とにかく女は男ほど甘くない。この世が苦しいからといって、あの世がたのしいと速断するような希望的観測はぜったいにせぬ。男のそういう考には明かに論理の飛躍がある。じっさいは、この世がすでに苦しいのなら、あの世はもっと苦しいかもしれぬ。しかもその可能性は大きい。すべてものごとが替ってよくなる例はまれで、まず前よりは悪くなると思ったほうがまちがいがない。それで生をかえて死にしたところが、急にたのしくなるとはおもえぬ。むしろ今よりいっそうひどい目にあうにきまっているから、やはり苦しくても生きているにかぎる。この世の苦しみというものはまずたかが知れている。しかしあの世の苦しみは想像もつかぬ。「いつまで居てもこんなもん」なら、いつまでも居たがよい。何がいるか判らぬ未知のおそろしい所へはゆきたくない、……というのが女のきもちである。そしてすべての女の考のように、それはきわめて用心ぶかく、じっさい的で地についている。

(小林太市郎「藝術の理解のために」淡交社「小林太市郎著作集1」所収)