治療技術(外科手術)も非常に精密になっているそうです。ただ、それにしても、身体の中心にメスを入れるのですから患者はビクビクしているわけで、全国津々浦々おなじように手術の精度が高いのかとか、患者としてはすごく気になります。「腰痛」の本はたくさんあるのですが、そういったことに関して実用に耐える情報を得ようとすると限界があるように思います。何とかならないもんですかね。
 
 長くなってしまいました。とりあえずこの辺にしておきます。
 
** SGK03057/野原 <11/24 19:27> **