「臨済録」(岩波文庫/入矢義高訳注)P142

君たちがすばらしい雄弁家であっても、わしは認めない。君たちが聡明であり知慧がすぐれていても、わしは認めない。ただ君たちが正しい見地を得ることを望むのだ。諸君、たとい百部の経論を説き明かすことができる者でも、一人の平常無事な坊さんには及ばない。学があると他人を軽蔑し、優劣を争い、自己中心の迷妄に陥り、地獄ゆきの業を増長する。善星比丘などは、あらゆる教理を理解していたが、生きながらにして地獄に落ち、この広い大地に身の置きどころさえなかった。だからなによりも無事平穏、やることもないままでいるのが、一番よいのだ。「腹がへれば飯を食い、睡くなれば目をつぶる。愚か者はわしを笑うが、智者ならば分かってくれる」というわけだ。