セーラームーンNEXT

 

ケース1 木野さんの場合

 

「ただいま」衛がドアを開ける。

「お帰りなさい。」まことが玄関にやってくる。

「あなた、これから食事にします?それともお風呂?」まことが衛の鞄を受け取りながら、尋ねる。

「うーん、そうだな。」 食堂の方からいい匂いが漂ってくる。衛は鼻をひくつかせてから、お腹が空いていることに気付く。「まずご飯をもらおうか。」

 

 衛が食堂をのぞくと、豪華な料理が食卓の上にならべられている。

「今日の夕食はえらく豪華だな。」

「だって今日はあなたの誕生日でしょ。腕によりをかけて料理したんだから。」まことが少し照れたような仕草で答える。

「あ、そうだった…」衛は自分の誕生日を忘れていたことに気付く。

「ねえ、あなた。食事の前にまず着替えてくつろいでよ。」

「あっ、そうだね。そうしよう。」衛はまだ自分がスーツを着たままだったことを思い出す。

「…料理の上手な嫁さんをもらってよかったなあ…」衛は自分の幸福をかみしめながら、隣の部屋に歩いていく。

 

 隣の寝室で衛がスーツを脱ぐ、まことは衛が脱ぎ捨てたスーツをさっと拾い上げると、手早くしわを伸ばして、ハンガーに掛ける。その時スーツの内ポケットから1枚の紙切れが床に落ちた。

「あら」まことがそれを拾って目を通す。

 

 衛は手早く着替えを済ますと、食堂の方へ行こうとして、まことがそこに立ったままでいることに気付く。

「あれ、どうしたんだい。まこと」

 返事がない。

「食事にしないのかい?」

 まことがゆっくりと顔を上げる。

 その表情の険しさに、衛は思わずぞっとする。

「一体…、どうしたんだい…。」

「あなた、これの意味を教えてくれる。」

 まことが1枚の紙切れを衛の鼻先に突きつける。「今日、いつものところで待ってます。絶対来てね。  京子」その紙にはそう書いてある。「…しまった!…」衛の顔色がみるみる青ざめる。「…そういえば今日、あのとき…」。衛の頭の中で記憶が猛スピードでフラッシュパックする。「…あのときの彼女の意味ありげなほほえみの意味は…。しかし何もこんなもの渡さなくても、一言ささやいてくれれば…」。衛はパニックになる。

「いや…。その…。京子君は俺の部下で、今日は商談があったから…。その接待場所の件かな…。」衛はしどろもどろの言い訳をする。

「そう…! それにしてはおかしなメモね。」まことが衛をにらみつける。

「いや…、そうだろ? 彼女変な子でね。ちょっと変わっているというか…。」

「ごまかさないで!」まことの目がつり上がる。「私がいながら、これはどういう了見なのよ!」まことが衛に詰め寄る。

「いや…、だから…、これは…。」

「 …。 私を本気で怒らせたことを後悔させるよ。」まことの頭から角が生え、電撃がほとばしる。

「ぎゃー!」悲鳴をあげながら逃げ出す衛の首すじを、まことは右手で捕まえ、そのまま後ろに投げ飛ばす。

「ひえー!」情けない声を上げながら衛が宙を飛ぶ。

 

 その晩は隣家では、翌朝まで、男性の助けを求める悲鳴と、まるで建設工事でも始まったかのような騒音に悩まされたそうである。盛大に聞こえてくる叫び声からおおよその事情を察した隣の住人は、隣家のご主人の健康を祈りながら、耳栓をした上で頭から布団を被って床に就いたそうである。

ダメダこりゃ…。

 

ケース2 水野さんの場合

 

「ただいま」衛が玄関の引き戸を開ける。

「あらっ、お帰りなさい、あなた。」亜美が玄関に迎えにくる。

「いやー、今日は疲れた。早速夕食をもらおうか。」

「あなたがそう言うと思って、もう用意してあるわよ。それとお酒のほうもね。」亜美がにっこり微笑みながら言う。

「君はよく気が利くね。僕はこんな素敵な嫁さんをもらって幸せだな…。」

「やだっ、あなた、そんな…。」亜美が赤くなる。

 

 寝室で衛が上着を脱ぐ。亜美はそれを受け取るとハンガーに掛け、形を整えてから軽くブラシをかける。その時上着の中から一枚の紙が畳の上に落ちる。

 ギクッ、衛が硬直する。

 亜美はその紙を拾い上げると、サッと目を通す。そしてそのまま黙ってその紙を二つ折りにしてポケットに入れる。

「あっ…あのー…亜美…」 しかし亜美は何も答えずに、黙ったまま隣の自分の部屋に入って、後ろ手に戸を閉めてしまった。

「…ああー、怒らせちゃった…」 衛が頭を抱える。「…すぐにあやまりに行くべきだろうか、それとも少しほとぼりを冷ましたほうがいいんだろうか…」途方に暮れてしまった衛は、食堂の椅子に腰掛けたまま悩む。

「…やっぱり、素直にあやまりに行くべきだな…」 衛が椅子から立ちあがりかけた時に、亜美の部屋の戸が開く。

「あっ、あなた。そこに座ってて。」 亜美の言葉には特に怒っている様子はない。それを見て衛は少し安心して、もう一度椅子に座り直す。亜美は笑顔を浮かべながら、衛の向かい側に腰掛ける。

「あなた、お願い、これに名前を書いて。」 亜美は持っていた本を机に置くと、衛に一枚の紙切れを渡す。

「えっ?」 衛がその紙切れを受け取って目を通す。 「離婚届」とそこには書いてある。

「ちょちょちょ、ちょっと…。」 衛がうろたえる。

「民法の規定によると、この場合離婚の原因はあなたにあるわけだから、当然あなたが慰謝料を払うことになるわね。」亜美が手元の六法全書をめくりながらつぶやく。

「ちょっと、ちょっと待って…。」

「この家は私とあなたの名義だから、権利は1/2ね。家財のほうもまあ半半として…。あっそうそう、あなたの車はあなたが結婚前から持ってたものだから、あれの権利はあなたにあるわ。まあ財産はそんなところとして、慰謝料のほうは最近の判例から見ると…。あなたのお給料がこれだけだから…。」 亜美が電卓を打ちながら、紙に何やら数字を次々ならべていく。

「ちょっと待って…。いや…、そんなのって…。お願い、許して…。」 とうとう衛の泣きが入る。

「まあ大体の計算でこんなところだと思うけど、どうかしら? 実際の細かいところはやっぱり裁判ということになるんじゃないかと思うんだけど。」 亜美が衛に数字をならべた紙を見せる。

「お願い…、お願いだから許して…。ごめんなさい。あやまるから…。もう二度とこんなことしないから…。お願い…。そんな事言わないで…。ねえ許してよ…。」 衛が椅子から飛び降りて、泣きながら土下座をする。

「やっぱり、こういう事は法律的にきっちりと解決しとかないとねっ。」 亜美が椅子の上からにっこり微笑む。

「ゆるして…。そんなこと言わないで…。」 衛が亜美の脚にすがりながら、大声で泣く。

 

 その晩隣家には一晩中、男性の情けない泣き声が聞こえてきたと言うことである。

ダメダこりゃ…。

 

ケース3 愛野さんの場合

 

「ただいま」衛が玄関のドアを開ける。

「おっかえりなさーい。あ・な・た。」 美奈子が走ってきて、いきなり衛に抱き着いてキスをする。

「おいおい、美奈、いきなりそれは…。」

「だって、あなたがいなくてさびしかったんだもん…。」

「それは、おれだって本当は、君みたいなかわいい嫁さんを置いたままで、さびしかったさ。」

「うーん、あなたったら、あいかわらず お・じょ・う・ず。」 美奈子が衛に甘える。

 

「あなた、すぐに夕食の用意をするから、着替えて待っててね。」 美奈子が衛の上着を脱がす。

 その時、上着の内ポケットから一枚の紙切れが舞い下りる。

「あらっ」 衛が拾い上げるよりも早く、美奈子がそれを手に取り目を通す。

ジトッ、衛の額に冷や汗が流れるが、次の瞬間美奈子が突然その場にがっくりと腰を落とす。

「美奈! どうしたんだ!」 衛がとっさに抱き起こそうとする。

「そんな…」 美奈子が目に涙を溜めて衛を見上げる。「あなたの私への愛は嘘だったのね…。」

「いや、そうじゃなくて…。」 衛がうろたえる。

「いいの…私負けないわ。」 美奈子が立ち上がる。「そう、たとえ衛さんの愛がもう冷めてしまっていても、私、衛さんを信じて待つわ!」 美奈子が胸に両手を当てて叫ぶ。

「いや、そうじゃなくて…。」

「そうよ! 私は衛さんを愛しているもの! たとえ衛さんが私の元を去っていっても、私何年でも待ち続けるわ!」 美奈子が右手を空にかざして叫ぶ。

「だから…。」

「そう! 私の愛は真実の愛。衛さんは私が本当に心から愛した人! たとえ今は離れ離れになろうとも、いつかはまた巡り合って再び一緒になれるのだわ…。そう! 私は愛の力を信じる!」美奈子が両手を空にかざし、ゆっくりと回りながら叫ぶ。

「もしもし…。」

 美奈子はもう完全に自分の世界に入り込んでいた。大袈裟な身振りをつけながら、「愛の奇跡」がなんだらとか、「真実の愛」がどうだとか、芝居がかった口調でしゃべりつづけている。知らない間に、どこから出てきたのかスポットライトが美奈子を照らし、気がつけばシューベルトのセレナーデまで流れている。

「もしもーし…。」

 もう既に美奈子には何も聞こえていなかった…。結局この後、衛は美奈子の独り芝居に翌朝まで付き合わされることになるのである。

ダメダこりゃ…。

 

ケース4 火野さんの場合

 

「ただいま」 衛がドアを開ける。

「あなた、お帰りなさい。」 レイが台所から顔をのぞかせる。

「いや、今日は疲れたよ、商談だなんだで一日中走りっぱなしさ。」 衛は廊下を歩きながら、ネクタイと上着を脱いでレイに手渡す。

「あなたはエリートなんだから仕方ないわよ。あなたの会社の将来は、あなたの活躍にかかってるんだから。」レイが上着を畳みながら衛についていく。

「そうならいいんだけどね。」 衛が微笑む。

 その時衛の上着から一枚の紙切れが落ちる。

「あらっ?」 レイがしゃがんでそれを拾い、すっと目を通す。

「…しまった!…」 衛は心の中で目一杯冷や汗をかく。「いや…、レイ…、それは…。」

「あらっ、いいのよ。」 レイは微笑みながら紙切れを衛に渡す。 「やっぱりあなたのように、ハンサムでエリートなら社内の女の子もほっておかないでしょうね…。まああなたも男だから、こんな事ぐらいあるわよね。気にしなくていいのよ、私はあなたのことをよく理解してるつもりだから…。」

「ごめん、レイ」 衛がレイにあやまる。

「いいのよ。あなたが私のことを愛してくれているのはわかってるから…。」 レイが衛に向かってにっこり微笑む。「それより、これからすぐに夕食の支度をするから、あなた悪いんだけどもう少し待っててね。」 レイが台所に行く。

「うん」 衛は食堂の椅子に座る。「…レイがわかってくれて助かった…」衛はホッとする。「…理解のある嫁さんで本当に良かったよな…」。

 

 衛は食堂で新聞を読んでいた。台所からはレイが包丁を使うリズミカルな音が聞こえてくる。

 トン、トン、トン 衛も何気なく聞いている。

 トン、トン、ドン! ドン! ドカン! ドカン!

「…?…」

 ドカン! ドタン! バタン! ガタン! バーン! ドッカン!ガラガラ!

「…!…」

 もう既に台所から聞こえてくる音は、包丁の音と言うよりはまるで格闘でもしているかのような激しい音になっていた。その音の激しさにガラスはビリビリ言って、テーブルは震えていた。

 

「あの…」 衛が恐る恐る台所をのぞく。

 そこは既に修羅場と化していた。床には大根などの野菜が散乱し、なべはあちこちでひっくり返っており、足の踏み場もない。その向こうでは、まな板に向かったレイが肩で息をしながら、キャベツに向かって頭上高くふりかざした包丁を一気に振り下ろしていた。半分になったキャベツが吹っ飛んで壁を直撃し、バラバラになる。

 

「あの…、レイ…。」 衛が恐る恐る声をかける。

「あらっ、あなた。もうすぐだから待っててね。」 振り返ったレイの目は血走り、体中から汗をかき、肩で大きく息をしている。

「あの…、もしかして、本当はすごく怒ってない?…」 衛はかなりビビッテいる。

「あら、やだっ。そんなことはないわよ。」 レイが笑顔を作るが、口の端は引きつっており、こちらに向けて包丁を持っている手は震えている。

「いや、だから…、あのことは…。」 衛の言葉が小刻みに震える。

「あらっ、いやだ!」 レイの手から包丁が滑り落ちる。滑り落ちた包丁はレイの足元に転がっていた大根を真っ二つにふっとばして、床に突き刺さる。「もう…」と言いながら、包丁に手をかけるレイの目元が怪しい光を放つ。

ゾゾゾゾゾー。 衛の背筋に冷たいものが走る。

「私 本当に何も怒ってなんか い な い ん だ か ら…。」包丁を持つレイが薄笑いをうかべてつぶやく。

 

「ごめんなさい! 許してください! もうしません! 助けてー!」 衛はその場で何度も何度も土下座をした。

 

ダメダこりゃ…。

 

ケース5 月野さんの場合

 

「ただいま」 衛が玄関の戸を開ける。

「おっかえりー、まーもちゃーん」 うさぎが衛に抱き着く。

「ただいま うさこ」 衛がうさぎにキスをする。

「ごはんにする? おふろにする? それとももうねる?」

「おいおい 帰って来ていきなり寝はしないよ。そうだなご飯にしようかな。」

「うん、そだね。」うさぎがうなづく。

 

「まず きがえてくつろいでね。」 うさぎが衛の上着を脱がそうとする。

その時、衛の上着から一枚の紙切れが落ちる。

「なに? これ?」 うさぎが拾って読む。

「いや…、これは…。」 衛があせる。 「いや…、次の出張の待ち合わせでね…。まあ、いつも時間は決まってるし…、だからまあ、いつもの場所で…。だけどやっぱ変かな…。やっぱこのメモは…。」

「ふーん そうなんだ。 だけどほんとにへんなメモだね。」 うさぎがキャハハと笑う。

「いや 本当に…。」 冷や汗を浮かべながら、衛も無理に笑う。

「ごはんすぐにつくるから、ちょとまっててね。」 うさぎが台所に走っていく。

 

「…ふーっ、助かった…」 衛が大きく息をつく。 「…なんとかごまかせたか。それにしても、うさこがあまり深く考えない子で良かった…」 衛はホッとして食堂の椅子に腰掛けると、新聞を広げた。

 

「おっまちどー」 うさぎが台所から皿を抱えて現れた。テーブルの真ん中になべを置く。

「いっぱいたべてね…。」 うさぎがなべのふたを開ける。

「うっ」 なべを覗き込んだ衛が思わずうめき声をあげる。なべの中には何とも得体の知れない代物が見える。

「これは?」 衛がうさぎに恐る恐る尋ねる。

「うん、はじめてつくったの。ほんのとおりにつくったから、たぶんおいしいわよ。まあちょっちよくわからないところもあったけど…。」

「そう…」 衛の笑顔が引きつる。勇気を出して一箸分口に放り込む。

「ぐっ…」 なんとも表現のしようがない、まさに脳天直撃の初体験の味覚に、衛はめまいがする。「…料理が上手な嫁さんをもらっとくんだった…」衛はこの瞬間心の底から後悔した。

「おいしい?」 うさぎが衛の目を覗き込む。

心に後ろめたいところのある衛は、目に涙を浮かべながら無理してうなづく。

「ほんと? じゃ たっくさんたべてね。」 うさぎが大盛りの皿を衛の前に突き出す。衛は意識が遠のきそうに感じる。

 

「まもちゃん、そんななんにもしゃべれないぐらい おいしいの? もう、なみだまでながしちゃって。」

 

 その晩、近所の薬屋に一人の男が現れて、青い顔をしながら胃薬を3箱買っていったそうである。お体大切に…。

 

 

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