劇場版少女革命ウテナ&

アキハバラ電脳組レポート

 

スケジュール最悪、ロケーションも最悪

 「なんでこんな日に封切りなんだ!」これが私の正直な感想だった。8月14日と言えば盆休みの最中、私も里帰りの最中であり必然的に行ける劇場は限られてしまう。結局実家近く(と言っても車で30分以上かかるのではあるが)の劇場に出かけることとなった。実はこの劇場は以前にエヴァンゲリオンの時にも出かけたのだが、器は小さい(席数120席)し、座席の傾斜が少ないので前の座席の頭が邪魔になるし、スクリーンは小さいし、音響効果はお粗末(Evaの上映の時には途中で音が切れてしまったことがある)というおよそ考えられる限りで最低に近いレベルの劇場である(そもそもここは日頃は成人映画ばかり上映しているところだから仕方ない。ちなみに私と一緒に出かけた妹曰く「ここの劇場はホームシアター以下」、私も同感。)。その上にウテナの上映は午前中の2回のみであり、午後からは場内総入れ替えをした上で「プリンス オブ エジプト」にプログラムが変更されるという状態である。

 果たしてこの映画にどの程度の観客が来るかは予想さえできないので、悩んだ末に上映開始の9時の1時間前に劇場に到着するスケジュールで出かける(ちなみにEvaの時は5時頃到着するように出かけた)。結果としてはこの判断はほぼ正しかったらしく、劇場に到着したときには上映待ちの観客は約20名ぐらいであった。開場は上映開始の40分ぐらい前で、観客が増加し始めたのは上映開始10分前ぐらいで、最終的には若干の立ち見が出るような状況になる。ただやはり評判的にはEvaとは比べるべくもないことを感じる。実際に隣の劇場で上映されていた「ポケモン」の方がかなり客の入りは多いようであった。やはり「ウテナ」もマイナー作の部類に属するのであろうか。

 

観客のマナーも最悪、ただ映画は最高

 上映はまずアキハバラが60分ほどで、続けてウテナが90分ほど。しかしここで閉口したのは、ウテナの上映が始まっているのに数人の観客がドアを開けて出入りすること(トイレに行ったり、飲み物を買ったりが目的だと思われる)。ここの劇場は器が小さい上にドアが劇場の横にあるので、ドアを開けるたびにスクリーンに光が入る状態。この連中はアキハバラ本命組なのかもしれないが、あまりのマナーの悪さには呆れるばかり。最近の若者は集中力とこらえ性がなくなっているなどと言われているが、それがこんなところにも現れているのではと痛感する次第(なんかジジイの愚痴のようだが)。

 さて映画の内容であるが、アキハバラについてはまあまあといったところでウテナには絶句したと言っておこう。詳細は下に記すが、まず入場料を払うだけの価値は間違いなくあると断言できる作品である。

  

 作品解説

 

アキハバラ電脳組

 ストーリー

 2年に進級したつばめたちはいよいよ待望の夏休みを迎えていた。みんなそれぞれの夏休みを堪能していた頃、秋葉原を中心とした異常な地殻変動が発生。つばめたちは警察によって召集される。秋葉原を中心とした半径500メートルの地域が宇宙に引き寄せられているというのだ。

 評価 ☆☆

 あまり深刻なストーリーにせず、全体をギャグ的な軽いタッチで貫いたのは納得はできる。ただその形態が今はやりの「マサルさん」的スタイルであるのは、賛否が分かれるところではあるだろう。というのはこのタイプのギャグは視聴者によって好き嫌いがはっきり分かれる上に、必ずしもこの作品のムードにあっているとは言いがたい点があるからだ。ただギャグ主体の前半部分はそれなりには楽しめるし、各キャラクターの描写もまとまってはいる。

 問題は中盤以降の展開である。中盤以降はややシリアスが混じってくるのだが、こうなると前半のギャグを引きずっている部分がどうしも若干の違和感を生じてしまう。しかし最大の問題はやはり終盤の結論の弱さ。城に到着してからのヒロイン達の活躍が弱すぎる上に、結末があまりに呆気ない。ヒロイン達の出発前のシーンでは結構引っ張っているのに、その後が短すぎるのでどうしても全体のバランスが悪く、尻切れトンボである感は否めない。この点がどうしても全体の評価を下げざるおえない原因となってしまう。序盤の調子のギャグ中心の与太話で通すか、全く逆にシリアスベースの話にして、城に到着してからのエピソードをもっと盛り上げるか(もし私が作るとしたら多分こちらのパターンにする)すればストーリーの一貫性も出て、さらに楽しめる作品になったであろうことが残念である。

 

少女革命ウテナ

 ストーリー

 鳳学園に転入してきた天上ウテナは、姫宮アンシーという少女と知り合う。彼女は薔薇の花嫁と呼ばれ、デュエリストと呼ばれるメンバーによる決闘の勝者が彼女を得ることが出来るという。ウテナはそのことに疑問を感じつつも、この決闘に巻き込まれていく。

 評価 ☆☆☆☆☆

 「やられた」と言うのが正直な感想。ここまで完成度の高い作品は今までほとんど記憶にない。よく「芸術的」という言葉を否定的ニュアンスで使うことがあるが、この作品は「芸術的」という言葉を真に肯定的ニュアンスで使うことが出来る作品である。

 圧倒されるのはその画面の密度の高さである。幾原氏は以前にも「セーラームーン」の映画で隙のない画面構成を見せたが、この作品ではその技をさらに突き詰めている。1シーン、1カットがすべて画面バランスを十分に計算した上で構成されており、どの場面をとってもまるで1枚の絵画のごとく構成されている。一般的にアニメーションの描写方法としては、出来るだけ現実に近いいわゆるリアリティーを追求する描写方法というのが一つの代表的方向であるが、この作品の場合はこれと対局の、完璧な計算に基づいてとことん人工的な世界を作り上げるという方法に徹している。赤黒白の3色を基本に直線を組み合わせた、現代演劇のセットを思わせる独特の背景は、この作品の非現実的世界観を何よりも雄弁に物語っており、この幾原ワールドとでも呼ぶべき特異な空間は、この作品を語る上では不可欠なものと言っても良いだろう。なおCGなどを多用しているとのことであるが、それらが作中で違和感を感じさせることは全くなく、CGの使い方としても非常に巧みな部類に入ると言ってよい。

 さらに特筆すべきことは、この作品が決して画面効果の遊びだけに走ることがないことである。確かに、象徴的で記号論的な画面を連ねた表現は一見ストーリーを分かりにくくしているが、根底に流れているテーマが「精神的及び社会的軋轢を乗り越えつつ、内的世界(一種の自己逃避的な自分だけの世界)から外的世界(いわゆる現実世界)に飛び出していく」ということであることは、比較的容易に汲み取ることが出来る。そしてすべての表現は、このテーマをいかに感覚的に視聴者に焼き付けていくかという目的のために計算されているので、視聴者の理解を拒絶して制作者の自己満足に落ちていくことは決してない。この辺りは最近の、画面効果だけが第一義にあってその背後に何の表現目的もテーマもないような作品とは一線を画している。

 なお音楽の使い方などに関しても実に見事である。特に画像のとのマッチングが絶妙で、画面と完全にシンクロしたOPなどいきなり観客を釘付けにするパワーを秘めている。また作中でも随所に渡って音楽が画面の盛り上げにうまく使われている。概して音楽の使い方の下手な作品は、音楽が正面に出過ぎてストーリーを邪魔することがあるが、この作品は音楽も画面に合わせて設計されているらしく、ストーリーを裏からサポートする役を絶妙なバランスで果たしている。ただあまりに音楽が画像にとけ込んでいるため、音楽に注意を傾けていないと音楽が記憶に残らない怖れもあるが、これはむしろ効果音楽としては非常に良くできていることの証明でもある。

 以上のように、この作品にはおよそ注文を付けるべきところを見いだすことは困難である。あえて難を付けるとすれば、ストーリー的に枝織の存在の意味が今ひとつ弱く、何となく登場の必然性を感じなかったことぐらいか。また営業的目的などの事情で起用されたのではと思われる及川光博が、声のキャラクター的にも演技力的にもやや違和感を感じさせ、その部分がこの作品の瑕疵になってしまっているのが残念ではある(決して致命的というわけではないが、作品の完成度が異常に高いために結果として目立ってしまっている)。

 ほとんど手放しの絶賛になってしまったが、実際に私個人としては、もしドラえもんが私のイメージをそのままアニメーション映像にしてくれる機械を貸してくれたとしても、残念ながらこれだけの作品を作ることは不可能だと思う。本作は私の予想を超えるレベルの作品であり、まさにプロの技を堪能させられたと言っておこう。

 最後に一つ要望したいことは、この作品をLDなどにソフト化する時は、絶対に画面比率を劇場版のままの比率でソフト化して欲しいということである。この作品は各場面ごとに画面バランスを考慮して構成された絵画のような作品であるので、ビデオ化の際に画像の両端をカットするようなことをされれば効果は半減してしまうと言ってもよい。この点はソフトメーカーには厳に注意してもらいたいところである

 

(上記の文章は本館「白鷺館」のアニメの部屋内の「アニメ映画レポート」に掲載したものと同文です。なお作品解説的な文章も近日中にアップしたいとは思っております・・・もっとも私のスケジュールの方がどうなるかは分かりませんが。) 

 

 

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